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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 5 遺伝性疾患とバイオ創薬  Maladies héréditaires et découverte de biomédicaments(1147年)
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5章4話 鎹の歯車

 神聖国の大神殿に附属する大神官執務室。

 そこでは、サン・フルーヴ帝都教区神官長コームが大神官ピウスへ、ファルマの近況を報告していた。

「あの件以来皇帝が神殿を目の敵にしておりまして、薬神と接触するのが難しくなっております。皇帝は神殿の内情に詳しい者を側近に置いているのではと。こちらの動きを手に取るように読まれておりまして」

 神殿の帝都での活動は制限され、神殿密偵の諜報活動にもかなりの支障が出ていた。

 神殿の動きは帝国の監視下にあるので、ファルマの尾行も難しければ、ド・メディシス家への密偵も女帝の親衛隊に潰される。

 大神殿の息のかかった神官たちがファルマと出会える場は、皮肉にも異世界薬局のみであった。

 そこで帝都教区の神官は、ファルマに警戒されながらも、毎日のように薬局に通って薬を買っており、ただの常連客と化しつつあった。最近、常連客として馴染んできたのか、ファルマに直接声をかけられるようにもなって、偵察に送った一部の神官は「声をかけていただいた!」と喜んで帰ってきた。

「それで?」

「薬神の神力量に、わずかながら日周期的な変動があるのです」

「ほう、それはどのように」

 ピウスは興味深そうに聞き入った。平日昼間はファルマの神力量が抑えられている、とコームは話す。高感度型神力計で帝都全域に及ぶファルマの神力を測定したところによると、夜間は神力が強く、昼間は減弱するという。

 減弱とはいっても、一般的な基準からすれば人間離れした凄まじい出力であった。

 彼の行動範囲を中心に、悪霊の近づけない一大聖域を形成している。

「よくぞ調べた。ということは、日中は不調なのだろうか」

「ここのところ、腕を押さえたり気になさるしぐさが目立ちますので、腕に何らかの術を施しているのではと。例えば、神力封じ込めを行う術のような」

 コームは、ファルマがここ数週間、やたらと腕を気にするようになったという報告を部下から受けていた。

「薬神が神封じを知っていて、わざわざ自分に施すだろうか」

 神封じの術を知られているということは、神殿の手の内を完全に読まれているということになる。ピウスは苦々しそうに顔をしかめ、頬杖をついた。

「神力が有り余っておられるか、人の姿を保つためにそうしておられるのではと」

「勿体無いことだ、その神力を僅かずつでも集めればかなりの神力が絞れるだろうに」

 ピウスは、大神殿が各地の守護神殿で所有する秘宝リストに目を通していた。

「これがいい」

 リストをあらため縦に滑らせていたピウスの指先が、とある秘宝の上で止まった。


 …━━…━━…━━…


 穏やかな陽気の朝、ファルマ、ロッテ、セドリックがいつも通りに薬局に出勤すると、薬局の前のベンチに座って途方にくれている、帽子を目深にかぶった一人の若い女を見かけた。

 長く黒いローブを着たいでたちから、旅の薬師のようであった。


「おはようございます。お待たせしました、今店を開けますね」

 てっきり彼女を、新たな薬草などを売り込みに来た売人と考えたファルマは朗らかに声をかける。

「おはようございます、あのっ、違うのです。私、旅の二級薬師でジュリアナと申します。道中で強盗に遭ってしまって、薬とお金を全部失ってしまって。町の人に聞いたところ、このお店に相談に行くといいとお聞きして……」


 ジュリアナは薬を盗られた恐怖を思い出したのか、瞳に涙を浮かべていた。

「ああ、事情は中で聞きましょう」

 ファルマは店を開け、彼女を招き入れた。

 話を聞けば彼女は下流貴族の薬師で、修行のために旅に出ていたのだという。

(女薬師が薬を持って、そんな一目で薬師ってわかる格好で一人旅って……帝国はまだこれでも安全なほうだけど、道中危なすぎだろ。薬なんて高価なんだから金づるだぞ)

