5章11話 エメリッヒ・バウアーとの個人授業
医学部長にして宮廷侍医長クロード、薬学部長にして大学総長のブリュノの挨拶に引き続き、総合医薬学部長のファルマが壇上に立ち、新入生の注目を浴びる。
子供ならではの事情で演台の高さが不似合いだったが、ファルマは少し背伸びをして意に介さない。ファルマは大講堂の隅で、何かしでかさないかと心配そうに見守るエレンと目が合ったので、にこっと口角を上げる。ファルマが平常心であることを、エレンは覚ったようだった。
「はじめまして。今年より学部長を拝命しました宮廷薬師のファルマ・ド・メディシスと申します。以後、お見知りおきを」
「さて、サン・フルーヴ帝国医薬大学校は教育課程の刷新、学部統廃合が行われ、世界に通用する医学薬学教育拠点、研究拠点として力強く生まれ変わろうとしています」
ファルマは、例の首席の青年が壇上の彼を睨み据えていることに気付いたが、そちらには視線をくれず話を続ける。彼は一刻も話を聞きたくないという感情が顔に出ていた。
「あなたがたの扱う一つ一つの薬が、世界中の同じ病気の患者さんを癒す可能性を秘めています。薬には人を癒す力があります、それは薬と人体との間に起きる連鎖的生化学反応です。その反応を理解し、そこから俯瞰して生体で起こっている現象を理解しなければなりません。薬師は確かな知識と高度な技能を手に薬の力を引き出し、全学部の医療者と緊密に連携し、それをどうか適切に使って下さい。その方法を徹底的に教えてゆこうと思います、具体的には……」
例によってファルマの訓示が長くなったので、エレンがファルマに手振りで合図を送った。ファルマは薬学への情熱のあまり、こういう訓示ではついつい話が長くなってしまうのが常だ。学生たちはブリュノの「座っていい」というジェスチャーを見て、着席しながら話を聞いた。
ファルマのスピーチは終わらない。学生たちも聞き入っていた。そして総合医薬学部以外の学生たちは、ファルマのわずかなスピーチの間に心を動かされ、また、彼が碩学であることに驚き、特に薬学部の学生は、総合医薬学部に転科したいと考える者も続出した。
勿論、一部では話の長さにうんざりする者もいたが。
「貴重な話で結構だが、続きは講義の中で。ファルマ教授」
遂にブリュノが強制中断させた。話に没頭していたファルマは反省しつつ頭をかく。
「失礼しました。ついつい話が過ぎたようですね。では、本学での学びの時間を有意義な時間としてください。私は一年次共通カリキュラム基礎医学概論、医学薬学生物学、二年次の専門講座ほか、五つの講義を担当しますので、皆さんとの講義や実習を楽しみにしています」
大講堂で開催されるファルマの担当講義は、全学部共通の必修科目に組み込まれていた。
1、2年次に教養課程を行い、3、4年次は専門課程になる。
5年次は実習を行い、5年後に一級・二級薬師への受験資格を得る。入学は14歳から認められている。学費は帝国が負担し、卒後は帝国の医療従事者として5年働くということを条件に無償であった。
「一年次の私の講義は全て必修ですので、単位を取らなければ即留年です。くれぐれも、履修漏れのないように」
新学期一発目の総合ガイダンスが終了し、リンゴーン、リンゴーンと中央時計台の鐘が鮮やかな音色を奏でる。開け放った窓から園庭の小川のせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえてきた。ファルマにあてがわれた立派な学部長室兼教授室では、教授秘書とエレンと三人で会話を交わしていた。
「あれだけの教員と学生の前で、挨拶も慣れたものね、驚いたわ」
「学生の相手は慣れてるよ。エレンは意外に上がり症なんだな、いつも勝気なのに」
「ほ、ほっといてよ」
ファルマは笑う。前世では何年も講義を受け持っていたのだ、板についていると言われても「だろうね」ぐらいの感想しか出てこないファルマである。
「どこかで教授をなさっていたのですか?」
ティーセットを運んできたゾエ・ド・デュノワが驚いたようにファルマに問う。彼女は面接の際にファルマが口頭試問をし、聡明で気配りのできると見込んだ、今学期から採用されたばかりの美貌の教授秘書だった。水色の長い髪をコサージュでまとめあげ、立襟とバッスルスタイルドレスの、いかにも上品な淑女といった佇まいだ。
