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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 6 神術使いと呪術使い  Arcane et interdit (1147年)
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6章6話 神聖国への公式訪問

 神聖国への公式訪問の旅程四日目。


 女帝とファルマの一行は、神殿の馬車に先導され街道の宿に宿泊しながら、馬車旅を続けていた。

 神聖国へと向かう道路は大規模公共工事の一環できれいに整備されており、路はよく、馬車旅は比較的快適だ。基本的に帝都から出ない女帝の行幸はきわめて珍しいため、女帝を遠目にでも見ようと、沿道に領民が詰めかけた。臣民からの敬愛を受け、女帝は帝王の風格を見せつけていた。


 しかし、旅は順調にとはいかなかった。神聖国への道中、何度か馬車が足止めをくらっていた。

 初日、羊の大群が道をふさいで進めず、半日近く待たされることになった。それを皮切りに、二日目は一本道に差し掛かり、土砂崩れにも遭遇した。

 道をふさいだ土砂はかなりの量だった。今回の女帝のお供の一団には土属性の負属性術師が随行しておらず作業に手こずっていたので、土砂の大部分をファルマが消去した。

 昨日は高熱を出した老婆が山道で行き倒れていた。

 虫の息の老婆を見捨てるわけにもいかず、ファルマは治療にあたるほかなかった。

 感染症を患っていたので、抗生剤などの処置をして、老婆の行方を探していた家族のもとへ連れて行った。薬も数日分出しておいた。

 その夜、女帝の馬車の御者の一人が倒れたというのでファルマが呼ばれた。エコノミークラス症候群と思われる肺血栓塞栓症だったので、抗凝固薬である低分子ヘパリン、および組織プラスミノーゲンアクチベーターによる血栓溶解療法も行うと、何とか意識を取り戻した。その後ファルマはヘパリンの持続投与をしつつ御者や侍僕らにも、長時間同じ姿勢で座らず休憩中は軽いストレッチ運動をするようにすすめた。


(もう、今日は何事もないといいな)


 そんなことを思いながら、ファルマは今日も馬車に揺られている。

 彼は別馬車に乗った、乗り物の苦手なクララが思い出したように吐いたりするのでその介抱をしたり、学生のレポートを読んだりしながら、なんとなく暇をつぶしていた。


「それにしても、よいのか? 薬神杖を大神殿に返して……どうせ、神殿には使えもせぬのに」


 扇子をパチパチ開閉しながら退屈を持て余した女帝が、真正面からファルマに尋ねる。そう、彼女はファルマの真正面にいた。

 ファルマにとっては気を遣うことに、女帝の馬車と相席だった。

 別馬車にしてほしいと頼んだのだが、女帝じきじきのお誘いを断れるはずもなく。


「はい。構いません。返すのはただの晶石の杖ですので」

「ただの杖? 薬神杖ではないのか」

「薬神杖を返却しますが、返却してもまったく差支えないということです」

「そなたはつくづく無欲だな。あっさり返すのか、分捕ってしまえばいい」


 女帝は、もとのように封印用の化粧箱におさめられた薬神杖を名残惜しそうに一瞥し、溜息をついた。女帝には使えない杖なので、仮に女帝が持っていても飾りにしかならないものだった。


「いえ、無欲だから手放すのではなく、代用品がありますので結構です。外交問題になっても困りますし」

「そういえばそなた、杖を新調したのか。ちと見せてみよ、その杖は何という」


 女帝は、その時にファルマが新しい杖を腰に帯びているのに気付いたようだ。

 貴族は相手の杖を常に見ていて、相手がどんな神術を使い、どれほどの技量を持っているかを値踏みしているものだとエレンから聞いたことがあるが、もともと女帝は、下々の杖の良しあしを気にしない人種のようだった。

 なにしろ、帝都の杖職人は、皇帝の杖より性能のよい杖は作らないことにしている。しかし、わざわざファルマが新調した杖だけは、女帝も気になるらしい。


 ファルマは勿体ぶることもなく、女帝に杖を渡した。この杖は、薬神杖とは違って、誰にでも握れる。

 しっとりとした光沢と上品さを持つ、細身の黒杖。

 女帝も手にとって、しげしげと見つめていた。


(しいていうなら、薬神杖マルチコアVer2.0 1147年オリジナルモデルファーストエディションです)


