4章15話 賢者の石の真相へ
ド・メディシス家でのある日の夕食後。
ファルマがパッレと共に担当患者の症例検討をしていると、ファルマはブリュノの執務室に呼び出された。
「何だろう」
「どうしたファルマ、何かやらかしたか?」
パッレに冷やかされ、ファルマは首を捻りながらブリュノの部屋を訪れる。
「お呼びでしょうか、父上」
ブリュノの表情は険しかった。
「トレモイユ尊爵が宮廷薬師を辞したそうだが、お前がやり込めたのか?」
ブリュノはじっと、ファルマの言葉を待ちながら彼を一瞥する。
ファルマとしてはユーゴーが襲撃してきたので返り討ちにしてやっただけだ、と言いたいところだが、言葉を濁す。
「さ、さあ……どうでしょう」
心当たりありません、とは言えなかった。
だが、その様子から背景を汲み取ったのか、ブリュノはファルマに諭して聞かせた。
「多くの薬師が認めるよう、お前の薬師としての知識と腕は一人前かそれ以上だ。陛下の覚えもめでたい。だが、たとえお前のいう事が正論だったとしても、宮廷では必ずしも正論を振りかざすことがふさわしいとは限らん。お前はまだ人間としては常に半人前と心得よ。特に、絶大な政治的影響力を持つ尊爵家を敵に回したのであれば下策の極みだ」
「はい。仰る通りです」
ファルマはブリュノの言葉を素直に聞き入れる。ユーゴー引退の裏で、ブリュノに迷惑がかかったのだろうな、とファルマは察する。
宮廷薬師が自主的に引退という例は今までになかったため、ブリュノの陰謀なのでは、という疑惑もほうぼうから向けられたことだろう。
「少々腹に据えかねることがあったとしても、宮廷人とは争わぬよう。恥をかかせたり、手ひどく批判したり、むやみに排してはならん。争えば敵をつくり、回り回って足元をすくわれる。特にお前はまだ子供だ、不遜な口を利くものではない」
「肝に銘じます」
何があったか洗いざらい話せば、ブリュノの態度も違うだろうし、ファルマの行動に理解を示してもくれるだろうが、ブリュノがファルマのゆきすぎを案じていたようなので、素直に受け入れる。
「トレモイユ尊爵には私が詫び状を送っておく」
普段は寡黙なブリュノに灸を据えられ、もともと予定していたことだが、ファルマは早めにユーゴーのフォローに回ることにした。
…━━…━━…━━…
「ファルマ様、誰に手紙書いておられるんですか?」
そんなこんなあって薬局での休憩時間、珍しく熱心に手紙をしたためていたファルマに、ロッテがお茶と菓子を出しながら悪気もなく宛先を尋ねる。
手紙は、伝書鳩が使えない地域に送るものだ。
鳩の帰巣本能を利用した伝書鳩は基本的に一方通行なので、頻繁に行き来をしている相手先にしか使えない。さらに、一回飛ばした伝書鳩は自分で発信先に戻ることはないので、手紙の方が便利な場合もある。それにしても、手紙は珍しい。
「ファルマ君が、手紙ねえ……」
エレンも首をかしげる。
「ユーゴー尊爵のところに行こうと思うから、予告しようと思って」
エレンには一部、事情を伏せてユーゴーとの顛末を伝えていた。
「そんなにこてんぱんにファルマ君にやっつけられちゃったら、訪ねて行っても怖いと思うわ……追いうちに来たかと思うし」
しかしファルマは特に気にするそぶりもなく、
「そう思って、手紙を出すんだよ。別に身構えなくていいからって。いきなり行くと驚くかと思って」
ファルマのファの字すら出るとパニックに陥ると宮廷人から聞いていたので、ファルマなりの気遣いだった。
「驚くっていうか、それ逆に脅し以外の何物でもないわ」
あまり悪びれている様子のないファルマに、エレンはぼそっと呟いた。
「私もついていくわ。敵の本拠地に行って何が起こるかわかったものじゃないし」
(うーん。エレンがついてきた方が危ないと思うんだけど)
ファルマはエレンの同行を足手まといだとは思わないが、エレンに危険が及ぶのは避けたいところだ。
「相手はもう神術を使えなくなっているから、心配いらないよ」
ユーゴーのように神術に頼りっきりだった神術使いが神術を奪われてしまうと、平民の兵士以上に何もできないものだ。ましてや、ユーゴーは体力の衰えてきた中年男性、危機を察すると感覚が鋭敏になり思考の加速化するファルマと比べると、実力差は天と地の差だった。
「でも、物理的な攻撃を仕掛けられたらどうする? 銃撃とか」
「これ見てよ」
ファルマはエレン以外誰も見ていないことを確認すると、持っていたペン先を自身の腕に勢いよく突き立てた。だが、そのペン先はファルマの腕を貫通して机に刺さった。
