6章1話 謝神祭の暗転
1147年11月が訪れた。
ファルマは大学と薬局との往復にも慣れ、講義も実習も患者の診察もエレンや学生たちとともに順調にこなしている。
その日はファルマは大学の講義で、薬局はエレンとバイトの薬師が受け持っていた。
「ふわー、ちょっと休憩しましょ」
伸びをしたエレンが、せっせと薬袋を折っているロッテにふと尋ねた。
「そういえば来週の謝神祭、ロッテちゃんも来るんでしょ? ねえ、私たちも現地で合流しない?」
エレンは手持ちの謝神祭のパンフレットをロッテに見せると、ロッテが開催概要を真剣に読みはじめる。
「え? 初耳です。1147年 謝神祭? 大学で、ですか?」
「そう。うちの大学、保守的だから三年おきに謝神祭やってるの。今年もやるみたいよ。ファルマ君に誘われていない?」
謝神祭というのは守護神への感謝を示す祝祭で、三年に一度、世界規模で一週間近くにわたり開催される。
この期間は仮面舞踏会のようなものがあったり、パレードが行われたり各種イベントが、守護神を信仰する世界各地で催される。そのイベントを、帝国医薬大でも行うということだった。
「誘われてないです…………」
ロッテはどんよりと落ち込みながら答えた。
「えっ? おかしいわねぇ、誘うの忘れてたのかしら。誰でも来ていいことになってるの、家族も友人もね。お父様もお母様も来るっていうし、ソフィも連れて行こうと思うわ。ロッテちゃんもおいでよ、ねえ、あなたたちも暇だったら来たら?」
エレンはバイトの薬師たちも誘うと、セルストとレベッカが興味を示していた。
「子供たちが喜ぶと思いますわ! ぜひ」
と、セルストが答えると、レベッカは、
「私、いつも暇なので行きたいです……」
と、切ないことを言っていたので、エレンが励ますようにレベッカの肩をたたく。
「あら、レベッカちゃん。だめよー、いつも暇だなんて。予定はちょっときつめに入れておくのがいいのよ」
「店主様みたいに、ですか?」
レベッカが迂闊な一言を発した。
「あーだめだめ、ファルマ君はきつすぎだわ。入れるのは仕事の予定じゃなくて遊ぶ予定よ」
ファルマは同年代の少年らしく遊んでいるのか、エレンは疑問だという。
「わあい、私も連れて行ってくださいエレオノール様! ソフィちゃんも来るんですか? ソフィちゃんはどうしていますか? 大きくなりましたか?」
最近は、エレンが多忙のため薬局にソフィを連れてこないので、彼女の顔を見かけない。
「そんなにすぐ大きくならないわ。でも元気いっぱいよー、ソフィもロッテちゃんに会ったら喜ぶと思うわ! ますます可愛くなったわよ。謝神祭は楽しいわよ、山車が出るしー、舞踏会もするの」
ロッテはパンフレットを見ながら、目を輝かせてエレンに尋ねる。
「この、お菓子屋さんとか、食事処って何ですか?」
「やっぱりロッテちゃんなら目をつけると思ったわ! ファルマ君が教授会で、出店を出したらどうかって言いだしたらしいの。そうしたら、そのアイデアが学生たちの支持を集めてね。決まっちゃったのよ」
「さすがファルマ様です、お祭りといえばお菓子屋さんです! レベッカ様もそう思いませんか?」
「わ、私はあまり……」
レベッカは同意しかねていた。
「もう、ロッテちゃんたら。っていうか謝神祭ってそんなイベントだったかしら……仮面舞踏会がメインのイベントよ?」
エレンは首をかしげた。
あっという間に謝神祭の日がやってきた。
祝祭当日、ファルマは謝神祭の実行委員を務めているからか、ブリュノと共に早朝に大学へ出発した。
サン・フルーヴ帝国医薬大学校では、学内楽団の演奏する賑やかな音楽が大学構内に鳴り響き、大学の校舎は華やかに飾りつけがされていた。
数千人もの学外の客が足を運び、今年より生まれ変わったサン・フルーヴ帝国医薬大を歩き回り、盛大な学内行事に親しんでいる。