 ファルマは彼女のあまりに無防備な様子に、襲われたのも無理はないなと推し量る。

 薬局薬店は高価な薬を取り扱っているため、他国では強盗に遭わないよう用心棒が必要なぐらいなのだ。

 異世界薬局でも襲撃に遭わないよう騎士の門番を置いている。それでも、襲撃に遭うこともある。

「それは災難でしたね。何の薬を盗られたんです?」

「はい、腹痛の薬と、頭痛の薬と、解熱剤です」

「サリマナかルビネス、イトメールと、月見草のポーションなどですか? 当店にもありますよ」

 ファルマがジュリアナの話を聞きながら薬品庫の鍵を開けて物色していると、エレンも出勤してきた。

「おはよー、あら、どうしたのファルマ君。今日は開店が早かったのね」

「お客さんではありません。お気の毒な旅の薬師さんのジュリアナさんですっ、盗難だなんて許せないと思います!」

 ロッテがエレンに経緯を話しながら、掃除や開店準備をてきぱきと行う。

 ジュリアナは応接コーナーに案内され、居心地が悪そうに萎縮して座っていた。

「薬、全部ありましたよ。こんな感じでいいですか?」

 ファルマは、二級薬師が各地で一般的に扱っていると思われる伝統薬を一式引っ張り出してきた。一級薬師、宮廷薬師にしか扱えない薬は省く。

 現代薬の処方が主流の異世界薬局だが、どうしても伝統薬の処方を希望する患者や不定愁訴の患者のために、在庫は揃えていた。大抵は現代薬も同時に処方したものだが。

「あのっ、そんなわけには。これ、どれも高価な薬ばかりです」

 ファルマが薬を手渡そうとすると、ジュリアナは首を振って慌てた。しかしファルマは薬を手ごろなカバンに詰めながら、すっかり贈呈モードに入っている。

「困った時はお互いさまです。これだけあれば売って路銀にはなると思います。再度の盗難に気を付けて、お国元まで無事におかえりください。それから、服は薬師のコートでなく平服がいいですよ、薬師だと分かるとまた襲われます。服がそれしかなければ、お貸ししますけど」

「そんな……これほどのご厚意に、ただで甘えるわけにはまいりません、では、代金は体でお支払いします」

 ジュリアナはすっかり畏まってしまった。


「あなた旅人だから知らないと思うけど、ファルマ君は超がつくほどのお金持ちだから、彼にとっては大した金額じゃないのよ。思い切り甘えたらいいわ」

 エレンが冗談めかして、ジュリアナが遠慮をしないようにフォローする。

 この頃のファルマはというと、ブリュノの資産を含めず関連薬局、薬店の売上を連結しなくとも、異世界薬局の売上と、宮廷薬師としての給料だけで帝都で五本の指にも入る財産家になっていた。

 帝都の納税者番付にも個人名でランクインしている始末だ。

 最近では、総資産でブリュノを抜くのではないかとファルマはひやひやしている。

 稼ぎに稼ぎまくっているファルマだが、黒死病の特効薬を創り帝都を守り、なおかつ数々の新薬を世に生み出し続ける薬師としての名が次第に広まり、恨みを買ったり僻まれたりということも最近ではなくなっていた。


「体で……?」

 そしてそんな帝国有数の大資産家のファルマであるが、妙齢の女性の放った「体で」という爆弾発言の破壊力にやられて固まってしまった。

「あらら、真に受けちゃった。ファルマ君そういうの耐性ないんだから、からかっちゃだめよ」

 エレンが面白がる。

「ご迷惑でなければ、この薬局で働かせてください。私、掃除でも雑用でも何でもしますので!」

 ジュリアナは床にひれ伏しそうな勢いで懇願する。

「礼とか気にしなくていいですから、薬を持って帰ったらいいですよ」

 異世界薬局の職員は六人もいたし、最近では人手も足りていた。ジュリアナの素性も知れないし、現代医薬品の知識の欠片もない薬師はこの薬局では通用しない。

「働かせてください! 勉強させてください、お願いします! それとも、お、お邪魔ですか……?」

(うーん、職員足りてるしな)

 ファルマとしては、正直なところ帰ってほしかった。

 これまでにも、異世界薬局へ弟子入りを申し込んでくる薬師は星の数ほどいたが、彼は軒並み、秋から教授を務める帝国医薬大学校に入学し、あるいは聴講手続きを取って薬学を学ぶようにと断ってきたのだ。現代薬学は、一朝一夕で教えられるものではないし、中途半端な知識で薬を取り扱わせるのは危険だ。

