8.アドレアの婚約者は
セントレア王立上級学校にレオンが入学してから、三度目の入学式の日。
今年は、レオンが卒業する年でもある。
そして、アドレアに提示された、勝負の一年でもある。
「新入生代表、アドレア・ストラーテン」
「はい」
式典の中、学校長が呼んだ名は、レオンの婚約者のものだ。
彼女は全生徒の視線を集めていた。
「あれが、レオン殿下の……」
「入学試験は、ダントツで一位を取ったらしい」
「想像以上に、美人だな」
彼女は目を引く美女だった。
背筋を伸ばし、優雅に歩くその姿は見るものの視線を捉えて離さない。彼女が歩くたびに、生まれ持った美しい銀色の髪がなびき、太陽の光さえ、彼女だけを照らすかのようにその髪を輝かせた。
しかしそれだけの視線や声を受けても、アドレアは一切動じることがなく、学校長の前まで進み出た。そして一礼すると、全校生徒の方を向き、笑みを見せた。
花がほころぶようなその笑みは、ざわめいていたその場を黙らせ、見るものに小さく息をのませた。
「在校生のみなさま。本日は、私たち新入生のために、お集まりいただきありがとうございます。本日、新入生代表として、ご挨拶させていだきます、アドレア・ストラーテンと申します」
アドレアの声はよく通る声だった。
彼女は背筋を伸ばし、微笑みをたたえたまま、全校生徒に向かって語り掛けるように、代表の挨拶を進めていく。
彼女がなんでもそつなくこなすことはレオンが最もよく知っていたが、こういう大勢がいる場で、こうも平然としていられる様子を見ると、さすがとは思わずにいられなかった。
彼女は代表の挨拶を終えると、また来た時のように静かに自分の席に戻っていく。
「あれが、レオンの?」
「そうだよ。後で紹介するよ」
レオンの隣にいたルークが、なぜか驚いたような顔をして、問いかけてきた。
「そうか……あれが、アドレア嬢……なるほど」
ルークは納得したようにつぶやくと、顎に手をあてて何かを考えるような仕草をした。それは何かを思い出すような仕草にも見えて、レオンは首をかしげる。
レオンがかすかに抱いた疑問の、答えは思いのほかすぐに明かされた。
入学式が終わり、生徒が解散したあと、レオンはルークを連れてアドレアの近くに歩み寄っていった。周囲の生徒がレオンに気が付いて道を譲ってくれる。
アドレアの方も、近くの女子生徒と歓談していたが、レオンの存在に気づいたようだった。
「アドレア」
「レオン様。わざわざお越しくださったのですね」
レオンが声をかけると、アドレアが礼をとり、微笑みながら話しかけてきた。
そのあまりにも丁寧な物言いに、レオンは少し驚いたが、周囲の生徒がこちらを見ていることを思い出し、納得した。
アドレアは王子妃として、誰もが認めるような行動を選んでそれを実行する。たとえ、普段はレオンに対してよく言えば親し気な、悪く言えば不遜な態度をとっていても、他人の目がある時にはやらないのが彼女だ。
「私の友人を紹介しようと思って。ルクレティオ殿下だ。そしてこちらは婚約者のアドレア」
アドレアは、ルークの顔を見て、かすかに目を見開いた後、すぐに表情を戻して笑みを浮かべながら礼をした。
「アドレアです。よろしくお願いします。ルーク……様」
「ああ、よろしくな」
レオンはアドレアの言葉に眉をひそめた。
アドレアの性格であれば、ここで、ルクレティオ様と呼びかけるのが自然だ。ルークが先に名乗ってそう呼ぶように言ったのならともかく、彼女からそう呼びかけるのは何かがおかしい。
その違和感を探ろうとしていると、ふと気まずそうな顔のルークと目があった。レオンがルークの赤い瞳をじっと見つめ返すと、ルークは少しだけ肩をすくめて言った。
「アドレア嬢とは、会ったことがあったんだ。まさか、レオンの婚約者が、あのときのお嬢さんだとは……」
「会ったことがある?」
ルークの言葉を確かめるようにアドレアの方を向くと、彼女はゆっくりとうなずいていった。
「私も驚きました。お久しぶりですね、ルーク……様」
「いったいどこで?」
「それは……」
いつもは歯切れのよいアドレアが、言いよどんだ。
レオンの記憶にある限りでは、アドレアがウェストカームに行ったのは一度だけだ。その一度で、たまたま王子と出会ったとでもいうのだろうか。
それに、二人は知り合いであることを隠そうとしたようにレオンには見えた。
「ま、いいじゃねえか。それより、新入生は、そろそろ学校内の案内があるから、行かないといけないんじゃないか?」
「そうですね。ではレオン様、ルーク様、失礼いたします」
アドレアはこれ幸いとばかりにそういうと、その場を去ってしまった。
「さて、俺たちも行かないと、授業に遅れるぞ」
「ああ」
ルークが明らかに誤魔化したのは気になるが、これ以上追求しても、煙に巻かれるだけだろう。それに、授業の時間が近づいているのも事実だ。
レオンはおとなしくルークと並んで教室へと向かった。
教室に入ると、レオンとルークは迷いなく一番前の席に座った。座席に指定はないのだが、いつも同じ場所に座るようにしていたら、他の生徒が遠慮して空けておいてくれるようになったのだ。
この授業は、セントレア王国の歴史を学ぶものだった。王子として教育を受けてきたレオンには、おおむね知っていることだったが、他の生徒の手前、さぼるわけにはいかない。
