仇を、取る!
すべてが、終わってしまった。
時間がさかのぼったのも。
健司が誘惑されたのも。
そして、アスリア王女が、その誘惑を蹴ったことも。
そのために、健司が死んだことも。
「自分で自分を殺すなんて、バカじゃないかしら」
キャラ=ソマは、屋根の上から下をのぞき込む。
「いくらこの世界で永遠の命を手に入れたって、自分を殺されたんじゃあ、打つ手ないわね」
「ブラークル、きさま……」
俺は、唇を噛みしめる。
「天地創造の神だって、人間に過度の干渉はしないわ。神のすることに不可能はないのにやらないのは、怠慢というものよ、ねえ?」
ブラークルは、甘い声で言った。俺は、びょうびょうと吹く風になびく髪を感じながら、自分に言い聞かせるように言っていた。
「神さまにとって人間というのは、5歳の子どもといっしょなんだ。言うことを聞かないくせに、生意気なところがある。だけど、成長することが出来る。人間をためすことで、人間を成長させているのかもしれない。それが、神さまなりのやりかたなのかもしれない」
「―――ずいぶん遠回りな愛情ね。じゃまなものは殺してやれば、簡単なのにねえ」
ブラークルらしい言いぐさだ。俺は、じっと相手をにらみつける。雨が激しくなってきた。
愛情がなにか、なんて俺にはわからねえ。
そんなダサいもん、パウロや柴田先生に任せておくさ。
だけど、ひとつだけたしかなことがある。
キャラ=ソマは、目の前で健司が死ぬのを見て、止めようともしなかった。
むしろ、楽しげに見守っていた。
こんなやつをのさばらせていたら、この国は滅びてしまう。
アスリアのためにも、倒す!
「健司の仇!」
俺は、剣を振り上げる。アスリアは、おびえたように息を呑んだ。キャラ=ソマは、あざけるように頭をそらした。
「それは聖剣ジェマイルじゃないし、宝珠もないわよ。あたしを封じるなんて、できっこないんだから!」
そうなのだろうか?
邪神ブラークルを封じることの出来る唯一の武器、ジェマイルがどこなのかは、俺は知らない。知らないままに、こうして対決してしまっている。王女が、荒い息で膝をつきながら、立ち上がろうとしている。アスリアがどんなに『魔力増幅』してくれても、夢解きチート能力は、ここでは無力だ。このまま、俺も邪神に魅入られて、命を―――魂を、失うことになるのだろうか。
馬が陶器のかけらを踏みつけるみたいな音で、稲妻がひらめいた。耳が壊れるような轟音だ。ブラークルは、少し汗がにじんでいる。なんだか焦っているな、と俺は観察した。なぜだろう?
屋上の階下で、騒ぎが起こっている。どうやら健司が飛び降り自殺したことが、宮廷の人々にも判明したようだ。それとともに、様子を見るためだろう、なにものかの足音が複数、階段を駆け上ってくる気配がする。
すうっ、とブラークルが消えていく。
「待て! 卑怯者!」
俺が叫び、飛びつこうとするが、ブラークルはすでに屋上から消えていた。
そして。
目を覚ました俺は、そそり立つ円錐形の水晶の前に立っていた。
その向こうにいたのは、黒い髪の美しい曲線をした女であった。
「よくきたわね、ここまで」
相手は、少し楽しむように言った。
その手に握られているのは、透明なビー玉。宝珠だ!
夢解きチート能力が発動されるのがわかる。
―――宝珠。聖剣ジェマイル。影。
あの宝珠を取り戻せば、ジェマイルもゲットできるのか?
そもそも、ここはどこなんだ。
まだ神殿の中なのか?