 職員以外の人間に、薬局の裏方を見られたくもない。

「そんなに言うなら、どうするファルマ君? 他国の薬師の仕事を見たいって気持ちも分からないでもないし」

 それに対して、エレンはジュリアナに同情的だ。

「うーん……」

 ファルマはエレンが強く押すのでファルマは仕方なしに許可することにした。

「まあ、数日ならいいんじゃない? でも、君は薬を処方したらだめだよ」

「はいっ! 薬は処方しません。精一杯働きますっ!」


 ジュリアナは薬局の手伝いをはじめた。

 彼女は働き者で、きわめて真面目だった。雑用や掃除から始まり、どんな言いつけにも手を抜かず、そのうちアルバイトの薬師やエレンから少しずつ現代薬の調剤を習いはじめると、計量も計算も完璧で、事務もそつなくこなし、ファルマの教科書を熱心に読み込み、時に職員たちと食事や買い物をして打ち解けはじめた。

 何をやらせても飲み込みが早く、足手まといにはならなかった。

(ただの薬師にしては能力高いな、この子。これだけできる子が、二級薬師なのか)

 見どころがあるな、とファルマは高く見込んだ。


 無一文になってしまったというジュリアナであったが、彼女の修めていた薬師としては珍しいスキルに、神術按摩があった。

 杖を通して神力を患者に注ぎかけながら体をもみほぐし、体液のめぐりを整えるというものだ。ジュリアナは薬局の休憩中、職員たちの慰労のために按摩を施した。

 ジュリアナの施術を終えたエレンは蕩けそうな顔をしていた。

「あー、いいわ~。肩周りの調子いいのよね~。ジュリアナちゃん、薬なくてもこれだけでも食べていけるわよ!」

「はいっ、エレオノール様に褒めていただけるのは光栄です」

 エレンはジュリアナの按摩を気に入っていた。

「ですよねっ、体全体が踊り出しそうですよねっ!」

 ロッテは目をらんらんとさせている。

「うふふ、ロッテちゃん、神力を注がれるのは初体験ね、刺激的だったかしら」

(ロッテはオーバーチャージだな。何かの薬キメたみたいになってる)

 生まれつき神力を持たない平民へ神力を当てるのは、加減がいりそうだ。

 ファルマが傍観していると、エレンが彼を誘った。

「ファルマ君もやってもらったら?」

「体がほぐれますよ」

 よほど気持ちがよかったのか、エレンとロッテが交互に薦めるので、ファルマも試してみることにした。

「じゃ、俺もお願いしようかな」

 診察室の個室ベッドの上にファルマが俯せになると、ジュリアナは杖全体をローラーのように使ってもみほぐし、杖の先端でぐりぐりと体の各部を押すマッサージをはじめた。

 ファルマの神力が強すぎてジュリアナから注がれる神力は微塵も感じなかったが、マッサージ効果だけは体感できた。

(あーこれいいな。体全体がパン生地になったみたいだ)

「ジュリアナさんのこの神術には何か体系があるの? 詳しく聞きたいんだけど」

「はい、神術按摩の修練課程を修めておりますので」

「へー……不定愁訴の治療にいいかもな」

「というのは何でしょう」

「薬では治らない症状のことだよ」

「はい、そういった場合にもこの神術を使っています」

 薬局を訪れる患者の中には、診眼で視てもどこも悪くなく、診断がつかないケースがある。

 いわゆる、頭痛、肩こり、腰痛、腹痛、不調などの、患者からの訴え、主訴ははっきりとあるが検査をしてもはっきりした原因のない不定愁訴というものだ。痛みというのは主観的なものであるため、不安やストレスでも増幅されたりと、第三者が介入することが難しい。

 医学、薬学的には、治療の適用範囲外であれば治療ができない。気休めの治療をしてはならないからだ。

 主訴の原因が分からないので検査のために各診療科をたらい回しにされ、漫然とリハビリプログラムなどを受けるも改善なく、そのうちに現代医学に失望し民間療法やその他の方法に手を出したり、効果のない薬をつかまされる、というパターンも、現代日本ですらままある。

 そういった患者の愁訴に対して、ファルマは最近、ある部分では神術が有効なのかもしれない、と思うようになった。特に、肩こりや腰痛、頭痛その他の愁訴に対しては、神力を込めて患部をさすることで気休め以上の効果があった。この世界の薬師、医師はそうやって患者の痛みを取ることもあると、エレンは言う。神力の強い神術使いは得意としているようで、ブリュノはその分野でも有名人だと聞いた。

 以前のファルマであれば「オカルト」と片づけてしまっただろうが、杖で神力を増幅して患者に注ぎかけるこのジュリアナの施術の効果を医学的に検討して、効果があるようなら異世界薬局でも応用した方がいいかな、とそんなことを考えた。

