18.誤解は解けて
「だから私は友人を殺す羽目になった!」
カルラがそう激昂して叫んだ時、レオンは其の一瞬が妙に長く感じられた。
レオンは其の瞬きする間に、いくつかのことを考えていた。
まず、カルラがこのままアドレアを切りつけるだろうという予感があり、それを留めるべく、レオンは剣を抜いた。
しかしカルラを斬り捨てようと思った瞬間、別の考えがよぎった。
アドレアの前で、アドレアの友人を殺すのか。
それは、わずかな迷いだった。しかし、そのわずかな迷いはレオンの足を地にとめ、結果、レオンの刃がカルラに届くことはなかった。
代わりにルークがいつの間にかカルラの間合いに入ると、彼女の剣とアドレアの首の間に、右手で短剣の鞘を差し込んだ。そして左手で短剣をカルラの首に突き刺した。
どす黒い鮮血が飛び散り、アドレアの肌とドレスを汚した。カルラの体が崩れ落ち、アドレアは呆然とその場に立っていた。
カルラの周囲にいた男たちがアドレアに刃を向けたが、それはレオンとルーク、それから近くにいたテオバルトが割って入って斬り捨てた。
全員の絶命を確認すると、ルークは手に着いた血をふるって落とした。そして、レオンに向かって悲し気な笑みを浮かべて言った。
「だから言っただろ。その場の行動が敵なら、迷わず斬り捨てるって」
アドレアにあげる装身具を買いに行ったときに、ルークは確かにそういっていた。また、下手に顔なじみだと、やりづらいのだということも。
「……すまない。確かに、迷った」
「いや、いい……アドレア、大丈夫?」
放心状態でただ立ち尽くしているアドレアに、ルークが問いかけた。アドレアは、青ざめてはいたが、泣いてはいない様子だった。まだ、この状況を受け止め切れていないのだろうか。
「レオン殿下、アドレア様をお願いしてよろしいでしょうか」
アドレアに話しかけようとすると、その前にテオバルトが騎士団を代表してレオンに許可を願い出てきた。
「ああ。エリサルデ伯と、関係者の捕縛は任せた」
エリサルデ伯が屋敷にいる可能性は高い。このタイミングで後顧の憂いはすべて絶たななければ。
「この場に誰かを残す必要はない。自分の身は自分で守る。行け」
レオンがそう宣言すると騎士たちは全員屋敷へと向かった。
その場に残ったのは、ルーク、アドレア、レオンの三人だけだ。生きている者は。
レオンは静かにそっとアドレアに近づくと、アドレアの顔を覗き込んだ。
サファイアを思わせる瞳が、こちらを見つめ返している。その瞳にうつる自分の表情が、あまりにも情けなくて、レオンは何を言っていいか悩んだ。
「ごめん。アドレア」
悩んだ末に、出てきたのは月並みな言葉だった。
アドレアはゆるゆると首を横に振ると、レオンに言った。
「私はこうして無事よ。謝る必要はないわ」
アドレアはきっぱりとそういったが、彼女の手は細かく震えている。動揺しているが、アドレアの何かが、彼女自身に泣くことを許していないのだろう。
それがあまりにも痛々しくて、レオンはそっとアドレアを抱き寄せた。アドレアの体温を腕の中に感じると、急に先ほどの自分の一瞬の躊躇いで、このぬくもりが永久に失われたかもしれないという恐怖を感じた。
「泣いていい。君には泣く権利がある。……友人を亡くしたんだから」
腕の中のアドレアが、びくりと震えた。
「そう……友人……友人だったのよ。カルラも、そう思っていたくれたのよね……。憎くとも、最期にそう言ったもの」
アドレアはぽつりとつぶやくと、レオンの腕に顔をうずめた。
「わた、し……ルークが正解だと思って、いるのよ。カルラはどのみち、死を免れなかったわ。……ルークに、感謝してるの。本当よ……でも……」
腕の中にいるアドレアの表情はレオンには見えない。しかしルークとは目が合った。そして、アドレアが何に対してためらっていたのかを、ようやく理解した。
「ルーク。ありがとう。そして、私の代わりに手を汚させてすまない……」
「こういうのは、慣れだよ。経験があるか、ないか、だ。今回は俺が間に合ったからいいんだよ」
ルークはレオンにそういうとやや逡巡した後、周囲を見回して誰もいないことを確認すると、口調と声色を変えていった。
「それに……ねえ、アドレア、私はあなたの気持ち分かるつもりよ。あなたは私を恨んでいるわけじゃない。でも友人の死を前に、平然としていられるわけでもない。泣いたら私が傷つくとでも思っている? あなたの知っているルナリークは、そんな女じゃないでしょう?」
レオンは唐突に、今までの自分の思い違いを理解した。
アドレアは知っていたのだ。ルークがルナリークであることを。
だから、ルークと仲良くしてレオンが怒ることに、怒った。なぜならば、ルークは女なのだから。
「泣いていいわ。私が許す。たとえ自分を裏切っていようと、親しくしていた人間の死は、誰だってつらいものなのだから」
レオンに抱きしめられた状態で、アドレアは顔を上げて、顔を横に向けてルークを見た。ルークの言葉が響いたのか、それともルークが穏やかにほほ笑んでいることに安心したのか、アドレアはようやく、涙をこぼした。
