十字架を背負って生きている。
「待ちなさい」
聞き慣れた声に、振り返った。
パウロだ。
あの白いヒゲ。人を食ったような顔。
でも、牧師の服を着ている。
「よくやったな、義也くん。きみならやり遂げてくれると思っていたよ」
パウロは、俺の肩を叩いた。あたりをみまわすと、いつのまにか、神殿が消え失せ、剣も宝珠も消えていた。
……洞窟の中だったのだ。
てらてら光る壁と、コケを眺めて、俺はぼんやりと後ろを振り返った。
そこにあったはずの、扉がなかった。
「……ここは……」
「元の世界だよ。キミは、帰ってきたんだ。実験は、成功だ」
と、パウロ。
いや。
よく観察すると、パウロではなかった。パウロはこんなに背が高くない。それに、こんなに肌が薄茶色でもない。
「柴田先生」
俺は、口走った。
「柴田先生! 俺、俺、どうしちゃったんですか? いったい、俺は―――」
「話せばながい。ここを出よう。おもちゃの帆船を忘れずにな」
柴田先生は、ぽんっと俺の肩を叩いて、洞窟の外へ出た。
外は、めっちゃ青空だった。さっきまでの冬空とは、打って変わった五月晴れだ。
俺は、おもちゃの帆船を握りしめて、柴田先生のあとを追った。
―――健司、どうなってるんだ?
しかしもちろん、健司からの答えはなかったのだった。
神の夢を見ながら
教会に戻ると、柴田先生は自分の執務室に俺を招いた。そこには、見覚えのある人物がいた。金髪がキラキラと輝く、美しい少女。アスリア王女だ。俺を見るなり、
「義也さま! ごぶじで!」
抱きついて、泣きじゃくっている。暖かい胸の感触に、俺は、どうしていいのかよくわからなかった。なにがなんだか、よくわからない。まだ夢を見ているのか? 異世界から人間がやってくるなんて、初めて聞く話だ。俺は絶望的に辺りを見まわして、心臓が口から飛び出すほど驚いた。
ラハブ、パウロ、デリラ。みんながここにいる。みんなが、ニコニコ笑っている。
「勇者よ、ネルビア国は救われましたぞ」
パウロは、俺の手をしかと握りしめた。その瞳には、今までにない尊敬と、崇拝するような色が混じっている。
「あんた、また一人で突っ走ったな? どうなるかと思ったぜ」
ラハブは、そっぽを向きながらそう言った。
「ご主人さま! 生きていてよかった!」
デリラなどは、涙ボロボロである。
俺は、胸がいっぱいになってきた。
「みんな……、死んだと思ってた……」
「エメット神が、新たな生をこちらで生きよと命じられたのじゃ」
パウロは、胸をそびやかした。俺は、柴田先生を見やった。自分そっくりの人間がそばにいて、居心地が悪くならないんだろうか。いや、それ以前に、これはいったい、どういうことなのか。
「それじゃ、俺は―――勝ったのか?」
「ええ。みごと、邪神を封じたのです!」
アスリアは、涙をボロボロ流している。
「勝ったのか。だが、なぜ俺はここにいる? みんなはなぜ、生き返ったんだ? 弟は、なぜここにいない? 宝珠と関係があるのか?」
俺が疑問を口にすると、
「説明しよう」
柴田先生は、執務室の机にどっかと座った。
「話が長くなるから、座ったらどうだ? いま、うちのものにお茶を出してもらってる」
「どっちもけっこうだよ。早く説明しろ」
俺は、じりじりしている。
「わたしがこの実験のことを知ったのは、ネルビア国の魔法使いである、デリラの母マリアからのメッセージを受け取ったときだった」
柴田先生は、奥さんがやってくるのを見て、ちょっと腰を上げ、みんなにお茶をすすめはじめる。俺は砕けよとばかりにおもちゃの帆船を握りしめて立っていた。
「マリアさん……、というと、パウロを育てたお姉さんだよな、たしか」
遠い記憶をまさぐってみる。パウロは、お姉さんに育てられて祭司長まで上り詰めたが、お姉さんの一粒種のデリラを人質に取られて俺とアスリアを殺そうとした。魔法使いだったとは知らなかった。