色とりどりの仮面をつけた学生や来客たちが、メイン会場と特設ステージ周辺に集まり始めた。三年に一度の大祭に浮かれ踊り、羽目を外す者も出ている。
「エレオノール様、どこかな?」
そんな華やかな雰囲気の中、ロッテはエレンとの待ち合わせ場所にやってきた。
そしてすぐに、教え子と思しき学生らに囲まれて彼らと談笑しているエレンを見つけた。エレンは仮面をつけているが、長い銀髪と抜群のスタイルでロッテには見分けがついた。
それに、彼女はゴージャスな装飾のついたベビーカーを押していた。
「あれ、ロッテちゃんよね? わかんなかったわ、そのマスクどこに売ってた?」
エレンが気付いて、ロッテに声をかける。
ロッテはフルマスクの、猫型の耳がついている仮面をつけていた。色とりどりにちりばめられたガラスの装飾のモチーフが凝っている。
「えへへ、私がデザインして、仲の良い宮廷工芸家の方が作ってくださったんです。どうですか?」
「かわいいわよ、いいじゃない。そのピンクのドレスも素敵よ」
エレンの仮面は目の周囲だけのアイマスクタイプで、蝶をあしらったデザインが現代風で妖艶だ。
「ソフィは今、寝ちゃってるのよ。しばらく起きないと思うわ」
エレンは乳母車のホロを取ると、中にはすやすやと穏やかな寝顔で午睡をするソフィがいた。
だんだんと赤ん坊っぽさが抜けてきて、ますます愛くるしくなっている。
「わあ! ソフィちゃん! 大きくなりましたねえ」
「ところでロッテちゃん、ファルマ君は今朝何か言ってた?」
「いいえ、お忙しそうで。エレオノール様聞いてください、私結局ファルマ様に誘われませんでした……私、謝神祭に来てもよかったのでしょうか?」
「ええ? ファルマ君に聞いてみたけど、薬局でロッテちゃんのこと誘ったって言ってたわよ。何か勘違いしているのかしら。あ、ほら、見てあそこ」
ファルマは特設ステージ上で、総長のブリュノや教授らと共に謝神祭のセレモニーに参加していた。
「あ、ファルマ様!」
ロッテが手を振っても、ファルマは気付いていないようだった。
「ファルマ君は謝神祭実行委員会の委員なのよ。運営に忙しくて、私たちとゆっくりする時間はないのかもね。私たちで回りましょ」
「はいっ!」
メイン会場周辺には出店が立ち並び、食べ物のよい香りが立ち込め、アルコールも販売されている。
いつもは、屋外で酒を飲むことは禁止されているが、この日ばかりは無礼講のようだ。
ロッテはお目当てのお菓子を買い回り、エレンは学生たちに声をかけつつロッテに学内を案内しながら回る。
お忍びモードのジャン提督とも出くわした。
メロディも来賓として招待されたらしく、ブリュノに案内され来賓席に座っていた。
特設ステージでは謝神祭にちなんだそれぞれの守護神への奉納の舞や、ミニ演劇、トークショー、手品なども行われ、二人は観客席から熱い声援を送った。
「楽しいお祭りですね! こんなの初めてです」
起きたソフィをあやしながら、ロッテは祭りの空気を体いっぱいに満喫した。
「ファルマ君が色々と面白そうな提案していたからね。あの子、真面目そうに見えて、結構変わった発想しているのよね、お祭りも大好きみたいだし」
「エレオノール様、何か飲みますか? 私、のどが渇きましたから買ってきます!」
「そう? じゃあさっぱりしたジュースをお願い」
ロッテは楽しそうに姿を消した。
「エレン、ここにいたのか!」
ロッテが飲み物を買いに行ったタイミングで、少女を連れたファルマが、観客席のエレンに声をかけてきた。
「ファルマ君!? あら、そちらの方は?」
少女も仮面をつけているので、誰と一緒に歩いてきたのかエレンには分からない。
「あ、そのせつは。私ですわ」
フルマスクの仮面を取ると、エメリッヒの末の妹が現れた。
ファルマは彼女を見て驚いて、ぼそりと呟く。
「あれ、ロッテは?」
「え?」
エレンは彼の迂闊な一言を聞き逃さなった。
