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夢の国を行く帆船    作者: 鈴宮とも子
健司との対決
41/43

王宮の屋上にて

 いつしか、俺は黒い雲の覆う宮廷の屋上にいた。すぐそばに、ひとりの人物が立っている。なまめかしい曲線美の、黒髪の女だった。

「勇者健司さま。こんな時間にひとりでこんなところへ来られては、危のうございますよ」

 女は、そう言うとゆったりと微笑んだ。どこかで見たことがある。そう、ここへ来るまでに、健司をなで回していた女だ。

「キャラ=ソマか……。あんたこそ、こんなところで何をしてるんだ」

 健司は言い返した。

 俺は、すぐそばでそれを見つめていた。

(俺はどうしたんだ? 健司の記憶のなかに、入り込んでしまったのか?)

 これが全部夢ならば、夢解きチート能力が発動するはずだ。だが、その感触はない。いまや俺は、健司のそばで、健司と女のやりとりを眺めるばかりだった。

 キャラ=ソマと呼ばれた女は、しゃなり、しゃなりと健司に近づいた。

「わたくしは、この時間になると必ず屋上に出て、ネルビア国を見下ろすのです。どうですか、この町並み。首都ライーサは活気があって、とてもいいところでしょう?」

 俺と健司は町を見下ろした。ロバや馬、商人や行商人。屋台が立ち並ぶ道には、傭兵や冒険者が行き来している。子どもたちが駆け回っている。

「あなたさまは、この国を救ってくださった恩人です。アスリア王女と結婚できるのも、そう遠くはないでしょう」

 キャラ=ソマは、そっと健司の耳に唇を寄せて、甘い息を吐きかけた。

「もはやあなたさまにかなうものは、ひとりもいない。邪魔なのは、サウル国王だけですわ……」

「……どういうこと?」

 健司は、くらくらしながら答えた。

「わたくしの夫、サウルは、無事任務を終えたあなたさまを、なんとかして排除したいと思っているのです。わたくしに、なんども、子どもを作れなんて強要するんですのよ! でも、そんなことになったら、アスリア王女の命が危なくなるでしょう? 王位継承権は、わたしが第一位、わたくしの娘が第二位、そしてアスリア王女が第三位です。わたくしに王子が生まれたら、もちろん王子が第一位。だからサウル国王は、アスリア王女を暗殺して、安心したいんですわ」

 健司は、拳を握り締めた。

「しかし、アスリア王女はサウル国王を慕っているはずじゃないの?」

「濡れたネコにじゃれつかれても、うっとおしいだけ。サウル国王は、王位を手に入れるためならなんでもするのです」

 キャラ=ソマは、細長い指で黒い髪をかき上げた。健司は目をパチパチさせた。

「自分の夫にひどい言いぐさだなぁ。あんたはサウル国王を嫌ってるの。娘の父親じゃん」

「サウル国王にとっては、男の子以外は用がないのです。わたくしにも、暴力を振るうのです。助けると思って、サウル国王を倒してください」

「で、でもそんなことしたら、反逆じゃないか。勇者じゃなくなるよ」

「まあ! そんな臆病なことばを聞くことになろうとは。あなたさまは、まことに勇者なのですか? あなたさまは、ブラークルと契約したのでしょう? 富も権力も思いのままなのに、いまさらためらうことがあるのですか?」

 キャラ=ソマは、そっと健司の肩に手をやった。とても優しい表情だ。彼女がブラークルそのひとか、その手先だと俺にはわかった。甘くてしびれるような魅力のある女だ。そのことばに耳を傾けていると、そのままうっとりと言うとおりにしたくなってくる。

「たしかに、扉を解放したとき、おれはブラークルの声に従ったっけ」

 ゆっくりと、健司は答える。

「そうですわよ。エメット神には、なんの力もない。人に助言したり、からかったりはできても、具体的な利益は与えてくれない。あなたさまは、アスリア王女と結婚したいと言っている。サウル国王は邪魔するでしょう。そしてエメット神はそれを見ているだけ。そのまま、アスリア王女は死んでしまうでしょう。なぜかわかりますか?」

 健司は、ぼんやりと頭を振った。考えもしなかった可能性に、頭が凍結しているようだった。俺は固唾を呑んで見守っている。

「試したいからですよ! 人間を試して、自分の言うとおりになるかどうか、いつもちょっかいを出してくる。あなたが王女を手に入れることでなにが起こるのか、実験したいのです。エメット神は、人間をおもちゃにしたいんですよ」

 実験。

 俺は、柴田先生の『おもちゃの船を手に入れる実験をしてくれ』ということばを思い出していた。洞窟のなかに船があり、LGBTのエメット神がいたっけ……。

 健司も戸惑っている。

「―――まさか。勇者までおもちゃにしたいの?」

「もちろんですとも。しかしあなたさまは、ブラークルと契約した。このままでは、エメット神にいたずらされっぱなしだったのに、それを脱却した。あなたさまは、エメット神を越えたのです。だから、サウル国王を倒すぐらい、どうってことない。堂々とやっつけて、アスリア王女を手に入れなさい。そしてこの国を支配し、世界を闇に変えるのです!」

 キャラ=ソマは、ニッコリ笑った。俺は背筋が凍ってくるのを感じた。

あいつ、俺の方を見て笑ってやがった。この場に俺がいることを知っているんだ。勝利感に満ちたあの笑顔。解放された邪悪なものを宿して。

 あいつは。

 ブラークルなんだ。

「解放してくださったあなたさまに対して、ブラークルはお礼をいたします。ブラークルの望みはただひとつ、サウル国王を殺してこの世界を闇に変えること。アスリア王女を、欲しいでしょう?」

