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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 5 遺伝性疾患とバイオ創薬  Maladies héréditaires et découverte de biomédicaments(1147年)
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5章12話 薬神の呪い

「教授、大事なお話があります」

 新学期二日目、ゾエが事務からの報告書を持ってファルマの学部長室に現れた。心なしか、青い顔をして。

「落ち着いてお聞きください」

「え、はい……どうしたの? 真顔になってるけど……」

 ファルマはエレンと共に、せっせと講義資料を作りに精を出していたところだった。そして、ああでもないこうでもないと指導方針について論じていたところである。


「昨日、神術試合によって破壊された舞台の修理費の見積もりが来ました。舞台は総張り替えで、特殊神術加工を施しますので、しめて3300万フルンの請求です」

「ええーーっ!? あれそんなにお高いの!?」

 エレンの絶叫が教授室に響き渡った。


 フルンというのは、サン・フルーヴ帝国の通貨単位である。

 1フルンは日本円に換算すると20円ほどなので、概算6億6000万円の修理費が発生したわけである。

「ああ……そっか舞台をやっちまったんだ……」

 ファルマは先日のことを思い出して脱力して机に突っ伏した。

「舞台が総張り替えになるというのは、どんな神術を使われたのですか? いえ、教授の神術でそうなったのですか? 相手の学生ですか? 特殊加工が施してあり、多少のことでは傷つかないようになっている筈ですが」

 何度も状況を確認しようとするゾエは、信じられないようである。彼女は事務仕事が立て込んでいて、ファルマとエメリッヒの対決を目撃していなかった。エレンはゾエの驚きももっともだ、と言って肩を叩く。

「こういう子なのよ、ファルマ君って。おとなしく見えるでしょ? 騙されてるわよ~ゾエちゃん。結構ね、非常識なの。秘書は苦労するわね」

 エレンは現実逃避をしていた。

「エレンだって人のこといえる?」

 パッレの顔を見ると果し合いになるエレンにだけは、言われたくなかったファルマである。


「は、はあ……さようでございますか」

 ゾエは呆れ気味だ。彼女は風属性の神術使いだが、あまり戦闘に向いていないおっとりとした文系タイプだ。少なくとも、ファルマのように着任早々大学に損害を発生させはしない。


「私、場所を変えるよう提案するべきだったわね……途中で舞台を壊さないでって外から言ってたけど、神術陣に遮蔽されて声が聞こえなかったみたいだし。学生や教員の神術試合ならともかく、ファルマ君が相手だもの。舞台もありえない壊れ方をするわ……孤島を買い取ってやるぐらいの勢いでないと。それでも決して誇張しすぎではないわ」

 エレンは昨日、エメリッヒとファルマの行動を読めなかったことを後悔した。

「ファルマ君ったら、学生に怪我をさせないように戦うので精一杯で、神術のコントロールがきかなかった?」

「舞台を破壊したのは仕方なくだよ。威力を知って避けてもらいたかったから。真正面から受けると怪我するし」

「わーざーとー!? それはなおさら悪いわ!」

 破壊しても問題ない場所でやるべきだった。エレンがファルマと訓練をするときには、消えてもよい孤島で、周囲の船が通行していないことを確認してからやったものだ。

「悪手だったよ、ごめん。次はもうやらないよ」


 ゾエは帳簿を出してきて、メモをつけながら概算する。

「教授の講座に与えられた研究費が1億フルン、学部長裁量費が8000万フルン、昨年の繰越金が500万フルンですので、研究費で支払う場合はかなりの出費です。外部寄付金が更に5億4000万フルンありますが、これを使いますか?」

「ちょっと待って。外部寄付金、増えてないか?」

 以前は1億フルン程度だった筈である。


「皇帝陛下の寄付金が5億です。先日付けで口座に振り込まれました」

 もう、皇室からの寄付金はいらないと思うファルマだが、断るわけにもいかない。「余の厚意を無碍にするか」と逆鱗に触れれば大変なことになり、ブリュノと共に宮殿に謝罪に行かなければならなくなる。

