5章18話 エリザベートからの、とある打診
女帝は帝杖と呼ばれる高位神術使い御用達の杖を抜き、闘技場の舞台の上でファルマを待ち受ける。
「一度、そなたと手合わせをしてみたかったのだが、いつも逃げられてのう。今日は逃がすつもりはない、諦めて付き合え」
「私にお話があったのでしたら、先にそちらをお聞かせ願いたく」
何とか戦闘を回避できないかとファルマは話題をそらそうとするが、女帝は「急ぎの話ではないぞ」としらばくれてみせた。
肉体言語での話が先、というわけだ。
(でも、陛下が怪我したら俺の首も飛ぶんじゃないか?)
この場で何が起こっても、ファルマが皇帝を暗殺したのではない、と誰も証明できる者がいないのだ。
殺すつもりもないが、まかり間違ってということはある。
皇帝暗殺の嫌疑だけはごめんだ。
「今は、杖の持ち合わせがありません」
「腰に佩いている杖は飾りか?」
女帝は意地悪く微笑みながら薬神杖を指さす。女帝は、薬神杖が秘宝であることを知っていた。
「ええ、これは戦闘用ではありませんので。では、承知しました。お相手しましょう」
ファルマは薬神杖を杖帯ごと足元に置くと、大きくジャンプをし、宙がえりを打ってふわりと舞台に降り立った。
秘宝である職員証は、肌身離さずポケットに入れている。
ファルマの体全体に、浮力が働いていることを確認しながら。
「ふん、素手か。まあいい、お相手願おう」
「お手柔らかにお願いします」
どちらからともなく、神術戦闘が始まった。
「”火神の加護(Protection de Dieu de feu)”」
神力を具現化した明るい炎が、帝杖からひらめき立ち昇り、女帝の体を包みこむ。
この神技をファルマが見るのは初めてだが、知っていた。「私は使えませんが、熱を感じなくなり、息がしやすくなる術です」、と同じ属性のメロディに聞いたことがあったからだ。
強力な火炎神術の使い手は、付近一帯の酸素を使いつくして酸欠になる。
そこで結界のようなもので酸素ドームを作って、自身の活動を担保しているのかもしれない。
というのはファルマがメロディの話を聞いて想像するところだ。
続いて女帝は杖を流れるような軌跡で不規則に振り、一段階目の発動詠唱を鋭く唱えると、杖の先をぐるりと宙で回転させた。ファルマの強化された視力が、杖の先端に種火となる危険な兆候をとらえる。
「”灼熱地獄(Roussissement de l'enfer)”」
二段階詠唱で、女帝は火神の加護の適応領域を変え、酸素を放つ。
そして次の瞬間、ファルマの足場となっている石舞台を火炎の海へと変えた。
(酸素を下に放ったな。フラッシュオーバーを利用した神技か!)
猛烈な火力の神力を含んだ業火は、瞬時にして獲物を溶岩の海に飲み込むかのように爆発的に拡散する。
これにはファルマもたまらず、職員証の浮力を使い、氷板で空中に足場を作ってもう一段跳躍し上空へ回避する。
(うわ熱っ……やるな、陛下。下に降りられないぞ)
術者を守るかのように、女帝の周囲だけ炎は円状に鎮火している。女帝は燃焼反応の開始と継続方法を熟知しているようだった。
ファルマは右手をかざし、射程を定め次手を打つ。
(液体窒素生成)
地上の炎を舐めるように、白煙が上がった。
舞台付近を液体窒素で無酸素状態にして鎮火させたかに見えたが、女帝の神炎は耐えて、まだ燃え残った。
次にファルマは消去の能力を使う。
(目標範囲の窒素を消去)
消去しておかなければ、女帝が酸欠で昏倒するからだ。
女帝は、空へ跳んで不自然なほど長く滞空しているファルマを、どこか嗜虐的な表情で見上げた。
「やはりそうか。そなた、飛翔できるのだな」
ファルマは舞台の上に分厚い氷板を出現させ、熱量を神力で潰して炎を蹂躙し、氷上に音もなく着地した。
「飛翔ではなく、これは跳躍でございます」
「ぬけぬけと」
彼女が水平に構えた杖に力をこめると、彼女の周囲に数百個もの灼熱の火球が展開される。
それらは異空間から生じて成長し、大気を灼けつかせていた。
火災旋風が女帝の熱っぽくほてった頬をさらに赤らめさせ、乱れた美しい銀髪を煽っていた。