「教授をやったことはないよ」
准教授ならあるけれど、と補足はしなかった。どういう意味なのかと、ゾエは首をかしげる。
「ああ、彼ちょっと人と違うのよ。人間離れしているというか」
エレンはそんな言葉で濁した。
三人でお茶を飲んでほっと一息していると、教授室の外からノックの音が聞こえる。
「突然の訪問失礼いたします、エメリッヒ・バウアーです」
「どうぞ」
「失礼いたします」
エメリッヒは教授室に通されソファに着座すると、開口一番、こう息巻いた。
「メディシス総合医薬学部長。退学申請の受理をお願いしたく、まいりました」
「え? 退学? もう?」
何を言っているのか、といわんばかりにエレンのメガネがずれる。
「随分と急だね。受験や入学する前に辞退できなかったのか?」
ファルマはやんわりとだが、エメリッヒの要望を撥ね付けた。
「今日まで悩んだ末のことです。私には時間がありません、もう決めました」
「どうしてもというなら、教授会に出す理由書を作成しないといけない。受理されるか分からないけどね。単に気が変わったというだけなら、却下だ」
「理由ですか。決定的な理由として、進路選択を間違えました。この教科書を誰が書いたのか、よく見極めるべきでした。兄上のもとを訪ね、個人的に師事したいと存じます」
エメリッヒはファルマが教科書を書けるはずがないと決めてかかっている。それで、共著者として名前の記載されているパッレを、第一著者だと思い込んだのだ。随分あけすけなことを言うものである。しかしファルマは気分を害することもなく、穏やかに尋ねた。
「それはつまり、私が書けるわけないと思ってる。そういうこと?」
「いえ、そのようなことは」
彼の兄たるパッレの心証を害さないように上辺ではそう言っているが、その緑色の瞳の奥には強い肯定の意思を見て取ることができた。ファルマはまだ12歳、いっぱしの学問を修めているようには見えないのだろう。
「あいにくと兄は弟子をとっていない。兄は優秀な薬師だけれど、半年前に一級薬師になったばかりだからね。それでもいいなら、受理するよ」
ファルマはインク壺にインクを付け、サインをして忠告をする。
「ちょっと待って。あなた、ファルマ君、いえ教授の外見だけでそんなこと言ってるの?」
黙って聞いていたエレンが、呆れながらファルマを弁護した。
「エレン、いいんだ。彼の決めた進路だ、教員としては支援するだけだよ。受理されるかわからないけど、君がそこまで意欲を失っているなら、教授会に諮ってみるよ」
ファルマがエレンを制止する。
エメリッヒは確かに優秀だが、学びたくないのなら無理強いするものでもない。嫌々続けたところで、先は知れている。それに、ゾエから見せてもらった資料を見るに、彼はすでに異国の一級薬師である。国元に帰れば、仕事も存分にあるだろう。
(大学に入ろうとしていたのに時間がないって、どういうことだ?)
ファルマは少々気になった。
「じゃあもう何も言わないけど。人を外見で判断しないほうがいいと思うわ」
エメリッヒはエレンの言葉を聞いて、ブリュノの一番弟子として学内や学生の間でも高名なエレンがそこまで彼を弁護することに何かを感じたらしく、何を思ったのかファルマに向き直った。
「では、もしよろしければで構わないのですが。ご指導を賜ってもよろしいですか、神術試合で」
「何で神術で実力をはかりたがる?」
ファルマは総合薬学部創設の意図を噛んで含めるように言い聞かせた。神術を使わなくとも学べる学部なのだと。その教授に、何故神術での力比べを申し込むのか。そう尋ねた。
しかしエメリッヒは頑として首を横に振る。
「よい薬師は、よい神術使いでありますので。これは世間の常識であります。お受けいただけないなら、致し方ありませんが」
「あなた……自分が何言ってるか分かってるの?」
エレンがエメリッヒをたしなめる。神術試合を断るということは、真剣勝負から逃げたということになり、成人した貴族にとっては不名誉なことなのだ。
まだ未成年のファルマを子ども扱いして恥をかかせようとしている、ということは行間に読んでとれた。それに、従来の常識だと、すぐれた薬師は必ずといってすぐれた神術使いである。
「退学したいなら止めないけど、まあいいよ」
