穢れ家
昔の少女漫画に掲載されてたホラー漫画の雰囲気で書いてみました。そんな感じの作品なので、どうぞお気軽にお読みください。
ちょっと信じてはもらえないかもしれないけれど、僕の子供の頃に起こった話を書き記しておこうと思う。
小学校の頃、僕はY県の小さな町に住んでいた。校舎裏に小高い山を背負った木造の二階建ての古い学校は数年後に控えている町の統合の際に取り壊される予定だったが、それでも毎日の掃除の甲斐あってかそれほど汚い感じでもなく、ただ数十年たった机は先人たちのいたずらのせいで穴が開いてデコボコだったのを覚えている。小学校六年生、僕たちは小学校最後の夏休みを控えてはやる心を押さえられなかった、そんな頃だ。あいつが引っ越してきたのは。
どこの町でもちょっとした怪談のようなものはある。町の外れに古い廃屋があった。そこは「穢れ家」と呼ばれていて、絶対に入ってはいけないと念を押されていた。もう何十年も前から空き家だったらしいが、不思議なことに両親や祖父母に何度聞いても、なぜ入ってはいけないのか、何があったのかはっきりしたことは誰も知らなかった。クラスの友人たちの噂も様々で、以前一家皆殺しがあったとか、肝試しに行った人が行方不明になったとか、不治の病になるとか、皆、言ってることが違っていた。
「初めまして。僕の名前は柏木〇〇です」
名前は忘れてしまった。黒板の前に立って名前を書いた後、柏木は小さな声で自己紹介すると空いた席に座った。その日はとても暑くて、蝉の声がやけにうるさかった。
柏木は、小奇麗な身なりで、目鼻立ちもはっきりとした美少年だった。クラスの女子たちも少しざわついている。僕の席は彼の斜め右後ろで日直だったこともあり、その日の放課後は彼に学校の中の案内をすることになった。
「すみません、海斗くん。もうお友達も帰ってしまったのに」
彼は本当に申し訳なさそうな顔をして、僕の後ろからついてきた。
「いいよ、別に帰ってもやることないし」
陽の光が斜めに差し込む廊下には二人の影が長く伸びていた。その時、妙なことに気付いた。彼の影の色がひどく薄いのだ。そんな馬鹿な。単に日の当たり具合だろうと自分に言い聞かせて、保健室や図書室を案内すると、彼はまるで初めて見たように目を輝かせた。学校なんてどこだってそんなに変わらないだろうに。
「あの、理科室はどこでしょうか?」
「もうすぐだよ、ほら、あそこ」
柏木は理科室に入ると内臓がむき出しになった人体模型を興味深そうに眺めていた。
「これって可哀そうだと思いませんか? ほら、一応人形なのに注目されるのは授業の時だけ。普段は学校の怪談のひとつみたいな扱いをされてこの教室の中で、ずっと佇んでいるんです。ひとりぼっちで。でもね、どんな人形には魂があるんですよ。生きてるんです」
彼は本当に愛おしそうな表情で長いこと模型を見つめていたが、僕はちょっと変わったやつだなと思った。
「あの、そろそろいいんじゃないかな。一通り案内は終わったし、わからなかったらまた聞いて」
「そうですね。今日は本当にありがとうございました」
彼は深々と頭を下げた。
「いや、お礼なんかいいよ、当たり前のことをしただけだし」
「じゃあ、その……僕と友達になってくれますか?」
「いいよ。その代り、明日から敬語は止めてくれよな。じゃあな」
「さようなら」
校門の外で別れ、しばらくしてから振り返ってみるとすでに彼の姿は見えなかった。道を挟んでどこまでも広がる田んぼの景色を眺めながら、彼は何処に住んでいるのだろうと考えた。
翌日、柏木は学校に来なかった。夏休みまであと一週間、授業らしい授業もなかったので新学期に改めてくるつもりなのかもしれないが、僕は一応先生に聞いてみた。
「柏木か? 今日は具合が悪いから休むって電話があったよ。明日は大丈夫だそうだ」
「そうですか」
なんで気になってしまうのか。それは良くわからなかったけど、田舎の子にはない都会の洗練された雰囲気のようなものに憧れていたのかもしれない。
トイレに行って鏡を眺めた時、僕は驚いて叫び声をあげてしまった。右腕が肩の付け根からなくなっていた。血は一滴も出ていないし痛みもない。中身のない半袖だけがだらんと垂れ下がっている。そんな馬鹿な。思わずきつく目を瞑って開けてみると腕は元に戻っていた。