「そもそもネルビア国では、異世界に関する研究がすすんでおり、われわれの世界についてもかなりの情報を得ていたらしい。そして、ネルビア国に迫る、ブラークルの魔の手のことも、マリアさんは危惧しておった」
柴田先生は、ぐびっとお茶を飲んだ。ごくりとのど仏が上下する。
「そして、わたしに船を託してこう言った。『アスリア王女が旅立ちました。助力が必要です。そちらの世界も危機に瀕しています。ブラークルと戦って勝てる人間を、試練に打ち勝てる少年を、こちらに精神転移させてくださいませ』と―――。そして、最初に転送したのは、弟の健司くんだった。ところが健司くんは、邪悪に屈してしまった。あのとき、キャラ=ソマを殺そうとしたのは、間違いだったのだ」
「アスリアが、死にかけてたんだぞ!」
「それでも、だよ。少年。キャラ=ソマは、ブラークルの操り人形に過ぎなかった。弟さんは、それを知っていたんだ。なのに、殺そうとした。説得という選択肢もあったのに……」
「なんでそれをはじめから言わなかったんだ。俺は―――死にかけたぞ!」
俺は、ブラークルと対決したことを思い出した。アスリア王女を手に入れれば、富と権力は思いのままじゃと言ったあの女の声。それに従っていたら、きっと俺は弟のように現実世界で死んでいた。いや。それよりもっと悪い。呪われた永遠の命というのは、死よりも恐ろしい運命だ。そんな運命にさらされていたのに、なんの説明もないとはどういうことだ。
「いきなりブラークルと戦って、勝てると思ったのかきみは?」
柴田先生は、少し説教じみている。
「ネルビアでのキミの活躍は、ずっと執務室で見守っていたんだ。危なくなったら、すぐ転送してもらうつもりだった。神は乗り越えられない試練は与えない。逃れる道も、ちゃんと用意してくださっている」
「説教はいいよ」
「パウロもデリラもラハブも、みんな神の加護に守られていた。自分たちで選んで、厳しい道を選んで使命を全うした。従って、この世界に転生する資格を得たのだよ。
だからみなは、この世界でもきっと、立派にやっていけるだろう。すでにわたしのほうから、英語教師やスポーツトレーナーの口などを用意しているんだ。花はそれが終わりではなく、枯れて種が出ることで完成される。われらも、人々に信仰と希望と愛の種をまこうではないか」
「―――でも、サウル国王は? ブラークルの言いなりになって、アスリアを殺そうとしたじゃないか。報いを受けるべきじゃないのか」
ギリシャ彫刻のような顔をしたあいつ。人望もあるサウル国王。アスリアを殺せば、支配者として完璧になると信じていたはずだ。あんなのを放置していたら、アスリアは命がいくつあっても足りない。
「サウル国王は、あなたがブラークルを倒した瞬間に、腐乱した死体になっていました」
ラハブは、ぶるっと身を震わせる。
「彼もまた、にせの永遠の命に惑わされたのでしょう」
「―――じゃあ、アスリアは……」
「ネルビア国に戻り、女王として国を治めることになります」
「そ、そんな」
アスリアは、長いまつげを伏せる。顔色が白くなっていた。なにかを言いたくてたまらないのに、ずっとがまんしている、というふうだ。
「義也。聞いて欲しいことがある」
ラハブが、改まった口調で口を開いた。アスリアのようすには、気づいていない。自分の考えに取り憑かれている、そんな口調だ。
俺は、ラハブを見つめた。いままでずっと、険悪だったラハブ。どうしてなのかがわからなかった。そして、いま、こうして態度が柔らかくなったのも、なぜなのかがわからない。俺がなにをしたんだ? たいしたことはしていない。ただ、道具を使って影を斬っただけだ。
ラハブは、くいっとあごをあげた。
「あんたのことは、健司さまから聞かされていた。あの方にとっては、あんたは理想の兄すぎて、とてもじゃないが、越えられない存在だった」
