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はんぺん小説

作者: 伊豆泥男

 おっかなびっくり、僕はエアコンのリモコンを掴む。本当にこれでいいのだろうか。いやでも、いつまでも何もしないままでは進展しない。勇気を出し、僕は暖房のボタンを押す。


 ぷるん、ぷるんと。部屋の隅に取り付けられた「それ」は、赤外線を受信し動き出した。口を開き、温風を吐き出す。おいおい動き出しちゃったよ。暖房の命令を送ったのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、そもそも前提が異常なのだ。


「ほうら、動いた動いた」


 してやったりといった顔の同居人。そんなの、僕にだってわからない。僕もどちらかというと、「それ」が動かない方に賭けていたのに。動き出し、しかもエアコンとしての役目を全うしようとするとは。これで議論は振り出しだ――




 事の発端は簡単なことだ。エアコンがはんぺんになったのだ。部屋の隅で室内を温め、もしくは冷やしてくれるあの家電が、おでんの鍋の中でぐつぐつぷるぷる煮えるあの練り物に姿を変えたのだ。色、サイズ、重量感はそのまま。しかし確実に視覚的には変わっているし、触ったときの感触はゲル状に近いものとなった。


 この現象は僕たちの家の中だけの話ではなかった。世界中のエアコンが、はんぺんに姿を変えてしまったのだ。テレビをつければ(テレビは家電のままである)、ニュースはそのことでもちきりである。西暦二〇一七年十二月七日、日本時間にして午前四時三十二分、誤差五分のタイミングで、世界中のそれまでエアコンと呼称されていた家電製品が、魚肉と山芋のすり下ろしたものを混ぜ合わせた食品に置き換わったのだ。


 というよりも、正体を現したと言った方がいいかもしれない。高名な学者の話によると、実は今までもエアコンは実ははんぺんだったらしい。それをなぜか人間は、共同幻想で練り物を、家電であるように信じ込んでいた、だとか。それを裏付ける証拠も、ないではないらしい。まあ、哲学的な話は置いておいて、とにかく我々一般庶民にとっては、ある日突然家のエアコンがはんぺんに変わった異常事態なわけである。それまで世界は大混乱に陥っている。西洋圏では、この得体のしれないぷるぷるの物体を恐れ、宗教まで興るしまつだそうだ。


 そしてこの異常事態は、我々の暮らす六畳二間にも議論を呼んだ。


「私たちはこの物体を、どう呼称すべきなのだろうか?」


 この面倒くさい同居人は、そんなことを言い出したのだ。


「そりゃあ、はんぺんだろう。どこからどう見てもはんぺんだ。こんな白くてぶよぶよした物体を、僕ははんぺん以外に知らない」


「しかしこいつは、昨日まではエアコンだった訳だ。昨日までのように、エアコンと呼べないことはないのでは?」


「いやいや、こいつははんぺんだよ。はんぺんはおでんの中で煮えているものであって、部屋の隅で温風を吹き出さない」


「分からないよ。はんぺんだって、部屋の空気を調節するかもしれない」


 じゃあ、試してみようじゃないか――そうして我々は売り言葉に買い言葉で、はんぺんにリモコンを向けたのだった。




 同居人は勝ち誇ったように言う。


「それ見たことか。これでこの物体が、はんぺんでなくエアコンであることは火を見るよりも明らかなのだ」


「いや待ってくれ。この物体は確かに温風を吹き出したが、それがエアコンであることの証明にはならないだろう」


「いやいや、重要なのは温風を吹き出したことではないのだよ。この物体は、リモコンの命令に従った。そこが肝心なのだよ」


 僕はかぶりを振る。だんだんこんがらがってきたが、あの物体ははんぺんであってエアコンでは断じてないはずだ。


「いいかい君。あの物体は、エアコンのリモコンで動いた訳だ。エアーコンデショナーのリモートコントローラーでリモートコントロールできた訳だ。そこまではいいね?」


「うん」


「そしてあの物体と違って、このリモコンは変化していない。昨日までのまま、ボタンの配置もTOSHIBAのロゴマークも全く変わらない。すなわち、このリモコンは今まで通り、『エアコンを操作する機器』と定義づけられる訳だ」


