4章16話 不老不死への道
本日は2話あります。前話がありますのでご注意ください。
ファルマとエレンは固唾をのみ、ユーゴーの話に耳を傾ける。
「錬金術師の間で語り継がれてきた賢者の石の存在については、当初はワシも懐疑的だった。だが、あの地底湖の底にあった晶石を見て、考えが変わった」
ユーゴーは知り合いの帝都の地主が、建材を急激に腐食させる呪われた土地があると話していたのを聞いて、興味本位でその土地を買ったという。
そして地下に何かがあるのではと地面を掘り進めて硫酸の湖を見つけ、その時に晶石やクリスタルの層を発見したのだそうだ。
(それだけでも大発見だよ)
ユーゴーの所業は悪どいが、功績としては評価できる。
「あれは死者の記憶が入っている特別な晶石、賢者の石の前の段階の物質だ。晶石を砕いて神術の炎で燃やしそれを生きた死者に吸わせれば、その記憶は死者の中で再生される、お前が見破った通りだ」
「なるほど……よくそんな性質を見つけましたね」
「ワシが見つけたのは偶然だった、だが以前から発見され、錬金術師の間で細々と語り継がれていたのだろう」
ユーゴーがホムンクルスと称したものはファルマも見た。
人の意識が乗り移ったとしか思えなかった小さな猿。
そして、地底湖に落ちて死んだ女もまた、生きた死者だ。
「生きた死者のほうはどうやって作ったんです?」
おぞましさに身震いしながら、エレンが尋ねる。
「作ってはいない、つてを通じて集めさせたのだ」
「そうか。脳死や植物状態の人を……」
ファルマはぴんときた。
「脳死? それは何だ」
ユーゴーは脳死という言葉こそ知らなかったが、原因不明の昏睡状態に陥った者だと説明するとそうだと認めた。宮廷薬師であるユーゴーをもってすれば、帝都の情報網から昏睡状態になった人間の情報を得るのは容易だ。ユーゴーは回復の見込みがないことを患者の家族に伝え、引き取ったとみとめた。
「そして晶石の記憶を得た死者は、不死と化すのだ」
ユーゴーは陶酔気味に語る。
「お言葉ですが、あの女性なら、地底湖に落ちて亡くなりましたけど」
エレンが話のコシを折り、間髪容れず指摘する。
「あれは時間切れだ。記憶を入れたばかりの死者であれば、死ぬことはなかった」
(死者が死なないとか……あ、俺の状態か)
薬谷完治という死者の記憶+仮死状態となったファルマ少年の体から成り立ち、
物理攻撃、薬物で死なないという性質を持つ。それが今のファルマだ。似ていなくもない。そう考えると、ユーゴーの言っていることは部分的には間違っていない。
「お前は知っているのではないのか」
ユーゴーはそう言ってじろりとファルマを睨む。
物理攻撃の効かなかったファルマを、生きた死者なのではないかと疑っているようだ。
「ファルマ君はそんなんじゃないです」
エレンが、相手が尊爵にもかかわらず憤然として否定する。
「晶石に封じられた死者の記憶は長くもたん、もって三日だ。あの女に宿らせた記憶は、もうすぐ消えるところだった」
死者の記憶は数日で体から出ていき、体は元の状態に戻るというのだ。
ユーゴーは膨大な試行錯誤の末にそこまで突き止めていた。
(この人、尊爵の称号は伊達じゃないな。非人道的な実験だけど)
「大量の晶石から賢者の石ができる、という錬金術師の間に伝わる古文書がある。ならば賢者の石を合成し、記憶を賢者の石に封じ、生きた死体に宿らせれば」
ユーゴーは興奮したのか、ドン、と拳を机の上に叩きつける。
「不老不死は可能だ」
ファルマは、定番の話だなと思いながら聞いていた。
それは、富も名声も得た権力者が最後に追い求めるものだ。
「そう……可能な筈だった……」
ユーゴーは苦々しく呟いた。
(つまり、晶石を賢者の石にする方法は見つからなかったってことだよな)
ファルマは察する。
「話してくださったので、約束を守りましょう。目を閉じてください」
ファルマがユーゴーに近づくと、ユーゴーは後ずさる。
