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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 1 異世界薬局創業記 Depuis 1145 (1145年)
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8話 女帝エリザベート2世の診察

「ファルマです、参りました」


 父は入室したファルマにちらりと一瞥をくれ、あわただしそうに書類をまとめたり、薬びんを鞄に詰めたりして身支度を整えていた。何人かの使用人や弟子の薬師たちが集まって父の支度を手伝っていた。その中にエレンはいなかった。父は彼らを下げさせる。


(あれ?)


 父の仕事は激務なのだろうか、最近目にみえて痩せたような気がする。

 そういえば、乾いた長い咳が続いていた。


(確実にどっか悪そうだな、診てみるか)


 ファルマはさりげなく左眼に手を添えたときだった。


「どうした? どこか痛いのか?」


 ファルマは父の言葉で集中力をそがれ、一旦診眼を中断する。こうまじまじ見られてはかなわない。


「私の話は直立不動で聞け、たるんどる!」

「はいっ」


 ファルマは気をつけの姿勢をとる。父親には絶対服従、それがこの世界のしきたりなのだ。


「陛下の容態が急変した。体調が優れないなら足手まといだから来るな、そうでないなら急いで身支度をして私の供をしろ」


 軽々しく聞かれてはならない話なのだろう、父は人払いをしているにもかかわらず声を潜めた。自信満々の父が、珍しく余裕のなさそうな表情をしていた。


「お供します。陛下のご病気はどのようなものですか?」

「ここで言うわけにはいかない、だが、治癒は難航しそうだ」


 ここ数日、女帝陛下の容態が急変したという。主治医である、住み込みの侍医長(宮廷医師)がつきっきりで治療を施しているが、なかなか奏功しないということで、父も毎日のように呼ばれていたようだ。


(一国の君主の容態なんだもんな、病名はトップシークレットか。ってかその診断、合ってるのかな)


 ファルマを供に連れて行こうとしているらしかった。皇帝の診察は、宮廷薬師とその見習いしかできない。一級薬師以下はお呼びでないのだ。カバン持ちと調合の手伝いと、雑用、診察の見学がファルマの仕事だ。

 皇帝の診察や治療に限っては、基本的には侍医と宮廷薬師双方が行い、侍医の処方で宮廷薬師が調剤する。医薬分業を徹底しておかないと皇帝の暗殺などが起こりうるからだ。侍医(宮廷医師)と宮廷薬師のスキルと家格は基本的には変わらない。病気を診断し、薬を処方する。この世界の薬師には、日本と違って、薬師に独立処方権がある。こうすると薬師は医師ではないかという話になるが、しかし医師は外科的な処置ができる点で異なる。

 そんな状況の中で、皇帝は侍医よりも宮廷薬師であるブリュノを信頼し、筆頭宮廷薬師として重用していた。ブリュノが尊爵として叙せられ裕福な暮らしに与っているのも、皇帝の庇護があってこそだ。


「気を引き締めて参れ」

「はい」


 皇帝の治療に失敗をした筆頭侍医(主治医)や筆頭薬師の立場は一転する、とエレンが言っていた。つまり、皇帝の転帰によってド・メディシス家の運命が決まる。失敗すれば家の一大事だ。父が余裕のない顔をしている理由が、ファルマにも分かった。


(ってことは重病なのか? 皇帝は)


 ファルマはそんなことを考えながら、大急ぎで支度をする。もともと準備をしていた、彼のカバンをひとつ持つだけだ。その中には、ファルマが備えていた道具、器具類が入っている。


「ファルマ様、頑張ってくださいね!」


 ロッテがファルマに、一張羅のグレーのコートを着せてくれた。


「行って来るよ」


 心配そうなロッテに、ファルマは笑顔で手を振って部屋を後にした。


「行くぞ、ファルマ」

「はい」


 馬丁が曳いてきた馬に騎乗し、父ブリュノ・ド・メディシスとその息子ファルマは供を引き連れ女帝の待つ、サン・フルーヴ大宮殿へと馬を走らせた。馬車で宮殿に駆けつけるのでは遅い。