「陛下に御礼を言いに行かないといけないな。でもこんなことに研究費も寄付金も使えない、1フルンでも学生のために残しておきたい。修理費は俺の財布から出すよ。神術試合がやりたい他の学生が暫く舞台を使えなくなってしまったな……」


「主に、武術部と杖術研究部が困るわね」

 エレンが口をとがらせる。帝国薬学校のOGのエレンは詳しい。

「そういえば、部活があるんだったよな。どうしよう、部活動や試合をやりたいなら、うちの河原の敷地を使っていいって学生に伝えておいて」

 ファルマはゾエに指示する。

「畏まりました。ド・メディシス家の4番地の空地ですね、そのように事務に伝えます。また、私費振替の書式を取り寄せます。それから、最後になりましたが総長からお呼び出しです」

 ゾエが言いにくそうに付け加えた。

「ゾエちゃんそれ最初に言って? 言い出しにくいの分かるけど!」

 エレンが魂が抜けたような顔になっていた。

 怒られるのは目に見えていた。ついてこようとするエレンとゾエに、部屋で待っているよう告げ、ファルマは単身総長室を訪れる。



「ばかもの!」

 総長室に行ってみると、ブリュノは憤慨していた。

「申し訳ありません……」

 ファルマは平謝りだ。

「どこの世界に、着任初日に学生の安い挑発に乗って3300万フルンの損害を発生させる新任教授があるか! まったく採用初日から、大人げのな……いや、思慮分別のないことを」

 大人げがないと言いかけて、息子は大人ではなかったとブリュノは思いなおしたのだろう。

「しかし総長。相手の学生も悪かったと聞いております。ですので、ここは教育の一環ということで」

 あまりの剣幕に驚いたブリュノの秘書が、ブリュノを宥める。


「相手が何を言ってきたとしてもだ。神術試合をやってまで、学生をやり込めなければならなかったのか」

 ブリュノはファルマの神力が、屋外闘技場の神術陣では抑え切れなったであろうことを見透かしていた。最悪、観衆にも被害が及んでいたし、相手の学生も無事では済まなかった。

「舞台につきましては私が破壊しましたので、私費で修繕します。エメリッヒ君は傷ひとつつけていません」

 修理費は試合を行った者が折半するのが規則だが、折半するにしても、エメリッヒに修理費を請求すれば、エメリッヒが学業どころではなくなってしまう。彼の実家がいかに裕福だったとしても、莫大な修理費を支払う事情を説明せねばならなくなる。

 次に試合を申し込まれるようなことがあれば、砂漠か荒地か孤島を買い取ってやるべきだな、とファルマは反省した。屋外闘技場は学生同士の訓練や試合を想定しているので、強度が十分ではない。


「それから、これを見なさい」

 ブリュノは、羊皮紙の束をファルマに寄越した。

「転科願いだ」

 全学部から、20名以上の転科希望が出ていた。

 最も多かったのは、ブリュノが学部長を務め旧来の伝統薬学を教える学部である薬学部から総合医薬学部への転科願い。

「わずか一日でこれだ。転科は基本的に認めていないが、お前のもとで学びたい者は多い。それとは逆に、総合医薬学部から別の科への転科を申し出るものもあった。申請理由を読んでみろ」

 ファルマにとってはまったく予想外の出来事だった。


 総合医薬学部への転科希望者のコメントは、

 ・素晴らしい神術使いであり、大賢者であられる教授のもとで学びたい

 ・ガイダンスの訓示に心をうたれました

 ・見たこともない神術を扱われる教授の、これまでにない革新的な薬学を学びたいです


 などというものに対し、総合医薬学部からの転科希望者のコメントは、

 ・ファルマ教授の神術の授業についていけそうにありません

 ・ファルマ教授がエメリッヒを打ち負かした時に、これが教授の教育方針なのかと恐怖を感じた

 ・教授の機嫌を損ねたらどうなるかと思うと、授業に集中できそうにない


「退学希望者も一人だ。”やはり神術を使えないと薬師として認めてもらえないのかと思いました。卒業できる自信がありません”、だと」

 ファルマは返す言葉も見つからなかった。


「あの場でエメリッヒ・バウアーとやり合ったのは私刑だったのか、教育だったのか。相手に怪我がなかった、手加減をしていたとはいえ、全属性を使えるお前の力は圧倒的だ。恐怖政治のようなことをやるつもりはないのだろう?」

