19.レオンの道
「私はレオンに伝えたいことがあるの」
アドレアが真剣な表情でそういった。
彼女のプラチナブロンドの髪は結わずに下ろされており、アドレアが首を小さく振ると、それに合わせて揺れた。アドレアは一歩レオンに近づき、サファイアを思わせる瞳をまっすぐにこちらに向けている。
「伝えたいこと? それは……」
悪い話なのか、と問おうと思ったレオンだったが、アドレアの様子に言葉を失った。
アドレアは何故か、レオンを見て、ふと笑みをこぼしたからだった。
「そんな顔をするのはやめて。私が絶縁を言い渡すとでも?」
「……違うのかい?」
恐る恐る問い返すと、アドレアのみならず、窓際で風に当たっているルークすら呆れたような表情でレオンを見ていた。
アドレアは小さく息をつくと、部屋にあったソファに腰かけて、レオンにも座るように促した。アドレアは傍にいた侍女が給仕した紅茶に口をつけると、視線を上げてレオンを見た。
「私、カルラが目の前で死んでいくのを見た時、分かったの。ああ、これが、この国の第二王子であるあなたと生きるということなんだと」
ほぼカルラとかかわりのなかったレオンですら、ルークがカルラを切ったあの場面は、まだ生々しく脳裏に記憶として焼き付いている。彼女と友人で会ったアドレアならなおさら、割り切れない思いがあるに違いない。
しかし、アドレアは不思議なほど、落ち着いた様子だった。
「この先いろんな人がいろんな理由で、レオンの道に立ちはだかると思う。それが、私がずっと厭っていた、王家として生まれたものの宿命よ。あなたの隣に立つのなら私はこれから絶対に逃げることはできない」
レオンには、今、アドレアが何を考えているのかわからなかった。
この話の先に、絶縁以外の話があるというのだろうか。アドレアがずっと避けようとしてきたものを、改めて現実に突きつけられたのだ。アドレアが逃げたくなっても仕方がない。
「レオン、私は――」
「――レオン殿下!」
アドレアが口を開きかけた瞬間、扉の外から名を呼ぶ声が聞こえてきた。テオバルトだ。こんなに慌てているなんて彼らしくない。
「入ってくれ」
レオンがそう声をかけると、勢いよく扉が開かれた。そして、テオバルトは慌てた様子でレオンに近づくと、周囲を見渡し、侍女たちを下げた。
そして、レオン、アドレア、ルークの三人になった部屋で、テオバルトはこう告げた。
「エイブラム王子の容態が悪化しました。急いで離宮までお越しください。陛下はもう、先に向かわれております」
「! 分かった、すぐ向かう。アドレア、ルーク、すまないが、今日はおそらくもうここには戻ってこれない」
「私たちのことは気にしないで。殿下のところへ行って差し上げて」
アドレアの言葉に合わせて、ルークもこちらを見てうなずいた。話の途中だったが仕方がない。
レオンはその場を後にして、すぐに離宮に向かった。
エイブラムのいる部屋に着いた時、そこにはすでに父である国王も到着し、寝台の傍で腰かけてなにやら話をしていた。
「来たか。座りなさい」
レオンは国王に進められるがままに寝台の傍に用意されていた椅子に座った。すると国王が手を上げ、その場にいた全員を下げた。
「父上、兄上は……?」
「大丈夫。まだ、死んではいないよ」
兄エイブラムの顔は青ざめていた。想像以上に具合が悪いらしい。
「レオン」
エイブラムはゆっくりと寝台の上で身を起こした。レオンはその背を支えると、エイブラムはせき込みながらも、レオンを見て言った。
「今日、私は……医者に余命宣告を、受けた。長くとも、あと三年だ」
「っ……! そんな! 何か、手立てはないのですか?」
レオンは問うが、エイブラムも父も二人して首を横に振った。
レオンとて、このセントレア王国で最も高度な医療技術があるはずの王城の医者がだめだというのなら、望みはないであろうことは分かっている。
しかし、ついこの間まで元気だった兄が、突然こんな風になるとは、レオンには受け入れがたいことだった。毒を飲んで倒れたという時でさえ、エイブラムは絶対に回復するだろうと楽観的予測を心のどこかでしていたのだ。