 人馬一体となり、父と子、そして数名の従者たちは、暮れなずむ帝都の大路を駆けぬけてゆく。


「尊爵一行のお通りだ! 道をあけよ!」 


 先触れの従者がラッパを吹き鳴らす。ブリュノお抱えの信頼のおける凄腕の聖騎士たち数名ががっちりと脇を固め、平民たちは頭を垂れ誰もが道を譲る。

 ファルマの馬術は見事なものだ。エレンにも教わったし、基本的には生前のファルマ少年の習得していた技能を、そのまま引き継いだ。


 これから診察を行う相手、皇帝陛下の予備知識はエレンに聞いて仕入れていたので、ファルマは情報を整理しながら手綱を握り締める。

 サン・フルーヴ帝国皇帝、エリザベート2世。24歳。女帝だ。

 彼女は大陸全土でもっとも力を持つ神術使い(炎属性)の家系であり、大陸の国々を統べ、大陸全土を掌握するほどの権力を備えた女帝である。病死した先帝の後継者として神殿に選定され、即位後専制政治を継ぎ、在位7年。

 武勇の才に優れ、辣腕を発揮し帝国を拡大、僻地を開拓し政情を安定化させた賢君として知られている。ローマ帝国やロシア皇帝のような、絶対王政を敷く君主だと、ファルマは漠然と理解している。


 帝位は世襲ではない。実力主義。つまり皇帝(女帝)エリザベートは帝国で最も神力を持つ神術使いであり、即位式の時に彼女の握った神力計はゲージの帝国最高値をマークしたという。

 生まれながらにして強い神力を授かる=神に王権を認められている、という論法で王権神授が成り立つ、というわけだ。


(皇帝、名ばかりかと思ったら実力で皇位についたんだな……強そう)


 ファルマは、彼が神力計のゲージを振り切ったことをすっかり棚にあげて感心していた。もちろん神力一辺倒ではなく、人物も優れていることが皇帝の条件である。


 先導の騎士たちが門番に手配して、宮殿の黄金の格子門が仰々しい音を立てて開かれた。


(うちの屋敷よりずいぶん新しい建築様式だな。ベルサイユ宮殿みたいだ)


 皇帝の宮殿は、広い庭園を持つバロック様式の壮麗な景観を持つ比較的新しく見える大宮殿だった。中央には黄金の彫刻のある大きな噴水があり、澄んだ水を惜しげもなく吹き上げている。宮殿の背後に広がるのは大庭園。壮観だった。


 エントランスには豪華な装束を着た、皇帝の従者たちがずらりと並んでいた。

 父とともに馬を降りると、


「お待ちしておりました、尊爵閣下」


 女帝の側近に案内され、目も眩むような高価な調度品が飾られた、大きな一枚鏡の何枚も張られた廊下を、大勢の侍従に囲まれながら足早に抜け、わずかな間待合室に通されたかと思えば、すぐに侍医に呼ばれ女帝の寝室に入ることを許される。


 父のあとについて女帝の寝室に入ると、侍医たちが部屋の隅に控えていた。彼らは一様に真っ黒なコートを着ている。医師は施療で衣服に血がついたり汚れるので、黒い装束を着るのだ。そういえば、父も似たような衣装だった。もちろんその装束は滅多に洗ったりはしないようだ。不衛生きわまりない。


「筆頭宮廷薬師、ブリュノ・ド・メディシス尊爵と供の者が参りました」

「入れ」


 ファルマも父のあとに控え、作法に則って礼をする。天蓋つきのベッドで体を横たえて休む女帝はげっそりとやせ衰えていた。


 ブリュノは侍医たちと言葉を交わす。

 ファルマが父のカバンを持ちながらざっと聞き耳を立てていた限りでも、皇帝は咳や痰がとまらず、喀血や血痰にまで進行している、とのこと。彼女は激しい喀血を繰り返し、呼吸困難にもなっているようだ。ブリュノは厳しい顔つきで、食事内容や発熱の記録などに目を通す。


