20.アドレア・ストラーテンの覚悟
王太子になれと言われた次の日の朝、庭園を歩いていると、ドレス姿のルークに遭遇した。
「おはよう、レオン」
朝日を受けて輝く黒髪とエキゾチックな肌は、朝からどこか色香を醸し出す。レオンはそういう風にルークのことを見たことはないが、きっと彼女は自国では美しいと評判の王女に違いない。
「おはよう。ルークは結局、泊ったんだね」
「どのみち招集されると思ったのよ。政変については、滞在中の隣国の王女の耳には素早く入れたいでしょうから」
今日もドレス姿だからか、ルークは話し方も女性として話している。こうしてドレス姿の彼女は所作すらも丁寧で美しい。ルクレティオのふりをしているときのルークは、意図的にああいうふるまいをしているのだろう。
「……まあ、推測はできることだよね」
昨日、エイブラムの容態が悪化したことはルークの耳にも入っている。セントレア王国の王家の事情も良く知っているルークやアドレアであれば、あの状況で呼ばれたレオンが、国王および第一王子に何を言い渡されたか容易に推測できるだろう。
「ねえ、レオン」
ルークはそこで言葉を区切ると、近くにあった庭園の花を一輪手折った。
そしてそれをずいとレオンの鼻先に突きつけた。
「あなた、覚悟はできた?」
「それは……どういう意味で?」
「分かっていて聞いてるわね。王位を継ぐ覚悟と、アドレアを王妃にする覚悟よ」
ルークはさすがと言うべきなのか、レオンがまさしく何に悩んでいたかを見抜いていたようだ。
王位を継ぐ覚悟はある。
それは、一夜で解決したことだ。
王位を継ぎたいと思ったことはなくとも、自分が王子であるという自覚は忘れずに生きてこれていたのだと、昨日の夜実感した。
しかしアドレアのことは別だ。
あれほど王子と結婚したくないと言っていたのに、今度は王妃になれと言われたら、アドレアはどこかへいなくなってしまうのではないかと思ったのだ。
それにカルラのこともある。
エイブラムが王位継承権を放棄することで、この度のような事件は起こりづらくなるだろうが、それでも国王と王妃になれば、この先どんな問題にあたるか分からない。カルラのように、見知った人間に裏切られて、血にまみれた事件につながることもあるだろう。
レオンはこの道を進む覚悟がある。しかし、アドレアをこの道に巻き込んでいいのか、やはり迷いがあった。
一度アドレアを王妃にしてでも手放したくないと思い決意したはずだったが、こうして現実問題として突きつけられると、決断ができないのだ。
「アドレアのこと、好き?」
レオンの意識を引き戻すためか、レオンの鼻先に突きつけた花を小さく円を描くように揺らしながら、ルークはそう聞いてきた。
「好きだよ。きっと、アドレアと離れることは耐えられないだろう」
「その気持ちに迷いがないのなら、あなたはそれをアドレアに伝えるべきよ。手に入れたいものをすべて手に入れるぐらいの貪欲さが無ければ、国王になんてなれないわ」
「手に入れたいものすべてを……」
「それに想像してみなさい。あなたがアドレアを手放すということは、あの子が他の男のものになるということよ? あなたの狭量さで、それを許せるって言うの?」
アドレアが他の男の物に……それは、想像しただけではらわたが煮えくり返りそうだ。自分が権力を手にしたら、相手の男を殺しかねない。
「ルーク」
レオンは目の前に突きつけられた花をつかむと、それをルークの手から引き抜いた。
「私はアドレアを妃にする。その道を阻むものは、何であれ、取り除いて見せる」
「……いってらっしゃい。正式な通達が降りる前に」
ルークの言葉にうなずくと、レオンはその場を後にしたのだった。
レオンは急すぎてあまり意味のない前触れを送った後、ストラーテン家の屋敷へと足を踏み入れた。
ストラーテン侯爵は、アドレアの昨日の事件について詳しい説明を求めたそうだったが、レオンがまずはアドレアと話したいことがある、と言ったためか、アドレアの居場所を教えてくれた。