ファルマは上着とベストを脱ぎ、立ち上がった。
「ゾエさん。事務に言って闘技場を借り切ってもらえる?」
「今からですか? 使用目的は何と」
「個人授業かな」
「かしこまりました。隔壁生成用神術陣の展開と、応急処置のための医師の待機を申請しますか?」
ゾエが気を回して尋ねるが、ファルマはきょとんとする。
「隔壁生成用神術陣って何?」
「そのまんまの意味。ギャラリーに攻撃が当たらないようにする防壁のようなものよ。絶対準備したほうがいいわ」
エレンがファルマに教える。エメリッヒの腕はかなりのものだと見込まれる。学内の設備や器物を破壊した場合、神術戦闘を行った当事者に請求されるので、防護しておいたほうがいい、彼女はそう言った。
「じゃあ、その準備をお願いします」
「お手柔らかに。さすがは帝国最年少教授だ、肝がすわっておられる」
エメリッヒは自分の思い通りの展開になったからか、したり顔をした。
「”先生と呼ばれるほどのバカでなし”って言葉があってね。君は退学するのだから、心にもないことを言わなくてもいいんだよ」
ファルマは川柳を引き合いに出して、エメリッヒの皮肉を切り返す。
「でも、一つだけ心に刻んで帰ってもらうことがある」
ファルマはそう言い残し、エメリッヒに背を向けて部屋を出て行った。
…━━…━━…━━…
「神術試合だ! 神術試合が始まるぞ!」
その速報は熱気を帯びて、大学中を瞬く間に駆け巡った。
学生も教員も、構内に居合わせ話を聞いた、誰からともなく屋外闘技場に集まりはじめた。
「何事だ、騒々しい」
ブリュノが総長室の窓から庭を見下ろし、顔をしかめる。
「新学期そうそう神術戦闘訓練とは、今年の新入生は元気が有り余っているようですな」
副学長がブリュノのサインの入った決裁書類をまとめ、各委員会の資料を作成している。
「試合をご覧になりますか、総長」
「あいにくと私は暇ではない。今年は死者が出ぬよう、各部局によく通達しておけ」
例年、神術試合によって一人や二人は死者が出るものだ。
貴族同士の戦闘となれば、安全な試合とはいかない。殺意がなくとも、命がけになる。
しかし、彼の息子の試合だとは、ブリュノは夢にも思わなかった。
…━━…━━…━━…
闘技場の舞台を覆う、透明な円筒状の神術陣が編み上げられ、起動した。
青い光柱の囲いの中に入り、ファルマとエメリッヒは相対する。
「お相手いただき、感謝します」
エメリッヒは余裕の笑みを浮かべる。ファルマは腕を伸ばして準備運動をしていた。
両者杖を抜いたが、エメリッヒは一本の長い杖を中央から二本に分解した。両杖使いのようだ。ファルマはそれを見ても特に動揺の素振りは見せない。杖を軽く握る。
「神術戦闘のルールを確認する。時間無制限。相手が杖を手放し降参の意思を見せるか、審判が止めるか、戦闘不能になるまでだ」
審判の腕章をつけた屋外闘技場を管理する職員が、ルールを確認する。審判がいないと殺し合いになるケースもあり、ブリュノの言いつけで、神術試合が行われる際には必ずといって立ち会うことになっていた。
「わかりました」
ファルマははっきりと答え頷く。
エレンやパッレと経験した神術の実戦訓練とルールは一緒だ。
「始め!」
エメリッヒは審判の開始の合図と同時に発動詠唱を打って出た。
「”窒息領域”(Ersticken des Bereichs)」
「”聖界の竜巻”(Heilige Tornado)」
二杖による連続詠唱。両方とも風属性神術だ。そして、詠唱言語はサン・フルーヴ帝国のそれではなく、プロセン王国の言葉だった。
「ほう、二杖同刻詠唱ですか。珍しい」
「なかなかの使い手ですな」
その場で見守っていた教員たちからは、感心の声が上がる。
窒息技で意識を飛ばし、竜巻で空に打ち上げ地にたたきつける戦法のようだが、窒息技はファルマには無効だ。審判は吹き飛ばされ、場外に投げ出された。竜巻の威力は凄まじかったが、ファルマは敢えて吹き飛ばされた振りをして地を蹴って大きく飛び上がり、上空からのポジションを取った。
ファルマが手にしている杖は一点ものだが、帝都の杖職人の作品だ。薬神杖がなくても、胸ポケットに入れていた職員証が浮力を生じている。
ふわりとファルマの体が風を孕む。
