1.はじまりは打算だった
「私にまるで興味がないなんて、万々歳だ。それだけで君を選ぶ理由になるよ」
第二王子レオンは、自身の婚約者に言った言葉を、その後七年にも渡って後悔することになる。
なぜならば、レオンは、すぐにこう思う羽目になったからだ。
---どうにか、私に興味を持ってほしい---と。
レオンが後悔する原因となった、十二歳の時だった。
第二王子であるレオンは、婚約者を選定すべく、様々な夜会・お茶会に参加しては、令嬢の醜い戦いを見せつけられて、げんなりしていた。
「この子なんてどうかしら? 家庭教師が絶賛するほど才女で、所作が美しく、容姿も優れているらしいわよ」
そういう事情もあって、この時のレオンには、母親が見せてきたアドレア・ストラーテンという少女の絵姿にも、まったくもって興味を示すことができなかった。
才女とはいえ、結局は女なのだ。王子妃になるためには、他人を蹴落とすことさえいとわない。そしてその醜い争いを、当事者であるレオンの前で繰り広げている時点で、レオンにとっては才女ではなくなるのだ。
「実際に会う前から、そんな顔をするのはおやめなさい」
どうせ女なんて、という思考が透けて見えていたのだろう。レオンの母は渋い顔をしてそんなふうにレオンをたしなめた。
「実際に会っても会っても、どの方も代り映えがしないものですから」
「今までの子は……たしかにそうかもしれないわね。でも、これは……」
あなたの責務なのよ。
母がそう言いたかったのがレオンには察せられた。王妃としては言うべきセリフだが、母親としてはレオンの気持ちを察して、言いとどまったようだった。
「申し訳ありません。今日こそは、素敵なご令嬢に会えると信じて向かわないといけませんね」
レオンは、他者が美しい、優しいと勘違いしてくれるような笑みを浮かべた。こういう笑い方をすると、母は必ず表情を曇らせる。しかし今度は王妃としてそれが正しいと思っているのか、息子のその仮面をはごうとはしない。
母は何かを言いかけて、ゆるゆると首を横に振り、無言でレオンを連れて会場へと向かったのだった。
今日のお茶会は、年若い令嬢が十人ほど呼ばれているものだ。
「ではみなさま、しばしご歓談を。子どもたちはこちらのテーブルへ」
母である王妃の取り仕切りにより、大人と子どもが別々のテーブルにわけられる。母親に絵姿は見せられていたため、レオンは一人ひとりの令嬢の顔が頭に入っていた。
多少、絵姿の方が美化されすぎているきらいもあるが、それはそういうものなのだ。レオンは十二歳にして経験でそれを知っていた。
「レオン様!」
何人かの少女に一気に声を掛けられて、レオンはまずは美しい笑みを浮かべた。心がこもっておらずとも、正しく顔の筋肉を動かせば、極上の笑みをかたどることはできる。
「順番にお話を聞かせてください」
レオンの笑みの効果か、かしましいご令嬢は少しおとなしくなり、順番に話を始めた。
その間にも、レオンは一人ひとり絵姿と、それに伴って書いてあった情報をもとに、目の前にいる実際の人物たちと照合を行っていく。
そうしてある瞬間、唐突にレオンは気づいた。
アドレア・ストラーテンの姿が見えない。
今日の招待客は十人で、欠席の連絡は聞いていない。しかも彼女の保護者であるストラーテン侯爵は、しっかりとこの場にいて、隣にいた伯爵となにやら話し込んでいる。
つまり、アドレアはこの場に来ているが、この場にいないのだ。レオンは適当にご令嬢の話に相槌を打ちつつ、あたりを見回した。会場の隅には、ご令嬢一人につき一人の侍女が静かに立っている。レオンはその侍女を一人ひとり数えていき、そして侍女も九人しかいないことに気が付いた。
これはいい機会だ。彼女を探しにいくといえば、母もこの場から離れることを許可してくれるだろう。レオンは、この茶番からしばし抜け出したかった。アドレアがどんな少女かは分からないが、ここにいる少女達と大して変わらないに決まっている。