「陛下、失礼いたします」


 ブリュノは女帝のベッドに近づくと、時間をかけて彼女を診る。恭しく礼をして、女帝の肌には直接触れず白い絹布ごしに脈をとる。


(いよいよか)


 ファルマはすました顔で父のカバンを持ちながら、ブリュノの姿を注視した。宮廷薬師だというのだから、それなりに治療スキルは高いのだろう。お手並拝見だ。

 父は砂時計と女帝を交互に見て、脈をとっている。それが終わると、女帝の指先からわずかに血を採取し、シャーレにたらす。唾液や尿をとってつぶさに観察し、神術で造った水に希釈して、試験管に入れ何かと反応させてあらためる。そして、占星盤を真面目な顔つきで睨み付ける。


 何を見ているんだ、とファルマは首をかしげる。


(神術か占いで診断しているのか?)


 あんな方法で病気が分かるとは思えないファルマだが、エレンの話では、父は優秀な宮廷薬師として宮廷内でも評判だという。とくに診断能力に長けていると。まさか占いの才能に秀でて宮廷薬師になったというのではあるまいな、とファルマは訝る。神術のあるこの世界では、占術の腕も重要なのだろうが。


 ブリュノはもったいぶって礼をすると、侍医と目配せをした。侍医も相槌を打って、耳打ちをする。


「貴殿の診たてはどうか」

「は、それが」


 ブリュノは沈痛な表情で瞑目した後、書類にサインをしていた。侍医の診断と食い違いがないか、病名を記す必要があるのだろう。


(病名は何なんだ? 何だと思ってる? 診断できているのか?)


 当然だが、病名はこの世界ならではの病名であり、日本人が聞いたとしても首をかしげる。だが、その異世界の病名が日本語のどの病名に相当するかというのを、ファルマは全て暗記した。だから、彼らが異世界での病名を言えば、ファルマは彼らが正しく診断しているのかどうか分かる。

 ファルマが聞き耳をたてていると、どうやら両者とも、これといった診断はついていないようだ。肺が弱っている、占術によれば星のめぐりが悪い、命運がつきかけている、というニュアンスの言葉が聞こえてくる。


(病名は分からなかったのか)


 ブリュノは「調合室を使わせていただこう」と言って寝室を出ていった。ファルマも手伝いについてゆこうとしたが、ブリュノに「これはお前は見なくていい、陛下を見ていろ」とおし戻された。


 宮廷には侍医や薬師が薬の調合をする鍵付きの調合室というものが、皇帝の寝室の近くに設けられている。

 そこでブリュノが調合をして丸底フラスコに入れてきたのは、麻酔。ファルマの前を通ればニオイで分かる。


(アヘンとマンドレイクと他のまぜものをした麻薬だな)


 ファルマは内容を推測する。見習い薬師は壁や調度品と一体化して、邪魔にならないよう存在を消しながら事の成り行きを見守っていた。そのとき女帝が激しく咳き込んでベッドの上で眼を覚ました。


「陛下、ご気分はいかがですか」


 ブリュノが駆け寄り、ベッドサイドで膝をつき女帝に問う。女帝はパジャマ姿だった。やせこけた頬の彼女の肌は乾き威厳はない。彼女は哀れな病人であり、誰の目にも死の影が迫っているのは明白だった。