 しかし、一応彼にも羞恥心はあるので、言葉には出さず無難な返答にしておいた。


「自作の杖ですが、名前はまだ決めてません」

「これはただの杖か?」

「攻守ともに四属性神術が使え、耐久性も神力の貯蔵能力も向上し、薬神杖の機能を引き継いでいます」

「な、そんなめちゃくちゃな。どうやって薬神杖の能力を引き継いだのだ」

「薬神杖から情報を抜きました。そのままの意味で」

「は? それはどうやったのだ」


 彼は種明かしをせず、「いろいろやりました」と笑ってごまかした。

 「いろいろ」を具体的に説明するとこうだ。

 ファルマは神聖国へ返却する前に薬神杖をあらためていて、薬神杖の柄の部分が分解できることに気付いた。薬神杖の表層部は何層かのパーツからできていて、上層をスライドすると、中枢部には電子基板のような刻印のある透明な晶石が入っていた。その基板で、薬神杖が制御されているようだ。

 そこでファルマは、基板部分を抜き取って、聖泉の底の結晶から掘り出し、ファルマ自身が加工した新たな杖の内部に基板を実装した。デザインは極力目立たないように、泥棒に狙われないように、帝都の有名な工房の杖職人に杖のデザイン案をこしらえてもらって、シンプルかつエレガントなものにした。瀟洒なガラスの杖のようにしか見えなかった薬神杖は大いに目立ったものだが、新調した杖はありがちなデザインなので、ファルマも気に入っている。

 さらに、職員証も丸めて、杖の余ったスペースの中に入れ込んだことで、飛翔性能も維持することができた。


 仕上げに、サロモンに聖別詠唱で杖化してもらうと、四属性神術が使える杖ができた。聖泉の底の晶石には、死者の記憶が入っている。だから四属性神術それぞれの術師の記憶が込められていて特別なのだろうとサロモンは分析した。ファルマは四属性神術の心得すらなかったが、物質創造などを組み合わせればそれらしく見せることはできる。

 その結果、職員証と薬神杖、さらにジュリアナが持ってきた宝剣の融合した、三つの秘宝の処理系を搭載したマルチコアの新しい杖が完成した。


 新しい杖で秘技を使ってみると、薬神杖とまったく同様に使え、四属性神術は勿論、疫滅聖域なども問題なく発動した。また、この杖は宝剣の性質を持っているので、ファルマの神力をかなり吸ってくれ、透明化対策にもなる。秘宝のコアを神力変換のための演算中枢だとすれば、コアは多い方がいい。


(ほかの秘宝のコアも集めて色々搭載してみよっと)


 他のコアも搭載できるように、欲をかいてスロットをたくさん作っておいた。世界各地に散らばる秘宝を集めて演算中枢を集約すれば、かなりの事ができるようになるかもしれない。

 そう考えると、ファルマは杖の改良に興味を持つようになった。

 彼は一事が万事、同じものを同じ状態で後生大切にしておくのが苦手で、道具は常に改良してゆきたいタチだった。


「ご報告いたします、陛下」


 そんなタイミングで、女帝の侍従が、畏まりながら馬車へと報告に来た。


「進路の橋が崩落しました……昨日は問題なく通行できていたのですが、ついさきほど崩落したとのことで、大変申し訳ありません。大至急、安全な迂回路を検討しております」

「またか」

「はっ、仰せの通りでございます」


 女帝が通る道は予め危険がないように先遣隊が安全を確保しているべきものなので、安全管理を任されていた侍従は、段取りもむなしく急なハプニングに冷や汗が止まらないようだ。

 しかも連日の災難があってのことである。


(またか?災難って頻度じゃないぞこれ)