「ひっ!? どうなってるの!? あなたの体」
「どうなってるんだろうな」
こっちが聞きたいぐらいだよ、というのがファルマの本音だ。ファルマの体は実体のようでいて実体ではないので、物理攻撃はすり抜ける。
「そうは言っても、油断大敵よ。心配だわ」
エレンは心底心配をしているようだった。それを読み取ったファルマは、
「ありがとう。じゃ、ついてきてもらおうかな。ところで一つ聞いてみるんだけどエレンって、高いところ得意?」
「どういう意味?」
エレンは嫌な予感がして顔が引きつった。
「一応聞いとこうと思って」
そこはかとなく、同行すると言ったことを後悔したエレンだった。
「きゃー! やっぱりこういう意味だったーー!?」
翌日、二人は澄み渡る青空のさらにその上空を猛烈なスピードで飛翔していた。
ファルマの背後では、エレンの悲鳴が上がりっぱなしだ。エレンは薬神杖に直接触れられないが、エレンはファルマの肩につかまって、薬神杖に二人乗り状態で飛行していた。
「おろしてー! 落ちるー!」
二人きりで空中デートという雰囲気でもなかった。
「もうおろせないよ。低速で飛翔してるんだけど、速く感じる?」
ファルマは飛翔には慣れたものなので、スピード感覚が常軌を逸していた。
「ひぃ――っ!」
「まあ、もうちょっとだから我慢してよ。しっかり俺の肩に掴まってて、下見るのが怖いなら上を見てたら?」
エレンがひぃひぃ言うのを聞き流しながら、地図を見ながらユーゴーの領地まで直線距離で飛翔し、二人は目的地付近に到着した。
人目を盗んで地上に降り立つと、エレンは「き、休憩……」と掠れた声を出し、へたり込んで神術で水を出し、渇いた喉を潤していた。
水の神術使いの水分補給は自給自足だ。
そんなエレンを横目に、城の外観を見てファルマが一言。
「モンサンミッシェルかよ……なんだってこんな海上に」
ユーゴーの居城は、まさにそれを彷彿とさせる海上要塞だった。海上に浮かぶ小島を要塞化して、高い城壁で周囲を固めている。中に聳える城部分は複雑に入り組んだ高層建築だ。
城壁には砲門も見える。出入口は、陸から続く幅広い巨大な正門一つのみ。
「水を臨んだ立地にするのは、防衛のためよ。水の神術使いは、水の神術陣で防御態勢を敷くからよ」
エレンが水を飲みながら説明する。
そういえばド・メディシス家の屋敷も河に面していたし、薬草園は河の中州だったな、とファルマは思い出す。
「神術陣って何?」
説明しなかったかしら、とエレンは神術陣について教えてくれる。
詠唱と神力を図形や文字に込めておき、発動条件を設定しておくと自動的に発動する神術だという。
(魔法陣みたいなもんか)
と、ファルマはざっくり理解する。
「あらかじめ神術陣を敷いておくと、正門から入ってこない侵入者を見つけた時、自動的に水属性神術で攻撃するの。ド・メディシス家のお屋敷にも敷かれているわ」
「そうだったのか。便利だな」
(サロモンさんたちが使ってたやつの亜種か)
そういえば、異端審問官であったサロモンたちと最初に出会い戦闘になった時、後に破邪系と判明した神術封陣のトラップをいくつか仕掛けられたのをファルマは思い出した。
「じゃあ、正門から行く?」
侵入を試みてわざわざ神術陣に引っかかるのも無様だ。
「それしかないわね。そうしないと神術陣の餌食になるわ。ところでファルマ君の送った手紙より、私たちが早く着いちゃったりしてない?」
帝都では国営郵便事業が行われていて、手紙は配達人によって朝に配達される。
大貴族専用の特急郵便で送ったので、配達時間は正確に計算できた。
「俺の計算だと、手紙を読み終えたちょっとあとぐらいだよ」
「ユーゴー尊爵の逃げる暇を与えないってことね」
エレンはファルマの抜かりなさに背筋が凍った。
二人は、怪しまれないよう水上要塞の正門へ徒歩で近づく。
ファルマは城に近づくにつれ、何か得体のしれない嫌な気配を感じた。
(気になるな、この感じ。どろっとしてる)
そんなことを考えながら、ファルマは槍を構え直立不動の門番二人に先に声をかける。ユーゴーの城は厳重警戒中のようで、城壁の上には多くの見張りがいた。
「こんにちは。お手紙は差し上げたのですが、突然の訪問で申し訳ありません、私は宮廷薬師のファルマ・ド・メディシスと申します。トレモイユ尊爵にお会いできますでしょうか」
「城主はただいまご不在にてございます」
門番たちは少年が宮廷薬師と聞いて驚き、丁寧な対応で応じた。
「わかりました。いつお戻りですか?」
「長期になるとしか、うかがっておりません」