「何をするつもりだ!」
「さっき言った通り、神脈を開くだけですよ」
ファルマはトラウマを悪化させないよう、薬神杖を見せないように目を瞑らせて、薬神杖をユーゴーの胸部に突っ込み、発動詠唱もせずさっさと神脈を開いた。
が、ペナルティとして開いた神脈はごくわずかで、強力な神力は与えないようにしておいた。
あくまで、貴族を追放されないだけの申し訳程度にだ。
神力が皆無でなければ、貴族としては一応認められる。
「あ……ああ……」
眼を瞑ったユーゴーに、杖が体内を通った感触はない。
「終わりました。前と同じにすることはできませんが、当面これでいいでしょう」
少ないながら神力がじわじわと回復してきたユーゴーは、やっと生きた心地がしたのだろう。大きなため息を漏らし、言葉もなく地面に伏した。彼は精も根も尽き果てたという顔をしていた。
傍から口出しもできず見ていたエレンは、いい年をした大貴族、それも尊爵を完全に屈服させるファルマにさらに閉口する。
「ファルマ君って、時々恐ろしいわよね……」
エレンはファルマだけは敵に回してはいけない、と自分を納得させるように頷く。
ユーゴーの告白は終わったように見えた。だが、ファルマはさらに追及する。
「それで、まだ話すことがあるのでは?」
「……な、何のことだ」
「この城の地下で何かやってますね。内心、あなたはその件で誰かに助けを求めている」
ユーゴーの肩がギクっと震えた。
「そうですよね?」
ファルマはたたみかける。ファルマは城の地下深くに眠る、恐ろしい気配の存在を気取っていた。
それは、悪霊に似た質感でありながら、もっと生理的な嫌悪を催すものだ。ファルマがユーゴーの城に足を踏み入れた時から気付いていたもの――。
「賢者の石を造ろうとした実験の過程でできたものでしょうか。あれをあなたが制御できるんですか?」
「待て、あれは…………触れてはならん! その扉はもう開かん、二度と開かぬよう封印した」
ユーゴーはやましい部分を指摘され、狼狽しはじめた。
「これだけ外に気配が漏れてきてるので、中にあるものは封印されてないと思いますよ。悪霊に似た、いやもっと邪悪な気配を感じますしね」
臭いものにふたをして問題を先送りにしているにすぎない、とファルマは厳しく指摘する。
「ええっ、この城にいるの?!」
エレンは肩をこわばらせ、ぞくっとしたようだ。
「あれはどうにもならんのだ」
無数の晶石から抽出した記憶を蓄えていた容器の中で、ある日何らかの反応が起こり、ある時から制御できなくなったという。
既に手に負えない状態になりつつあるようだ。ただでさえ暴走気味だった記憶の塊が、ファルマに神脈を止められていた間に更に不規則に融合し制御が緩んだのだという。
「あなたが片づけられないのなら、俺が終わらせてきます。ここで待っててください」
「まっ、待て! あの容器を破壊してはならん、合成霊は生きた人間にも憑依する!」
(まさに悪霊じゃないか……)
ますますもって、放っておくわけにはいかない。
「ちょっと、ファルマ君! 危険よ!」
ファルマは宣言通りエレンとユーゴーをその場に置き去りにし、飛翔を使い一気に地下を目指す。
邪悪な気配を頼りに突き進み、行き止まりの大型の鉄扉の中の前に降り立った。
扉は中からの爆発などに備えた、耐圧性を持つと思しき頑強な造りだった。
ファルマは診眼を使って扉の向こう側を透視する。
(やばそうだ)
「“疫滅聖域”」
ファルマは手にした薬神杖で、扉ごしに疫滅聖域をかける。悪霊らしき気配はファルマの聖域に反応しやや収縮した。その隙にファルマは頑強な鉄扉に向かって全力で走り込み、三重扉をすり抜け内部へ潜入する。エレンとユーゴー、そして使用人たちが追いかけてきたようだが、人間には誰も扉をすり抜けて中へは入れない。エレンがファルマの名を呼ぶ声が、扉越しに聞こえる。