何故ファルマがそう言ったのかすぐに察した彼女は、エメリッヒの妹に聞こえないように、ファルマに耳打ちをする。
「ってことはファルマ君、もしかしてあなたロッテちゃんと間違えて……薬局で誘ったの?」
ファルマが事前に謝神祭に誘ったのは、なんとロッテではなくエメリッヒの末の妹だったのだ。
「もう、何やってんのよ。ちゃんとロッテちゃんの顔を見て誘わなかったの!? 妹さんとロッテちゃんを見分けられないなんて。ロッテちゃん、ちょっと落ち込んでいたわ」
「あー……やらかしちゃった」
上の空だったのかな、と言い訳しながらファルマも若干落ち込んでいた。
そこへ飲み物を買いに行っていたロッテが戻ってきた。
エレンからの話を聞いて、ロッテは目を大きく見開いた。
「えーっ、間違えたんですかーっ!? 声? 顔? どっちですか? いつもお仕えしていますのに、あんまりですーっ!」
似ているからといって、ロッテとエメリッヒの妹を間違えるとは、とファルマは猛省する。
「いやだって、君たち本当に似てるんだよ……声も顔も。えーっとその、ごめん」
その後、ファルマは、ロッテとエメリッヒの妹に、どっちがどっちでしょう声あてクイズを出題されていた。
「ごめん、私も分からないわ。ファルマ君のこと言えないわね」
ファルマもエレンも、二人の顔を見なければ3問に1問ぐらい外していた。
「ファルマ様~、エレオノール様~! わざとですか? わざとなんですよね?」
「ごめんって」
ファルマはひた謝りだったが、ロッテは誤解だったとわかり元気を取り戻した。その後、暇をもてあましていたらしいバイト薬師のレベッカとも落ち合った。エレンがレベッカと言葉を交わす。
「レベッカちゃん、やっぱり来たんだ。予定が入ったら来ないって話だったけど」
「えっと、気になる人を誘ってみたんですけど……その、暇になっちゃって」
深くは聞いてはいけない話だな、と誰もが察した。
「そ、そうなのね」
レベッカは、周囲に気を使われているのに気付き、赤面して恥ずかしそうにしていた。
「そういえば、オイゲンさんの様子はどうですか?」
ファルマはエメリッヒの妹に兄の様子を尋ねる。
「兄でしたら、あちらに」
妹の示す方をファルマたちが見ると、ダンススペースで踊り猛って注目を集めている青年がいた。
「ええ? あれがオイゲンさん?」
エレンが眼鏡をかけなおす。見違えたのだ。
遺伝子治療を受け、日常生活の安寧を取り戻したオイゲンは、内向的だった性格はどこへやら、すっかり明るく陽気になりまして、と妹は嬉しそうに言う。
「ヒトって変わるものねえ」
「ふふ、まさに。兄は、生まれ変わったようだと言っていました。となると、その喜びを発散させたいと申しまして」
「爆発しちゃってるな」
ファルマが冷静に一言添える。
「遺伝子的には生まれ変わったようなものだわね。本人が楽しいなら、よかったわ」
「今日はありがとうございました、兄と帰りますわ」
「ではまた!」
汗だくのオイゲンと彼の妹が連れだって帰ったあと少しして、あたりに煙が充満しはじめた。
「あれ、どうしたのでしょう。焦げ臭いにおいがしますね、なんだか煙も」
鼻のいいロッテがいちはやく異変に気付く。
火を扱っていた出店のテントが燃えているようだった。
「誰かー! 水属性術師はいないか!」
助けを呼ぶ声が聞こえてくる。
「ボヤだ。行ってくる」
「大変! 私も消火に行ってくるわ、すぐ戻ってくるからロッテちゃんちょっとソフィ見てて」
ファルマが火元へと走り、エレンもソフィを預け、杖を抜いて走る。
そしてロッテとレベッカはソフィの乗ったベビーカーを預かった。
「レベッカ様は風属性でしたね」
「神術はあまり得意ではないの。こういう時にすぐ出ていけるあのお二人を尊敬するわ」
レベッカとロッテが言葉を交わしていたところ、レベッカが背後から何者かに襲われ、突き飛ばされ地面に倒れた。
「きゃーーッ!」
