邪悪の解放―――歓びに打ち震える悪。俺はどうすればいい!
突然。
ギラギラに照りつけていた太陽が、黒い雲に隠れた。すさまじい暑さだった砂漠に、突然氷の風が吹いてきた。
「よくやった、健司よ」
ウォーターメロンマンを倒したときに聞こえた、あの真っ黒な声が響き渡った。
「これで、吾輩は、自由だ!」
ビョウっ!
頬を切るような風がふいて、砂塵を巻き上げた。ラハブもデリラもパウロも、腕をあげて目をかばった。
「わーっははははははは! 礼を言うぞ健司よ! 破壊しろ、侵略しろ、蹂躙しろ! 邪悪よ、吾輩に集え!」
声は、解放された歓びにうちふるえている。俺は叫んだ。
「だれだ! おまえは、なにものだ!」
「知らぬのか。知らぬのに、解放したのか。吾輩は、きさまの影、きさまの呪い、きさまの闇だ! わーっははははははは!」
俺は、地面に叩きつけられた。真っ暗な闇が押し寄せてくる。ラハブたちの叫び声が小さくなっていき、いつの間にか、俺は健司とふたりっきりになっていた。
健司が、すごい目つきで俺を見ている。趣味の悪い極彩色の部屋のなかで、弟は、とっくりと俺を見つめている。
「兄貴、俺は現実世界で死に、ここで生まれ変わった」
健司は、ニッと笑った。その瞳には、どこか普通でないものを帯びている。
「おまえはエメット神に選ばれたが、おれはブラークルに選ばれた。ブラークルは、エメット神より強い! おれはアスリア王女と結婚し、ネルビア国を、世界を支配する!」
俺は、健司に絶叫した。
「健司、目を覚ませ!」
「兄貴の夢解きチート能力は、なんの役にも立たなかった」
健司は、クツクツと笑った。
「しかもその能力と引き替えに、いちばん欲しいものを諦めなければならなくなった。いいことを教えてやる。俺は勇者になったとウソをついてサウル国王に取り入り、この禁じられた扉に来た。1つを捨てることで1つを得る。封じられた魔物を解放することで、おれはアスリア王女と結ばれ―――」
「やめろ!」
「兄貴も、アスリア王女が好きなんだろ」
ふん、とヤツは鼻を鳴らした。
「いまのおれにはなにもかもわかる。おまえは、借り物の夢解きチート能力で、実力もないのにアスリア王女に取り入った。サウル国王に取り入ったおれと同じだ。ウォーターメロンマンがおまえにおそいかかったとき、死んでいればよかったな」
「―――ずいぶん俺たちのことに精しいな」
「おれには、兄貴にはない力があるんだ。バカにしたもんじゃないぜ。あんたはアスリア王女をゲットするつもりだったんだろ」
健司は、胸をそびやかせた。
「あんたは、アスリア王女にあこがれてた。自分がアスリアを守る。自分は夢解きチート能力を持つ特別な人間だ。だからブラークルを倒して、ネルビアを救う、と思ってる。砂漠に水を求める人間のようにね。自分は自殺したおれのようにはならない。自殺した人間など用なしだ。いくじなしの弱虫になんかならない。あんたは、ひそかにそう思ってたんじゃないのか」
俺は、思わず言葉がもつれた。
「だ……だが、おまえは、勝手に自殺したんじゃないか!」
「勝手に? 俺はアスリア王女を、サウル国王から守りたかったんだ。アスリアの父トビトが亡くなってから、サウルは機会さえあれば暗殺しようと、アスリアを影で狙っていた。俺は何度も彼女に警告していたんだ! サウル国王に仕えるふりをしてね。だが、アスリア王女は聞く耳を持たなかった。だから、ブラークルに願ったんだ。それのどこが悪い? サウル国王を倒すためには、ブラークルの力がいる。だからこの禁じられた扉を解放する必要があったんだ」
「だからって、命を捨てる必要はないだろう!」
「自殺したのは、おれがここで永遠に生きるための手段だ」
「またそれか。永遠の命! エリヤさんもそれにまどわされた!」
「勝手に【禁断の木の実】を食べてね。おれはアスリアとともに生きたかった。アスリアさえ手に入れば、あとはどうでもよかったんだ。学校から飛び降りたときも、アスリアが好きだった。信じないだろうが、アスリアもおれが好きなんだ」
俺は、じりじりと追い詰められてくるのを感じた。アスリア。そんなにも好き合っていたのか。しかしアスリアは、健司が死んだのは自分のせいだと言っていた。アスリアと健司の間には、いったいなにがあったんだ。この話がほんとうなら、俺はアスリアを、あきらめなければならないのか。あきらめなければ、健司は戻ってこないのか。
(いやだ。アスリアは、俺が守るんだ)
ふっと、そんな意識が、心をよぎる。
「とうとうホンネが出たな。善人ぶっていても、ほんとうのところは、俺が邪魔なんだろう。弟なんていなけりゃいいと思ったんじゃないのか。俺は現実世界で死ぬことで、この世界に生まれ変わった。健司はバカだとリアルで笑われても、この世界ではおれは大活躍さ! そうさ、おれは勇者なんだ! どうしてかわかるか? ブラークルと契約し、どんな願いもかなえてもらったからだ!」
健司は、邪悪な笑みを浮かべている。ポケットからビー玉みたいな透明な珠をとりだした。
「この宝珠を見ろ! 〈メイストームの宝珠〉。あんたの特別な力が発揮できる魔法用具だ。ひとと違う力だ。欲しいだろう?」
ちくしょう。あれが健司の手に渡っていたとは。あれさえあれば……。アスリア!
(やめろ)
俺は、目を閉じて耳をふさぎ、宝珠のイメージを頭から追い払おうとした。心のどこかで、健司の声がささやく。
「兄貴、まだわかんねーかな。本当の自分を受け入れろよ。あんたはアスリアが好きなんだろ……」




