16.迫る危機
第一王子である兄が倒れて一か月経った。
レオンは兄が倒れた原因を突き止めるべく、自分の配下の人間を動かしていた。またレオン自身も何かと理由をつけて公の場に立ち、情報収集に時間を割いていた。
さすがに第一王子が一月以上城にいて、公の場に姿を現さないのは不自然であるため、抜き打ち視察で城を出たことになっている。抜き打ちが目的あれば、第一王子の行く先を誰も知らずとも不自然はない。
しかし、実際に視察に来た、という情報が全く出回らなければ王都でも不自然に思われるのは時間の問題のため、早急に兄を害した人間を突き止める必要があった。
何より兄が元気になり、兄の地盤を確かなものにしておかなければ、レオン自身にうっかり王位が転がりこんできてしまう。アドレアではないが、レオンは自身が権力を持つことににまったくもって興味はないのだ。できれば兄の治世の元アドレアとのんびりと過ごしていたいところだ。
「アドレアは元気かな」
城の自室で一息ついていたレオンは、ポツリとそんなことをつぶやいた。
「お元気だと伺っています」
あの日以来、レオンは一度もアドレアと話していない。
周囲に怪しまれないため、かろうじて授業にはそこそこ顔を出しているが、遅刻早退も多いため、すべての授業に顔を出すことはできていない。それゆえ、帰宅時間も他の生徒と合わず避けているわけではないがアドレアにも会えていないのだ。
「……次に会ったら婚約を破棄すると言われたらどうしよう」
「……それは毎回言われていることのなのでは?」
「テオバルト……」
テオバルトは付き合いが長い従者であるとはいえ、他人にあっさりとそういわれるとレオンとしてはどこかむっとしてしまう部分もある。しかし彼の言葉は確かにその通りなので、咎めはせず、恨みがましく名を呼ぶにとどめておいた。
「喧嘩をして一か月も会いに行かないのは、私が怒っていると思われるか?」
「そういう恐れもありますね……。ですが、ストラーテン嬢に事情を話される気はないのでしょう?」
「アドレアに話すことも考えたが、それによってアドレアに危険が及ぶ恐れもある。悩ましいところだな」
事情を話す方が身を守れるのか、知らない方が守れるのかは分からない。それにアドレアの近くに兄を脅かした犯人の一味がいることもあり得る。アドレアと下手に接触することでこちらの動きを悟られることは避けたいのだ。
「一応確認しておきたいのですが……殿下はストラーテン嬢を疑っておられるわけではないのですよね?」
「あたりまえだ。アドレアはそもそも第二王子妃でも嫌だと言っているのに、わざわざ王妃になりにいくようなことをするわけがない」
「そうですね。ですが、周囲はそうは思っていないのでは?」
「アドレアに取り入ろうとしているのでは? という意味か?」
「はい。殿下が第一王位継承者になれば、アドレア嬢も喜ぶ……そう考える者の方が一般的でしょう。そういう意味では、アドレア嬢に事情を打ち明けても良いのではと思いますが」
テオバルトの言うことも一理ある。
確かに、第一皇子を廃し、アドレアに近づけば、彼女を未来の王妃を取り込むことができる。第二王子の婚約者であるアドレアが、まさか権力から遠ざかりたいと切に願っているとは誰も知る由がないのだから、それは自然な行動だろう。
それに、第二王子である自分に近づくよりも、今はまだ一貴族であるアドレアに近づく方がまだ容易である。
「殿下?」
「それはそうなんだけどね……」
合理的な判断でいえば、アドレアに事情を話し、周囲に気を配ってもらう方が良いことはわかっている。しかしながら、もしアドレアに話しかけて、無視でもされたら……と思うと、どうしてもアドレアに会いに行く気になれないのだ。
「まさか……殿下はアドレア嬢と喧嘩したから、話しかけに行くのが怖い……そんな理由で打ち明けておられないので?」
あまりに図星なその言葉に、レオンはぐっと言葉に詰まった。その様子を見て、テオバルトは盛大にため息をついた。
「殿下。アドレア嬢のためにも、話をされるべきです」
「分かっている。わかっているけど……アドレアはしばらく話しかけるなと言った。しばらくって? 一か月でいいのか? それとも半年?」
「婚約者と半年も話さなければ、不仲を疑われます。不仲を疑われれば、今度はストラーテン嬢を取り込むのではなく、排除してあなたに違う婚約者をあてがうかもしれませんよ!」
今は明らかにレオンがアドレアに親しみを持っており、彼女を尊重しているから、どちらかといえばアドレアを取り込もうとする動きの方がまだ考えられる。しかしこれでレオンとの仲が冷めたと思われれば、確かに排除したほうが、第一王子謀殺をたくらむ者にとっては都合が良いだろう。
「それに、内乱に巻き込んではまずいという配慮で、ルナリーク王女殿下には本当のことをお話されましたよね?」
「外交問題になるからね」
ルークには兄が倒れた次の日には事実を打ち明けた。ルークとしては、その事実よりも、自分のせいでアドレアと喧嘩していることが気にかかったらしく、アドレアと関わるのをやめようかという提案をしてきたが、レオンはそれについては止めておいた。
レオンも理性では彼女が女で、アドレアの数少ない心許せる友達だということを理解している。それに自分が近くにいれない状況では、ルークにそばにいてほしかった。ルークは聡いから、このような情勢不安のなか、アドレアに累が及ぶ恐れがあることも十分に理解してくれている。女とは言え、周囲からみれば男のルークがそばにいることで、牽制できることもあるだろうと思ったのだった。
「ルナリーク王女殿下だけでなく、きちんとご本人にもお話されるべきですよ」
「……分かった。アドレアに話そう。今から向かえば間に合うかな?」
今から馬を走らせれば、最後の授業が終わるよりは早く上級学校につけるだろう。
そう思ってレオンが立ち上がりかけた時だった。
扉をノックする音の直後に、声が聞こえてきた。
「失礼いたします。殿下にご報告が」
「入れ」
姿を現したのは、兄の事件について調べさせている諜報員の一人だった。
「調査に進展が?」
「はい。エイブラム殿下には毒が盛られていました」
「やはりね。それで、毒が盛られていたというのが分かったということは首謀者も分かったのかい?」
「下出人は死ぬときは首謀者も巻き添えに、と思っていたようで、指示書を持っておりました。印はエリサルデ伯爵家の物でした」
「エリサルデ伯爵家……カルラ・エリサルデ! しまった、アドレアが危ない!」
エリサルデ伯爵家は名のある名家だ。しかし長い歴史を経る中で、昔ほどの権威を得ていないのも事実だ。当代はどうやら自分の娘を王妃、あるいは、王妃の友人とし、力を得たかったのだろう。
「殿下。早急に学校へ向かわれた方がよいかと」
「分かっている。行くぞ」
レオンがそう言って扉を開けると、今まさに扉をノックしようとしていたかのような兵に出くわした。
「殿下! ルーク様から、火急の知らせが入ってまいりました」
彼はそういうとレオンに一通の手紙を差し出してきた。
それはかなり急いだような筆跡で、三単語だけ書いてあった。
『アドレア 攫われた 恐れ』