長期不在だというので、ファルマは一旦引き下がるそぶりをする。
「仕方ないですね、また出直してまいります」
心なしか門番がほっとした顔になった時。ファルマは僅かな物音を聞き分け、高くそびえ立つ城を見上げていた。
そして薬神杖に神力を通じ、エレンの手をとる。
「どうしたの?」
エレンがファルマに耳打ちをする。
「なんだ、いるじゃないか」
ファルマはエレンを連れ、半開きになった窓からユーゴーの居室へとひとっ飛びにして舞い込んだ。あまりに速くて、門番には何が起こったのか見えなかった。
「今、何が起こった?」
二人の門番は顔を見合わせた。
「うわあああーーーー!!」
そのころ、思わぬ距離からファルマたちに急襲されたユーゴーは立ち上がって奇声を発し、部屋の壁に走って行って衝突して倒れた。
「ごきげんよう、トレモイユ尊爵」
ファルマが声をかける。ユーゴーは逃げ出そうにも、ファルマに出口扉の前に立たれて逃げ道をふさがれてしまった。
「な、何故ここが分かった!」
ユーゴーはファルマの姿を見るだけで既に涙目だ。
「手紙で予告した通り、伺っただけです。窓を開けて見ていましたね。居留守を使うなら私を見ないことです、視線で気付かれますよ」
ファルマはブリュノの忠告を念頭に置き、以前のことは水に流してユーゴーに丁寧な言葉で話しかける。
「そ……そんなことまで、わかるのか……」
恐怖の元凶を前に、ユーゴーは返す言葉もない。
そしてエレンは、ユーゴーを相手にまったく引けを取らないファルマの度胸におそれいる。
「……このうえワシに何をしにきたというのだ!」
額にたんこぶをつくったユーゴーは、頭を抱えて震えていた。
さすがに気の毒になったファルマは、「手紙にも書きましたが、今日は怯えなくていいです」と前置きして、言葉をかける。
「あなたが騙した錬金術師たちへの弁償を済ませたことは知っていますのでそれでよしとします、陛下に申し上げるつもりもありません」
精神的にやられてしまったと噂されるユーゴーを案じて見舞いにきた、それは本当だ。診眼に問うと、ユーゴーの脳には青い光がともっていた。
“急性ストレス障害”
ファルマの予感は的中した。
一番懸念していたことであるが、ユーゴーは急性ストレス障害を発症していた。
急性ストレス障害とは、強い心的外傷を受けたあとにあらわれる、体験のフラッシュバックや回避行動、過覚醒などのストレス反応である。彼はファルマを見るとパニックを起こし、深刻な不眠に陥っていた。この状態が長く続けば、PTSDに発展する可能性もある。
自業自得というとそれまででも、ファルマは再起不能になるほど懲らしめようと思っていない。
ユーゴーの薬師としてのスキルは無視できないものだった、一度引退した以上宮廷薬師には戻れないが、ここで完全にリタイアさせるのは惜しい。
「もう、頼むから許してくれ……」
これ以上どうやって許しを乞えばいいのかと、ユーゴーは涙ながらに降参する。これをネタに一生強請られるとでも思っているのだろうか、ファルマはそう思うとげんなりだ。
「今日は、そろそろ懲りたでしょうから、神脈を開く頃合いかと思ってきただけです、神力を失ったことを周囲にいつまでも隠し通せはしないでしょう」
それで、門番にすら実情を伏せて城内に引きこもっていたのだろう。
「どうしても聞いておきたいのは、何のために詐欺をしたんです? 真相を話していただければ、神力を開きますよ」
ファルマは交換条件をもちかけた。
「……賢者の石のためだ」
「賢者の石なら、偽物だったでしょう」
エレンがすかさずつっこむ。
「賢者の石を合成した者がいないか、見極めたかった」
ファルマがユーゴーから聞き出した話はこうだった。
まず、帝都中の錬金術師たちの間に賢者の石を合成したというホラ話を吹聴する。すると賢者の石に興味がある有象無象が一堂に集まる。もし真に賢者の石を合成したことのある者がいるのなら、錬金術師エルメスの手にした賢者の石は偽モノだと見破ることができる、その見破った人間に接触する、ということだった。
(意味わかんないな。でもそれって……)
「何でそんな迂遠なことをして賢者の石を合成した錬金術師を探していたんですか? 賢者の石が実在するとでも思ってるんですか?」
ますますもってファルマは困惑する。
「賢者の石の合成は可能だ。ただ、合成には大いなる危険を伴う」
ユーゴーは確信めいた口調で断定し、手近にあったワインを瓶ごとあおった。
今度ばかりは、嘘を言っている口調ではなかった。