アドレアがいたのは、ストラーテン家の敷地内にある大きな池の傍に、木が経っている開けた場所だった。ここは以前、レオンが疲れていたときにアドレアが自ら連れてきてくれた場所だ。
彼女は木にもたれかかって座り、ぼんやりと池を眺めていた。
その近くに侍女が一人立って控えていたが、レオンに気づくと一礼し、屋敷の方へと戻っていった。
「アドレア」
アドレアが池から視線をこちらに向けた。
彼女のサファイアを思わせる青い瞳と目が合うと、レオンはようやく、決意が固まった。
「おはようレオン。どうしたの?」
レオンがアドレアに歩み寄り、そっと手を差し伸べると、アドレアは小首をかしげたあと、レオンの差し出した手を取って立ち上がった。
「話をしたいと思って」
「話?」
「……私がアドレアと会ったのは、もう七年も前のことだよね」
「そうね。懐かしい」
アドレアはその時のことを思い出したのかくすりと笑うと、木の傍から離れて、池の方へと歩き出した。レオンはアドレアに会わせてその隣に並んで歩く。
「あなたはあの時言ったわ。『私にまるで興味がないなんて、万々歳だ。それだけで君を選ぶ理由になるよ』ってね。しばらくずっと機嫌が悪かったわ。嫁ぎたくもなかった王家に嫁がされるだけでなく、虫よけ代わりに選ばれるだなんて、ってね」
その言葉はレオンもはっきりと覚えている。しかしこうしてアドレアにそれを持ち出されると、苦い気持ちになった。レオンはあの時アドレアを婚約者に選んだことには後悔していないが、あの言葉選びには後悔しているのだ。
「その言葉は……ちょっと後悔してるんだ」
「後悔? どうして? あの時のあなたの本心に見えたけど」
「確かに、あの時の本心だったことは否定しない。あの頃の婚約者探しにはうんざりしていたし、たぶん、アドレアが私に興味がない、って言ったのもちょっと悔しかったんだと思う」
誰もがレオンにすり寄ってきた中で、アドレアだけは、レオンと結婚するなんていやだと言った。言い寄られるを面倒だと思っている自分がいた一方で、そうやって突き放されると、なんとなく嫌な感じがする、という複雑な心境だったのだ。
「悔しい……ね。あなたにそんな気持ちがあったなんて、ちょっと不思議な感じだわ」
少し前を歩いていたアドレアは、くるりとこちらを向いて、にっこりと笑った。
その笑顔があまりにも美しくて、愛らしくて、やっぱりアドレアじゃなきゃダメなんだと思わされる。
「今までいったことがなかったと思うけど、あの日、強引にアドレアを婚約者に決めたのは、婚約者探しに嫌気がさした虫よけという理由でもなければ、さっきいったような悔しさからの当てつけでもないんだ」
「虫よけが決定打じゃないの?」
「違うよ」
レオンは、緩やかに首を振り、アドレアの腕をつかんで引き寄せた。突然腕を引かれた彼女はややバランスを崩して、倒れこむようにレオンの腕の中に飛び込んできた。
「……っ。どうしたの?」
「ねえアドレア」
レオンはアドレアの腰に手をまわし、アドレアの肩に顎を乗せるような姿勢のまま、彼女の耳元でささやいた。
「私はあの瞬間から、アドレアに惚れていたんだと思う。あの時のアドレアがあまりにも美しかったから、ずっとそばにいてほしかったんだ」
腕の中のアドレアがかすかにたじろいだのが分かった。アドレアの表情が見たくて、少しだけ体を話すと、覗き込むようにしてアドレアの顔をうかがった。
彼女は驚きと、照れと、少しの疑いの色をした複雑な表情でレオンを見つめ返してくる。そんな表情でさえも、レオンを見ほれさせてしまうのだから、困ってしまう。
「当時、気づいてはいなかったけどね。でも……私はあの瞬間から今に至るまで、アドレアのことが好きだよ」
まっすぐにアドレアを見つめてそういえば、アドレアはようやく、疑いの色を消し、レオンの言葉を受け止めたように見えた。
今までにも好きだと言ったことはあったはずだが、いつもは婚約の話もセットにしていて、アドレアにはあまり響いていなかったのかもしれない。でも今は、確かにアドレアに、自分の言葉が届いているという手ごたえがあった。
