魔物との戦い
「静かだな」
「しーっ!」
俺とラハブは、廃墟の街を歩いていた。石造りの建造物は崩れてがれきになり、道路には裂け目が走っている。荒涼とした風景だった。木も生き物も、猫の子いっぴき、見当たらない。「ひっ」
ラハブは凍り付いて立ち止まった。いた。生き物。といってもネズミが一匹だった。小さな動物の、小さな足が走り抜けていく。
「たかがネズミだろ、おまえらしくない」
「ネズミは不潔だ。ペストを運ぶ。両親はそれで死んだのだ」
「……悪いことを聞いたな」
「わかればいい」
さらに奥へと進む。温泉街だと聞いていたのだが、むしろゴーストタウンという方が当たっている。こんなところで療養する人間の気が知れない。だいたい、温泉街につきものの、土産物屋や食事処すら見当たらないのだ。間違ったところに来てしまったのだろうか?
俺は口をきゅっと閉めた。口に出したくなかったが、ここはどうも、ハズレのような。
「ほんとうに、ここでいいのだな?」
ラハブが確認する。俺が答えようとしたとき。
ガラガラッ。
崩れたがれきの陰から、なにか大きなものがすっくと立ち上がってくる。その青い肌にぎざぎざの黒い稲妻もよう、大きな手足を見て俺は叫んだ。
「ウォーターメロンマンだッ」
俺は、とっさにラハブを突き飛ばして自分は崩れかけた石造りの家の影に飛び込んだ。
「よく来たな、お二人さん」
とどろく声。ヤツめ、すっかり楽しんでやがる。
「アスリア王女は、もう死んだろう。無駄なことはやめて、尻尾まいて逃げろ」
「それはこっちのセリフだ。さっさとここから……」
「わははははは、おろかなヤツめ、殺してやる!」
ウォーターメロンマンは、憎々しい口調で言うと、蔓にがれきを巻き付けて、いきなり投げつけてきた!
どしん、と重い音がして、ずしんと鈍い振動。バラバラと建物が揺らぐ。俺は天井を見上げた。大きな石がのしかかっている。すごい力だ。ラハブが絶叫して相手に突っかかっていくのが、建物の隙間から見えた。俺はデニムパンツのポケットをまさぐった。宝珠はどこだ?
ない! たった今までこのポケットにあったのに!
ポケットを裏返してみると、まるごと外れてしまった。
それと同時に、ころころっと地面を宝珠が転がっていった。ポケットがほつれているのだ! 出かけるときは、ちゃんとしていたのに!
だれかがポケットに細工したのだ。つまり帆船の内部に、犯人がいる。これは間違いのない事実のようだ。いったい、だれがポケットに穴を開けたのか。宝珠がなくならなかったのは、ほんとうにラッキーだったが、ここへ来る途中でなくすようにしていたのだとしたら、手間がかかることをしやがる。いや、今はそんな推理をしている場合じゃない。俺は宝珠に手を伸ばす。だが、宝珠は、右の方へと勢いよく転がっていった。どうやら手が滑ったようだ。ていうか、手のひらより大きくなってないか?
「ふははははははは」
どしん、ずしん、地鳴りとともに、宝珠が跳ねて、右へ左へと転がっていく。
「はわわっ」
俺は宝珠を求めて、建物の端から端まで走りまくった。
がちゃ、カキーン、ずしっ、ラハブが戦っている剣戟の音がしている。早く加勢しなければ、と気持ちは逸る。手が震え、足ががたついた。体力がないのが悔やまれる。指先に宝珠の冷たい感触が!