「ランダム化比較試験で効果判定してバイアスを除き、プラセボ以上の効果があるかを調べるかな」

「ぷらせぼ……?」

 プラセボ効果というのは、本来効果のないものであるにも拘わらず、暗示によって体に効果が出てしまうことだ、と説明する。例えば、薬としては効果のないものを飲んでも、本人が薬だと思い込むことによって体調がよくなる、といった具合に。

「新たな薬にしても治療にしても、きちんと効果があるかを統計学的に調べないと、それは思い込みによる偏った結果でしかないからね。患者さんのためにも、データはしっかり取っていかないと」

 統計学的解析についても、かいつまんでジュリアナに話す。

「ファルマ様は、幼く見えますのに数多くの物事をご存じなのですね」

 ファルマがジュリアナとそんなことを話しながら、施術を受け気持ちよさにまかせてまどろんでいた時だった、

「ん?」

 ファルマは不穏な気配を感じ、ぞくりとして背後を振り向いた。

「どうしたの?」

「いっ、いえ!」

「俺、なんか変なこと言った?」

 ジュリアナは怯えたように肩をすくめた。彼女は持っていた杖を手放していた。

「ごめんなさい。集中が途切れました、つ、続けます」

 

 その後のジュリアナは、日に何度か思いつめたような表情をすることがあった。また、彼女は相変わらず完璧な働きぶりを崩さなかったが、表情は曇り、段々と口数が少なくなっていった。

(どうしたんだろう)

 ファルマが彼女の様子を気にかけはじめて、そんな日が続いたある日のこと。

 薬局から、ジュリアナの姿が突然消えた。

「あれ、ジュリアナちゃんは?」

 薬局の職員たちは、帝都で迷ったのかもしれないと捜索をはじめた。だが、思い当たる場所を探しても彼女は見当たらない。ママさん薬師セルストの情報ネットワークを駆使しても、新聞屋に聞いても情報は上がってこなかった。

「サン・フルーヴ帝都は広いデス、捜索は無理デスね」

 ロジェは帝都中を馬で走り回って目視で探して、くたびれていた。

「私が迷いましたーひーん、ごめんなさい~!」

 レベッカも、ほうぼう探して逆に自分が迷って憲兵に連れられて戻ってきた。レベッカはどうやら方向音痴のようだ。

(何か身体的な特徴がないか、診てればよかったな)

 ジュリアナに持病があれば、ファルマは診眼で屋内、屋外を問わず帝都の人間を透視して彼女を見つけることができた。だが、彼女を診眼で診てはいなかったのだ。

「もうお国に帰ったのでしょうか。お別れ会、したかったです」

 ロッテは名残惜しそうだ。

「黙って帰る子には見えなかったから、何かトラブルに巻き込まれてないといいけど」

 エレンは最悪の想像を紛らわせるように自分の眼鏡を布でふく。


「途中から何か、悩んでるように見えたな……」

 ファルマはカルテをそろえながら、窓の外の帝都の景色を眺めた。


 その日、ジュリアナは見つからないまま、薬局を閉める時間になった。

 帝都の空を分厚い雲が覆い、激しく雨が降り始めた。

「帰ろうか」

 セドリック、ロッテと共にファルマが馬車で自宅に帰ろうとしていたとき、ロッテが足を止める。

「私、ジュリアナさんを探したいです。雨が降ってきましたし……もし、まだ帝都のどこかで迷っているのなら……」

 今頃ずぶ濡れになっていないでしょうか、とロッテは彼女を案じている。

「そうだね、もう少し探して帰ろう」


 三人は帝都の通行人を捕まえて聞き込みをしたり、憲兵に尋ねた。そしてようやくのことで、ジュリアナに似た若い女性が、帝都で一番高い建築物を探していたかもしれない、という情報を仕入れた。

(まさか……思いつめて?!)

「ロッテ、セドリックさん、家に戻ってて!」

 ファルマは二人をその場に残し、駆け出して帝都の路地を曲がった。

「ファルマ様!?」

 ロッテがファルマを追って路地を曲がると、ファルマの姿はそこにはなかった。

「あれ、ファルマ……様?」

 ファルマは薬神杖で飛翔し、帝都の鐘塔の全てを空中から調べてまわった。

 そして、帝都で最も高い鐘塔の隅に、一人の女性の姿を見つけた。

 ファルマは雨音に紛れ、音を立てず彼女の背後に降りたち、ゆっくり近づく。鐘塔の鉄柵を乗り越えて、彼女は雨に打たれながら一人うずくまっていた。彼女の目の前には手すりも柵もなく、落ちれば即死の高さだ。足を半分、塔の縁にかけている。 

