それは、知るための願い
これは、どこにでもいる普通の女の子の、ちょっと普通じゃない過去のお話。
わたしは貧しい家庭に生まれた。けれど、それでもよかった。わたしの家族はわたしを愛してくれたから。
わたしは友達が少なかったけれど、それでもよかった。何故ならわたしには唯一無二の親友がいたから。名前はたーちゃん。これはもちろんあだ名だけど、いつもわたしはそう呼んでいた。たーちゃんとはいつも、どんな時でも一緒でよく遊んでいた。保育園の時からずっと仲がよかった。
わたしは周囲の人に恵まれた。わたしは普通の女の子だった。これからもずっと、そうなるはずだった。
冬のある日、小学2年生の時だった。突然、先生が放課後にクラス会議を開くと言ってきた。そのお題目はクラスメイトの斎藤君の給食費が盗まれたとのことだった。それを聞いた途端、みんながざわざわし始めた。「わたしは知らない」「あたしも知らない」と言った具合に。
先生は机とランドセルの中身を出すように言った。先生は前から順番に一人ひとり確認していった。わたしの番が回ってきた。わたしは自信満々にランドセルの中身を先生に見せた。
「何だこれはっ!」
先生が急に怒り始めた。意味がわからなかった。
先生が顔をりんごみたいに真っ赤にしながらノートとノートの間にあったそれを引っ張り出した。取り出したのは茶色の封筒だった。それは、どこからどう見ても盗まれたはずの斎藤君の封筒だった。意味がわからなかった。
みんながわたしに注目した。みんなが何か囁いていた。中には「泥棒だー!」とか言って空気を読まずに笑いをとろうとする男の子もいた。どうしてみんなしてわたしを悪者扱いするのか。意味がわからなかった。
「来い!」
わたしは先生に首根っこを掴まれ、引きずられた。意味がわからなかった。
わたしは引きずられながら教室を出る間際、見えたものがあった。それは、たーちゃんの笑みだった。たーちゃんが、引きずられるわたしを見て笑っていた。意味がわからなかった。
笑っているたーちゃんの斜め後ろで斎藤君がどこか申し訳なさそうな顔をしていて、その目には同情が見えた。意味がわからなかった。
とても狭い部屋に連れてこられた。その部屋には、二つの机と椅子しかなかった。そこで、沢山のことを聞かれた。「何故盗んだのか」「何故申し出なかったのか」わたしは盗んでないと言った。頰を叩かれた。意味がわからなかった。
少し時間が経つと、メガネをかけたハゲの人と小太りの人が入ってきた。先生に挨拶をしなさいと怒られた。「この人たちは誰ですか?」と、そう聞いたら頭を叩かれた。先生曰く、校長先生と教頭先生らしい。でも、いつも遠くからしか見ていなかったからわからなかった。だから、ごめんなさいを言った。それを言ったら、もっと強く叩かれた。意味がわからなかった。
そのあとは、ドラマでよく見る取り調べみたいなのが続いた。取り調べみたいと言っても、それは見た目の話で、その中身は酷く薄っぺらだった。ずっと同じことを聞かれては同じことを言い返し、言い返すたびに叩かれた。気付いたら皮膚が裂けて、顔のいろんなところから血が出ていた。口の中は鉄の味がして気持ち悪かった。意味がわからなかった。
しばらくして、お父さんとお母さんが来た。お母さんはともかく、どうして仕事のはずのお父さんがいるんだろう。意味がわからなかった。
お父さんとお母さんが来るなり、先生は一段と大きな声で怒鳴り散らした。お父さんとお母さんは泣いた。意味がわからなかった。
先生は怒鳴りながら、ずっと同じようなことしか言っていなかった。「これは犯罪だぞっ!!」と。お父さんとお母さんは泣いていた。意味がわからなかった。
「これに懲りたなら、次からはこれまでの倍の給食費を払ってもらいますよ」
校長先生か教頭先生かわからない小太りの先生がそう言った。お父さんとお母さんは小太りの先生に何かを訴えていた。小太りの先生は凄く面倒くさそうな顔をしていた。意味がわからなかった。
お父さんとお母さんが土下座して、地べたにおでこを擦り付けていた。わたしもやらされた。凄く痛かった。意味がわからなかった。
お父さんとお母さんはしつこく小太りの先生に何かを訴えていた。それに痺れを切らした小太りの先生が土下座をしていたお父さんの頭を蹴り飛ばした。お父さんは血の混じった涙を溢していた。意味がわからなかった。
そして、わたしたちは帰った。家ではお父さんはわたしを問い詰め、お母さんはただ泣いていた。わたしを愛してくれていたお父さんとお母さんはどこにいったんだろう。
その夜、お父さんはお酒に酔って寝ていた。お母さんは泣いたまま寝ていた。わたしの頭と顔は腫れ上がり、寝返りを打つたびに激痛が走った。寝られなかった。
わたしは外に出た。いつもは抜け出そうとすると、お父さんとお母さんに気づかれちゃうけど、今日は大丈夫だった。今日はいつものように一緒に寝ていなかったからだと思う。
わたしは歩いた。ただ歩いた。どこに行こうとも思ってはいなかったけれど。あの学校ではない、あの家ではない、あの町ではないどこかに行ってしまいたかった。外はとても寒かったけれど、それでもわたしは歩いていた。
