11.エメラルドとサファイア
セントレア王立上級学校の周辺の町は、この休日、上級学校生でにぎわっていた。なぜならば、もう少しで新入生歓迎パーティであり、それにまつわるジンクスに学生というのは行動を左右されるものだからである。
この国の第二王子であるレオン・エメラルド・セントレアも、例に漏れずジンクスに行動を左右されており、友人である隣国の王子の振りをした王女ルークを伴って、町を歩いていた。
「レオンのところの従者は優秀だなあ……気配を消すのがうまい」
「紹介していないから顔を知らないはずなのに、君に特定されるようじゃまだまだだね」
傍から見れば、育ちのいい青年が二人で歩いているように見えるだろう。
一人は、金髪にエメラルドのような瞳を持ち、すれ違ったほとんどの女性が振り向くような整った顔立ちの青年で、この国の王子だ。
もう一人は、日に焼けた肌に、エキゾチックでどこか艶のある顔立ちの黒髪の青年に見えるが、隣国の王女だ。
二人は街中でとても目立ってはいたが、その後ろからそれとなくぞろぞろとついて回る従者の姿は、周囲の人間に悟られることはなかった。
「ルークの方は、もはや一小隊が移住しているのかい?」
「まさか……いや、でも一小隊……。そのぐらいいそうだな」
「全員は把握していないんだね」
「さすがにな。ま、顔を覚えてるやつもちらほらいるけど、お互い無視さ。有事の時以外はそうしておかないと、対応できなかったりするからな」
二人は和やかに談笑しているが、その内容は、まったくもって一般生徒のものではない。
しかしレオンはそんなことを気にすることもなく、いかにも王族らしい話を続けた。
「有事の時、顔を把握していないのは、敵か味方か分からなくて不安にならない?」
「ならねーよ。顔を知らないってことは、その場の行動でだけ判断できんだろ。その場の行動が敵なら、迷わず斬り捨てるってことを下手に顔を知ってるよりやりやすいからな」
「なるほど。そういう考え方も確かにあるね」
ルークの言う通り、王族であるレオンやルークは、有事の際は何をおいても自分の命を守る責務がある。だからそれがどれだけ情のある見知った相手でも、自分に刃を向けるものは殺さざるを得ないのだ。
そう。本当ならば、それがアドレアであったとしても。
しかしレオンは自分で自覚していた。アドレアに剣を向けられたら、レオンはそれを受け入れるに違いない。また、アドレアが窮地に陥っていて、自分の命と天秤にかけることがあっても、レオンはアドレアを選ぶだろう。
「知ってるやつを殺すのは、やっぱり苦しいからな……」
「え? すまない、ルーク。聞き逃した」
「いや、なんでもない」
アドレアのことを考えていたら、ルークのつぶやきを聞き逃してしまった。しかしルークは気にするなといわんばかりに首を横に振った。
二度言わないということは、きっと大したことではないのだろう。
レオンはそれ以上追求せずに話を続けた。
「そういえば、ルークは誰と踊るんだ?」
「んー、パートナーを選ぶのをさぼって、二曲目をアドレア嬢にお付き合いいただくっつーのもありかなと」
「アドレアと……確かに、ルークに踊ってもらえれば、他の男と踊らせない心の狭い王子という印象は与えないかもしれないし、悪くない……」
「実際には、他の男の手は取らせてないんだけどな」
「まあ、体裁さえそうであればいいと思わないかい?」
「だからそれをアドレア嬢に……って、そんなこと言ってる間に、目的の店についたぞ」
話している間に、レオンとルークは目的の装身具店に着いていた。ここは王城にも出入りする身元のしっかりした商家の支店であり、値段は市民からすれば安いとは言えないだろうが、かといって貴族・王族の学生が絶対に手が出ないほどの値段でもない。
つまり、セントレア王立上級学校生がお互いにあげるという意味合いにおいては、”ほどよい”値段設定のお店なのである。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか」
店に入ると、高い鈴の音と同時に、店員の声がかかる。
このお店は城に出入りする商家の支店であるため、王城に出入りするものはいないのだろう。どうやらレオンの顔を知っているものはいないようだった。
妙にかしこまられるのも気が引けるため、そのことに安心しながら、笑顔でレオンは言った。
「女性用の装身具を探しているんです。婚約者へのプレゼントとして」
「意匠や宝石等、ご希望はございますか」
「宝石は……できれば、エメラルドのものを」
「承知いたしました。ご準備しますので店内をご覧になってお待ちくださいませ」
店員はレオンの目を見て少し微笑むと、静かに裏手に下がっていった。おそらくエメラルドの装身具を並べてくれる気なのだろう。
「レオンはそりゃエメラルドだよな」
「ああ」
「俺は……サファイアかな」
「サファイア? ルビーじゃなくて?」
ルークの目は、ルビーのような赤い瞳だ。今回のジンクスに沿って誰かに渡すのだとすれば、自分の目の色を渡すのがセオリーだろう。
「あー……俺は渡すようじゃなくて、自分で持っておこうかと思っただけだ。留学の記念にな」
「なるほど」
ルークはそういうと、エメラルドの装身具を探しに行った店員とは別の店員に声をかけて、サファイアのついた装身具をオーダーした。
「お待たせいたしました。現在ご用意があるのはこちらですね」
黒い布張りのトレーにのせられた装身具は、三つあった。髪飾りと、指輪と、イヤリングだ。
レオンの目に留まったのは、イヤリングだった。