その次の瞬間。
「ひゃっ」
ラハブの悲鳴とともに、ウォーターメロンマンがいたぶるような声でささやくのが聞こえた。
「どうだラハブ。怖いだろう? もっと苦しめ。エメット神を信じるおまえたちなど、俺たちにとっては虫けら同然だ」
俺は宝珠をひっつかみ、建物の中から飛び出した。
やはり。
ウォーターメロンマンがなにかを蔓からぶらさげている。ラハブにそのなにかを擦りつけて、くくくっと笑い転げている。ラハブはイヤイヤをしている。目は据わっているし、額には脂汗がにじんでいる。ネズミだ。ラハブの弱点だ。ヤツは蔓を振り上げてはおろし、ラハブの恐怖をあおっている。逃げればいいのだろうが、どうやら足がすくんで立っているのがやっと、という状況だ。
「なんてザマだ! それでも親衛隊長なのか!」
俺は、崩れかけたがれきのそばで怒鳴った。ウォーターメロンマンが青白い顔を向けてきた。黒い稲妻が嘲るように歪んでいる。
「おうよ、こいつを料理したら、つぎはおまえだ。アスリア王女は、すでに身体から芽がでているぞ! ふははははははは!」
一瞬、隙が生まれた。ネズミがふっと下がった。ラハブの瞳に光が宿る。
「負けるかぁ~~~~!!!」
ゴスロリ少女ラハブは、剣を振り上げた。蔓がうねうねと揺らぐ中、震える手でその小さな動物に向けて剣を振り下ろす。ズバッとと蔓が切り落とされ、ネズミはちゅうちゅうと逃げ始めた。ラハブは目を閉じてそれをやり過ごす。
「救世主ジェズの名において!」
剣を振り上げて、巨大なウォーターメロンマンに駆けていった。相手は、唇を丸めている。また種の攻撃をするつもりなのか!
俺は宝珠を前にかざす。光がラハブの剣に宿った。うお、とウォーターメロンマンがあきらかにひるんだ。ラハブは剣の光のなか、赤い髪の毛を白く反射させ、必殺の勢いで剣をウォーターメロンマンに突き立てる。
光が剣から放たれる。いや、剣と光は一体となっている。光の塊が大きくなって、ラハブを大きく包み込む。
「やめろ、やめろーッ!」
痛みと苦しみで、ウォーターメロンマンが金切り声をあげた。俺はひたすら、宝珠に念を注ぎ込む。俺は身体中が、火になったようだ。そしてまるで空軍から爆弾を落とされたみたいに、ウォーターメロンマンが爆裂した!
衝撃波が顔を直撃、ラハブはしたたか地面に後頭部をたたきつけられ、服はボロボロになって果汁だらけであった。ゴスロリ衣装から見える肌が、異様なまでに美しい。
クレーターのできた地面には、スイカの皮と果肉の残骸が散らばっている。
「やった……のか?」
俺は、全身から力が抜けるのを感じた。たしかにこの宝珠は、俺の生命エネルギーを奪っているようだ。しかも、いつのまにか小さくなってるし。
「やった。あとかたもない」
カエルのようにぺちゃんこになって、右手に剣をしっかり握りしめているラハブは、ハアハア荒い息をしている。それから剣をさやにおさめると、果汁のしたたる赤い髪を、すばやくかきあげた。
「早く水を汲もう。水差しはどこだ?」
ラハブは、自分のあられもない格好など気にしていなかった。立ち上がるとスカートの尻がごっそり抜け落ち、プリッとした肌が見えた。
俺は思わず目を閉じた。神さま、ありがとう。思わず胸の中で感謝する。
「む……見たな?」
「いや、とんでもない」
「見ただろう。このスケベ野郎」
「自意識過剰め、見たかったわけじゃない!!」
ラハブはそれを聞いて、目を伏せた。俺は少々、気になった。ラハブはなんだか、いつもと違う。調子が狂ってしまう。
「おい、どうしたんだ。いつもの毒舌はどこ行った?」
「無駄話はやめておこう。水差しをよこせ。ここの水を汲んだら、すぐ帆船との待ち合わせ場所に向かうぞ」
温泉水はどこだ。
それを問う前に、空中でなにかの声がした。
「ウォーターメロンマンよ……失敗したな?」
徹底的に邪悪で、聞く人の心を黒く塗りつぶすような声だった。
「おまえたちは、わが下僕を滅ぼしたむくいを、必ず受けさせてやるからそう思え……」
「なんだキサマ。隠れてないで、出てこい!」
俺がゆさぶりをかけてやるが、相手は、ふふふと笑うばかりで、その気配は消えて行ってしまった。