 これ以上の遅れは、予定しているピウスとの会談の日程に影響する。そんな状況で、これだ。かくも立て続けに起こる珍しいアクシデントに、ファルマはとうとう疑念を抱く。


「遺憾なことです。陛下をご案内する道中、何事もないよう、念入りに道中安全の祈祷をしていたのですが。天の思し召しは深遠です」


 一団を先導する神官長のコームも、旅程が遅れていることへの詫びを女帝に述べに来た。

 コームは女帝の機嫌をうかがうような眼をしていたが、女帝は不機嫌になることもなく、咎めだてはしなかった。


「では、そなたらの修行と信心が足りぬのであろう」

「御意」


 女帝が一言ちくりと言うと、コームは畏まった。暗に、神殿を疑ってる空気が伝わったのかもしれない、とファルマは傍観しながら思う。


「橋って、そんな簡単に落ちるかな。橋脚が物理的に破壊されたってこと? それとも、吊り橋だったのかな」

 

 コームが去ったあと、ファルマは馬車の中で分析をはじめた。


「いえ、特に雨なども降りませんでしたし……この橋は生活に欠かせない橋なので、補修や点検もまめに行われており、それは考えにくいです」


 神聖国への途中経路としての橋の存在をよく知るジュリアナも険しい顔になる。

 そこへ、馬車が止まったので隣の馬車からやってきたクララが不穏な一言を発した。


「あのー、これって予想外の災難ですん」

「予想外? クララさん、この事故での馬車の足止め、やっぱり予測できてなかったってこと?」


 クララの発した一言に違和感を覚えたファルマが尋ねてみると、クララは気おくれしたように首を縦に振る。彼女は、旅に関する災難の的中率はかなり高い。それが、立て続けに予想を外しているのは異様だった。


(自力解決できる災難は予想できないとか?)


 クララの予言が外れ、危険を察知することができないとなると、彼女の水先案内人としての新大陸への同行もあまり意味がなくなってしまう。ファルマがクララの神脈を無理やり開いたのが原因だろうか、もう少し閉じたほうが予知能力的にはいい塩梅だったのだろうか。

 などとファルマが反省点を探していると、クララから返ってきた言葉は意外なものだった。


「私は天災や人の運命によって起こる事故や災難に関してはかなりの精度で読めますん。でも、そうでない場合は……読めないのかもしれません」

「人災での災害は読めないってことだね」


 なるほど、とファルマは合点した。鵜呑みにするのは危険だが、クララの意見は人災と天災を見分けるのに参考になる。いずれにしろ、時間の浪費はいただけない、そう思ったファルマは、馬車の御者に確認する。


「迂回するには渓谷を下っていかないといけないんですか?」

「はい、迂回になります。今から馬車の向きを変えますので、後方から下がらせます」


 ファルマは一刻も早く神聖国へ行って、そして薬局と大学に戻りたいのである。日程が遅れれば、家族も薬局職員も心配するだろう。大学の講義も休講しないといけない。足止めを喰らっている場合ではなかった。


「いえ、後退せず前進できるようにします」


 ファルマは馬車から外に出て、深い渓谷を前に断崖に向かって立った。

 彼は奈落へと躊躇なく歩みを進める。崖っぷちから踏み出したファルマがあわや落下するかと思いきや、彼が踏みしめた空中には堂々たる氷の橋ができ、彼が一歩ずつ対岸へ踏み出すたびに橋が完成してゆく。氷の橋には欄干も添えてあった。

 何をするのかと馬車の窓を開けてファルマの神術を見ていた女帝は、ついに笑いはじめた。


「凄まじい神術だ……。詠唱もなく変幻自在に編まれる神術、見事である。無属性にして無詠唱の神術使いは、想像したままのことができるのか」


 ファルマがしていることは、神術の常識を破壊どころの騒ぎではなかった。

 サロモンとジュリアナも、これにはドン引きといった顔になっていた。

 帝都から同行した神官長のコーム、そしてお付きの神官、聖騎士たちは、眼をこすったり、言葉を失っていた。術の形を術者が思いのままに定める。それは、失われた太古の神術であった。

 集中して橋を建造していたファルマは彼らのリアクションにも気づかず、とうとう渡り終えてしまった氷橋の対岸からにこやかに手を振る。


「できましたー。馬車が滑りますので、砂をまいてもらえますかー?」

「は、はいっ。しかし、強度は大丈夫なのでしょうか」

「馬が通れれば、人も歩いて渡れるということです。問題ありませんよ」


 ファルマの指示通りに、土属性神術を使うサロモンらが、神術で砂の層を敷いた。

 馬車馬を一頭、橋の隅まで歩かせて強度を確認したのち、何台もの馬車とお供の騎馬隊が難なく氷の橋を渡る。人は馬車とは別に、歩いて渡った。いつ落下するかと恐怖に顔がひきつっていた者も、渡り終えてしまうと安堵の息をついた。