「”無尽の神炎(Infini flamme)”」
女帝は杖を天に掲げ、まっすぐファルマを示す。
彼女の掌握する炎に、一つ一つ、座標を教え込むように。
「ゆけ!」
放たれた火球を、ファルマは空中に生成した氷の防壁で相殺する。
火球はくすぶって、軌道を変え、蒸発して消えた。ファルマが攻撃をさばく間にも、油断なくくみ上げられた多段の攻撃が発動する。火炎の矢、灼熱の竜巻、天から降る火柱など。
ファルマは、女帝が秘めていた帝王の神技ともいえる芸術に圧倒された。しかも女帝の神力は殆ど減っていない。余力を残し、大技を繰り出す隙をうかがっているようなのだ。
(なんか隠してるな)
ファルマが警戒を強めたそのとき。途切れることなく多彩な数手を放った女帝は、少しずつ編み上げていた長詠唱を完成させた。
力強い発動詠唱が、ファルマの耳を打つ。
「”不死鳥降臨(Venue du Phoenix)”」
女帝の杖から生じた火炎が唸りをあげ、逆巻き、一つの形を成してゆく。
女帝は、天より巨大な不死鳥を召喚したかに見えた。
この神技には、さすがのファルマも恐怖を呼び起こされる。
(こんな火炎術、見たことないぞ……)
ファルマは両手を突き出し、左手で氷の防壁を張り、右手で真空をつくる。
「そなたの真の姿を見せてみよ!」
神術によって不死鳥のように具現化した白い火炎。
それは偏光し、稲妻のように輝きを強め、不死鳥となってファルマに襲い掛かる。
ファルマは意志を持った炎に防壁を剥がされ突破される直前、拳を神力で念入りに固め、不死鳥の懐に飛び込んだ。
神力と神力がぶつかりあう。
それによって、神力の出力が爆発的に高まり闘技場を震わせる。
神術陣でも抑えきれない神力だまりが大気に渦を巻き、嵐を呼び豪雨を降らせた。
それはさながら、世界の終焉を予感させる、竜のごとき黒雲を生じさせた。
女帝はこれほど強大な神力だまりをその目で見ても怯まない、まさに女傑だった。
「これが……神の力か……素晴らしい」
エリザベートは恍惚とした。
遠慮もなく最大出力で挑んでいたエリザベートの神力が尽き、ファルマとの神力の力比べに競り負けた。
不死鳥は形を失い虚ろとなって、カウンターで放たれたファルマからの衝撃波が術者であるエリザベートに返ってきた。エリザベートの体は宙に舞い、石舞台にしたたかに打ち付けられた。
神術陣が反応し、多少女帝にかかる衝撃を和らげるが、ファルマの神力を吸収しきれない。
「ぐああっ!」
「陛下!」
ファルマははっと我に返り、神力を発散させ、倒れ伏したエリザベートに駆け寄る。
不死鳥との対峙で、手加減がきかなかったのだ。
ファルマは両腕の包帯を解く。強力な呪符が、薬神紋から立ち上る神炎で焼け落ちる。
それをぼんやりと見ていたエリザベートの唇から、押し殺したような笑いが零れる。
「はは……そなた、呪符で神力を封印していたのか……」
「動かないでください。多臓器にわたって出血をしているようです」
ファルマが女帝の手に自らの手を重ねると、腕の聖紋から神力が溢れ、優しく彼女の体を覆って浸透し、みるまに傷を癒してゆく。
異界の研究室を往来することによって彼の体に強制的に蓄積された神力は、明らかに彼の能力を飛躍的に強化させていた。処置を終えると、女帝はぐったりとうなだれて座り込んでいた。
「あの、まだどこか痛みますか?」
「どこも痛まんよ、さすがの治癒術だ。強いて付き合わせて悪かった。それにしても、喉が渇くな」
女帝はさりげなくファルマの左手を取って口元に近づけ、口を大きく開く。
「陛下? こ、これは……」
「察しが悪いな、喉が渇いたと言っておる」
(蛇口がわりかよ、俺の手は)
苦笑しながら、ファルマは文句も言わず冷たい生成水を女帝に供する。
喉を潤すと、彼女はファルマに向き直った。
「さて、ここからが本題だがファルマよ。わがサン・フルーヴ帝国は、神聖国の支配から独立しようと思う」
「えっ……」
ファルマは、神殿との決別ともとれる女帝の言葉に戸惑い、絶句した。
「大神殿中枢部の横暴にはもう我慢がならぬ、神殿の教義を逸脱しておる」
