6.友人の事情
「踊っていただけますか、ルナリーク殿下」
「喜んで。レオン殿下」
セントレア王立上級学校の、新入生歓迎パーティのファーストダンスは、目を引く二人によって行われた。
一人はセントレア王国第二王子であるレオン・エメラルド・セントレア。金色の髪にその名の通りエメラルドのような輝きを持つ緑色の瞳が特徴的な王子だ。
そして彼がエスコートしているのは隣国ウェストカーム王国の王女ルナリーク。さらりとした黒髪に、切れ長の目が印象的で、彼女はけだるそうで、しかし色気のある、エキゾチックな美女だった。
レオンの正装も、普段より彼を輝かせるのに一役買ったが、彗星のごとく現れたルナリークもまた、美しく飾り立てていて、生来の美しさをより引き立てていた。
「本当に、ルナリーク姫とルクレティオ王子は顔がそっくりなのね」
「ええ。でもルナリーク姫の所作は完璧だわ……」
「ルクレティオ殿下も、もう少し言動がマシになったら素敵なのに……」
ダンスホールの端に控えている彼女とそっくりな顔の男は、ウェストカーム王国の王子ルクレティオで、彼はルナリークの双子の兄だった。
彼は淑女たちの噂話のネタになっていたが、まったく我関せずといった様子で、食事に手を付けていた。
「意外と、踊れるでしょう?」
「正直、驚いています」
渦中の二人はといえば、優雅に踊りながらも、こんな会話をしていた。
流石のルークも、人目があるこの場では、王女ルナリークに相応しい話し方をしている。
「私も淑女然とすることは可能でしてよ」
「淑女然……まったく君たちは……」
彼女はやればできるのだ。
王女として完璧にふるまうことも、おそらくは、ルクレティオの代わりに、王子として完璧に振舞うことも。しかしルナリークという王女はそれをやらない。
必要がないときはその能力はすっかり隠しきっているのだろう。
そういう割り切りは、アドレアにそっくりだと、レオンは思った。
「君たち?」
「ああ……私の婚約者と、少し共通する部分がありまして」
「アドレア嬢と?」
「彼女もいつ自分の本領を発揮すべきかを常に見定めていますから。多分、私に捕まった以外は、彼女は失敗したことがないんじゃないかな?」
アドレアは、基本的には完璧な少女だった。
頭の回転も速ければ、知識も豊富かと思えば、セントレア一と謳われるほどの美貌を持った少女でもある。また、楽器をやらせれば常人が一月はかける基本をわずか数日でマスターし、ダンスを躍らせれば寸分たがわぬステップの精密さと、それを悟らせないような軽やかな動きで場を魅了する。
また、他の人から見れば、そこそこ顔も整っていて、王位に近すぎず遠すぎないほどよい王子、つまりレオンが婚約者であることも、彼女が恵まれていると感じる部分だろう。
とはいえ、アドレアの合理的な性格を知っているレオンとしては、彼女があの場でレオンについて悪態をつき、当の本人に気に入られてしまったことは、彼女にとって非常に不本意だったと確信できる。
「レオンに捕まったのは失敗だと?」
「彼女の人生における最大の失敗ですね」
レオンがあまりにもすがすがしく言い切るので、ルークは少し驚いたようだった。しかし、彼女は優雅なステップを踏み続けることは忘れず、さらに質問を重ねてきた。
「でも、レオンにとっては大成功なのでしょう?」
「それも間違いないですね」
ルークはレオンを同情するような目で見たが、それが事実だから仕方ないのだ。卑屈になりすぎてもいけないが、事実を事実として受け止めることも、大切なことなのである。
アドレアにとってレオンとは、嫌いではないが結婚したい相手でもない、という存在である。
しかしレオンは、アドレアと結婚したい。
それが事実の全てである。
「恋って素敵なものなのですね。あなたやティオを見ているとそう思います」
「ティオ殿も?」
「ええ。幼馴染を囲い込んでいます。その子は大人しい子だから、彼女がティオを好いているかは判断し難いのですが」
「ルナリーク殿下には、そういった方はいらっしゃらないのですか?」
「好いている男はいますが、私は彼を選びません。彼を選ぶことはすなわち、ルクレティオの即位が遠ざかるからです」
「ティオ殿の……?」
「ウェストカームの王位継承権は、男女問わず、長子相続です。ですが私たちは双子ですから、どちらを長子にするのも、さじ加減の問題なのですよ」
そこでようやく、レオンはルナリークの行動に理由を見出した。
彼女は自分が王位に就くことを良しとしない。そのため、わざと粗野な王女として振る舞い、王子即位の声が強まるよう立ち回っているのだ。