「あのときの決着がついてなかったが、ついにわれらは相まみえることができた。もう一度問う。わらわに組みせぬか? ともに手を取り、神を越える力を手に入れ、世界を支配しようではないか!」
「だが断る」
俺は、キッパリ言った。ブラークルは、焦ったような顔になった。
「断る? なぜ? アスリア王女も手に入るのじゃぞ? 富も権力も、思いのままじゃ!」
「興味ないね」
俺は、冷たく言い放った。
水晶が、キラキラ光っている。周りをさりげなくみまわすと、石像がズラリとならんでいた。ドラゴンや人間やゴブリンたちの石像。みんな苦悶の表情を浮かべ、あるものは手を空に向けてひっかくそぶりをみせている。ドラゴンは頭をもたげ、火をふくそぶりをみせている。ゴブリンたちは驚いた表情のままだ。生きたまま石像になったみたい。趣味わりー。
「アスリアも、エメット神も、わらわの前では無力であった。愛だの恋だのは、しょせん絵空事なのじゃ。大事なのは、人を思うとおりに動かす力。やりたいことを自由にできる力こそがすべてじゃ!」
ブラークルがそう言って、黒い唇から赤い舌をだして、唇をなめまわした。
「そなたには、素質がある。力が手に入れば、むなしさは消えて、そなたは人気者になるじゃろう。人々から賞賛され、支えられるようになる。アスリアなんてどうでもいいではないか。わらわのもとに来い」
俺は、頭をそびやかして、ブラークルをにらみつけた。
「健司にも、そう言ったんだな? そう言って、呪われた永遠の命を与えたんだな?」
「―――あの子が、自分でそれを望んだこと。わらわの知ったことではない」
しれっとブラークルは答える。
そうなのだろう。エメット神も、この世界では自由意志を尊重していると言っていた。どんなに理不尽でも、自分で選んだことならば、責任を持たねばならない。
「だからといって、あんたが健司を殺した事実は消えない」
俺は、剣を捨てた。からん、と剣が床に転がった。「そして、あんたは普通の剣では殺せない」
ブラークルは、思わず、というふうに目を見開いた。
「わらわに勝てぬと知って、降参するのかえ?」
ブラークルは、邪悪な歓びにうちふるえていた。そして、水晶を用心深く避けながら、近づいてくる。左手に宝珠を握りしめ、右手を差し出してきた。
「この手を取るのじゃ、勇者義也よ。しょせんこの世などむなしい夢物語、善行をしたところで報われることはない……」
「ブラークル、あんたには力がある。たしかに、そのとおりだと思う。だが、ひとつだけ、計算違いしていることがある」
俺は、跳躍のためにみがまえた。ブラークルは、少しおののいている。
「計算違い……? それは、なんじゃ?」
「あんたに味方する人間はだれもいないが、俺には味方がたくさんいる! その宝珠を、返せ!」
言うなり俺は、水晶めがけて突っ込んでいった。力がわいてくるのを感じる。そうだ、俺はたしかに聖剣ジェマイルを持っていないかもしれない。宝珠もないかもしれない。だけど、悪に対して屈服するような、そんなヤワな人間じゃ、ねーぞ!
ブラークルの手の中で宝珠が輝いた。それに呼応するように、水晶が脈打つ。どくん、どくん。キラキラ光っている水晶と宝珠。ブラークルは、一歩、また一歩と後ずさりしはじめる。
もしかして。
俺は、ふと気づいた。
もしかして、この水晶は、邪悪なものではないのか?
「や、やめるのじゃ。わらわは、また封じられたくない。まだ世界を支配しておらぬ。世の中を変えて、わらわの時代にする野望を、なぜわかってくれぬのじゃ」
ブラークルが、泣き言をいっている。俺は、ブラークルが手にしている珠を見つめた。ブラークルは、宝珠を投げ捨てたいそぶりをみせつつも、俺にそれがわたるのを恐れているらしく、できないでいる。宝珠を手にしている手が、焦げつつあった。肉の臭いがただよってくる。たいした根性だ。ちょっと感心しちゃう。
「世界を支配するなんて、俺には向いてねえ。ましてアスリア王女なんて、手が届くわけがねえ。最初から、あきらめてるさ。そこが健司と違うところだ。あんたは、健司のよわいところにつけ込んで、健司を殺した! 自殺だと思ってたが、あんたが犯人だったんだ。王女はあんなふうに悲しんで、自分を責めて……。きさまだけは、許せねえ!」
俺は、自分の前にある、円錐形の水晶に手を伸ばした。
すると。
いきなり、水晶が四方に爆裂した。ごおっ、がーんと神殿がゆらぐ。がっ、とブラークルが風にふっとばされる。それとともに、宝珠の光がどんどん増してくる。じゅうっとやけどの音がして、ぎゃあっとブラークルが叫び、ごろんと宝珠が床に転がった。水晶の割れたところから、ひとふりの剣がしずしずと現れてくる。
「やめなさい、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
ブラークルが叫んで、宝珠に手を伸ばす。しかし宝珠はふうわりと浮かんでまっしぐらに剣へと運ばれ、そのまま柄にセットされた。
「ブラークル、覚悟!」
俺は、水晶から現れたその剣を握りしめた。これが聖剣ジェマイルなのか。ブラークルの表情は、怖れと憎しみに満ちている。ラハブに訓練された技術が、いま、活かされるのだ!