 ブリュノはファルマの意図をくみ取ったうえで、多くの学生の間で誤解を生じたことが無念だ、と述べた。

「私は全属性の神術は使えません、手品のようなものです」

 ファルマの言い分を聞いて、ブリュノは困ったように頷く。

「お前が神術や薬を使って手品とやらを演じたとしても、お前の人となりを知らぬ学生はそうは思わん。お前が未知の神術を使って、未熟な学生をやり込め、晒し者にしたとしか、な」

 ブリュノの言葉が突き刺さる。

 下手を打った、とファルマは猛省した。

「転科希望は総長裁量で全て却下だ。そもそも、入学後の転科は認めておらんのでな」

 ブリュノは転科願いの束に、既に不許可とサインを書いていた。


「転科、退学希望者にはお前が面談をして信頼を回復し、元の状態に戻すように」


 ファルマの科への転科希望者を納得させる材料として、希望学部の講義、実験、実習も見学してよいということにする。他の学部の必修講義とできるだけ時間がかぶらないように時間割を組む、と妥協案をブリュノと話し合った。

 

「こってり絞られた?」

「カラッカラだよ」

 干からびたファルマに、エレンもつられて乾いた微笑を浮かべる。

「お師匠様のお説教はグサグサくるわよね。干からびて水属性神術使えなくなっちゃったんじゃないの?」

 エレンは冗談交じりに、ファルマを励ましているということが伝わってきた。

「転科希望の学生を説得しないと」


 ファルマはその日、大学に出てきている学生には個別面談にかかりきりだった。無断欠席をしている学生には一人一人の家を訪ね、家庭訪問を行った。ファルマ単身で行くと警戒されるという見通しから、エレンが全ての訪問に付き合った。エレンが先に話をつけることによって、学生や保護者がファルマに萎縮して態度を硬化させることは避けられた。


「やっと最後の一人ね。住所はここで合ってるかしら」

 帝都のはずれの下宿を二人で訪れる。すでに辺りは暗くなってきていた。

「ありがとうエレン、結局付き合わせてしまったな。今日は用があると言っていたのに、悪かった」

「何言ってるのよ、同じ職場のよしみでしょう。往診は代診をたてたから構わないわよ。それに、ファルマ君ひとりでなんて行かせられないわ」

(エレン、何だかんだで付き合いいいよな。俺の後始末なのに……)

 あっさりしているように見えて、彼女の言動にはさりげない優しさと思いやりがある。ファルマはエレンが同じ時間を共有してくれることに感謝した。


「おひ、お引き取りくださいっ!」

 最後に訪れた退学希望者の平民は、完全にトラウマになる寸前だった。

 ファルマとエレンは学生の下宿の中にも入れてももらえず、ドア越しから説得した。

「夜分に申し訳ない、話がしたいんだ」

「お引き取り下さい。もう私は大学には行かないんです、大学とは関係ありません、ですから」

 学生の声はかすれていた。極度の緊張状態にあることがうかがえる。

「退学、考え直してくれないかな。神術が使えなくても何も問題ないから、この学部は。君は優秀な成績で入学しているし、授業についていけないなんてことはないよ」

「信じられませんっ……やっぱり帝国医薬大学校は貴族の学校なんです、平民が行く場所じゃなかったんです。平等に学べるものと思い上がっていました。でも、目が覚めました」