ロッテは叫ぼうとしたが、脇腹を殴られ、口を塞がれ背後に回り込まれて羽交い絞めにされた。襲撃者は三人組の男たちで、ソフィも大柄の男の一人に抱えられている。
「騒ぐと全員殺すぞ!」
「な、何者です! 恥を知りなさい!」
レベッカが起き上がり、震えながら杖を抜いた。しかし、ソフィとロッテが人質になっていて攻撃できない。
怯むレベッカに、男の一人から暴風の攻撃が浴びせられた、観客たちはボヤに気を取られているが、数人が異変に気付き始めた。騒ぎが大きくなってきたところで一人の男が煙幕を放ち、レベッカが風の神術で煙を払うと、その間に男たちは逃走していた。
「た、大変です!」
取り残されたレベッカは青ざめ、放心状態になりそうだった。
「ロッテちゃん! どうしたの!?」
そこへ戻ってきたエレンが、脇腹をおさえながらうずくまっているロッテを助け起こす。
「え、エレオノール様。ソフィちゃんが……ごめんなさい、何が起こったのか」
ロッテが混乱しながら報告すると、レベッカも謝罪した。
「エレオノール様。後ろから男たちに襲われました。三人組の男です、申し訳ありません、私がついていながら」
ロッテとレベッカは、襲撃の様子と、男たちの服装を話す。
「わかったわ。それほど遠くには行っていないはず、ソフィちゃんを取り戻して懲らしめてやるから、ファルマ君が戻ってきたら伝えて、衛兵に連絡して。あなたたちは帰るのよ、探し回ってはだめ」
エレンは優しく二人の手をとり、含んで聞かせるようにそう言うと走り出した。
「あっ! お待ちください! エレオノール様!」
「エレオノール様はお強いですから、三人相手でも怖くないのでしょうか。どうしましょう」
ロッテとレベッカがうろたえていると、ボヤを始末したらしいファルマが戻ってきた。
「ファルマ様! 大変です! ソフィちゃんとエレオノール様が……!」
…━━…━━…━━…
エレンは、帝都のはずれにある廃倉庫を突き止めた。
「一人で来なければよかったわ。でも仕方ないわね……衛兵の捜索を待っていては、ソフィちゃんが助からないかもしれないもの」
息を整え、鉄製扉の前で杖を構える。エレンは、神力探査針というものを使って追跡していた。
それは神力をはかる方位磁針のようなもので、探査針に探査したい人間の神力を記憶させると、その神力がある方角を示す。
ソフィはすぐに屋敷の中をよちよち歩き回り隠れてしまうので、エレンが高価なその道具を取り寄せて日々の捜索に役立てていた。
「”水の大鎚”(le gros marteau de l'eau)」
彼女はソフィの気配が扉から遠いことを確認し、扉を神術で一気に破壊し、内部に踏み込む。倉庫の床はエレンの神術で水浸しだ。エレンはすかさず中の男たちに叫ぶ。
「見つけたわよ、人さらい! その子を返しなさい!」
「どうしてここがわかった」
男たちはいきなり高度な神術を浴びせられて驚いたのか、動揺している様子だ。
「わかるものは、わかるのよ!」
エレンが倉庫の中に入り隅々まで目を配ると、広い屋内には廃材がそこかしこに散乱している。隅のほうの廃台の上に、毛布が敷かれてソフィはその上で眠っているようだった。
ソフィの隣にもう一人、誘拐された男児がさるぐつわをかまされて手枷をかけられ、床の上に転がされている。
「ソフィちゃん! 無事なの? 返事をして!」
エレンはソフィに呼びかけるが、ソフィは反応がない。男児も眠っているようだった。
「起きるものか。オバール草を飲ませたからな」
「オバール草ですって?」
昔から使われている、眠り草を煎じて作る伝統薬の眠り薬だ。
だが、ファルマがその中に麻薬成分がありきわめて有毒であることを見出してから、帝都での使用が禁止され、女帝の勅令で全て廃棄処分になっている。
帝国ではもう、簡単に手に入れられるものではない。
だが、国外であれば話は別だ。
「あなたたち、さては帝国の貴族ではないのね」