「ルークは、セントレアの歴史を学んで楽しいのか?」
「んーウェストカームでも、セントレアと交戦したときの歴史とかは伝わってるからな。両者の視点で歴史を突き合わせるのは、なかなか興味深いものがある」
「交戦した時って、最新でも、五百年近く前のことだろう?」
「ああ。あの戦は、セントレアもウェストカームも歴史書に自国が勝利したと書いている。それ以降、国交が正常化したとも」
「両方? ……なるほど、そういう矛盾は、確かに興味深いものがあるね」
ルークはウェストカームの王女である。レオンと同じく、自国の歴史については詳しいに違いない。そして自分の持っている知識と照らし合わせた時に、セントレア王国で語られていることとの矛盾に気づけば、それが歴史のほころびだと気づけるのだろう。
歴史書は、基本的に勝者の歴史である。勝者の正当性を謳うために、代々の王は歴史書を作らせ、自分の国が正義であり、王自身が正義であることを示すのだ。
「ま、突き合わせてもわかんないこともたくさんあるんだけどな」
ルークがにっと笑ってそういうとほぼ同時に、教室の隅で、突然女子生徒の大きな声が上がった。
レオンとルークがそちらに目をやると、彼女たちは自分たちが視線を集めていることにも気づかず、会話に興じていた。
「あなたの妹さんが、アドレア様と同じクラスなの!? しかもお声かけいただいたなんて、すごいじゃない!」
「ええ。アドレア様は本当にお優しい方で、私の妹のように男爵家の娘にまでも、天使のような笑みをみんなに向けてくださっているようよ。なんでも、クラスの男子生徒はもちろん、女子生徒までもみんな骨抜きだとか」
「さすが、レオン殿下の婚約者だわ」
普段ならクラスメイトの噂話を気にすることもないのだが、アドレアの話となると、どうしても気になってしまう。ルークもレオンの心情を察したのか、会話を続けるでもなくただじっと黙っている。
とはいえ、よほどのことでなければ、女子生徒の噂話に首を突っ込んだりはしない。アドレアのことを気にしなさ過ぎても問題だが、気にしすぎていると噂が立つのもまずい。
それとなく情報を仕入れ、表立っては干渉しない。このスタンスをレオンは貫く気でいた。
「しかも、アドレア様だと知らなかった男子生徒が、すでに告白して騒動になったとか!」
貫けなかった。
「おい、レオン?」
突然立ち上がったレオンに、ルークが慌てたような声をかけたが、それを気にしている場合ではなかった。レオンは立ち上がった勢いのまま、女子生徒たちに近づいていく。そして、笑顔を作ることだけはどうにか忘れないでやり遂げ、問いかけた。
「ちょっとだけ、詳細を聞いてもいいでしょうか?」
「レ、レオン様!」
普段はあまり自分から話しかけてこないレオンが話しかけてきたのに驚いたのだろう。女子生徒たちは飛び上がらんばかりに驚いて、こちらを見ていた。
しかもこの女子生徒たちは、レオンに自ら話しかけてきて王子妃を狙うような自信過剰なタイプでもない。そのため、同じクラスとは言えど、レオンはほぼ初めてまともに話す相手だった。
「アドレアが男子生徒に言い寄られたというのは、どういう状況だったんでしょう?」
レオンはアドレアやルーク以外の他人と話すときは、基本的に丁寧な言葉と物腰を心がけている。しかし今はあまりにも余裕がないせいか、問われた女子生徒は詰問されているような気分になったようで、かすかに声を震わせながら答えた。
「い、妹曰く、アドレア様を一目見て惚れてしまった男子生徒が、玉砕覚悟で告白したとか……。で、ですが、アドレア様は婚約者がいるので、申し訳ありません、ときちんとお断りになったそうです! そこで初めて、男子生徒は殿下の婚約者であるアドレア・ストラーテン嬢に告白したと気づいたそうです」
「……なるほど。つまり、アドレアと私の婚約は周知が足りないようですね」
「へ……?」
「いえ。なんでもありません。それよりも教えてくださってありがとうございます。妹君がアドレアと同じクラスなのであれば、これからも親しくしてさしあげてください」
「はい! そう伝えておきます」
レオンが穏やかな声を心がけ、できるだけ柔和な微笑みで対応すると、ようやく女子生徒の気持ちを落ち着いたようだ。彼女の声から震えがとれた。
聞きたいことが聞けたレオンは、その場を去ろうとして、ふと、思い直して立ち止った。
そして振り返りざまに言った。
「もし……アドレアのことで気になることがあれば、教えてくださると嬉しいです。彼女も不慣れな中で困っているなら、手助けをしたいので」
女子生徒たちが首を縦に振るのを見届けたら、ようやくレオンは自分の席に戻った。
そこにはどこか咎めるような顔をしているルークが座っている。
「狭量だと思われるのはまずいんじゃなかったのかよ」
「学校中に思われるのはまずいが、一部に思われても広まりはしないだろう。それ以外の態度がそうでなければ」
「……いや、レオンのこの後の行動を考えたら、学校中に思われると思うけどな」
「ルークは私の次の行動が分かるのかい?」
「そりゃあ……周知させるんだろ?」
ルークが当然のように答えたその言葉にレオンはうなずき、そしてそれをさっそく実行に移したのだった。