だから、レオンは少し息を整えると、今日、この場で一番伝えるべきことを言った。
「アドレア。私は昨日、王太子になるよう勅命を受けた。それは私が次期国王の重責を担うということだけど……私は、そうなってもアドレアに、この道を共に歩んでほしいと思っている。アドレアが面倒を嫌っているのは分かっているけれど……私の妃になってほしい」
レオンがそう伝えると、この言葉には、アドレアは驚いた様子を見せなかった。それは彼女の中で、レオンが王太子になることは予測がついていたということだろう。
アドレアは少し顔をあげると、静かな笑みと、何か決意を固めた強いまなざしでレオンを見つめてきた。
「レオン。……昨日、私が言えなかった続きを言わせて」
「それは……」
昨日の会話をおもいだして、身構えたレオンに、アドレアは少し呆れたような表情をすると、突然、レオンの両肩に手をかけた。
そして、レオンが驚く間もなく、アドレアは背伸びするとレオンに軽く口づけた。柔らかな唇の感触は一瞬にして離れていき、アドレアの好きなピオニーの香りだけが、小さく余韻として残った。
体中が熱い。
アドレアからキスされて、遅れて体が現実を受け止めたのだろうか。顔も絶対に赤くなっている。
「ふふ。あなたもそんな顔するのね」
アドレアがどこか茶化すようにそういうから、それを誤魔化すように、レオンはアドレアを抱き寄せて、さきほどのアドレアよりも長いキスをした。
最初は驚き、抵抗していたアドレアだったが、次第に身をゆだねるように体の力を抜いた。
しばしの甘い時間を堪能した後、ゆっくりと体を話すと、アドレアの頬も上気している。自分だけが舞い上がっているわけではないことに、レオンは少しだけホッとした。
「……レオン。あなたは王太子になって、あなたの道にはいろんなものが立ちはだかると思うわ」
それは昨日のアドレアも言っていた言葉だ。
彼女は絶縁の言葉ではないと言っていたが、この後にどんな言葉が飛び出してくるのか、まったく想像がつかなかった。
「でも……私はカルラの死を見たときに、悟ったの。私はもう、あなたと共にいることを選んだのだと。たとえこの世の面倒事が凝縮されたような道を行くのだとしても、私はあなたの隣にいたいのよ」
アドレアの言葉を聞いて、しばしレオンは、思考がうまく働かなかった。アドレアが何を言っているかは理解できるが、これが現実のことなのだろうか。レオンが都合の良い夢でも見ているのではないだろうか。
しばしレオンが惚けていると、アドレアがひらひらとレオンの顔の前で手を振った。
「……聞いてる?」
「聞いてるよ。……その、本当に……いいのかな? アドレアがこの手を取るというのなら、私はどうしたって、アドレアを手放せそうにないけど」
「疑ってるの? まあ、私の日ごろの行いが悪いのか……」
「いや、アドレアの言葉は信じるよ。たとえ、アドレアの気の迷いだったとしても、一度承諾してくれたんだから、何が何でも妃になってもらう」
せっかくアドレアがこの道を共に行くと言ってくれたのだ。それがカルラのことがあって少し精神不安定だったから出た言葉としても、言質は取れたのだからこの機会を逃すわけにはいかない。
「気の迷いって……あなたねえ……」
先ほどまでの甘い雰囲気はどこへやら、なぜかアドレアが怒った様子でこちらをにらんでいる。
「どうして怒ってるの?」
「知らない!」
アドレアはふいっと顔を背けてそういうと、レオンの腕の中から飛び出して、すたすたと歩いて行ってしまった。
その背を追いかけ、隣に並んで歩きながら、レオンは心に誓った。
これから先、アドレアが離れていきそうになっても、アドレアを手放さず、一緒の道を歩いていくのだと。
そして、その道を強いるからには、アドレアを幸せにしようと、レオンは誓ったのだった。
本編あと一話のところまで来ました。ようやく……。
アドレア編の
アドレア・ストラーテンは怠惰に生きたいも更新しておりますので、よろしければご覧ください。
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