俺はうなずいた。前にそれを聞いたときは、信じられない気持ちだった。しかし、ブラークルと対決した今、俺にはわかる。アスリアへのかなえられない思い、それはアイツと同じことだったんだと。
「だから、あんたを越えるために、『禁じられた扉』を開けたと知ったとき、あんたが健司さまを追い詰めたんだと思った。ブラークルが解放されたのも、すべてあんたのせいだと思ってた。そして、健司さまが死んだのも、あんたのせいだと……」
「ああ。俺のせいだよ。あのとき間に合ってさえいれば」
俺は、目の前でブラークルがアスリアを殺そうとしたことを思い出した。健司はそれを防ごうとして、逆に殺されたのだ。それを止められなかったのは、俺のせいだ。
たしかにそうなのだ。
弟を殺したのは、この俺だ。あんなやつ、いなけりゃいいと思ったのが当たってしまったんだ。俺は一生、その罪を背負って生きていかねばならないのだ。
「そんなことない。あのときのことを、マリアどのの時間魔法で見たんだ。あんたはせいいっぱいがんばった。だけど、努力が追いつかなかった、それだけだ」
ラハブは、肩を落とす俺に手を置いた。
「あんたを誤解してた。悪かったよ」
「―――ラハブ」
俺は、目を見開いた。信じられない思いだった。誤解してた。いや、とんでもない。彼女の敵意は、当然のことだ。その優しさと後悔の口調が、俺には鞭のように痛い。
「やめてくれ、俺は―――」
「あんたは死霊の館で、わたしの命を救ってくれた。それ以来ずっと、言いたかったんだ―――」
ラハブは、突然まっかになった。
「き、きみが、ずっと……」
「いや、いや待て。ちょっと待て」
俺は、その先を言わせなかった。
「俺にはそれは、ふさわしくない。俺は邪悪な人間だ。あんたはもっと、いい人を見つけるべきだ」
ラハブは、少し目を閉じた。
「罪を自覚するものは、救いにあずかるとジェスさまはおっしゃってる。わたしも救いにあずかりたい」
「ひょえ~~」
助けを求めてアスリアを見ると、彼女はニッコリ笑って言った。
「わたくしも、お似合いだと思いますわ」
「んなバカな」
俺は絶望的に周りを見まわした。
「王女さま、そろそろネルビア国に戻る時間じゃ。邪悪の封じられたいま、あなたのすばらしい治世が、国民を豊かにするじゃろう」
パウロが、手を差しのばした。
ん? 俺にどうしろってんだ?
「船を、返していただきたい」
「―――この船を返したら、アスリアは帰っちまうのか?」
「そうですじゃ」
「いやだ!」
考えるより先に、俺は絶叫していた。
「俺は、俺は―――」
「義也さま、あなたはこの世界で、邪悪と戦う使命があるのです」
アスリアは、毅然とした口調で言った。
「これで、お別れしましょう」
「弟は、どうなるんだ。あんたらは生き返ったが、自殺したまま戻らない。俺は一生、その罪を背負って生きていくのか。ブラークルに誘惑されているあいつを、止めることができなかった……」
俺は、涙が出てくるのを感じた。
「勇者さまには、おわかりのはず。悪は外からではなく、中からむしばんでくるものなのです。健司さまのような人を二度と出さないために、どうかこの世界で戦ってください」
アスリアは、帆船に乗り込んでいった。
そして、帆船がそのままふっと消えていくと、柴田先生は立ち上がって言った。
「少年よ、嘆くでない。聖書にはこうある。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。
神は愛なり。信じて待つのだ。愛は全てを越えて永遠なのだ」
俺は、涙が出てくるのを感じた。
「アスリア……」
人は十字架を背負って生きている。長い道を歩きながら、一歩ずつ進むしかない。
平和と愛を広めるため、義也は今日も生活している。




