9.思い違いの行く末は
セントレア王国第二王子レオン・エメラルド・セントレアは、ルークとともに下級生の教室へと足を運んでいた。
行く人々が振り返り、王子だと気づいて噂するものもいれば、王子だとはわかっていないが、レオンの王子然としたキラキラしい雰囲気に見ほれるものもいた。
その様子は、至極目立っており、レオンのこれからの行動の効果を最大化するのに一役買っていた。
レオンが向かっているのは、当然アドレアの教室だった。入学式後のガイダンスも終わり、出てくるだろうアドレアを迎えに来たのだ。ついでに、夕食も一緒に食堂でとれば、レオンの婚約者だという周知はある程度されるだろう。
「アドレア」
「レオン……様。どうされたのですか?」
友人たちとの歓談を終え、教室から出てきたアドレアは、驚きのあまり、普段の気安さでレオンに応対しそうになった後に、すんでのところで通常の対応をして見せた。
レオンとしては親し気な様子を周知するという意味では、もはやそれでもよかったのだが、アドレアはそういうことを許せるタイプではない。完璧主義者の彼女は、王子妃の模範から一ミリでもずれるような行動はしないのだ。
「アドレアを迎えに来たんだ。夕食でもどうかな」
「夕食のお誘いは大変ありがたいのですが……実は、友人と既に約束してしまっていて……」
アドレアが申し訳なさそうな表情でそういうと、彼女の隣にいた女子生徒が目を丸くした後、首をぶんぶんと横に振って言った。
「アドレアったら、私のことは気になくて大丈夫よ。同じ寮に住んでるんだから、今日でなくても食事は一緒に食べられるじゃない」
「でもそれは……」
「ほらほら。王子殿下のお誘いを不意にしてどうするの?」
「カルラ……ごめんなさい。ありがとう。明日からは絶対に一緒に食べましょうね」
「もちろんよ」
カルラは特に気が付かなかったようだったが、レオンはアドレアの言わんとしていることをくみ取った。アドレアはこの場で、婉曲的に明日以降はカルラと食べる、つまりレオンと食べるのはイレギュラーだと主張しているのだ。
レオンとしては毎食でも共にしたいぐらいだが、さすがにそれをやると、アドレアに嫌がられるだろう。彼女の交友範囲も狭ばりすぎる。後ほど、朝食で手が打てないか、交渉してみようとレオンは決めた。
「譲っていただいてすみません。エリサルデ嬢」
「殿下にお名前を覚えていただいているとは光栄ですわ」
カルラ・エリサルデの名前はさすがのレオンでも覚えていた。というのも、彼女はエリサルデ伯爵家の令嬢であり、家格でこそアドレアのストラーテン家に劣るが、歴史の長いセントレアの名家の一つである。
当然彼女はかつてのレオンの婚約者候補であったし、夜会などで顔を合わせたこともある。
「それにしても、殿下にこんなに気にかけていただいて、アドレアは幸せものですね」
「今日はアドレアも不慣れなことが多くて、大変だと思いまして。そんなときに、彼女の助けになれればと思ったのです。彼女は美しく優しいですから、助けようと思う人はたくさんいるかとは思うのですが」
「たしかにアドレアは男女問わず人気がありますから、殿下も多少、胸がざわつくものがあるのでしょうか」
カルラはやんわりと疑問を投げてきた。勘が良ければ、彼女の問いかけが何を指すのか周りのものにも分かるだろう。
そして彼女自身は、今日の朝の騒動をレオンが聞きつけてここに来たことを確信している。しかしここではっきりと肯定してしまうのは、圧が強すぎるだろう。
仄めかすぐらいがちょうどよいのだ。
レオンは、女性受けのいいと知っている甘い笑みをその場で浮かべ、目の前にいるカルラとアドレアに向けて言った。
「アドレアの人気は歓迎していますよ。彼女を支える人が多いのは、心強いことです。一番近い位置で支えられるのが私であれば、それで構いませんから」
「……なるほど。それでは、私はこれで失礼いたします。アドレア、また明日ね」
「ええ。また明日」
アドレアとカルラが挨拶を終えると、カルラはその場を去っていった。
取り残されたレオンとアドレア、そしてルークは、未だ周囲の生徒たちの視線を集めたままだ。そろそろ移動しないと、さきほどから笑みを保っているアドレアの表情筋が釣ってしまうに違いない。
「アドレア、行きましょうか」
「はい。レオン様」
レオンが促すと、アドレアも素直に従って、歩き始めた。