 飛び降りを躊躇っているようにも見えた。


「何も話さなくていいから、そこを動かないで」


 ファルマは静かに声をかけた。彼女ははっと顔を上げ、慌てて立ち上がった。

「……ファルマ様……」

「動くなよ、そこを」

「来ないでください……合わせる顔がありません。嘘なんです」

 彼女はファルマに正対し今にも飛びそうな状態になったまま、自白した。

「私、旅の薬師でもなければ、盗難にも遭っていません」

「それがどうした」

 ファルマはまるで意に介さず答えた。

「そんなの全然構うもんか、何の事情があったからといって、君が飛び降りないといけない理由はないだろう」

 ファルマは薬神杖を握り込んだ。

 もし、彼女が早まって身を投げたとしても空中で受け止められる準備は整えた。

「もしそのつもりがあるのなら、話を聞いてからでも遅くない」

 彼女は泣き崩れた。


「私は、大神殿の医療枢機神官でございます」

 鐘塔の柵の内側に彼女を連れ込み、彼女の語るのを聞いた。

 彼女は苦しそうに口を開く。

「ファルマ様に近づき、篭絡し神力を奪ってくるというのが、私の使命でした。でも、あなた様のことを知れば知るほど、……それができなくなりました。守護神様から神力を奪うなど、そもそも信仰に反します。できません。けれどもそれは神殿を裏切ることになり……もう、私は飛び降りるしかありません」

「何でそうなる?」

「飛び降りなくても命はありません……私には呪いがかけられています。じわじわと呪いに蝕まれて、やがて人の心を失って……他の人を傷つける前に、死にたいと思いました」

 ファルマがさらに詳しく事情を聞いてみると、

「神殿枢機部の秘密を知る枢機神官は、叙任時から神殿を裏切れないように呪いを刻まれています。大神殿に戻って呪いを浄化する薬を飲み続けなければ、人の心を失って死ぬのが定めです」

(そんなエグイものがあるのか……前から思ってたけど、神殿上層部ってヤバすぎるな)

「その呪いの印はどこにある?」

 彼女は首を振って言おうとしない。ファルマが診眼で視ると、うなじに青黒い紋様が刻まれていた。その紋様は彼女の肌に根を伸ばし始めていた。

「酷いことをする」

 大神殿のやり口の汚さに、ファルマは怒りを覚える。だが、そうまでして組織力を高め、一体何をしようとしているのか。薄気味悪くもあった。

「触るよ」

 ファルマはそう言うなり、濡れた彼女のうなじをいきなり鷲掴みにした。

「ひうっ……ん!」

 いきなり掴まれたので思わず悲鳴を上げ、彼女は目を瞑る。ファルマが呪紋に神力を押し付けるようにすると、呪いは完全に消滅した。

「消えたよ。君はもう自由だ」

「え……えっ!?」

 彼女は放心状態になった。

「この呪いを消せる術はこの世のどこにも存在しないのに……」

「じゃ、俺だけできるんだろ」

「ファルマ様は、やはり歴代の守護神様の中でも飛びぬけて強大なお力を持っておられます……ここ何百年、守護神様は現世に降りてこられなかった。数柱の守護神様の神力を一身に宿したかのような」

 それを聞いて、つまり現れなかった何代かぶんの守護神の神力がキャリーオーバーされたってことだろうか、などとファルマは理解する。


「俺、そんな大層なものでないから、身構えないでいいよ。中身は君と同じ人間だと思ってくれると嬉しい」

 薬神の力は宿っていても、ファルマの心境としては徹頭徹尾人間のつもりでいるのだ。

「大神殿は俺の神力を使って何をしようとしているんだ?」

「壊れゆく世界を、“かすがいの歯車”で繋ぎとめています。世界と世界を繋ぐ鎹が外れないようにするために、歯車で締め上げているのです。その器械を動かすには、守護神様の神力が必要なのです。たとえ守護神様を傷つけ信仰に反することをしてでも、浸食されゆく世界の崩壊を食い止めるためにはどうしようもないのです……」

「壊れゆく、世界?」 

 彼女が大神殿の枢機部に所属するが故の、予想外の大暴露。

 サロモンは、大神殿は歴代の守護神をおびきよせ、消滅するまで大神殿に封印してきたと言っていたが、その裏にはそんな事情があったらしい。

 神殿上層部を狂信者の集団だ、とばかり思っていたファルマは混乱する。


(本当なのかその話?)