「女の子がこんな時間に、それも一人で出歩くなんて。どうかしたの?」
突然、声が聞こえた。後ろを振り返ると、そこには、歳は20代前半程度だろうと予想できる綺麗な女の人が立っていた。
「酷い傷だね。病院に行きたかったの?」
そよ風に長い髪を靡かせたその人は、どこまでも優しい微笑みで、優しい声で、そう訊いてくれた。
わたしは首を横に振った。
「そっか。なら、あなたのこと聞かせて欲しいな」
突然、そんなことを言わせた。とても怖くて、すぐには返事ができなくて。だから、その人の顔ではなくて、目を見ることにした。
とても、とても綺麗な目だった。女の人は日本人顔だったから、当然目の色は黒と茶色でできたものだったけれど。それでもどこか、その目の奥には淡い光が見えた。
『この人は信用してもいい』それは、直感だった。この女の人のことをわたしは何も知らない。名前も、年齢も、何も。でも、それでも、この人にはそう思わせるだけの何かがあった。
だからわたしは、首を縦に振った。
近くの公園まで行くと、ベンチの上でわたしはわたしのことを全て話した。今まであったことも、今日あったことも。全部話した。
女の人はただ静かにわたしの話を聞いてくれた。わたしの話を聞き終えると、女の人は思い出したように話した。
「そういえば私ね、魔女なの」
急なカミングアウトに固まってしまった。だって、わたしの知っている魔女というのは童話に出てくるようなものばかりだったから。森に迷い込んだ小さな子どもを太らせて、最終的には食べてしまおうとしたり。嫉妬のあまり、毒を盛ってなんの罪もない少女を殺そうとしたり。そんな、悪い印象しかなかった。
「魔女と言っても、悪い魔女ではないのよ。……す、数十年前まではちょっと悪かったかもだけど、でも今はもう大丈夫」
不安だった。でも、わたしはこの女の人のことを信じたかったから、「魔法を見せて欲しい」と言った。
「ええ、いいわよ。何なら、さっきからずっと使ってるけどね」
凄く不安だった。どのくらい不安かというと、この場を今すぐにでも逃げ出してしまいたいくらいには不安だった。
「別に怖がることはないわ。魔法を使ってると言っても、あなたの体温を調節してるだけだから。実際、こんな冬だっていうのに寒くないでしょう?」
言われて気付いた。そういえば、さっきからずっと寒くない。それどころか、どこか暖かさすら感じる。「これが魔法なの?」そう訊くと、女の人は微笑みながら頷いた。
「でも、それだけじゃないわよ」
そう言って、女の人はわたしの顔に添えるように手を出した。その瞬間、頭や顔にあった違和感が溶けるように消えた。
「どう? もう痛みはないでしょう?」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。試しに自分の頭や顔をペタペタと触ってみたが、腫れがなければ痛みも感じなかった。
「ふふ、凄いでしょう」
そう言って、女の人はまた優しく微笑んでみせた。この時、確信した。ああ、この人は本当に魔女なんだと。それも、とびきり優しい魔女だ。
わたしは感謝の言葉を送った。
「いいえ、どういたしまして」
わたしは立ち上がり、もう一度女の人の前で礼をすると、わたしは公園の出口に向かった。
「あー!待って待って!」
女の人は慌てた様子でわたしの手を掴んだ。
「もう、ここからが本題なのよ」
わたしはベンチに座り直し、「本題って?」と、聞き返した。すると、今度は女の人がベンチから立ち上がってわたしの前に立つと、さっきよりもずっと真剣な顔になった。
「さっきも言った通り、私は魔女なの。だから、どんなことだってできる」
女の人がどういう意図でそれを言っているのか、さっぱりわからなかった。
「要するに、私ならあなたの願いを叶えられるのよ」
「願い?」と聞き返した。
「そう、願い。ただし、その分だけの対価は必要よ。無いなら無いで、それでもいいけど。どうする? 」
そう言いながら、女の人は座っているわたしに手をゆっくり伸ばして、
「──あなたは私に何を願う?」
その言葉を聞いて、わたしは今まであったことを思い出して。今日、あったことを思い出して。わたしは願いを、口にした。
「心が知りたい。人の、人の心が知りたい。自分の心が知りたい。他人の心が知りたい。……心が、知りたい」
──わたしは知りたい。わたしを笑いのネタにしようとした男の子の心が。
──わたしは知りたい。わたしを笑ったたーちゃんの心が。
──わたしは知りたい。わたしに同情の目を向けていた斎藤君の心が。
──わたしは知りたい。昨日まで愛してくれていたわたしを嫌いになったお父さんとお母さんの心が。
──わたしは知りたい。わたし自身の心が。
「……それが、あなたの願いなのね」
わたしは頷いた。
そう、これがわたしの願い。この時のわたしの中にあった願いはこれだけだった。
──それは、知るための願いだった。