小さな嗚咽が漏れると、肩を震わせて、アドレアは泣いた。
アドレアが泣く様子を見てようやく気付いたが、レオンの記憶にある限りで、彼女がこんな風に泣くのは初めてのことだった。
アドレアをこの状態でストラーテン家に直接送るわけにもいかず、ストラーテン家に迎えを寄越すようにということ付だけをして、いったんレオンはアドレアを連れて王城に戻ることにした。
王城について人目を避けてレオンの部屋までアドレアとルークを連れてきたはいいものの、出迎えた侍女は、血まみれのアドレアと、同じく返り血を浴びたルークを見て、あやうく悲鳴を上げそうになっていた。
「これは二人の血じゃない。ただ、殺傷沙汰になったのは確かだ。二人の着替えを用意してくれ」
二人の血ではないと言われて、明らかに侍女たちがホッとしたのが見て取れた。
「……ルークはどっちがいい?」
二人の着替えを頼んだが、このままだとルークには男物が用意される。しかし、この状況だ。むしろルークはいないことにした方が良いのでは、と思って問いかけた。
「ここにいるのがルクレティオじゃない方がいいから、ルナリーク用でお願いするわ」
どうやら正解だったらしい。
ルークはそういうと、意味が分からないとばかりに首をかしげる侍女の前で、かつらを脱ぎ捨てた。
さらりとした長い黒髪がかつらの下から現れると、侍女は事情を理解したようだった。
「ドレスを二着、ご用意いたします」
事情が呑み込めた侍女はきっぱりとそういうと、アドレアとルークをそれぞれ浴室に連れて行ったのだった。
「いやーさっぱりした」
しばらくして先に部屋に戻ってきたのは、ルークだ。艶やかな黒髪をそのまま下ろして、シンプルな形のドレスを身にまとっていた。
「報告はもうしたの?」
今は女性の姿だからなのか、ルークは自然とルナリークとして話している。
「二人が入浴している間に父上にだいたいの経緯はね。二人を城に連れてきているという話をしたら、報告はテオバルトに任せて、私は二人の相手をしろと、父上が」
「そう」
ルークはそういうと、部屋に用意されていた果実をつまんだ。その様子がやたらと色気と艶があって、ルークは本当に女だと改めて実感させられた。
「ルーク、謝りたいことがあるんだ」
「何? さっき動けなかったことなら、別にいいのよ?」
「いや、まったく別のことだよ。……その、アドレアは、ルークが女だって知っていたんだね」
レオンがそういうと、ルークはきょとんとして首を傾げたあと、何かに気づいたように額に手を当てると天を仰いだ。
「知らないと思ってたの!? なるほど……だから喧嘩に。アドレアもびっくりでしょうね……」
「喧嘩のことは聞いたんだね?」
「そりゃ、私が原因だもの。でも私もアドレアも意味が分からなかったの。一応、私が男装している間は、周囲から見ればやましい関係性にも見えるからってことだと思うわよと言っておいたけれど……そもそもあなたがそこを勘違いしていたとは」
「二人とも言ってくれなかったからね」
少し恨みがましさが声にこもったのか、ルークは肩をすくめて言った。
「そりゃアドレアが言ったと思って……ああ、でもそうか。アドレアは経緯は黙ってくれているのか。私が困ると思って……。私が言うべきだったわね」
ルークは部屋のもう一つ果実をつまむと、部屋の窓を開けた。
涼やかな風が部屋に入り、ルークの髪を揺らす。ルークは窓の外を見つめながら、レオンに言った。
「私とアドレアの出会いは、色々と問題が多いの。出会いだけじゃなくて、親しくなった経緯もね。王女として、出会うべき場所じゃない場所で出会ったから。でも出会った最初の時に女だってバレたから、アドレアはどっちの私も知ってるってわけ」
「……事情は分かった。それに、アドレアが気を許していた理由も、本当の意味で理解したよ」
「あなたも馬鹿よね……まさか、アドレアが私を男だと思って接していると思ってるなんて。あの子は律儀だから、あなたと婚約状態でそんなことをしないわよ。……ねえ、アドレア」
ルークの言葉に勢いよく振り返ると、侍女とともに部屋に戻ってきたアドレアが、そこにいた。彼女は先ほどの惨事などなかったかのように、いつものように美しい姿でそこに立っていた。
「レオン……そこを誤解しているとは思わなかったわ。ごめんなさい。あなたがあの日、どうして怒っていたか、やっとわかった」
「いや、私が悪いんだ。確認しなかったことも、自分でアドレアに伝えなかったことも含めて。だから、ごめん、アドレア」
レオンがそう言って謝ると、アドレアは首を横に振った。
「お互い様よ。あの日のことは水に流しましょう」
「分かった」
「それよりも、私はレオンに伝えたいことがあるの」
アドレアが真剣な表情でそういった。
レオンは彼女の次の言葉を、聞きたくない、と反射的に思った。それは、その先の言葉が、レオンにとって都合の悪いものなのでは、と予感していたからだ。