その先に何があろうとも、ファルマは恐怖を感じなかった。ただ、内部にある禍々しいものを、決して外に出してはならないという思いが勝っていた。
そこは地下洞を改装した広いユーゴーの地下実験室で、呪術めいた錬金術の実験道具であふれかえっていた。普段、宮廷で見るユーゴーが扱っている道具とはまるきり違う。濃く邪悪な気配が、薬品の刺激臭が充満している。
ユーゴーは宮廷薬師としての表の顔、そして闇の研究に魅入られた、生と死を弄ぶ錬金術師としての裏の顔を持っていた。
実験室中央には大小さまざまな晶石を集めた瓶、反応を続ける重金属などがある。その中でもひときわ目を引くのは、巨大な蒸留器の先に接続された、恐るべき大きさの筒状のクリスタル製透明容器だ。
その中に充填された不定形の赤黒い液体が、新たな生物のようにうごめいている。
それはひっきりなしに怨念を凝縮したようなおぞましい音を発し、脈々と悪意が渦巻いているようだった。
(これか……気配の元凶は)
分厚いガラスにはびっしりと神術陣が刻まれていたが、ファルマが素人目に見てもほころびはじめている。
(これを外に出したら、最悪な事態になる……)
黒死病をまき散らしたカミュに憑いていた悪霊。それを上回る邪悪な気配がする。
これをあとたった一日でも放置しておいては危険だ、とファルマは本能的に察知した。
「消し飛ばしてやる」
ファルマは薬神杖に、込められるだけの神力を込める。
極限にまで集中力を高め、歯を食いしばり、容器に傷をつけず杖を貫通させて流体を一気に砕いた。流体は人間の声に似た不快な絶叫を放ち、黒い蒸気となって一瞬にして蒸発する。
分解された黒霧は透明の液体となって、薬神杖の晶石の中に吸い込まれた。
(しまった!)
悪霊が杖に乗り移ってしまったか!
そう危惧したか、杖を振っても眺めてもいつもの薬神杖と変わりはない。
ただ、側面についていた晶石が一つ増えて六つになった。
「へ?」
素っ頓狂な声を出すファルマ。
晶石に封じ込められた記憶は、再び晶石になるのだろうか。
邪悪な気配はなくなった。
悲鳴に似たエレンの声に我にかえったファルマは、物質消去で内側から鉄扉を消し去る。外には、混乱をきわめたエレンとユーゴーらの姿があった。
「ファルマ君! あなた一人で入って行って……無鉄砲すぎるわよ」
エレンがファルマに飛びついてきた。
「お前、正気か……! 中のものは?!」
無傷のファルマを見たユーゴーは、死者の記憶がファルマに乗り移ったのではないかと危惧した。
「この通り、消しましたよ」
ファルマは実験室の内部をあらためさせる。
人間の手ではどうにもならないものだと考えていたユーゴーは、茫然自失としていた。
「は……消えた…………」
一瞬、心の緩んだような表情を見たファルマは、厳しい口調でくぎを刺す。
「いいですかトレモイユ尊爵。もう二度と、晶石の実験には手を出さないと約束してください。生きた人間が死者の記憶を弄んだから、こうなったんです」
ユーゴーは患いごとがすっかり消え、ただ力なく頷いた。
「……すまなかった。私の手におえるものではなかった……感謝する」
歪な過程を踏んだが、ユーゴーはこの悪霊をどうにかしたくて晶石の謎を知る錬金術師に助けを求めていたのかもしれない、そう思ったファルマだった。
「あなたは以後、錬金術ではなく薬学に専念することです」
不老不死に執着するのではなく、初心にかえり、人間の生と死を薬学を通して見つめなおしてはどうか。うなだれるユーゴーにファルマはそう伝えた後、
「それであれば、俺はいつだって協力します。あなたと対等な薬師としてね」
ファルマはそう言い残し、エレンと共にユーゴ-の城をあとにした。
日もとっぷり暮れた帝都への帰り道。
薬神杖に乗ったエレンはもう、悲鳴は上げなかった。そして、
「星と月が近いわ。ありがとう、こんな景色を見せてくれて」
恥ずかしそうにそんなことを言って、ファルマの背中に顔を伏せた。