「―――で、でも……」

 健司は、ためらっている。ブラークルと契約したと言っても、良心を捨てたわけじゃないんだ。俺は、健司に呼びかけた。ダメだ、健司。世界を闇に変えるなどと。

 たしかに、サウル国王がアスリアを邪魔に思うのはムリもない。代案としては、サウル国王が後見人になって、アスリアを守るのもテじゃないか。アスリアに、逃げてばかりいちゃダメだと助言したこともあるが、悲しげな顔をして目を伏せられた。過去になにかあったのだろうが、いまは過去の時代なのだ。過ちを修正するチャンスがあるんだ。

 なにが実験だ、エメット神だ。健司が自殺する前に、アスリアが悲しい思いをする前に、事件を食い止めてやる。


 ブラークルが、健司の背をなでている。

「さあ、王宮に行って、サウル国王に剣をつきたてなさい。そして、アスリア王女の手を取って、結婚を申し込むのです。そして二人で、ブラークルに忠誠を誓うのです」

 健司は、うれしそうにうなずいた。

(扉は開放され、ブラークルさまが本格的にこの世界を統べるとき、おれは邪神の右腕として再び日の目を見るだろう。長い間あざけっていた人々をふみつけてやる)

 健司は、高まる期待に胸を躍らせて思った。見ていると、空にぽつんとした黒雲が、みるみるうちにどんよりとたれこめてきて、雨がポツリ、ポツリと落ちてきた。

「健司さま、健司さま?」

 屋上に、アスリアが現れた。気がかりそうな瞳で、キャラ=ソマと健司をみくらべた。

「アスリア」

 健司は、胸がいっぱいになっている。俺は、ごくりとつばを飲み込んだ。

 やめろ、健司。アスリアに関わるな。

 言葉がもどかしくて、声が出てこない。

 アスリアは、キャラ=ソマを見て顔をくもらせた。「陛下、このようなところにおられたのですね。探していました」

「アスリア。勇者健司さまから、お話があります」

 なにかしら、とアスリアは健司に目を向けた。弟は、おぼつかない声で、

「あ、アスリア。いっしょに暮らそう。そしてブラークルのもとで、幸せにくらそう」

 アスリアは、ふっと顔を背けた。思ってもいないことを聞かされたみたいな表情だった。

 キャラ=ソマは、にっと笑った。邪悪そのものの表情だった。健司だけは気づいていない。

 アスリアが、迷っている風なのを見て、俺は近づこうとした。しかし、まるでガラス張りの壁にぶちあたったようだ。前に進めない。キャラ=ソマは、くっくっく、と笑いはじめている。俺はじっとりとイヤな汗がにじむのを感じた。アスリアは、なんと言っていいのか迷っているようだ。

「健司さま、ブラークルのもとでは、幸せにはなれません」

 迷っていたアスリアは、なにか意を決した表情で言った。その表情のなにかが、俺と健司をひっぱたいた。

「幸せになれるようでも、それはにせものです。塩水を飲むようなもので、決して満足できないはずですよ」

「な、なんだって!」

 健司は、はらわたの中から腹を立てたように言った。「おれは、あんたをサウル国王の手から守ってやるって言ってるんだぞ! にせもの、とは何だ!」

 アスリアは、あっと叫んだ。健司の言葉と同時に、隣にいたブラークルが、アスリアに近づき、いきなり首を絞めはじめたからである!

 健司は、思わずブラークルに駆け寄ろうとした。しかしまるで足が動かなくなったようだ。

 そしてブラークルは、ニッコリ笑って言った。

「アスリアなんてどうでもいい。世界を支配したなら、女なんてより取り見取りですわ」

 健司は、頭を振った。

「アスリアがいいんだ。アスリアじゃなきゃ、ダメなんだ」

「こんな女のどこがいいの。とんだ悪女じゃないの。さんざん人を振り回して、自分中心過ぎるわよ。しかもエメット神の忠実なしもべじゃないの!」

 キャラ=ソマが、逆上した。そして、健司に言った。

「あなたは、もう後戻りはできないの。アスリア王女が手に入らなくても、ブラークルとともに、闇の世界に生きるしかない。絶望と無力感に満ちた世界。友だちはみんなモンスター、そこで恐れられ、ひれ伏されて生きていくのよ。どう、生きがいがあるでしょう?」

 健司は、顔をくしゃくしゃにした。凍り付いたように動けない身体を、必死で動かそうとする。

「アスリアから、手を離せ!」

「いやよ。こういう機会をねらってたんですもの。アスリア王女は、世をはかなんで自殺する。わたくしたちは、それを絶望的に見守っている……」

 そのまま、屋上の端までつれていく。

「やめろー!」

 健司と俺はわめいた。俺はガラス張りの壁を蹴とばし、体当たりもした。壁はびくともしなかった。アスリアは、屋上からギリギリと押し出されそうになっている。

「う、ぐ、う……」

 締め上げられているアスリアの、悲痛な声が耳を刺す。

「アスリアのいない人生なんて、むなしいだけだ!」

 健司は絶叫し、ブラークルに向けて身を躍らせた。キャラ=ソマはかるく身をかわす。

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 俺は壁に自分の持っていた剣を叩きつける。キャラ=ソマが、あっ、と声を出した。

 健司は、キャラ=ソマめがけて跳びかかっていく。しかし相手はすうっと消えていく!

 そして―――。

 稲妻が、バリバリバリっ! と空気を裂いて、王宮に叩きつけた。

 衝撃で、がちゃーん、と壁が砕け散る。

 俺は、転がるようにその場へ駆けていった。

 屋根から下をのぞき込む。

 地面に横たわる、弟の姿が見えた。アスリアが、絶叫した。


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