なんの説明のつかない幻覚のようなものに動悸が止まらなかった。
その次の日から柏木は学校に来るようになった。彼は自分からクラスメイトに話しかけることはしなかった。僕は出来るだけ積極的に彼に話しかけ、段々と柏木のことがわかってきた。彼は東京から引っ越してきたこと。双子の妹がいたが、数年前に亡くなって今は一人だということ。
「妹はね、僕と違って可愛くて頭がよくって、友達も大勢いてさ、だからお父さんもお母さんも凄く可愛がってたんだ。亡くなった時はそれは悲しんで……いや、何でもないよ。あのね、ちょっと海斗くんに似てた。だから、僕、君に初めて会った気がしなかったんだよ」
自分で言うのもなんだが、確かに僕は子供の頃、ちょっと線が細くて女の子っぽい顔立ちをしていた。さすがに美少年、というほどではなかったが。
「海斗くんは兄弟はいるの?」
「うん。姉さんがいるよ。歳は離れてるけど」
「いいなあ」
その日はそれきり話をすることはなかったけれど、彼の羨ましそうな顔だけは記憶に残っている。
確か、その頃、気味の悪いことも起こっていた。
ある日、家に帰ると高校生の姉貴が妙なことを言いだしたのだ。
「おかしいなあ。ねえ、海斗。あんた雛人形隠してないよね」
「知らねえよ、なんで僕がそんなことしなくちゃいけないんだよ」
「そうよね。さっき、押し入れの整理をしようと思ったら雛人形のお雛様だけがなくなってんのよ。気味が悪くて、涼子や美鈴に相談したら、みんな雛人形がなくなってるって。これ、警察に届けたほうがいいのかな」
「好きにしたら? でも変なこともあるもんだな。そんな泥棒、聞いたこともないし」
後でわかったことだが、この時、女の子のいる家の雛人形は全てなくなっていたそうだ。
終業式の日の放課後、僕は教室で友人達と夏休みの計画を話し合っていた。柏木も誘ったが、彼は僕以外の子供達に接するのを嫌がっているようだったので、それ以上は話しかけなかった。気が付くと彼はいなくなっていた。
「なあ、柏木ってなんか気味悪くない?」
そう言ったのは友人の一人、雄二だった。スポーツが得意でクラスでも人気のある奴だった。
「いや、そんなことないよ。単に引っ込み思案なだけだと思う」
「でも何考えてるかわかんないぜ。ああいうのが大人になって人殺しになったりするんだ」
「それはいくらなんでも酷すぎるよ」
「まあ、単に内気だってだけだろ。あいつモテそうなのに勿体ないよな。それよりさ、聞いてくれよ。俺、昨日、「穢れ家」の前まで行ってみたんだ」
これはもう一人の友人の爽太。ちょっとぶっきらぼうな感じだが好奇心は旺盛だった。
「ほんとかよ? 入ってみたのか?」と、雄二。
「いや、そこまではちょっとな。でも、俺、見たんだよ。窓から誰かが覗いてるのを」
「嘘つけよ。だってボロボロの廃屋だって聞いてるぞ」
「廃屋だよ。庭は草で覆われてるし。でも二階の窓が開いててさ、そこから女の子がこっちを見てたんだ」
「どんな子だった? 可愛かったか?」
「……いや。俺も驚いてすぐ逃げちゃったんだけど、顔がなかったような気がする」
「うわっ。お化けじゃないか!」
「だろ? だからさ、今度行ってみようぜ。肝試しに。カメラ持ってるし、心霊写真とか撮れるかも」
二人は行く気満々だったが、僕は気乗りがしなかった。
「止めようよ。「穢れ家」になんか行ったらきっと悪いことが起こるよ」
「そんなの迷信だろ? 海斗お前、行くのが怖いんだろ?」
怖かった。それは間違いないが、言えなかった。一週間後に祭りがある。その日は夜の外出も許されるから、その時に肝試しをしようという事になってしまった。
一週間後の午後六時。蒸し暑い夏の夕方、僕は雄二と爽太が迎えに来るのを自分の部屋で作文を書きながら待っていた。遠くから祭囃子が聞こえてくる。出来れば祭りのほうへ行きたかったが仕方がない。
「海斗くん」
窓の下から声が聞こえた。覗いてみるとそこに立っていたのは白っぽい浴衣を着た柏木だった。街灯の下の彼の姿は恐ろしいほど美しく見えて一瞬、この世のものではないような気がした。
急いで鉛筆をポケットにねじ込むと下に降り、玄関を開けた。
「どうしたの? 柏木くん」
「肝試しに行くんでしょ? 僕も一緒に連れてってよ」
え?