レオン、アドレア、ルークの三人が歩いていると、周囲にある学生がそれとなく道を譲ってくれる。そしてひそひそと何やら話題にしているのが分かった。どうやらレオンの目論見はうまくいっているようだ。
しかし、三人で食事をするときまで、あまり注目を集めていると、きっとアドレアが疲れてしまう。
そう考えたレオンは、この時間では一番人が少ないであろう、寮から遠い食堂を選んだ。そこは、さすがに授業がすべて終わったこの時間は人もまばらで、食事を注文した後、他の生徒に話を聞かれないような、隅の席を抑えることができた。
そうして席に座るなり、アドレアがレオンの方を向いていった。
「ねえ、どういうつもりなの? レオン」
「どういうつもりって?」
「朝の挨拶はともかく、わざわざ迎えに来たのは何なの? あなたが何の理由もなくそんなことをするとは思えないわ」
アドレアはもともと頭もよく、観察力もある女である。だから彼女はストレートに核心をついてきた。
「アドレアに会いたかったからだよ」
「嘘ね。あなたには絶対に何かしらの打算があったはずよ。たとえば、私と仲のよい婚約者だと見せつける……とか。でも、見せつけたあと、婚約者を大切にする王子として、あなたの好感度は確かにあがるかもしれないけれど、それをあなたが求めているとは思えないのよね……」
どうやらアドレアは、レオンがアドレアを囲い込みたいために、仲の良さを周知させたいとは思ってもいないらしい。
仲の良い婚約者だと見せつけたい、というところまで推理できているのなら、単純に考えれば、レオンの独占欲だと気づけそうなものだ。現に、アドレアの友人のカルラは、レオンの牽制に気づき、何が気に障ったのかを探ろうとしていたようだった。
「アドレアに会いたい理由は、もっとシンプルに考えたら分かると思うけどね」
「シンプル……。あなた、単純な行動原理で動けることあるの? いつだって難しく考えすぎて、自ら問題を複雑化してそうなのに」
「そうかな。私はいたって単純な行動原理で動いていると思うよ?」
「行動原理が単純だとしても、あなたの行動は単純ではないわ」
アドレアは苛立った様子でそういったが、その場にあった水は、寸分の狂いもない優雅な仕草で口にした。
声は聞こえていない確信があるが、姿は多少離れていても見える。
アドレアにとって、学園内はすべて戦場、ということなのだろう。
「レオンとアドレアって、仲がいいのか悪いのかわかんねーな」
「仲は良くないわ」
「仲は良いと思うよ」
レオンとアドレアのやり取りを見ていたルークの一声に、二人は正反対の回答をした。そしてお互いに目を見合わせると、しばしの間、黙り込む。
この会話を聞こえない他者が見れば、三人は穏やかに会話をしながら食事をとっているように見えるだろう。まさかレオンとアドレアがささやかな口論をしているとは思いもしないはずだ。
それだけレオンとアドレアの表情の作り方、所作は完璧であったし、自然であった。
「ま、でもレオンの言っていることは正しいと思うけどな。こいつ、すごい単純な行動原理で動いてるよ。アドレア嬢が深く考えすぎてるだけだ」
「ずいぶんレオンと親しいのね」
「まあな。それより、俺には猫かぶらなくていいのか? 会話、全部聞こえちまってるけど」
「……いいのよ。あなたに今更取り繕っても仕方ないわ」
あまりにアドレアが自然でいつも通りだったため忘れていたが、ルークの言う通り、ルークという第三者がいる前で、アドレアが自然体でいるというのは不自然だ。
先ほどははぐらかされたが、アドレアとルークがもともとの知り合いだということは間違いないだろう。
「とりあえず、明日からは毎晩一緒に夕食をとったりしないわよ。婚約者と言えど、節度ある距離感を保つべきだわ」
「じゃあ、朝食はどうかな? 決まった席に決まった時間で食べる。君がたまに気分がのらなければ、来なくてもいいよ。私は毎日そこにいるから」
「朝食でも夕食でも同じよ。毎日だなんて」
「でも、朝食ならとれる時間も限られているし、食堂も寮の近くのものを使うのが自然だ。夕食を毎食一緒に取っているよりは、よほど自然な流れでの婚約者との逢瀬だと思うよ。私たちが全く接点を持たないというのは、むしろ不自然じゃないかな?」
交渉で自分の望むように仕向けるには、まずは自分が妥協してみせることが肝要だ。自分の最上の望みを諦める代わりに、それなりの理論とお願いで相手の心を動かすのだ。