大神殿の不穏な動きとファルマへの襲撃は、女帝にも逐次報告がいっている、というのはファルマも薄々知っていた。
「不遜にも守護神を捕らえ大神殿に封印し、消滅するまで神力を奪いつくそうなどと奸計を企てているそうだな。そなたも何度か襲撃を受けたとか。何事もなかったからよかったようなものの……」
女帝の言う襲撃とはジュリアナとの一件も含んでいるので、ファルマとしてはあまり事を荒立てたくはなかった。
「私は、気にしていませんが。それに、今は襲撃も落ち着いていますし」
ファルマは、意に介していないといった態度を貫いた。帝国と神聖国が全面戦争になってしまえば、大勢の犠牲が出る。平和なサン・フルーヴ帝国がファルマのために戦火の渦に巻き込まれるのは、あってはならない、ファルマはそう思う。
「大神殿と争えば、この帝国全土の神術使いの神術が使えなくなります。それは、国益を大きく損なうのではないでしょうか」
「それでだ。わが帝国で、それを可能とする新教を創始させようと思うのだが、どうだ」
意表をつく流れに、ファルマは眉をひそめる。宗教が絡むと、警戒心が先に立つ。
(旧神殿組織から新宗教を分派させようってのか。どっかで見た流れだな、宗教改革か)
女帝は新教の教義を語る。
「守護神を敬い、守護神と共存する新たな教えをな。神脈開閉の神術は、大神殿ではなく守護神を敬うサロモンやジュリアナ、そして心身ともに適性のある者の手で管理する。大神殿の秘儀の独占を崩すのだ。さすれば、大神殿の一方的な支配を断ち切ることができよう」
ファルマは、女帝の決意が固いことを受け止めた。そして、サロモンたちとも長い間協議を重ねていたであろうことも、言外に察した。
「ですが、そんなことをなされば、陛下の御身も危ういのでは」
それというのも、大神殿が世界最強の神術使いを見出し、皇帝として育て、帝位を与えることになっている。
その大神殿をサン・フルーヴ帝国が裏切れば、最悪、エリザベートは皇帝の権威も地位も失うことになり、サン・フルーヴ帝国の帝政は終わる。
不安定化するであろう国内情勢。クーデターが起きないとも限らない。
平和な帝都は一変する。
「あらゆる可能性を考慮したうえのことだ。して、どう思う」
「私の意見を聞いておられるのですか?」
ファルマはにっこりと微笑んだ。
「むろん、そなたありきだ。守護神を崇め、守護神からの恵みである神力を授かり、志を持って神術を行使し人々を救済するという新教だからな。そなたの忌憚のない意見を聞かせてほしい」
女帝も優雅な笑顔を返す。
「賛同いたしかねます。断固として。陛下のお気持ちは分かりますが」
「やれやれ。そなたはサロモンの言う通り、守護神となるつもりはないのだな。しかし余は、守護神として人前に出てふるまうように依頼したつもりはないのだぞ。人前に姿を見せず、名を伏せて君臨していてもらってよい。必要なのは、守護神を擁する新教である。という大義なのだからな」
「ただの薬師では、いさせてもらえませんか?」
ファルマはやるせなさと、わが身の侭ならなさを感じながら、思いのたけを伝えた。
「人として、私の目の届く限りの人を助けたいと思っています。でも、それ以上の立ち回りを求められても、こたえられません……私は、人間なんです。陛下にはそう見えないかもしれませんが」
ファルマは心の底から人間のつもりでいるので、人々の信仰の対象になりたくもなければ、その思いを受け止められない。
ましてや、形式的にでも守護神として崇拝の対象になれなど、限度を超している。
その一方で女帝が、ファルマの身の安全を保証し、歴代の守護神と、未来の守護神の尊厳と自由を守るために新宗教を創設しようとしてくれているのも理解はできた。女帝は徹底してファルマの味方なのだ。それだけは、心に留めておく。
「ご高配、ありがとうございました。神聖国とは近いうちに、和解の道を探ります」
ファルマの複雑な思いが伝わったのだろうか。
女帝は、「意に添わぬことをしてすまなかった」とわびて、提案を留保した。
ただし大神殿との有事に備えて、神脈を掌握でき、信頼できる聖職者は育成しておく、ということだけは取り下げなかった。