「それ……誰に聞いたの?」
「誰だったかな。ああ、そうだ。雄二くんと爽太くんならもう先に行ったよ」
「あいつらに会ったの?」
「会ったよ。さあ、早く行こうよ」
僕は懐中電灯を持つと家を出て柏木の後についていった。彼がなぜ今日の計画を知っていたのか、それはわからないが彼は道に迷うこともなく、祭りの神社とは反対方向へ歩いていく。祭りへ向かう人達もちらほらと見かけたが、やがて辺りは暗くなり、人通りもなくなってきた。鬱蒼と茂る木々の間の暗い道を僕たちは黙って歩き続けた。
その家は突然、目の前に現れた。
穢れ家。
今なら、どうしてその家に近づいてはいけなかったのか痛いほどわかる。木々と雑草に埋もれ、月明かりの中に浮かび上がったその二階家は、僕には地獄の入り口のように見えた。どうしよう。僕は門の前に立ったまま動けなくなってしまった。
「どうしたの? 二人とも中で待ってるよ」
震える手で懐中電灯を点ける。柏木はうっすらと笑みを浮かべていた。
「さあ、行こうよ。……が待ってるから」
言葉がよく聞き取れない。柏木の後を追って門から足を踏み入れた途端、一気に空気が淀んだような気がした。何となく息苦しい。雑草をかき分けるようにして玄関に辿り着くとドアノブに手をかけて柏木が待っていた。
「ようこそ。ここが僕の家だよ」
嫌だ。入りたくない。それなのに僕は禍々しい家の中へと足を踏み入れてしまった。当然、家の中は真っ暗だ。玄関から土足で入った部屋の中は襖が外れ、家具は埃だらけで人の住んでいる気配は全くなかった。ときおり隅のほうでガサガサと音を立てて正体の判らない何者かが這いまわるような音が聞こえた。だが、そこへ灯りを向けて見る勇気はなかった。
「柏木くん、ここへ住んでるなんて嘘だろ?」
口の中がカラカラに乾いている。そのせいで声が掠れていた。
「嘘じゃないよ。ほら、上に行ってみればわかるよ」
ギシギシと軋る階段を上ると、その先にはひときわ大きい広間があった。柏木が襖を開ける。その時、見た光景を僕は一生忘れることはできないと思う。
畳の上にはびっしりと雛人形が並べられていた。よく見るとどの人形も首がない。
「変だろう? 捥いじゃうんだよ。気に入らないのかな」
部屋の奥には数本の火のついた蝋燭立てが左右に並べられていて、その真ん中には雛壇のように真っ赤な椅子が置かれていた。椅子に座っていたのは顔のない髪の長い少女の等身大の人形だった。真っ赤な浴衣を着ているが本体は何で出来ているのかわからない。
「海斗くん、紹介するよ、僕の妹だ」
何言ってんだこいつ。狂ってる。
「いや、正確にはこれから妹になるんだ。復活するんだよ。この間試しに君の腕をつけてみたらぴったりだった」
何だって? それじゃあの時、腕が千切れたと思ったのは。
「なんでだよ! 僕は男だぞ!」
「関係ないよ、入れ替われば女になるから。もしかして痛いと思ってる? 大丈夫だよ。もうバラバラにはしないから。君はそのまま僕の妹になるんだから。さあ、おいで」
椅子の人形がギリギリと音を立てながら立ち上がった。そのままゆっくり両手を伸ばして僕に向かってくる。動けなかった。手の力が抜けて持っていた懐中電灯を落としてしまった。柏木は人間じゃない。きっと何をしても無駄だ。
人形の両手が僕の上腕をつかんだ時、身体の組織という組織が人形のほうに移っていくのがわかった。僕は人形になる。でも魂はどうなるのだろう。消えてしまうのだろうか。