 ファルマは診眼を使って、彼女が嘘をついたか手がかりを得ようとした。脳への血流、脈拍、体温等に変化はない。それだけを測定する、いわゆる嘘発見器ポリグラフは科学的に全く根拠のないものだ、とはいえ、嘘をついている時に活性化される脳領域を診れば彼女が嘘をついているかの手がかりになる。

 彼女の脳生理学的な状態はいくつかの質問を終えた後も変わらない。

(本当なのかもな……だとしたら、神殿が俺を拘束して神力を搾り取ろうとしているのも、やむを得ない理由があるのか)

「君はどうやって俺の神力を奪って帰ろうとしていた? まさか俺を倒して引きずって帰れるとは思ってないだろ?」

「神力を吸う性質の秘宝があるので……でも、それはもうできません」

「杖の横に挿してるそれが秘宝か?」

「っ、これは……」

「借りるよ」

 ファルマはジュリアナから宝剣を取り上げると、すっと鞘から剣を抜いた。柄からは二本の細い刃が平行に出ている。果物ナイフほどの形状だ。

「プラグみたいな形だな。神力はどうやって吸わせる?」

 指先で刃をなぞってみても、血は出ない。刃を握っても変わらない。

「お返しください、絶対だめですっ……ファルマ様を傷つけるなんてできません、こんなの間違っています」

 ジュリアナは必死で宝剣を奪い返そうとする。

(傷つける? ……てことは、刺すんだな)

 ファルマは思い切って大腿に刃を突き立てた。

 ファルマの体は実体ではないので、やはり血は出ない。

 多少虚脱感と痛みらしきものはあるにはあるが、耐えられないほどではない。

「きゃああっ!? ファルマ様!」

「これ、ある種のバッテリーなのかな?」 

 神力を剣に込めるようなイメージを浮かべると、剣は発光しはじめ激しく明滅を始めた。そして、神力は一定の容量に達すると詰められなくなった。

「これでフルチャージだな。はい、できたよ。もうほかに宝剣はないの? あと何本かいけそうだけど」

 鞘におさめて彼女に手渡す。

 その間、ものの二十秒。

「え!? え? なんともない、のですか? この剣には守護神様に激痛を与え、神力を悉く奪い尽くしてしまうという伝承が」

「全然何ともないし、俺の体にある神力も全然減ってないよ。これで君も任務を果たして神殿に帰れるのかな? なら神力が足りなかったらまた取りにおいで、今渡したぶんで暫く鎹の歯車ってやつはもつのか?」

 歯車なんだか鎹なんだかよくわからない装置だな、とファルマは疑問だ。

「はっ、はい……信じられません」

 かなりの期間の歯車の駆動力になるだろう、と彼女は答える。

「その鎹の歯車っていうのは神聖国にあるのか?」

「地下神殿の奥深くに、異界への入り口があります。そこから……」

「じゃ、今度様子を見に行くって伝えといて。それで世界の存亡? が何とかなるなら協力するから」

 騙し打ちみたいなことせずに、普通に話し合いに来てくれたら普通に応じる、と彼はジュリアナに告げた。

「話してくれなければ分からないけど、話せばわかることもあるよ」

 そう言って、ファルマは笑った。

 

 ジュリアナは翌日、神聖国に戻ることになった。

 早く戻らなければ、ジュリアナがしくじったとしてまた新たな刺客がファルマに放たれるかもしれない、とジュリアナは気にしていた。薬局職員は、そんな裏話は知らない。

 彼女は最後に、薬局職員全員に心を込めた神術按摩を行った。神術按摩は医療神官がおさめている術だ、とのことだった。そしてロッテの発案で、ささやかなお別れ会もした。

「短い間ですが、皆さまにはお世話になりました」

「もうちょっとゆっくりしたらいいのに……」

 エレンはジュリアナを引き止めたがっていた。神術按摩の気持ちよさがやみつきになったのだろう。

「まあ、今回は帰るとして、また遊びに来てよ」 

 ファルマはあっさりと、屈託なくそう言った。昨日の出来事など、なかったかのように。


「これまで神殿は、人間は守護神様と意思疎通ができないものと考えてきました。でも、……それは大きな間違いでした。ファルマ様が人の心をもっていらして、多くの人のことを考えてくださっていると、お預かりした秘宝とともに、大神官に伝えてまいります」


 去り際、ジュリアナはファルマにそんな心境を打ち明け、神聖国へ戻っていった。


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