「ふん、余計な情報を与えてしまったな。お前に因縁はないが、知られたからには生きて返すわけにはいかん!」
男たちもまた、エレンを見逃すつもりはないようで、杖を抜く。
一対三での神術戦闘になりそうだ。
「あなたちどこの国のならず者なの? 何でわざわざ人さらいなんて!」
「珍奇な属性の子供に高い値をつける貴人はいくらでもいてな」
「帝都では最近、無属性の孤児が数人見つかっているじゃないか」
別の男が続ける。
「どうせ捨て子だ、捨てたものを攫ったって構うものか」
エレンが話を聞いてみるとどうやら、珍しい神術属性を持つ子供をさらって人身売買する、下級貴族たちの闇グループのようだ。
「そんなこと、許さない! ソフィちゃんは私の大切な妹なのよ、全員まとめて相手してあげるわ!」
「全員というのは、こちらも勘定に入っているのかな?」
倉庫の反対側の扉が開き、奥からさらに数人の男たちが入ってきた。全員が杖を持っている。
十人ものならず者と対峙しながら、エレンは先行して防御を打つ。
「”水聖域”(Sanctuaire de l'eau)」
水の結界のようなもので、指定した範囲内で神術の威力を失う。
エレンの周囲を聖域で大きく囲むことで、エレンへの攻撃を防ぐ。
エレンが神技を使ったので、男たちも仕掛けてきた。
男たちの神技の発動詠唱の言語が、エレンには聞き取れない。初動を見て判別し、対処するしかないのだ。
「”〇〇〇〇!”」
男が意味不明な言語で発動詠唱を唱えると、エレンに前後から炎の矢が襲い掛かる。
「”×××××!”」
次は烈風。それらの攻撃は、エレンの水聖域で辛くも無効化されたが、威力はかなりのものだ。
「っ、何なの?!」
発動詠唱は術の体系さえ確固としていれば何語でもよいため、エレンは神技の判別がつかず、苦戦を強いられている。
「”水の戯れ”(Jeux d'eau)」
エレンは全方位に水の砲弾を展開し、杖の一振りで指向性を与える。発射された攻撃の一部は男たちに命中し、男は倉庫の壁に叩きつけられ意識を失った。
「”△△△△△ △△!”」
しかし、火炎術師が火炎壁を展開し、二発目は威力が減弱されてしまった。
エレンは真空刃の攻撃を脚に受け、裂傷からは血が流れていた。
エレンはあまりの痛みにバランスを失い、床に膝をつく。
「まだまだ……」
立ち上がろうと顔をあげたエレンの視界に、おそろしい物体が飛び込んできた。
銃口だ。
「なっ……」
エレンの顔が絶望にゆがむ。
狙撃手はぴったりとエレンに狙いを定めている。発動詠唱を唱えた瞬間、銃撃されて終わる。
エレンほどの神術使いでも、弾丸の速度には勝てない。
「杖を持つ者が銃だなんて……恥を知らないの……?」
「何とでもいえ、終わりだ。手間をかけやがって、騒ぎになる前に死ね」
男が引き金を引こうとしていたときだった。
「待て!」
広い倉庫内に、声が響き渡った。
破壊された倉庫の扉から、一人の少年が中に入ってくる。
「っ……ファルマ君……」
「なんだこのガキは、どこから来た」
男たちの一部はファルマに杖を向け、臨戦態勢に入っている。
「彼女を見逃してくれ。珍しい属性の神術使いを探しているんだろう?」
ファルマは丸腰であることをアピールしながら、男たちに近づいてゆく。
「はあ? お前みたいなガキに何ができるっていうんだ。変わった属性の神術でも使えるのか?」
男たちは失笑する。
「使える」
「証拠を見せろ」
ファルマは指と指の間にとあるトリックを使って放電してみせると、男たちの気を引いたらしい。
「彼女の解放が条件だ。もし飲まなければ、俺は二度と神術を使わない」
「いいだろう」
男たちにゆっくりと歩み寄られ、ファルマは鋼鉄製の手錠をかけられた。
エレンは解放される。ファルマは手錠の上から神術を封じる呪布でぐるぐる巻きに縛られる。エレンも同様に縛られ、床の上に蹴飛ばされた。