「滞空時間が長い……! エメリッヒの竜巻の効果か?」
「違う! 教授は逆に風を利用している」
ギャラリーはファルマにエメリッヒの術が効いていないことに気付き叫んだ。
「質問」
上空から投げかけられたファルマの声は、闘技場のすみずみまでよく響いた。
「私は何属性でしょう?」
ファルマは人差し指をすっと立て、見下ろしながら質問する。そしてその直後、
「”水の大鎚”(l' énorme marteau d'eau)」
ファルマは杖の先でくるりと正円を描くと、水柱をその中に召喚するかのようにエメリッヒめがけて高水圧の攻撃を振り落とした。
「くっ! そんなの水属性に決まっています!」
エメリッヒは攻撃を見切り、素早くステップを踏んで回避するが、ファルマはエメリッヒの動線を完全に読んで、彼がギリギリ回避できるようにゆっくりと降下しながら水柱を操る。エメリッヒはさながら猛禽に狙われた小動物のように回避に徹するしかなかった。武闘場は激しく破損し、ファルマの攻撃で小さなクレーターがあいていた。
「何だあの水圧は……! 神術陣の敷かれた舞台を粉々に……水の大鎚はあんな神技でしたか?」
見物に来ていた教員同士が言葉を交わす。
「いや違います。それにファルマ教授の詠唱音が控えめだ、あんな威力が出る筈が……」
声高らかに詠唱しなくても、呟くだけでも発動詠唱は成立し、神技は発動する。だが、詠唱の発音が悪いと、一般的には神術の威力は落ちる。
「発動詠唱をささやく程度であの威力って……」
ギャラリーは常軌を逸した神術に理解が追いつかず、騒然としはじめた。
エメリッヒは一連の空中からの攻撃を受け反撃をし、すんでのことで回避しながら、ファルマがただ脅しをかけているだけということに気付いた。
「当てるつもりがありませんでしたね、教授!」
「そうかな」
ファルマは地上にふわりと降り立つ。
重力から逃れたかのような軽やかな着地に、エメリッヒが警戒を強めている様子がファルマからも見て取れた。
「互いに合意のあった神術試合で、あなたが私に怪我をさせずほどほどに相手をしようとしておられるのなら、私としては不本意です。私を殺すつもりで来てください」
教員たるもの、生徒に殴られても反撃してはならないという日本人の感覚であったファルマは、エメリッヒの言葉を意外そうに聞いていた。
「そうなんだ。じゃ、遠慮しないよ」
ファルマが瞳を眇めると、エメリッヒは一瞬たじろいだ。
ファルマはぼそりと何かを呟くと、指先にたった一つの氷を作りだした。
その粒が成長し、二つになり、四つになる。
「氷の剣ですか?」
水属性の基本の術で、エメリッヒも知っている。十六本の氷のナイフで対象に斬りかかる術だ。しかし、ファルマの生成は終わらず、指数関数的に増殖しはじめた。ファルマの周囲には既に、無数ともいえる凶器が浮かんでいる。
これを全部ぶつけられたら、物量だけで逃げられない! エメリッヒはそう感じたのだろうか、エメリッヒの顔からは完全に余裕が消えた。
ファルマは恐怖を煽るようにしてゆっくりと人差し指をエメリッヒに向け、ほんの軽く爪先をはじいた。
「こ、こんな術……神術じゃ……ない……」
いかなる回避も許されないほどの密度のそれに襲われながら、エメリッヒは悲鳴を飲み込んだ。
氷のナイフは猛スピードでエメリッヒを目がけ、同刻に射出されてゆく。
「逃げられ……」
エメリッヒが張った風の防壁は、完成する前に完全破壊された。彼が死を悟ったとき、全てのナイフはエメリッヒから数ミリの距離で停止していた。彼が微動でもすれば、即死は免れない。
「”氷の捕縛”(Capture de glace)」
「うわあああああっ!」
動けなくなったエメリッヒを、巨大な氷山の中に埋め込むように拘束する。
そしてファルマは彼をめがけて、杖をあたかもビリヤードのショットを打つように構えた。
「”憤怒の暴風”(la tempête en colère)」
「なっ!?」
エメリッヒの顔がさらに恐怖に引きつった。
何しろ、水属性神術使いだと思っていた相手が、風属性神術を放ってきたのである。攻撃を放つ直前に氷山は蒸発し消えたが、エメリッヒに逃げる時間を与えなかった。爆風がエメリッヒを打ち付け、視界を奪う。
そしてエメリッヒは、恐るべき言葉を聞いた。