金の楕円の飾りの中で、エメラルドのついたチェーンが揺れるデザインのもので、エメラルドそのもの主張は強くないが、上品な印象がアドレアにぴったりな気がした。
「思いっきり、アレだな……レオンの色だな」
「エメラルドが……? あ、確かに金か」
「でも、それはきっとアドレア嬢に似合うと思う」
「それはよかった」
ルークにお墨付きをもらい、レオンはそれを包んでもらうことにした。
ルークはその間に、宣言通り、サファイアのついたブレスレットを選んでいた。ルークは肌の色が健康的な茶褐色のため、アドレアとは違う方向性で金のアクセサリーがよく映える。
ルークの選んだブレスレットは、金の輪が連なるデザインで、一つ飛ばしで、輪の中にサファイアが埋め込まれている意匠のものだ。
ルクレティオの姿でつけるのはいかがなものかと思うが、これはルナリークとして身に着けるものだろう。ダンスの時に見た女性姿の彼女を思い浮かべれば、このアクセサリーは非常に彼女に似合うと感じた。
「それは、彼女に似合いそうだ」
「ああ。きっと彼女には似合う」
レオンが男姿のルークにそういうと、ルークもそれに合わせて満足そうにうなずいた。こうして、二人はそれぞれ目的のものを買うことができ、非常に満足して店を後にしたのだった。
「さて、用は済んだが、せっかくだから、散策するか?」
「そうだね。普段はおとなしくしているから、護衛達も目をつぶってくれるさ」
「それにしちゃ市街散策に手慣れてる感じだけどな」
「まあ……全く散策しないとは言わないかな」
王子として育ってきたレオンだが、長兄が王太子として優れており、自分はそこまで次期国王としての期待をかけられてないかったこともあって、比較的自由を許されて生きてきた自覚はある。アドレアを選んだのも、もちろんたまたま家格がつりあったということもあるが、レオンが指名した以上、自由を許されたに等しい。
そのため、王城を出て市街を散策する、ということも学校に入学するまでに何度か経験していたのだった。
「そういうルークこそ、だいぶ手慣れているように見えるが」
「そうだな。俺はだいぶ手慣れてるさ。護衛もまいたりして怒られることもよくある」
「あの数の護衛をまけるとは、諜報員の素質がありそうだ」
「そもそも、俺は姿を偽るのが得意だからな」
ルークは自慢げにそういうと、胸をポンポンとたたいた。
確かに、ルークは常日頃から姿を偽っているが、まったくもってボロがでない。そして、王女の姿に戻ったら戻ったで、完璧な淑女を演じ切れていた。
もともと王女なのが本来なため、淑女を演じる、という言い方が適切なのかは分からないが。
「軽く食事でもしていこうか。おすすめの店が……」
レオンはそういって店のある方向を示そうとした時だった。
美しい銀髪が風に揺れたのが視界に飛び込んできた。距離は遠かったが、間違いなくそれは、自分の婚約者であるアドレアだ。
レオンはそれに気づいて声をかけようとして、しかしはたと歩みを止めた。
アドレアが一緒にいたのが、男だったからだ。
「レオン? どうしたんだ? ……あ、アドレア嬢か」
「どうして男と……」
「ん? ああ……確かに男もいるな」
「男も?」
ルークの返事にはっと我に返って観察すると、確かにアドレアは男と二人、というわけではなさそうだった。
この前挨拶されたエリサルデ嬢の姿も見えるし、もう一人連れらしき令嬢も見える。あの様子だと、男女がそれぞれ三人の計六人で買い物に来たのだろう。
「まさか男と二人でいると思ったのか? さすがに早合点しすぎだろ」
「アドレアが男といる、というだけで落ち着かなくなるんだよ。そもそも街に散策に来るならば、私を誘えばいいんじゃないのか」
「そんなことを俺に言われても……いや、そもそもレオンが誘えばよかった、という説もあるな」
「う、それは仕方ないだろう。本人を誘ったら、交換を強要することに……」
そういえばアドレアは何を買う気なのだろうか。そう思って、レオンはアドレアの行く先を視線で追いかけ、入った店をそれとなく覗いた。
「そ、装身具店……」
「なんでそんなショックを受けてるんだ?」
「アドレアが男に渡すかもしれないだろう!」
「え、そこはレオンじゃねーの? さすがに」
ルークは呑気にそんなことを言うが、アドレアはジンクスに沿って装身具を交換しよう、とレオンにいうタイプではない。
そもそもアドレアはレオンと結婚したくないのだから、そんな願掛けをする必要はないのだ。いや、むしろそんなことはしない方がいい。
「あとはまあ、そもそもアドレア嬢はそんな噂を知らない、という可能性もある。そもそもレオンだって、三年目にして初めて知っただろう?」
「たしかに……そうなるとただ、仲の良い友人と買い物をしているだけなのか……?」
突入するか悩んだが、レオンはさすがにそれはアドレアに嫌がられそうだと思いとどまった。
学校で十分、レオンの婚約者だということを周知しているにも関わらず、アドレアに関わっている男達は、全く後ろめたいことがないか、王子に楯突く気のある者かどちらかだ。
それなのにアドレアの行動を制約しては、前者には嫉妬深い男だと思われ、後者には余裕のない男だと思われるだろう。
この際自分の印象などどうでも良い気もしたが、辛うじて残っている王子としての矜持がそれを留めさせた。
「とりあえず、アドレア嬢に渡すのは渡せよ」
「ああ……骨は拾ってくれ」
すっかり気分の沈んだレオンを見たルークは、やれやれと言わんばかりの呆れた表情で、レオンをその場から連れ出したのだった。