 ドアの裏側にへばりついていると思われる学生は、涙声になっていた。

「神術が使えない者は体術の授業に互換できるから。ついでに言うと、神術の使えない学生に私が杖を向けることは何があっても絶対にないから」

「……本当ですか?」

 閂をはずす音がして、ドアがじわりと開いた。


 陽がとっぷりくれて何とか全員の説得が終わり、転科希望者は収まるべき場所におさまった。

「じゃあね、エレン。今日はありがとう、この埋め合わせはどこかでするよ」

 ファルマは疲労困憊のエレンを気遣う。

「何言ってるの。私も学生たちの顔が覚えられたからよかったわ、今日は早く寝るのよファルマ君、おやすみ」

 エレンはにこっと微笑んで、何かを言いかけ、白馬にまたがり、帰途に就いた。


(神術のある世界での教育って、難しいなあ……まだまだ俺も未熟だ)


 ファルマも夜道に馬を走らせながら、つくづく身につまされていた。

 彼は大学教授を安請け合いして、少し安易に、甘く考えていた。前世では毎年のように好評を博していた薬学教育にはちょっとばかり自信と自負があった。

 しかし、今回は現代日本の大学で現代の価値観を持った、同レベルの学力の学生に教えるのとはちょいと事情が違う。学力で評価されるだけでなく、神術を使える者と使えない者がいて、神術の腕は提供できる医療の腕に直結する、そんな世界だ。


 最初から平等ではない背景のものを、ファルマが平等に扱い、教えようとする。

 それは間違っていたのだろうか、そんな思いにも悩まされる。

 学生たちの説得を終えて明かりの落ちた屋敷に帰宅し、誰も起こさないようにそっと正面玄関から中に入ると、夫婦の部屋に明かりがともっていた。


「おかえり、ファルマ。疲れたでしょう。食事はしてきたの?」

 ベアトリスが、中から顔を覗かせる。

「一杯やるか」

 ブリュノが誘った。明日は休日で、ベアトリスもブリュノと一緒に晩酌に付き合いっていたところだ。

 ブリュノとベアトリスは葡萄酒を、ファルマは葡萄ジュース、チーズのおつまみで一息つく。

 酒でも飲んで酔いつぶれたい気分だ、とファルマは思う。


(でも、どうせ飲んでも酔わないけどな……)

 毒も薬も殆ど効かない体だ。酔いつぶれることもなければ、記憶が飛ぶこともなかった。

「学生の誤解は解けたか」

「はい。何とか大学にきてくれることにはなりました。エレオノール先生も付き合ってくれましたし」


「いかに業績を積もうと、信用を失うのは一瞬だ」

 とりわけ、新しいことをしようとする者には、常に周囲の猜疑と疑念の目がつきまとう。ブリュノはそう言いながら葡萄酒に口をつける。ベアトリスは黙って耳を傾けた。

「エメリッヒ・バウアーはお前につっかかってきたのか」

「ええ、まあ。ですが彼の気持ちは分かります。なにしろ、私は子供です」

 ファルマは自嘲気味に話す。

「彼は時間がないと言っていました。次に彼に会ったら、そのことについて詳しく聞いてみようと思います、一つの動機になったのでしょう」

 エメリッヒは焦っていたのかもしれない、とファルマは思い返した。

「お前が聞かずとも、エメリッヒはお前にすがってくるだろう。その時に少しはましな答えを出せるように、お前には伝えておく」

 ファルマは、ブリュノが何を知っているのかと訝りながら首をかしげる。


「調べたところによると、彼は歴史的に有名な、神に呪われし血筋の者だ」

 

 ブリュノの言葉に一拍遅れて、ファルマがオウム返しにする。

「呪い、ですか」

(……それがある世界だからな)

「まあ、大変! どうか、彼に神様の加護を」

 ベアトリスは呪いと聞いて守護神に祈るようなしぐさをしていた。

 以前のファルマであれば、そんな馬鹿な、と一笑に付してしまったものだが、この世界には神術があり、呪いもあり、悪霊もいる。だから呪いがあると言われても、否定できるだけの材料がない。


「とはいえ、彼が呪われている証拠は私の鑑定・検査では出なかった。エメリッヒもすでに薬師であるから、私と同じ見解を得ているだろう。呪いを解こうと神官に見せれば、異端審問官が呼ばれるかもしれんがな……」