今日もまた不毛なお茶会に終わり、また新たな不毛なお茶会なり夜会が開かれるのだ。
「みなさま、すみません。母に確認したいことがあるので、ご歓談を続けていてください」
レオンはそう宣言すると、それでもなおすがろうとするご令嬢たちを振り切り、王妃のもとへと歩いていった。
王妃として仕事を全うしていた彼女は、はじめレオンに気づかなかったが、まっすぐと向かってくる我が子の気配を何かで察知したのか、驚いたような表情でレオンを見つけた。
「どうしたのです?」
レオンはちらりと王妃と話していた人々へ視線を送ると、王妃がそれに気づいて話が聞こえない距離まで人払いをしてくれた。
「珍しい。本当にどうしたの?」
先ほどまでよりも砕けた口調で尋ねてくる王妃に、レオンは事情を打ち明けた。
「実は、アドレア嬢が見つからなくて」
「え? ……確かに、いないわね。あの美貌なら、見まがうはずがないもの」
王妃もまた、令嬢たちに目を向けて、アドレアがいないことを確認したようだった。
「少し休憩もしたいですし、探しにいってもよろしいですか」
「かまわないわ。適当に私が言いつくろっておくから、行ってらっしゃい。ただし、あまり遅くなりすぎないようになさい」
「かしこまりました、母上」
レオンは、しっかりと頷くと、足早に茶会の会場を離れた。
「さて、どこを探したものか」
令嬢探しは会場を抜け出す口実とはいえ、ある程度、本当に探す必要はあるだろう。そう考えたレオンは、そもそも何故、アドレアという少女が茶会の場から姿を消したのかに歩きながら考えを巡らせた。
レオンは今、自分が使える情報を順番に頭の中で判断していく。
ストラーテン侯爵に慌てた様子はなく、会場の外が騒がしい様子もなかった。つまり、一度は会場に足を踏み入れ、何かしら適当な理由をつけて、侍女とともに会場を抜け出したのだろう。
侍女が後から探しに行った可能性も考えたが、その場合は侍女はまずストラーテン侯爵に事情を説明するはずだ。そして娘がいなくなったとストラーテン侯爵が知っていれば、あんな落ち着いた態度は取れないだろう。つまり、侍女はやはり、アドレアとともにいるのだ。
では、自発的にアドレアが侍女とともに会場を抜け出し、その後帰ってこない理由として何が考えられるのか。
一つは誘拐などの事件により、彼女たちが意思に反してさらわれたケースだ。しかしレオンは、この線は非常に薄いと感じていた。
夜ならまだしも、こんな日が高いうちに、このセントレア王国でどこよりも警備の厳重な王城で、不審者が動き回ることが出来ようはずもない。
そうなると、もう一つ考えられるのは、アドレアが自ら望んで茶会をサボり、侍女がそれについて行っているパターンだ。
「お嬢様!流石にもう、戻られませんと......」
レオンがそこまで考えに至ったところで、何やら声が聞こえてきた。
それは、茶会の会場からはそこそこ離れた場所にある、王宮内の庭園だ。生垣がぐるりと囲んでいて、簡単な迷路のような作りになっている。
レオンがそっとその生垣に近づくと、少女の声が聞こえてきた。
「嫌よ。私が怠惰な生活を送りたいのは知っているでしょう? 王子妃になんかなったら、のんびりした生活なんて夢のまた夢だわ!」
どうやら少女はアドレアのようだ。王子妃になる可能性のある少女で、あの茶会の場にいないのは彼女しかいない。
ただ、彼女はどうやら怠惰でいたいから、レオンの妃にはなりたくないらしい。そんな理由でレオンを嫌がる令嬢がいるとは思わなかった。
「ですがお嬢様、王子妃になるのがお嫌だとはいえ、流石に王妃様のお茶会に全く顔を出さないのは、問題になりますわ」
「挨拶ならしたじゃない」