そしてファルマは、倉庫の外に準備された荷馬車の前に引っ張ってゆかれ、荷台に載せられた鋼鉄製の箱に押し込められた。誘拐されたソフィと男児も一緒だ。
「ファルマ君、ソフィ……!」
二人を載せた馬車が遠ざかるのを見て、エレンが絶叫する。
「叫ぶな! 静かにしろ!」
エレンは頭を鈍器で殴られ、その場に倒れ伏した。
帝都の衛兵が倉庫の中で意識不明のエレンを見つけ、馬車で薬局に運んだのは、夕刻になってからだった。
「ご無事でしたか、エレオノール様」
エレンの応急処置をしたレベッカとロジェが、エレンの顔を覗き込む。
エレンは眼鏡がなく目が見えず、視界が心もとない。
ロッテも涙ぐみながら、エレンにぴったりと付き添っていた。
「私はいいの、ソフィちゃんとファルマ君がさらわれて、他にも攫われた子がいたわ……異国の犯罪組織よ!」
帝国医薬大から通報を受けた憲兵隊と帝国騎士団が帝都中を封鎖し、数百人態勢で行方不明者と誘拐犯の捜索を進めているという。その捜査の中で、エレンが発見されたのだ。
「ファルマ様――!」
ロッテの悲壮な絶叫が、薬局の外まで響く。
すると、ロッテには大路の向こうから歩いてくる人影が見えた。
「呼んだ?」
そんな声とともに、ファルマが歩いて帰ってきた。
その両腕に、安らかに眠るソフィを抱きかかえながら。
「え? どうして戻ってこれたの!?」
何事もなかったかのように、ファルマはソフィを抱いて徒歩で帰ってきた。
そのあたりをぶらついた散歩から、戻ってくるかのように。
薬局職員たちは階段を駆け下りてファルマを迎え、歓喜の声に満たされる。
「よかった……! 無事だったのね!」
「ああ、誘拐先に子供たちがたくさん捕まっていたから、全員解放したよ」
その場にいた全員が、開いた口がふさがらない状態になっていた。
「あの鋼鉄の檻をどうやって脱出したの? 手枷もつけられていたし、呪布でも雁字搦めにされていたわ」
「まあ、檻も枷も布も素材が単純だったから、消えるよね」
ファルマはバイトの薬師たちの手前、適当に話を濁した。
「へ?」
ファルマの物質消去能力をもってすれば、幾重の檻に入れられても存在しないに等しい。
鉄を、銅を、そしてセルロースを消去すれば彼はいつでも自由だ。
「普通の素材では俺を縛れないから。次からは捕まっても安心してよ」
ファルマは涼しい顔をしてエレンに説明する。
「何がどうなってるの?」
ファルマはわざと捕まったふりをして、数十人の神術使いの関与している無属性神術使い人身売買ルートの裏をとり、人身売買顧客リストを入手した。
そこで難なく檻を抜け出し、実行犯全員を倒して拘束し、さらに彼らの神脈を封鎖して憲兵隊に突き出して戻ってきたと説明した。
誘拐されていた子供たちは、無事に帝都の孤児院に戻っていったという。
「はい、ソフィだよ。けがはなかった」
エレンはソフィをファルマの手から受け取り、いとおしそうに抱きしめた。
「ああ、ソフィちゃん。無事でよかったわ、ありがとうファルマ君、君も危険な目に遭って」
「本当に、本当によかったです……」
ロッテも、二人の無事の生還に涙が止まらない。
「エレンの大事な家族だものな、血はつながっていなくても」
ファルマはエレンの怪我の処置を追加する。
火傷が熱を持ち始めていたので神力をエレンに注ぎ、創傷治癒能力を高める処置をした。
「ところで、誘拐犯たちは?」
「もう二度と神術が使えないように、ちょっとだけ懲らしめてきたよ」
ファルマは無邪気に笑った。
一体何をしたんだろう、とは誰もつっこまなかった。
翌日、ファルマの提供した情報によって異国の犯罪者グループの残党が、帝都の憲兵隊によって一網打尽に逮捕された。
これを機に、変わった属性の神術使いの孤児は、女帝の命令でさらに手厚く保護されることになった。
異世界薬局3巻発売決定です。
詳しくは活動報告をご覧ください。