ふいにブラークルが絶叫した。空をも引き裂きそうな声。それとともに、口から光線を吐き出した!
一筋の光が、神殿の石像のある壁にまで届き、連なっている石像がみんな吹っ飛んでしまった。暴風に混じって砂や小石が飛び交っている。
「ムダだ、おまえひとりでなにができる! さあ、あきらめて我が元へ来い!」
ブラークルは、すでにツノを生やした赤い巨体の鬼になっている。俺は、涙が出てきた。ラハブも、デリラも、パウロもいない。俺一人では、何も出来ないのか。
「義也さま! 援護します!」
背後で声が飛んだ。さっき殺されかけていたアスリアだ。むちゃなことに、両手を差し出して、必殺の『魔力増幅』を俺にかけようとしている。おとなしくて平和主義のアスリアと思っていたが、意外な一面だった。
「バカっ! ここから出ろ!」
俺はがなった。
「バカはどっちですか! わたくしが、健司さまの仇を討つチャンスをくださらないんですか!」
「あんたはここで、死ぬ気なのか。もっと自分を大事にしろよ! 俺はあんたに、死んでほしくないんだ!」
アスリアは、驚いたように目を見開いた。自分を大事に、という言葉を、生まれて初めて聞くかのように。
俺は、宝珠を握りしめているブラークルに、一歩近づいた。
ブラークルは、まるでおびえるように、それを避ける。剣の宝珠から漏れる光を、なんとかして妨害しようとしている。宝珠を前にして、そこから逃れないように、そしてくっきりと見える影を強烈に意識しているように。
―――自分の影を、かばってる?
俺は、ブラークルのおびえを思い出した。
あのとき。
稲妻が走ったあのときも、ブラークルはなにかに焦っていた。
自分の影が、ハッキリと見えるのを、恐れていたようだった。
「そこが、弱点だ!」
俺は剣を高々とさしあげた。するとどうだろう。そこにセットされた宝珠が、ありありとブラークルに影をつくっている!
「やめろ、やめろ!」
ブラークルは、制止する。俺は剣を振り上げた。
「聖剣ジェマイルを、受けてみろ!」
ずさーん! 俺は跳躍した。そして、背後にまわり、ブラークルの影を斬った。
「ウォォォォォォォォォォォォ!!」
直後、光がブラークルにおそいかかった。突然、すべての闇が光に変わり、俺たちはのけぞるように仰向けにひっくり返った。甲高いハム音とともに、閃光が炸裂し、視界いっぱいに広がった。
断末魔の声とともに、ヤツは影を斬られてちりぢりになった。そして、まるで掃除機に埃が吸い込まれるように、水晶のなかにその影が封じられていった。
「やった……のか?」
俺は、水晶のなかのブラークルに注視した。氷のなかの花のように、ヤツはカチカチになっている。
ほんとうに、これですべて解決したのだろうか?
俺は、辺りを見まわした。邪神ブラークルは封じられたのか? 俺は、弟の仇をうったのか? 任務を果たしたのか?
その直後。
水晶の下の床が砕け散り、ブラークルごと海の中へと沈んでいった。
「ま、待て……」
俺はあわててあとを追おうとしたが、急にあたりが暗くなり、なにかに引っ張られるような感覚があった。
「義也さま! 勇者さま……!」
耳の底で、かぼそい声がこだまする。
光がすべてを覆い尽くした。
身体中が強烈な痛みに襲われた。
それは、サボテンに刺されたような―――。
「ブラークル! きさま!」
俺は、剣をふりかざした。