「誰かが気づいたらどうされるのですか? 下手をすれば騒ぎになって王妃様のご機嫌を損ねることになりますよ」
生垣の反対側にいるレオンに気づくことなく、二人は会話を続けていく。
「誰も気づきはしないわ。お父様以外、あの場で王子妃の候補が減って喜ぶ者はいても、それを心配するような者はいないのよ」
アドレアが言ったこの言葉には、レオンも同感だった。あれだけレオンに気に入られようと必死なご令嬢達は、たとえライバルがいないことに気がついても、自ら進言することはないだろう。
彼女の分析は冷静で正しい。
レオンが、珍しく共感しながら聞いていると、その少女はさらにレオンを驚かせる発言をした。
「そもそも、こんな茶会意味がないわ。王子がいかにもつまらなさそうな顔をしてその場にいるんですもの」
「つまらなさそうなんて、そんなことないじゃないですか。穏やかにほほ笑んでいらっしゃいますし……」
「おだやかっていうより、胡散臭いだけじゃない、あんな笑顔。本気で笑ってる顔じゃないわ」
「お嬢様、それはあまりにもうがった見方なのでは……」
つまらなさそう、胡散臭い、という形容詞は、母に言われるのであれば、レオンは驚きではない。しかし、今まで誰も他人には見破られてこなかったその鉄壁の笑顔を、そういう風に評する少女がいることには、非常に驚きと感動を覚えた。
どうやら彼女はバカではないらしい。
そう思ったら、レオンはどうしても彼女の姿をこの目で見たくなって、生け垣を回り込んで彼女たちの前に姿を現していた。
「楽しそうな話をしていますね」
にこやかな、あるいはアドレア曰く胡散臭い笑顔を浮かべて、レオンはそう挨拶をした。
アドレア付きの侍女は、今にも倒れてしまいそうなほど青い顔をしてこちらを見た。彼女は恐怖からなのか、声も出ない様子だ。
アドレアはレオンに背を向ける形で立っており表情はうかがえなかったが、レオンの声と侍女の表情で事情を察したようだった。
「あら、立ち聞きなさっていらしたなんて、どこの―――」
彼女は小言を言いながら振り返り、そして、レオンを見て言葉を失った。
そして同時に、レオンもまた、言葉を失っていた。
振り返った彼女は、絵姿どおり、否、絵姿よりも数段美しい少女だった。
緩やかな波を打つ銀色の髪は陽光にきらめき、驚きにあふれて丸く見開かれた瞳は、サファイアを思わせるような青さだ。
「アドレア・ストラーテン嬢ですね?」
どうにか我に返ったレオンは、にこやかな笑みを浮かべて、わかりきったことを尋ねた。
「……ええ。あなたは……レオン殿下ですよね。そして……その……私のお話を聞いていらしたと」
「そうですね」
「でしたら、お分かりになったでしょう? 私以外を選んでくださいませ。私、王子妃にはなりたくないのです」
誤魔化すことは無理だと判断したのだろう。自分の主人の言葉に真っ青になっている侍女をよそに、アドレアは堂々とそう言ってのけた。
彼女の開き直った様子を見ていると、これでいっそレオンの不興を買って、自分の望みをかなえようという魂胆がありありと見て取れた。
レオンの王子妃という位に興味がなく、レオンの偽りの笑顔も見破れる少女。
その少女の存在に気づいた時、レオンの中で一つの打算が浮かんだ。
自分に婚約者がいない間は、この馬鹿げた茶番を続けなければならない。しかし、婚約者がいれば、この茶番は終わりを迎える。
しかも、相手が自分に興味がないのであれば、レオンが手を離せば、喜んでレオンから離れていってくれるだろう。
一年。それだけでもいい。
レオンは、このバカげた婚約者探しの日々から逃れたかったのだ。
「私にまるで興味がないなんて、万々歳だ。それだけで君を選ぶ理由になるよ」
そんな打算から出たこの言葉について、後に、レオンはひどく後悔することになる。
しかし、この時アドレアを選んだことは、この後の人生で、一度も後悔することがなかった。