「お……おう」


「そして先ほど、この『エアコンを操作する機器』で、あの物体は操作できた。これはもう、あの物体がエアコンであることに他ならないだろう?」


 僕は言葉に詰まってしまう。騙されているような気もするが、反論が出てこない。何かが違う気がするのだが、その違和感をうまく言語化できない。目を回している僕を見て、同居人はプッと吹き出した。


「あはは! もう、かわいいな」


「なんだよう。人を困らせてそんなに楽しいかよ」


「楽しいよ。君で遊ぶのは楽しい。けれども私が、あの物体をはんぺんではなくエアコンと呼ぶべきだと思っているのもまた事実なのだよ。エアコンの話には詭弁が混ざっているとはいえ、あれはエアコンと呼んだ方が都合がいいと思うのだよ」


 今度は僕をだまくらかすつもりはないようだ。僕は気持ちを切り替える。


「今現在、この世界にはこれまで我々が『エアコン』と呼んでいた物体は存在しなくなっている。全て魚の練り物になってしまったのだ。つまり現在、従来の意味としての『エアコン』は空席になっているんだよ。もちろん存在しないものを表す言葉だと定義しなおせないこともないけど、それはそれで違和感がある。だから代わりに、『はんぺんに酷似した、室内大気環境を調節する物体』という定義を、『エアコン』という言葉に組み込みなおすのだよ」


 言わんとしていることは分からなくもない。せっかくすでに言葉として定着した『エアコン』を、そのまま手放してしまうのはもったいないということだろう。


「それに何より、あれを『はんぺん』と呼んでしまえば、実際におでんの中で煮えている、空気調節を行わない食材としてのはんぺんとややこしくなってしまうだろう? 食材としてのはんぺんには何の罪もないのに、その定義に『温風を吹き出さないもの』なんて文言が付け加えられるのは、どうにもかわいそうだ」


 前々から思っていたのだが、この同居人には不思議な感性がある。物体だけではなく言葉や定義に感情移入したり、真空を愛したりと変人エピソードには事欠かない。こんな異常事態においても、この人は変わらないようだ。


「確かにもっともだ。あの物体をそのままはんぺんというのは、確かにややこしいのかもしれない」


「ようやく分かってくれたか! 私は嬉しいよ。じゃあこれからは、少なくともこの家の中では、あの物体をエアコンと呼ぶことにしよう――」


 ということで、我が家で巻き起こった議論は、そういう結論でひとまずの幕を閉じた。『はんぺん』の定義は、今まで通り魚のすり身に山芋を加えた練り物。『エアコン』の定義は、はんぺんに酷似した特徴を持ち、室内大気を調節する能力を持つ物体。小さな我が家の六畳一間に、新しいルールができた。


 そうして同居人は大きなあくびをした。


「ふむ。長々と話したら私は疲れたよ。せっかくだし、二度寝でもしようじゃないか。今日は何も予定がない日だろう。『エアコン』も問題なく作動していることだしさ」


 吸い込まれるように布団に倒れこむ同居人。しゃべりたいだけしゃべって、眠くなったらねるとは勝手なやつだ。とはいえ何か問題があるわけではない。僕も同居人の議論につきあって疲れた。わざわざ寒い外に出ることもなかろう。僕も同居人にならい、ともに布団に横になるのであった。




 あまりの寒さに僕は二度寝から目覚めた。異常な気温だ。バナナと言わずマシュマロでも釘が打てそうだ。あの物体、すなわちエアコンはどうしたのだろう。電源が切れてしまったのだろうか。


 僕がもぞもぞとしていると、隣の同居人も目覚めたようで。


「うー、ざむい。エアコンつけてー」


 と、駄々をこねだした。僕はしぶしぶ眠い目をこすり、エアコンのあるはずの部屋の隅に目を凝らす。

しかし、そこにあったのは。


「ダメだ。『エアコン』はつけられないよ」


「えー、なんでー。寒いよー」


「だって、ほら」


 僕は立ちあがり、その物体の前面に取り付けられたカバーを外し、それを口に運んだ。歯があたりかつんと音がした。


「だってほら、これはかたくて食べられないよ。だからこれは、『エアコン』じゃあないよ」

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