「父上は、既にお調べに?」

 ポーションによる診断術を使うブリュノであれば、悪霊による呪いなのか病気なのかどうなのかは、区別がつくという。

 悪霊なのか、病気なのかの鑑別診断。

 この世界で神術を使う薬師が最も長けていなければならない技能だ、とブリュノは言葉を添えた。


「エメリッヒの一族にまつわる呪いの正体から、探らねばならぬ」


 ブリュノは先手を打っていた。ブリュノはエメリッヒにだけ、入学手続きに必要だからといって、それが流出しないように細心の注意を払うという条件で、四代前までの家系図を提出するようにと命じていた。もし、彼が呪われているのだとすれば、その呪いを大学に持ち込むことはこの上なく大きなリスクだ。呪いの正体を探ることは、エメリッヒの入学を許可したブリュノの責任でもあった、とブリュノは言う。確かに、彼の家の系譜を調べることは、エメリッヒから直接聞きださなければならないにしろ、必須の作業ではあった。

「バウアーというのは、偽名ですか」

 ファルマは家系図に記された姓を見て唸った。

 彼の一族はプロセン王国の出ですらなく、スパイン王国の大貴族を起源に持っていた。正しくは、スパイン王国でありふれた姓、Solé(ソラ)というものだ。

「そうだ。彼の身上を知った私は、彼が偽名を名乗ることを認めた。エメリッヒは一族にかけられた呪いから逃れるために真の姓を隠している。……苦肉の策なのだ」

 ファルマはエメリッヒの苦悩を推し量る。

 彼の一族は呪いのせいで有名となり、スパイン王国にいられなくなり、プロセン王国に逃れたとみられる。


「呪いとはどういうものなのですか?」

「恐るべきものだと聞く。どんな悪霊祓いも効果がなく、一年以内にじわじわと狂い、昼も夜もなく、体は痙攣し、発狂したまま最後は力尽きて死ぬと言われておるが、真実は闇の中だ。彼は既に、父親と親類の殆どをその呪いで亡くしている。家は没落しているが、彼には弟妹がいる。自分と兄弟たちを、待ち受ける運命から救いたい。時間がないと考えたのは至極まっとうなことだ」


 家系図の名前の横には、通常は神殿のシンボルマークが付されている。

 マークがついている者が死亡者だが、ファルマの見たことのない変わったマークだった。ファルマは目を見張った。

「この印は……普通の死亡者とは違いますか」

「さよう。悪霊による呪死を示す印だ。通常の死亡とは違う。呪死は神殿にとって重要な出来事なので、ごまかせないことになっておるのだ。エメリッヒは隠したかっただろうがな、彼は私を信用して、開示してくれたよ」


 曾祖父は呪死、曾祖父の三人の妹は三人中二人が呪死。

 一人は神脈が開かず平民であったので放逐、家系図から外れ不明。

 祖母も呪死。祖母の五人の兄弟は、四人が呪死。

 父も呪死。父の兄弟は、四人中三人が呪死。生き残った一人の属性は、水神・正属性。

 そして、エメリッヒは五人の妹弟がいる。エメリッヒは長男だ。


(25歳のエメリッヒに時間がないというわけだ……皆、40代を過ぎると発動する呪いなのかな)

「壮絶ですね……」

 ファルマは痛ましく思った。

 呪死した者たちの守護神は全て薬神、正の水属性または正の風属性であった。


「呪死者は全員、薬神が守護神だったのですね」

「そうだ。古い記録を調べたところ、薬神の呪い……とも言われたそうだ。彼の一族がどれほどの偏見に曝されたかと思うと、同じ属性を持つ者として胸が痛む。提出させた四代前でこの状態だが、更に遡っても同じことが繰り返されている、というのはスパイン王国の歴史書にある通りだ」

(俺も胸が痛いよ。彼の一族が何をしたってんだ)

 薬神杖を手にし、薬神の神術や秘術を使い、聖紋を二つも持ち、薬神と因縁浅からぬ、あるいは薬神そのものと神殿から見做されているファルマはなおさらだった。


(でもおかしいんだよな。エメリッヒに黒い影は見えなかった。とすると、彼は呪われていない)