「では、皆さん渡り終えましたのでこの橋は消しておきましょう。中途半端に氷が溶けた折に人が通っては危ないので」


 職人が新たに橋を架けやすいように、ロープを何本か向こう岸に渡してから、ファルマは氷の橋を消去しようとした。しかし、ファルマが手を出す前に、後方より放たれた火炎が橋の上を舐めるように走り、暴力的な熱量で見る間に氷橋を溶かしていった。

 氷橋の上に出現した火柱に圧倒されながら、ファルマは後ろを振り返る。

 その火焔は、女帝が放ったものだった。女帝は杖を肩に載せてぽんぽんとやっていた。


「お見事です、陛下。陛下の神技でなければ、手こずっていました」


 ファルマが女帝をほめると、女帝は鼻息をつき、杖を一振り降って腰に佩いた。


「なあに、退屈しのぎさ。もし、我らが行くてを阻むものがあれば、この炎で手ずから焼き払ってやろう」


 女帝はそんな言葉を吐きつつ、神殿の一団に鋭い視線を向け意味ありげにほほ笑んだ。

 神官たちは、一様にぞっとしたような表情で「さすが陛下でございます」などと世辞を言っていた。


 女帝の牽制が効いたのか、その日からは女帝の一団は怪しい”災難”に見舞われることはなく、予定通りの日程で神聖国へと到着した。


「いよいよ、神聖国へ入ります」


 御者が緊張をみなぎらせながら、ファルマたちに告げた。

 正面から公式に迎え入れられた神聖国の景観は見事なものだった。荘厳な佇まいの宗教的巨大建築物が立ち並び、全ての屋根は雪化粧をして、氷雪と一体化した、謎に満ちた白銀の聖国がその姿を見せた。

 随行した多くの者が聖地巡礼に感動する中、ファルマは浮かない顔をしていた。というのも、


(あー……光るんだろうなあ。床、やだなあ)


 ファルマがそんな心配をしながら馬車から降りて恐る恐る神聖国へ一歩足を踏み入れると、そのとたん予想通りありとあらゆる建造物がファルマの神力に反応し青白い光を放つ。

 女帝のお供の者たちは神術陣が発動したのかと警戒し、一斉に杖を抜いた。

 サン・フルーヴ側の親衛隊が杖を抜いたので、神聖国側の聖騎士たちも杖を構える。

 ファルマは手を振って弁解した。


「神術陣ではないです、皆さん杖をしまってください。警戒していただかなくても大丈夫です」

「この輝きは何だ!? そなたのせいか」


 ありえない現象を目の当たりにし、女帝が叫ぶ。「だと、思います……」と、ファルマが小声で認めると、女帝は恐ろしいものを見るような顔つきでファルマを見つめ、言葉を失っていた。

 神官たちは大神殿の異変に驚いたようだったが、基本的には見て見ぬふりをした。表面上は何事もなく対応をしろと事前に言われているのだろうな、とファルマは察した。


 気まずい空気になっていると、大路の向こうから、高位神官と思しき神官の一団が近づいてきた。

 ひときわ目立つ、豪奢な純白のローブに包まれ、黄金の杖を携えた男が女帝の前に立ち、長旅をねぎらう祈りのしぐさをした。ファルマはその男に、ただならぬ雰囲気を感じていた。そう、何か得体のしれない気配をまとった男だった。


