はじめに -勇士の追跡をはじめる前に-
1.ゆがめられた物語
一九八四年、南ドイツ・バイエルン州生まれの作家の長編小説を原作にした映画が劇場公開されました。タイトルと同名の主題歌『Never Ending Story』とともに、映画はセンセーショナルな人気を博したものです。現代でも八〇年代を代表するファンタジー作品として名高く、子供時代にその強烈な世界観に圧倒された人は少なくないでしょう。二〇〇二年にはファン待望のDVDが発売されました。
原作者はミヒャエル・エンデ。本の邦題は『はてしない物語』。
映画は小説をひどく改ざんした、と撮影所に乗り込んでいったものの、締め出しをくらったという原作者のエンデ。訴訟を起こしましたが----残念なことに敗訴しています。
映画にはそれ自体の魅力があるのは間違いありませんが、原作が伝えたかったテーマは、ずいぶん歪められていたのです。
ストーリーは、原作の半分にもたどりつくことができていません。また、映画はパート3まで製作されましたが、いずれも、作家の意向をまったく無視した、オリジナル・ストーリーです。
原作は一九八〇年に刊行されました(邦訳は一九八二年)。『はてしない物語』というタイトルのとおり、主人公のバスチアン・バルタザール・ブックスがたどっていく物語は、星の数ほどにも膨らんでゆき、読者はあらがうことのできない神秘的な体験に引きずり込まれて行きます。
ただのおとぎばなしではなく、現代の現実世界が抱えている最大の危機について警鐘を鳴らしているからこそ、不滅とも言える作品になっているのです。
エンデは作品に自分のペン画を挿入することがありますが、読者の想像力を刺激する内容につとめ、絵によって、イメージが限定されるようなことはさけていたそうです。
たとえば、長篇小説『モモ』の挿絵のひとつでは、主人公モモが後ろ姿で描かれています。
これを正面から顔形まで描いたのでは、想像力が展開するためのさまたげとなってしまうと彼は言うのです。みえないものをみえるようにうながされることが、読書の最高の楽しみにちがいありません。『はてしない物語』の映画化は、物語の歪曲も含め、想像力を大切にする作家としての彼をふみにじるものであったことは察するに余り有ります。
2. 物語は続き…
『はてしない物語』の文中では、そこかしこに、「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」という文句が登場します。
物語とは、どこまでも枝葉を広げるものだと語るためのモチーフなのでしょう。
この言葉は、主人公のバスチアン少年が自分で作り出したにも関わらず、彼自身はその結末を知ることのなかった物語や、関わりを持ったものの、おわりを知ることができなかった物語に決まってそえられる形式になっています。
日本語版の出版元である岩波書店は、百万部突破を記念して、二〇〇一年に「『はてしない物語』創作コンクール」を主催しました。
本編の続編またはエピソードを発展させた物語を募集し、選考には作家の赤川次郎や翻訳者の上田真而子らがあたりました。
ミヒャエル・エンデは一九九五年、ガンのため亡くなっています。
コンクールの結果、一二八五編もの作品が集まりました。
「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」
たくさんの読者が、この言葉の続きを待ちこがれていたことが分かります。
3. わたしのお話
わたしがコンクールの存在を知ったのは、そのしめきりの一ヶ月前のことでした。
とうてい間に合わないと分かっていましたが、原作を広げ、結末が気になっていたエピソードのメモをとり、すぐ冒頭を書いたものです。本編では〈銀の都アマルガント〉と〈勇士ヒンレックの竜〉の章にあたるお話です。
勇士ヒンレックはまぎれもなく、ファンタージェンの世界で最強の人ですが、バスチアンの気まぐれ(力試し)で公衆の見守る中、下着一枚にむかれてしまい、恋する人にそっぽを向かれてしまった気の毒な人です。
バスチアンは自分の軽率さを反省して、ヒンレックの名誉挽回のためにおぞましい竜を創造し、彼の大切なお姫さまをさらわせます。もちろん、ヒンレックは勇士ですから、すぐそのあとを追います。
それから勇士がどうなったのかはバスチアンの物語には関係がないので、本編ではただうまくいったことだけが書かれ、例の文句が記されているのです。
「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」
わたしはヒンレックが気になりました。
おぞましい竜につかまった彼のお姫様は、気が狂ったりしなかったのだろうか。
勇士はいったいどうやって、怪物スメーグが棲む〈冷たい火の国〉モーグールに潜入したのだろうか。
なぜスメーグはさらってきた女性たちに家事をさせるのか。
「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」
わたしにとっては、今がそのときです。
* * *
最初にこのお話を書いてから、十年以上が経ちました。
物語の前半を書いているところで、ネットで知り合った人に見せることになり、後半からかなり結末を急いだものです。
当然、満足いかない仕上がりになっているのを、ずっと気にしていました。同時にまた、登場人物への愛着もあり、作品を客観的に見られないことにも気がつきました。
結局、わたしはこの作品が持っている何かを無理強いすることはやめて、機会が巡るのを待つことにしました。
今、ようやく様々な準備が整いました。
今回は、一気に仕上げることなく、これを連載形式で発表します。
さて、ずいぶんと時が経ったものの、またヒンレックや、エイデルたちに会え、昔と変わらない気持ちで接することが出来るのは、古い友だちにあったのと変わらない気持ち。まったく望外の喜びです。
この作品がどうか、あなたにとっての楽しみになりますように。
二〇一七年七月二十七日
安曇野 玲