人形の手を振り払おうとしたが、がっちりと掴まれて離れない。身体がどんどん固まっていく。少しずつ意識が薄れてくる。
嫌だ。いやだいやだいやだ! こんなところで死にたくない。まだやりたいことがいっぱいあるんだ! 右手を動かし、必死でポケットをまさぐった。あった。鉛筆だ。満身の力を込めて腕を伸ばし、人形の腹を突き刺した。人形の手が緩んだ瞬間、思い切り突き飛ばす。
よろけた人形は蝋燭立ての上に倒れ、たちまち燃え上がった。柏木が悲壮な叫び声をあげながら人形に抱きついた。火は彼にも燃え移り勢いを増す。たちまち部屋は炎に包まれていく。首のない雛人形たちが一斉に身を捩って苦しがっているのが確かに見えた。
とにかく逃げなくては。懐中電灯を拾い上げて部屋から飛び出し、階段を駆け下りる。柏木の獣のような叫び声が家中に響き渡る。後を追ってくる気配はない。そうだ、雄二と爽太はどうしたんだろう。懐中電灯で部屋の中を照らすと、隅に横たわる二人の顔が見えた。急いで近付いてみると二人はあおむけになり苦悶の表情を浮かべたまま動かなかくなっていた。そして無数の大きな赤い芋虫のようなものが血にまみれたその身体を貪るように食べている。僕はその場で吐きそうになった。目を逸らし、とにかく足を動かすことだけを考えてどうにか家の外に脱出した。家は炎に包まれ、二階が崩れ落ちる。消防車のサイレンの音が聞こえる。足がもつれ、転びそうになりながら、その場から走って逃げた。
翌日、「穢れ家」が火事になり、二人の死体が見つかったという知らせが届いた。祭りに一緒に行くはずだった僕は大人たちにいろいろと聞かれた。本当のことを話しても信じてもらえそうもないので、本当は肝試しに行こうとしていたが二人は迎えに来なかったし、お腹が痛いのでずっと寝ていたとシラを切りとおした。こっぴどく叱られたがそれ以上、詳しく聞かれることもなかった。
気がかりだったのは見つかった死体が二人だけだったことだ。柏木はどこへ行ってしまったのだろう。
無論だが町は大騒ぎになった。二人の葬儀が済み、その数か月後、「穢れ家」のあった場所は更地にされ、小さな祠が建てられたという。柏木はなぜか急に転校したことになっていた。彼とその妹が何者だったのかはいまだにわからない。
僕は彼がまた現れるんじゃないかとずっと怯え続けながら中学を卒業すると、すぐに全寮制の高校に入り、それ以来町には戻っていない。何故、今こんなことを書き記しているのか。それは最近、柏木とあの事件の記憶だけが少しずつ薄れてきているからだ。きっともうすぐ完全に忘れてしまうだろう。そうしたら彼とまた会っても全く気が付かないかもしれない。
長くなってしまって申し訳ない。でもこうやって掲示板に晒しておけば、僕が死んだ時、誰かが気付いてくれるかもしれないから。嘘だと思ってくれても構わない。誰かが心の片隅で覚えていてくれればいい。
あれ? 僕はいったい何を書いていたんだ? ホラー小説か? 危ない危ない。もう少しでアップするところだった。早く消してバイト先に行かないと怒られちまう。一応、店長に電話しておこう。
あれ、店長って
こういう名前だったっけ?
まあ、いいか。
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