「遠路はるばるおいでくださった、エリザベート二世。宿を用意しているので、しばし旅の疲れを癒されるとよい、歓迎の祭典と接宴はそれからにしよう」

「これは、ピウス聖下。ごきげんよう、戴冠式以来だな。光栄だ」


 女帝がカーテシーで挨拶をする。女帝が誰かに儀礼的なものであっても礼をする姿を、ファルマは初めて見た。

 世界の覇王のようにふるまっていた女帝も、一応気を遣う相手というものがいるようだ。

 女帝に帝冠を授けたピウスは、神術を操る貴族のうち最高位の聖職者であり、女帝より序列が上なんだろうな、とファルマは勘繰る。


 数時間の休息ののち、女帝は正装し、ファルマたちも沐浴で身を清めて身支度を整えた。

 神聖国の国境では神官たちが神聖国の旗と帝国の旗を掲げ、沿道では楽隊が盛大な歓迎パレードを繰り広げ、女帝は賓客として手厚くもてなされた。

 歓迎行事と大祭儀が大神殿中央の大広場でとり行われ、女帝は神聖国の神官らへ向けて訪問のスピーチを行い、ピウスもこれに応じ、喝采を浴びる。締めには和やかに握手をして、記念品を交換した。

 表面上は、友好国同士の和やかな外交のように見えた。


 長々しい一連の儀礼が終わり、お抱え薬師として女帝の傍につきしたがっていたファルマは気疲れする。

 ジュリアナとサロモンは、かなり念入りに変装していたので、神官たちに疑われることもなかったようだ。


 大神殿の主催する大聖餐宴に招かれた頃には、夜もすっかり更けていた。

 宗教行事の祝宴なので、女帝は純白の法衣と白銀の帝冠といういでたちだ。厳粛な空気の中、伝統にのっとった聖餐が饗された。


「む。料理が温かい」


 女帝が、湯気のたつスープに、カルチャーショックを受けていた。

 ピウスが葡萄酒を嗜みながら苦笑する。


「普段は冷たい料理を召されるのかな、皇帝陛下は」

「毒見に時間がかかるのでな、おかげで、今日まで命永らえている。温かい料理というのは驚きだ。毒見はなさらないのか」

「しませんな。しかし、我々をお疑いになるのもごもっともです。お毒見役に毒析神術をかけていただいてはいかがですか」


 ピウスが自信たっぷりに促すので、随行していた毒見役がオーソドックスな神術で分析し、食して料理に毒がないことを保証した。ピウスと女帝がようやく食事をはじめたので、下々の者たちも、ボウルに水をはり、料理に口を付ける。

 しかし、ファルマは料理を食す前に小さくため息をついた。見た目は他の人間の食事と何ら変わらないのだが、


(俺だけ盛られてるんだよなあ……)


 ファルマは内心、対応に困っていた。盛られたのは致死性の毒物ではなく、この世界に伝わる伝統的な薬草抽出物で、まったく馬鹿らしいとファルマは思うのだが、自白剤として用いられることがある。それと、睡眠薬として用いられるものがいくつかが含まれていた。


 ファルマは一応、こっそりと問題成分を消去しておいた。とはいえ、毒物など効かない体であるので、自分だけの皿に薬物を盛られている状況では、その作業も徒労のように思えた。


(どういうつもりなんだろうな、自白剤のつもりで使ってたのかな。大体俺に何を喋らせようと思ったんだ。それとも、マイルドな毒盛って気づくかどうか試されてるのかな)


 ちなみに、自白剤なんてものは存在しないぞ、と言ってやりたいファルマである。

 とにもかくにもファルマはどこからともなく浴びせられる、探られるような視線をやり過ごしながら、特にでしゃばることもなく、「毒抜き」した料理を口に運ぶことに徹した。


「薬師様、最近、心臓がバクバクすることが多くて、どこか悪いのではないかと思っているのです」


 ほろ酔い気分の若い神官がファルマに健康相談をしてきたので、適当に対応する。


「ああ、あなたはアルコールのとりすぎのようですよ。肝臓にも負担がかかっています、お酒を控えたほうがいいと思います。必要なら、薬も出しますよ」

「そうだったのですか! ありがとうございます」


 枢機神官はファルマに近寄ってもこなかったが、比較的下級の神官は、ファルマの身の上を知ってか知らずか、食事が終わってお茶の時間になると無邪気に話しかけてきた。

 まだ外交上の宴席の体裁を取り繕っている限りは、体裁だけでもファルマは女帝の主治薬師としての立場を貫く。ピウスと女帝は会食の中で、両国の友好的立場を確認していた。


 会談の途中で、両国はジュリアナの話や、神殿がファルマへちょっかいをかけた数々の事案などは蒸し返さなかった。女帝は終始和やかだった。過去を水に流し、右手で握手しつつ、左手は拳を固める外交が女帝にもできるんだな、とファルマは意外な側面を見た思いだった。

