始まり
すいません。執筆中です
中学3年の冬。高校を決める季節。
僕は決断を迫られていた…
僕は、学校初のバスケ部全国大会に導いた功績を認められいくつかの強豪校からスポーツ推薦を貰っていた。
しかし、シオリ姉と同じ高校に行きたいと1年も前から思っていたし、むしろそのことを必然とすら思っていた。
だが、僕は進路に悩まされていた…
事の発端は大会を終えた次の日だった。
大会を終え、まだ疲れや悔しみ、日常離れした興奮を残したまま月曜日にかったるく学校へ行くと教室に入った途端スタンディングオペレーションとなり皆が口を揃え
「またレンのプレイがみたいよ!」
「やっぱりレンはあそこの強豪校行くんだよね!高校でも頑張ってね!」
と言い期待の眼差しを向けてくるのだ…
たしか、全国大会の試合を学校でライブビューイングをしてはず。それがここまでの影響を与えるとは…
勿論、応援してくれるのは嬉しかったし、大会の時は力にもなった。
だけど今は別だ。
みんなの期待を裏切る事に罪悪感を感じていた。
元々、優柔不断の僕にはもうこの時点でだいぶ参っていた。
しかし、追い打ちをかけるように放課後バスケ部の顧問に呼び出され
「お前にはプロになれる才能がある。先生が叶えられなかった夢を…夢を見さしてくれ」
と訳のわからないことを言いながら涙しながら頭を下げられたのだ。
正直、この熱血教師はいつも何言ってるのかわからない。だけどこの時はとても期待してくれていることだけは理解できた。
そして数分後には恐らく僕が推薦に乗り気じゃないことをどこかで知った校長と教頭から呼び出され彼らにも推薦を推されてしまったのだ。
さすがに、ここまで来てしまうと何も言いだせそうになかった…
その日はそのまま帰宅した。帰宅したといっても僕が帰るのは誰もいないアパート、ほぼ一人暮らしみたいなものだ。というのは普通、孤児院というものは環境がどうであれ独立できるまで国が金を出してくれたりなどし面倒を見てくれるものだ。しかし僕の場合は中学に上がる直前に叔父を名乗る男性に引き取られた。そのせいでシオリ姉と離れ、学校でも部活で忙しいというのもあったけどすれ違う時に挨拶する程度になっていた。
このこともあり姉に対する憧れは強まっていたのかもしれない。
まぁそれはそうとしてどうしたものか。どう断ればいい?
シオリ姉を追いかけているだけでは現状も変わらないんじゃないか?
スポーツ選手になった方が今の世の中収入も安定するかもしれないじゃないか。
こんな事を考えシオリ姉の高校に行きたいという気持ちをいくら抑えようとしても結局ダメだった。
僕はやっぱり決めていたんだ、自分の気持ちにケリをつけると。
後日、僕は朝一に学校に着くと校長室に乗り込んだ。そこで僕はキッパリと言った。
「僕にはその推薦を断るほどの理由が存在します。行きたい高校も決まっているのでごめんなさい。」
と述べ教室に戻り皆にも自分の気持ちを告げた。思いの外、皆、反対はしなかった。むしろ進路を応援してくれた。そのおかげで肩の荷が下り僕も無事に受験に皆と共に励むことができた。
三月
僕は公立の受験結果がでる日を迎えていた。
一カ月前に私立校の合否発表があったけどシオリ姉は孤児院だし僕は叔父に金銭的な迷惑はかけれないということから公立受験しかしていなかった。落ちたら働くということになる。
このプレッシャーからか朝1から下痢に見舞われ朝飯もろくに食べずに自転車をこぎ始めた。
まあ、お察しの通り合否の日にこれだけ緊張しているんだから当日なんてすごかった。なにがすごいって食べたもの飲んだものすべてリバースするは足が震えて歩けないからバスで受験校までいったはでさすがにいま思い出しても笑えてくる。
そういやあの日はそんなんだったから一時間目の国語は半分しか解けなかったんだよな…
もしかしたらあれのせいで点数足りないのかもしれない、それを言い出すと数学の公式を忘れて二問放置にしたとか、英語ではリスニングを完全に聞き逃しただとか数えると数えきれない。
受験というものはこういうものなのかもしれないが生れて初めて受験というものを受けたものでなにもわからない。
友達は「そんなもんだよ、俺なんて社会で………」
と長いこと文句を言っていたけれどそいつはなかなか賢い奴で学年トップをとるようなやつだし全く言葉に信憑性がなかった。
他の奴は聞くと聞かないでって顔に書いてある様だし。
シオリ姉とは卒業以来だから一年ぶりで入学式が待ち切れなかった。
メールや電話をできればよかったのだが孤児院でそんな便利なものくれるわけもなく僕はこのいまにも爆発しそうな気持ちのあてどころもなくそわそわし続けていた。