そしておそらくは、そのことをルクレティオも承知している。
そう考えてみると、先日ルクレティオが言っていた、マナーがどうのという話は、ウェストカーム内の政治のための建前なのだろう。そして、それをレオンに対して言ったのは、やはりレオンが遠慮せずにルークをエスコートできるように、という配慮だったに違いない。
「そういう不安定な状況で、惚れた腫れたをやっている場合ではないのです」
「ですが……事情はともあれ、好いた男がいるのであれば、恋の喜びも分かるのでは?」
「いいえ。あなたは、何を差し置いてでも、アドレア嬢を手に入れたいと思っているのでしょう?」
「それは……否定はしない」
「それはティオの場合も同じです。ですが私には、彼よりも優先したいものがたくさんある。私の描く道に彼は障害になるとわかっているから、私はその手を掴もうとは思わないのです。そしてそれは、本当の意味で彼に恋をしているわけではないからなのだと思います」
ルナリークの赤い瞳が、真っ直ぐにレオンを捉えた。彼女の目は決意した者の目で、それを揺るがすことは容易でないと悟った。
彼女は自らの道を決めている。
だからこその留学で、だからこそのあの態度なのだろう。
「それならどうして、ルクレティオ殿下として入学したのですか? ルナリーク殿下として入学した方が効果的だったのでは?」
「そこは、ティオの計略にハマったからですよ。私に嫁ぎ先が無くなることを憂慮したのでしょう。実際は無くなりはしませんが、隣国で粗暴な王女と噂が広まれば、条件が悪くなるのは否めませんからね」
ルークは呆れたようにそういうと、最後のターンを優雅に決め、ダンスを終えた。
レオンはルークにまだ踊るかと問いかけ、彼女は首を横に振る。
そうしてダンスフロアから出た二人は、真っ直ぐにティオの元に向かった。
ティオは、かなり手持ち無沙汰のようだった。それは日頃のルナリークの振る舞いが大いに影響している。彼女は可能な限り、友人を作らなかった。それは、今思えば、相手を欺くことの罪悪感が増すからだったのかもしれない。
しかしそれならば、なぜ、彼女はレオンには近づき、友人になろうとしたのだろうか。
そんなことを考えている間に、ティオがルークに声をかけた。
「本気になればルークは女パートも完璧に踊れるんだね」
「ええ。男パートも完璧だけれど」
「そこは誇らなくていいんだよ。それにそっちは知っているよ」
女であるルナリークが男パートを踊れるということは、おそらくルクレティオの振りは、この学校に来て初めてやったものでもないのだろう。ティオの反応を見るに、むしろ頻繁に男装していたような反応だ。
「レオン殿、ルークと踊っていただいてありがとうございます」
「いえ、むしろ助けられたのはこちらですよ」
レオンがルナリークと踊ることが決まってから、パートナーの申し込みが、ぱたりとやんだ。セントレアの令嬢たちも、隣国の王女相手に戦う気は無かったのだろう。
おかげで、あの日以来、平穏な日々を過ごしてきたのはレオンの方だった。
「お二人も踊ってこられては?」
レオンは助かったが、これではあまりにもルクレティオが暇を持て余してしまう。
そう思ったレオンは、そんな提案をした。
すると二人は虚をつかれたような表情になり、そして同時にお互いを見た。さすがは双子というだけあって、顔だけでなく仕草や挙動までもがそっくりだ。
「どうする?」
「踊ろう、ルナリーク」
ルクレティオが優雅な仕草でルナリークの手を取ると、二人はダンスホールへと入っていく。
「さすが、というべきかな」
二人のダンスは、見事だった。
それはルクレティオとルナリークが、互いに息ぴったりで踊っていることも然り、兄妹らしい親愛が踊りに現れているのも然り。
見るものをどこか魅了し、そして、笑顔にする。そんなダンスを双子の王子と王女は全うしてみせた。
こうしてみると、ルクレティオとルナリークの気品溢れる動きも相まって、二人のエキゾチックな美しさが増しているように感じられる。
アドレアに見慣れていて、あまり女性の美しさに感動することのないレオンだが、この時ばかりは、ルナリークに見入ってしまうほどの美しさだった。
そして、二人のダンスが終わると、周囲から歓声と拍手が起こった。それは隣国の双子の王子王女への礼儀といった冷めたものではなく、心からの称賛だと分かる熱いものだった。
こうして、夜は更けていき、セントレア王立上級学校の新入生歓迎パーティは幕を閉じたのだった。