 神殿が出方を探っている限り、挑発してもよいことは何もない。

 宴も終わり、就寝というスケジュールになった。


 宴のあと、帝都の神官長のコームが女帝に挨拶に来た。そのあとで、ファルマにも近づいてくる。


「長旅お疲れ様でございました。本日は、これにて下がらせていただきます。何か御用だてがございましたら、夜中でも構いませんので下級神官をお呼びつけください」

「ありがとうございます」


 ファルマは素直に礼を述べた。するとコームは、ここぞとばかりに話を切り出す。


「明日の午前に、ピウス聖下と非公式会談の場を持ってもよろしいでしょうか」

「わかりました。疲れで寝坊してしまうと失礼ですので、午後でもいいですか?」

「午前で調整いただけないでしょうか」


 食事のときに盛られた、遅効性の”自白剤”が効いてくるとされる時間帯だな、とファルマはピンとくる。敵の術中にはまるようなものだが、向こうの段取りもあると思われるので、快諾しておいた。


(俺に何かしゃべらせたいんだろうな、ピウスは)


「さ、もう寝るぞファルマ。寝室に行くぞ」


 コームが去ると、女帝がぐいっとファルマの手を引いた。もしかして……女帝と同室? とファルマは目を丸くする。

 そして、謹んで辞退したいファルマである。


「あの、私の部屋も取っていただいていますし、私はそちらで寝ます」

「何をボケたことを言っておるか。神聖国での滞在の間、決してそなた一人になる時間があってははならぬ」

「しかし、当家の護衛の聖騎士も同伴していますので、ご心配には及びません」


 彼らの警護が、あてになるとはファルマは思っていないが。女帝は、少しかがんでファルマと目線を合わせ、含んで聞かせるようにこう言った。


「そなたは人外の神術を使い、神力量も人間離れしておる。正攻法で勝てる者などおらん。だが、枢機神官の使う神殿の神術は、謎が多い。もし、そなたが不意をつかれて無力化されれば、そなたを守れるのは余しかおらぬ」


(無力化か……さっき盛られた毒とか、効いてたらやばかったもんな。その配慮はありがたいな。この人を巻き込みたくないし、気持ちだけでいいけど)


「純粋な神術戦であれば、余は無敵だ」


 女帝はビシッと決め顔を作ってウィンクする。

 ファルマからしてみると、あからさまに褒めてほしそうに見えたので、「さ……さすが陛下です。頼もしいです」と持ち上げておいた。


(でも、それが相手にも分かってるなら、純粋な神術戦には持ち込まないと思うなあ……)


 女帝がファルマと添い寝をするというのを知ってか知らずか、女帝の宿泊する客室には、サロモンとジュリアナが、晩餐会の間に念入りに防犯用の神術陣と、対神封じ用の呪符陣を敷いていた。


「侵入者が部屋に入れなくする神術と、杖を使った瞬間、杖が破壊される術です。念入りに術を組みました、解除するには、大きな物音をたてなければなりません」

「仮に解除されたら、警報が鳴るってことだね」

「はい、さようでございます」


 ジュリアナが教えてくれた。そういうからには、時間稼ぎにはなるだろう。

 女帝はあくびをしながら侍女を呼んでパジャマに着替える。ファルマも着替えて、寝支度をした。そして彼女はまるで抱き枕でも掴むかのようにファルマをベッドに押し倒し、ぎゅっとしがみついてきた。

 真夜中になり、女帝は「そなたは余のものだ」とか、「はよう抱かんか、無礼もの」などと、誰にあてたのか知らないが、お色気たっぷりな寝言を漏らしていた。密着する女帝の体温が伝わってきてファルマは「一体誰と間違えているんだろう……」と何ともいえない気持ちになったが、必死に守ろうとしてくれているのは有り難いな、と感謝する。