 ファルマは離れた場所からじっと彼女の様子をうかがった。


「正直に申してみよ。余は……もう、助からぬのか」


 弱音を吐く女帝を、父は優しく慰める。女帝の忠臣としての父の意外な一面。その姿は、厳格な家父長としての顔しか見ていなかったファルマには新鮮だった。


「ご心配を召されますな、じきによくなりましょう。よく効くお薬を用意してございます」


 それは麻薬だ。ブリュノが準備したものは多少毒性はあるが、死に至るようなものではない。積極的な治療を諦め、消極的な治療法に切り替えたのだ。侍医たちも同意のうえで。

 調合を見せなかったのはファルマに、治療を諦めた姿を見せたくなかったからだろう。


(そりゃ、陛下も見るからに重病そうだけど)


 宮廷薬師の技を見せてくれないのか、とファルマは声援を送りたいところだが、当の父はというと断腸の思いで諦めたのか、麻酔の手順に入ろうとした。


「陛下、蒸気を大きくお吸いください。最初は浅く」


 麻酔をかけると女帝の苦痛は和らぐだろう。言い換えれば、麻薬で意識を朦朧とさせてゆくだけだ。


「神官を呼んでくれ、明日の夜がヤマだ」


 侍医長のクロードは、大きくひとつため息をつき首を左右に振ると、王の側近と廷臣に密かにそう告げた。既に麻酔の蒸気で、女帝の眼はとろとろとし始めた。安らかな死を迎えられるよう、神官が祈祷を行うのだ。痛みを除きながら、女帝が衰弱してゆくのをただ待っているほかにないようだった。


(治すつもりがないのか、誰も)


 一部始終を見ていたファルマはその場でただ一人、その処置を受け入れられずにいた。

 ファルマは女帝の治癒にかけては、宮廷薬師のブリュノの顔を立て、この場では出しゃばるまいと考えていた。また、薬剤師が医師を差し置いて診察したり、治療方針を立ててはならないという、日本での法律に無意識に縛られ行動できずにいた。

 しかし誰もかれも既に治療を放棄してしまっているし、未熟者だと決めてかかっているファルマの言葉に耳を貸しはしないだろう。


(傍観はやめだ)


 もはや、お供の少年ではいられない。

 ファルマは左眼に左手を軽く添え、神力を指先に通じる。

 碧色の瞳の眼光が変わり、僅かに発光を呈する。診眼が発動された瞬間だ。

 診眼を発動しているときは、ファルマから見た世界の彩度が下がる。意識が絞り込まれるように集中力が高められていく。病に喘ぐ女帝の両肺は、無数の青白い輝きを放つ病巣が透かし見えた。病魔に侵された臓器の悲鳴が聞こえるようだった。


(苦しいだろうな……よく耐えている)


 ファルマは誰にも聞こえないほどの小声で呟き、病名のあたりをつける。もし彼が日本にいたならば、血液検査や各種画像検査、生検の結果を精査するところだが、各種設備がないのでそれができない。

 診眼で青く光って見えているのはあくまでも"病が存在する箇所"であり、必ずしも腫瘍ではない。診眼を通常の画像解析のように考えると失敗する。つまり、風邪や気管支炎などでも反応するのだ。


「"転移性肺腫瘍"」

「"肺気腫"」

「"肺炎"」


 可能性の薄そうなものも含めて、ひとつずつ潰してゆく。

 光の色は変わらない。光は青いままだ。


(違うのか。この異世界特有の病気か?)


 そうだった場合、一筋縄ではいかなくなる。そういや中世ヨーロッパ風異世界だしな、と嘆いたファルマははたと思い出す。


(……そうだった。中世か)


 ここは中世ヨーロッパ相当の文化文明レベルの異世界だということを考慮に入れるべきだった。しかも、現代日本でも、治るとはいえいまだに無視できない病気だ。発展途上国では猛威をふるっている。

 女帝が若いので、ファルマは無意識にその可能性を外していた。


「"肺結核"」


 診眼は病名を詳らかにした。病巣を包んでいた青白い、人魂のような光が浄化され純白の光へと変わる。


 「白死病」という名前が、この世界ではついている。

 かつて地球世界の中世においては、白いペストと呼ばれ、不治とされた病気だった。

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