犠牲は大きかったが!
「治療薬なんだろ? おまえがそう言って、わたしといっしょに、ジャミシテ国へ取りにやらせたんだ」
「そして、それを教えてくれたのは、祭司長パウロだ」
俺は、柴田先生そっくりの彼に、ゆっくりと近づいていった。
「あの難しい字を読み上げたときに、疑ってみるべきだった。そして、夢判断に、もっと集中するべきだった。パウロさん、あんたははじめから、アスリア王女を見殺しにするつもりだったんだ。あわよくば俺も殺そうと思ったんだろ、違うか?」
「な、な、なにを言い出すのじゃ若者よ。わしは西方教会の責任者であるぞ」
「だからわからなかったんだ。動機がなにか、ということがね。俺は男装した女の子が蛸やスイカをかじっている夢を見た。女の子は蛸とスイカに悩まされていたが、顔といい雰囲気といい、祭司長パウロさんと、似たところがあった。それは、アスリア王女暗殺未遂事件の前に見た夢だった……」
俺は、水差しの注ぎ口をデッキに向けて傾けた。ワーッと一同が声を上げる。中でもパウロの声は大きかった。
「やめろーっ! それは、姪のデリラのために必要なのじゃ!」
パウロは、小鳥のようにぶるぶる震え始めた。
「あんたの姪も、ウォーターメロンマンにやられたんだね?」
俺は、問いかけてみる。パウロの身体中が、ピクピク動いている。
「この船に連れてきておる。その水は、たった一つの治療法なのじゃ。ブラークルに、こうすればおまえがこの水を持ってきてくれると誘惑しての……」
パウロの顔は、疲れ切っていた。
「悪いことじゃと知っておった。じゃが、どうしようもなかったんじゃ」
「姪ごさんが喜ぶと思ったのか? そんな卑劣な真似をして手に入れたものを、喜んで飲むと思うのか?」
俺がきつく言うと、パウロは顔を覆って泣き始めた。
「やめてくれ、ほかにどうしたらよかったのじゃ?」
「相談すればよかったんだ。アスリア王女なら、きっと寄り道ぐらい、してくれたはずだ」
パウロはいまや、よよと泣き崩れ、デッキに涙の池が出来ていた。
アスリアは、すでにスイカの蔓が身体中に巻き付いていて、死にかけていた。
「アスリアさま、治療薬です」
ラハブが差し出すのを、彼女は静かに頭を振って断った。
「なぜ!」
俺は、胃のところが熱くなってきた。王女は、静かに笑っている。
「わたくしが、皆さんの身代わりになって死ぬことで、パウロの罪は滅ぼされるのです」
「そんなバカな」
刻々と、王女の身体は浸食していく。すでにスイカの花は、小さな実になっている。緑色のトマトのような果実。
俺は、蔓をひっつかみ、ラハブにわめいた。
「こいつを切ってくれ! 切り取ってくれ!」
「無駄じゃ。こうなっては、死ぬしかない」
パウロの淡々とした声に、俺は憎しみが身体から波のように発するのを感じた。
アスリア王女は、細い息をついた。そして―――
ことり、と首が落ちた。
頬の血の気が抜けて、唇ばかりが赤い。
わあっ、とサライが叫んで泣いた。内臓に火がついたようだ。恐怖がわきだつ毒のように胸を締め付ける。
「アスリア、死ぬな!」
俺は、もはや手遅れと思いながらも、1%の可能性を賭けて水を眠っているアスリア王女の上からかけた。
反応は、ない。
「手遅れなのじゃ」
アスリアの遺骸を見つめた。息がない。脈もない。アスリア王女が、死んでしまった。
「わしを、許してくだされ」
パウロは、アスリア王女のベッドの前にひざまずいて、涙ながらに訴えた。
「わしは、ひどいことをしてしもうた」
俺にはわかっていた。パウロは、治療薬を持ってくる仕事を、俺に命じた。そして俺は従順にも、怪しいと思いながらもそれに従ってきた。ところがそんなことはすべて無駄だった! なんという狡猾なやりかただろう。ネルビア国に宣戦布告して何人もの命を犠牲にせず、すでに死を覚悟したアスリア王女に、こんな死を与えるとは。
しかもパウロは、アスリアが逃げないことを知っていた。この冒険に出たときから、アスリア王女は覚悟していたのだろう。アスリアは死んだ。終わりが来たのだ。
「こんなの、間違ってる!」
俺は、立ち上がった。俺の心臓は、バタバタもがいている小鳥のようだった。悲しみというよりはむなしさ、冷たい氷が胸を貫くように、絶望が俺を貫いている。
そのときだった。
アスリア王女の身体が光り出したのだ。ドクドクと、俺の心臓が激しく胸板に打ち付けられるのを感じた。王女の身体から、青い蔓が剥がれ落ちていく。
「ぎゃー!」
胃袋に鈍い一発を食らったような声とともに、アスリア王女の蔓はしおれ、枯れ、身体から落ちていった。
光はまぶしくなっていく。ふと思いついてパンツから宝珠を取り出すと、宝珠は太陽のように輝いている。
「成獣だ! つまり、宝珠が有効だ!」
アスリア王女に、がっしりと吸い付いていたウォーターメロンマンは、完全に消え失せた。
王女は、ぱっちりと目を開けた。
「……ここは……」
信じられない思いで、俺たちは近づいた。
「王女さま」
「アスリアさまが生き返った」
サライとラハブが口走る。
「アスリア王女、お許しくだされ」
よみがえった王女に、パウロは土下座して謝った。滂沱と涙を流している。
「心から悔い改める人に、神は許しを与えます」
アスリア王女は、ベッドの上で、バラの花のように微笑んだ。
「雨が降った後には、陽だまりがあるものです。これからは、なんでもわたくしに相談するのですよ」
「あ、ありがとうございます!」
パウロは頭を下げた。
治療薬の間に合ったデリラは、黒いショートヘアで黒い瞳で、まだ十三歳。親衛隊に紛れ込んでいたという。いまはパウロに促され、シスター見習いの姿に戻っていた。
「わしの両親は、早くになくなった。たった一人の姉の、一粒種なのじゃ。デリラを人質に取られては、どうすることもできなかった」
パウロはうちひしがれている。
この旅に連れてこられて、戸惑うとともに、叔父の浅はかさを知って非常に傷ついている。
「叔父さんのばか」
俺はデリラの頭に手をやって、じっと叔父を見つめる彼女に、
「許してやりなよ」
と言っていた。
夢の国を行く帆船は、今は西方教会へと向かっている。
「どんなことが起こっても、みんなで乗り越えていこう」
ゴスロリ少女ラハブが、力強く言った。
暁の光が差し込んでくる。行く手になにが待っているのか、俺たちはまだ知らない。
「西方教会に向かって!」
「聖剣ジェマイルを手に入れよう!」
一同は唱和し、船はぎいっときしみながら、西の方へと向かっていった。