 女帝がゼロ距離で密着していたからか、その夜は、何もなかった。夜襲をされることもなかった。

 ファルマは、警戒しすぎだったかと肩透かしをくらったような気がする。

 だが、寝室のドアを開けると、女帝の侍僕以外の何者かが夜間に来た形跡はあり、警戒しすぎではなかったことは明白だった。


「よい朝だ、朝食前に神術訓練でもせぬか。神術の腕が鈍ってしまうぞ」


 ファルマも早めに目覚めたが、女帝の朝も早かった。神術訓練をするというので、ファルマがそれはやめましょう、散歩にしましょうと宥めた。早朝から大勢の臣下を引き連れた女帝と神聖国内の庭園の散歩をしていると、クララが広い庭園をつっ走ってきた。

 低血圧で午前中は生きる屍と化す彼女が、珍しく血相を変えて。


「薬師様あああああーーーーあっ!」


 雪の中に頭からつっこんだ。派手にこけたからか、スカートの中身が全部見えた。とんだハプニングに、クララは顔を真っ赤にして、慌てて雪の上に正座する。クララの下着は白いドロワースだった。家臣団は気まずかったらしく、一斉に顔をそむけた。羞恥心で固まっていたのは数秒ほどで、クララは飛び起きた。


「今日は、薬師様に特に悪い事が起こる夢を見ましたん! 大変ですん」

「おはようクララさん。とりあえず落ち着いて深呼吸して」

「スーハースーハ……さっ、寒いっ、口の中が凍りますん」


 クララはぎゅっと目をつぶり、フードをかぶりなおす。いちいちしぐさが小動物のようだった。


「えーっと、それ、俺にとってはこの旅で一番悪い日?」

「そうですん。どうしましょう……命には別条ないようなのですが」

「うん……普段通り過ごすだけだよ。部屋の中にいても、外にいても危険はあるだろうし。ありがとう、教えてくれて」


(今日が正念場か……一体、何なんだろうな)


 ファルマは気を引き締めた。

 女帝も険しい顔をして、ファルマの手を握りしめた。そばを離れるな、と言いたいようだった。


 神殿に戻ると、豪華な朝食が供された。朝食は、女帝や家臣の皿はもちろんのこと、ファルマの食事にも何も盛られてはいなかった。

 食事が終わり、少し食後くつろぐ時間があって、ファルマと女帝はピウスのもうけた秘密の会談に招かれた。会議を執り行う場所は、下級神官たちは誰も知らないと言った。

 枢機神官の最も地位の高い者が、ファルマたちを迎えにきた。会談に出席するのは、女帝とファルマ、そして侍従数名、親衛隊をつとめる聖騎士数名だ。その中には、サロモンも変装して紛れ込んでいる。

 ファルマは、薬神紋に貼り付けていた呪符と、自身を拘束していた封印を解いた。

 何かあったときのために、万全にしておかなければならない。封印を解くと影は消え、多少透明化もしている気がするが、些末なことを気にしている余裕はない。


「時間になりました。それでは、ご案内しましょう。もう一つの神聖国へ。会談の場は地下です、あいにくですが、歩いていただきます」

「大神官は、地の果てで待っているのか? なぜ地上では不都合がある」


 女帝が警戒したように尋ねると、「危険な場所ではありませんよ。御身の危険はありません、陛下にもきっと、気に入っていただけると思います」そう言って、枢機神官たちはランプをともして先導し、暗い地下へと続く大扉を開いた。


 ファルマたちは、謎の地下神殿の深部へ踏み入ることになった。


(写真撮っとこ)


 ファルマはスマホを出して、記録のために立派な扉の写真を撮った。

 その時ファルマは、絶叫したくなるほど驚いた。


 スマートフォンが微弱なWi-Fiを、しっかりと拾っていたからだ。


ComicWalker様とニコニコ静画様にて「異世界薬局コミカライズ版」、連載されています。

よろしくお願いいたします。異世界薬局特設ページ↓

◆コミックウォーカー様(第2話は12月19日更新)

http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_MF00000031010000_68/

◆ニコニコ静画様(第2話は12月22日更新)

http://seiga.nicovideo.jp/comic/24157?track=list


【謝辞】

・本頁は、医学研究職の珠樹先生に査読いただきました。ありがとうございました。

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