「”灼熱の燃焼”(Enfer de brûlure)」
ファルマは立て続けに、怯んだエメリッヒをまるごと爆炎の円でぐるりと囲んでいた。エメリッヒは即座に強風を呼び込み、何とか炎を吹き飛ばして消火する。しかし、彼はさらなる攻撃にさらされていた。
「”天の断罪”(la conviction du ciel)」
炎を纏った土礫が上から雨のように降り注いでくる、土属性の最上級神術だ。今度はエメリッヒにも命中し集中砲火を受ける。エメリッヒは激痛に耐え兼ね風で吹き飛ばそうとするが、彼は自身の神力が急速に目減りしていっていることに気付いたようだ。
エメリッヒの守護神は薬神。
ファルマを相手にすると共鳴してファルマに神力を奪われてしまう。
「はっ……神力が……何故……」
「どうした?」
ファルマの全てを見透かしたかのような言葉に、エメリッヒはファルマが何かを知っていると気付いた。
「体調を整えてくるべきだったね」
エメリッヒの守護神が薬神である限り、ファルマに勝てるわけがない。エメリッヒが神術を使おうとすればするほど、守護神の加護を必要とする。
薬神への祈念は、ファルマを加持し力を与えることに他ならない。パッレはもともと規格外に神力量が多く薬神杖を相手に一時間程度持ちこたえることができたが、エメリッヒはあっという間に体内の神力を使い果たしてしまった。しかしエメリッヒも、学内でも屈指の神術使いであろうことは、入学時に査定された神力計の数値を見ても明らかだった。
「さあ、同じ質問をしようか。私の属性は何だ?」
ファルマは、神術を撃つ余力もなく肩で息をするエメリッヒを休憩させるために質問する。ファルマが四属性全ての神術を正確な発動詠唱とともに撃ってみせたからか、エメリッヒは動揺し答えられなかった。
観衆たちも、しだいにファルマの神術が異常であることに気付き始めた。全属性を使える神術使いなど存在しないからだ。エメリッヒは絶句したまま、細かく震えていた。虚脱感に襲われている筈だ。
「最初、私が水を使った攻撃を仕掛けたとき、君はこう言った。水属性だと」
エメリッヒの唇は震えたが、何も言い返すことができなかった。
「でも、騙されたよな」
ファルマは全て物質創造と消去で、他属性神術を偽装していたのだ。
炎属性は起爆性物質と可燃物の創造。
風属性は巨大氷山の創造と消去で真空を作り出し、気圧を下げ暴風を呼び込み、
地属性は物質創造で鉱石を降らせた。
それに既存の神術の発動詠唱を添えることで、それらしく見せたのである。
しかしそうとは知らないエメリッヒは、大賢者を見るようなまなざしを向ける。
「ファルマ教授、あなたはもしかして……全属性の神術を使えるのですか?」
「そんなわけないだろう」
ファルマは真相を曖昧にしながら笑った。
「うそだ……全属性使えたではないですか。では一体何の属性が正解なんですか?」
「分からなくなっただろう? それこそが、学んで帰ってほしいことだ。君がこの大学を去ってどこで何をして生きていくにしろ、これまでの常識に照らし合わせて物事を軽くみてはだめだ」
ファルマは舞台の端に追い詰められていたエメリッヒの手前に、杖で真っすぐに仕切り線を描く。
すると、その線を境に舞台は忽然と消え、エメリッヒは場外へと落ちた。
「大きな仕事をして、より多くの人を助けたいならね」
エメリッヒは場外でなおかつバランスを崩し杖を手放していたので、戦闘意欲を喪失したとみなされる。
「フ、ファルマ・ド・メディシス教授の勝利……です!」
審判が判定を下し、ファルマも杖をおさめる。
「君の退学届けは受理する、退学を教授会に諮るがそれでいいのか?」
ファルマはサインの入った一枚の羊皮紙をポケットから出して掲げ、エメリッヒに見せた。
「取り下げても……よろしいでしょうか」
エメリッヒはふるふると首を振り、掠れた声でファルマに懇願する。
「あなたに学びたいです、私が間違っていました……ファルマ教授。どうか、非礼をお許しください」
ファルマはエメリッヒの意思を聞き、発火性物質を創造し退学届けを清々しそうに燃やした。
「個人授業は終わり。続きの授業は教室で」
神術陣が解除され、青い光の屑が砕け散る。
エメリッヒは立ち上がり、ファルマが闘技場から完全に見えなくなるまで頭を低く下げていた。