思ったよりも間近にある死を突きつけられて、レオンはどうしていいのかわからなかった。
「エイブラムこの状態であれば、当然、レオンが次期国王だ。これ以上の諍いを起こさないために、全てを公表し、首謀者を罪に問うた上で、エイブラムに王位継承権を放棄させる」
国王たる父は、重々しい口調でレオンに決定事項の通達をした。
「兄上の病状は……どうにもならないのですか?」
「ならない。ならないから、こういう手段をとるんだよ、レオン」
それでもまだすがるレオンをたしなめるように、エイブラムは言った。自分の死期を告げられたというのに、エイブラムは驚くほど冷静だった。
それとも、兄としての矜持が、レオンには動揺を見せないようにしているのだろうか。
「レオン。お前は第二王子として生きてきた。ストラーテン嬢の影響か、それとももともとの資質か、お前が王位に興味を持ったことがないのは分かっている。しかし、私は国王として、お前を王太子にするしかとれる道はない」
王家の男児は少ない。セントレア王国は国王を含めて妻を一人しか認めていないこともあるが、それ以上に、継承権争いをなくすため、他国ほどたくさん子どもを作らない選択をすることも多いからだ。
直系はレオンしか継ぐことはできないし、傍系にいる男は、問題があるため王位につけるわけにはいかない。本人も全く興味はないだろう。
レオンは椅子から立ち上がると、膝をついて首を垂れた。
「レオン・エメラルド・セントレアを王太子として任命する」
「……拝命します。次期国王として、セントレア王国に身を捧げることを誓いましょう」
「立ちなさい。正式な勅命は、後日行う。ただ、お前には覚悟を決めてもらおうと思ってここに呼んだのだ」
「承知しています」
兄がもし治ったら、と思ってしまう自分もいることは確かだが、よほどの確証がない限り、エイブラムに王位継承権を放棄させることはないということも分かっていた。
エイブラムへの次期国王としての期待は大きかった。あまりにも付け入るスキがないため、国王に立つと懐柔の余地がないと思われての、今回の凶行だろう。そういう意味では、レオンは付け入るスキがあるとみられているわけである。
そんな中で、自分が国王になると決意するのは、アドレアのことを除いても、並大抵のことではない覚悟が必要だった。
「レオン」
そんなレオンの迷いを見透かしたように、エイブラムがレオンの名を呼んだ。そして、エイブラムは咳き込まないように、ゆっくりとした口調で語り始めた。
「私は、レオンに初めて……会った時に、言った、一言を、ずっと後悔して、生きてきた」
「一言、ですか?」
それはどんな言葉だろうか。
あの日のことは鮮明に覚えているが、エイブラムが後悔するような言葉はあの日の記憶にはない。
「私は、こういった。第二王子として、何ができるか考えてほしい、と……」
その言葉は、記憶にある。アドレアにも話して聞かせた。
しかし、その言葉の何がエイブラムに後悔を強いているのだろうか。レオンには全く持って検討も付かなかった。
「レオンは、父上の言うように……王位に、興味を、持っていなかった。それは……私の、あの時の言葉が、原因なのではと、ずっと……思っていた」
「原因? まさか……兄上が第二王子として道を決めろとおっしゃったから、私がその道を目指したのだと?」
レオンが問うと、エイブラムはゆっくりとうなずいた。
「この前、レオンが明確に、否定してくれるまで、私はずっと、そう思っていた。……だから、今度は言わせて、ほしい」
「兄上……」
「レオン、国王になりなさい。私の道は途絶えたが、その代わりに、レオンはレオンの道を、進んでほしいんだ」
アドレア視点編
「アドレア・ストラーテンは怠惰に生きたい」も開始しました。
よろしければこちらも読んでもらえればうれしいです。
時間軸はほぼ同じですが、アドレア編の方が、やや幼少期を増やすつもりでいます。
https://ncode.syosetu.com/n0146gd/