アドレアは頭のいい女で、レオンがそういう交渉をけしかけていることをきっと理解している。しかし彼女は、頭が切れるからこそ、レオンの提示する理論に納得さえすれば、それがレオンの誘導だと知りつつも乗ってくれるのだ。
だから、アドレアが一度目を伏せた後、小さく息を吐いたのを見た時、レオンは自分が交渉に勝ったことを確信した。
「わかったわ。朝食だけよ。その代わり、今日みたいな派手な立ち回りで夕食に誘いに来るのはやめなさい」
「アドレアに会いたかっただけなのに」
「レオン?」
「……わかったよ。それでお互いに手を打とう」
こんな調子で続いた夕食は、そのあとはたわいのない話になった。
そうしてアドレアとの時間を楽しんだあと、ルークと二人でアドレアを女子寮の前まで送っていき、そして二人は男子寮まで戻ってきた。
そうしてそれぞれの部屋に戻ろうか、というタイミングで、ルークが話しかけてきた。
「レオン」
「どうしたんだい?」
「アドレア嬢は……おもったより、難しい相手だな」
「難しい?」
「正直、レオンに対して恋情があるのかないのか、見えなかったからさ」
「さすがに全くないことはない……と思いたいけど」
レオンはそう言いながら、ふと、アドレアとの会話を思い返してみた。
先日、結婚相手として条件がよくない、とアドレアに言い切られたとき、レオンは条件以外は問題がないのだと判断した。だから、アドレアが多少でも、自分に好意を抱いているのだろうと思っていたのだ。
しかし、よくよく考えてみると、彼女はレオンに対する好意のようなものを、におわせる程度だとしても口にしたことはない。
「アドレア嬢は、人としてはレオンを信頼しているように見える。でも、それが恋情かどうかはわからない。……レオンは、結婚できさえすればいい、ってわけでもないんだろ? その様子だと」
「そうだね。彼女の心が欲しいと思っている。そうでなければ、ここまで彼女に干渉する必要はないだろう?」
「それなら、レオンはもっとわかりやすく行動すべきだな。行動原理は単純でも、お前の行動は、周囲からすると単純には見えない」
「それは……なりふりかまわず口説けということなのかな?」
「いや。二人で……あるいは俺を含めて三人でいるときぐらいは、もう少し、気の利いたことを言えってことだよ」
ルークはなぜか呆れたような表情をすると、ひらひらと手を振った。部屋に戻るという意思表示だろう。
「とりあえずアドレア嬢に好意を伝えるのは、ストレートにやれ」
「ストレートに?」
「言葉を飾るな。何にも利用するな」
ルークはどこからどうみても王子だが、正真正銘の女性である。ルークがそういうのであれば、きっとそれは女性に響くアドバイスなのだろう。
レオンは比較的アドレアに率直に愛を告げている気だが、現状では足りないということなのだろうか。それとも、レオンが好きだと伝えているところを見ていないから、そう感じるだけなのだろうか。
「俺は……レオンの恋はうまくいってくれると嬉しい。だから……たとえ今、アドレア嬢の心を得られていなくても、負けるなよ」
「負けないよ。私にとって、アドレアは何にも代えがたいものだからね」
レオンが小さな決意も込めてそういうと、ルークの赤い瞳が大きく見開かれた。そうしてなぜか、ルークは天を仰ぐように上を向くと、額に手をあててうめいた。
「それを本人にやれって言ってんだよなあ……」
「何かいったか?」
「いや……おやすみ、レオン」
「おやすみ、ルーク」
ルークはレオンの問いには答えることはなく、強引に話を終わらせると、自分の部屋へと帰っていった。
レオンもまた、自分の部屋に戻ると、ソファに身を投げ出した。
「思い違い……か」
アドレアは今まで、条件以外でレオンを否定したことはない。それと同時に、レオンに特別好意を寄せているような言動をしたこともない。
つまり、アドレアにとって、条件以外は結婚してもいいと思われている、と思っていたレオンの判断は、完全なる思い違いであった恐れもあるのだ。そのことに今日、ルークとの話でようやく気づかされた。
「さて……どうしたものか」
レオンの悩みをよそに夜は静かに更けていく。
その日のレオンは、あれやこれやと考えすぎてしまって、結局なかなか寝付けなかったのだった。