 もしも悪霊がとり憑いているならば、サロモンのいうファルマの聖域のせいで、エメリッヒに憑いた悪霊はファルマの前には出てこれない。

 ファルマの存在を恐れない大悪霊だったとしても、エメリッヒに重なる黒い影として見える。

 影は、エメリッヒには見られなかった。


「それに、彼は強力な神術を使いました。呪われている者は神術が使えなくなるのでは……だから、彼の思い過ごしであることを、祈るばかりですね」

 ファルマの意見に、うむ。とブリュノは頷き、さらに葡萄酒を嗜む。

 ブリュノも同一の見解を持っているようだった。

 ベアトリスの声が聞こえないと思ったら、既にソファで寝てしまっていた。


「それに彼は、呪いだと思っていないと思います」

 ファルマは力強く言った。

 エメリッヒはブリュノと同じ、呪いか病気かを見分ける鑑別診断を行ってそこで、陰性という結果を見たかもしれない。あるいは、自らが強力な神術を使えたことで、薬神の加護を実感したことだろう。

 本物の呪いだった場合は、薬神杖の出番だ。

 呪いの浄化に多少の自信がないわけではない。

 でも……ファルマはエメリッヒの顔写真を見ながら、それは違うと首を振る。


「でなければ、総合医薬学部には来ません。彼は薬師で、それは病気だと考えている」

「ほう、そうだとすれば、エメリッヒと直接会ったお前でも診断がつかんか」

「一見しては分かりませんでした」

 何か重大な見落としをしていたのかもしれない。ファルマは思った。

 ファルマがエメリッヒとやりあった時、診眼でエメリッヒを診ることはした。その時には何の疾患も発見できなかった、エメリッヒの体は至って健康で、どこも悪くなかった。

 せいぜい腰痛を抱えていたぐらいだ。そこで、ファルマは一つの仮説をぶちあげる。


(俺の診眼は、発病前の患者の病気は診えていないんじゃないか……)


 発病しなければ、ファルマには分からない。ファルマの能力は、治癒しなければならない人間が発生した時にはじめて発動する。

 これまでは発病していない状態でも診えると考えていたが、ありえそうではある。

 エメリッヒに会い、とことん追究する必要がありそうだ。

 先入観にとらわれず、あらゆる手段を使って彼の生ある時間を繋ぎ留めなければならない。


「ファルマよ。お前に彼の一族にかけられた”薬神の呪い”が解けるか?」

 ブリュノが興味深そうに目を細めた。呪いというのは、そのままの意味ではない。

 息子を信頼している、という言外のメッセージを、ファルマはそのまなざしの中に感じた。


「解いてみせますよ……必ず。私は彼の指導教官ですからね」

 ファルマは少しばかりの強がりを返す。


「それに、以前に現れたという薬神がどのような神格であったとしても、過去にエメリッヒの祖先が薬神に何をしたとしても、何代にもわたって人間を呪ったりはしないと思います。世代を超えて罰を下すなど、ナンセンスです。子孫に罪はない」

「ああ……私もそう信じたい。呪いはまやかしであってほしい」

 ブリュノは頷いて目を閉じた。

 手探りの状態のまま頭の整理がつかないまま、ブリュノに礼を言うと、家系図を借りて自分の寝室へと戻っていった。


 ファルマはその家系図を見て、睨み合って、メモ用紙に何ごとかを書つけ、ある一つの可能性を思った。すなわち、これは……。


「致死的な常染色体優性遺伝性病……じゃないのか?」


 ファルマは逸る心を抑えつけながら、興奮気味にゆっくりとペンを置いた。

 そして現時点でファルマの診眼が、エメリッヒの遺伝子に刻まれた呪いを診抜みぬけなくても、未然にそれを発見し、時限爆弾の針を止め、永遠に封じ込める方法があるかもしれない。


 あの、異界と現世が繋がれた研究室の中に――。

 

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