4章13話 魂の器
今日は2話更新します。次があります。
錬金術師エルメスとファルマが対峙した夜から、数日が経ったある日の夕刻。
「じゃ、そろそろピエールさんのところに行ってくるよ」
「気を付けてね」
ロッテとエレンに、セドリックらが店じまいをしながら見送る。
「エレンもロッテも、暗くなる前に帰ってよ」
異世界薬局の警備は強化しているが、エルメスを逃がした後、彼らが何者かに襲われるのではという心配はあった。特に、エレンは馬車ではなく白馬で通勤しているので、伯爵家に戻るまでの間に襲われた場合は、ファルマはすぐに駆けつけることができない。
「心配しないで、私を誰だと思っているの? 返り討ちにして氷漬けにしてやるわ」
エレンはファルマを安心させるように強がる。エレンは水の神術使いとしてはかなり優秀で、少々の相手は潰してしまうだろうが、それでも、エルメス相手となると、ファルマは不安だ。
「私も、セドリックさんと早めにお屋敷に帰ります。ところで、ピエールさんはご無事ですか?」
ピエールの身を案じるロッテの言葉に、ファルマは曖昧に頷く。
「二週間ぐらいかかりそうかな」
ファルマは普段通りの営業を続ける異世界薬局を出て、供の騎士を連れ夕方には木漏れ日薬局のピエールのもとへ出かけてゆく。
木漏れ日薬局の門をくぐり、裏口からピエールの病室へと向かう。ピエールの娘は、門の前でファルマの来訪を待っていた。長時間待っていたことがうかがえる。
「い、いらっしゃいませ、ファルマ様」
「こんにちは。お父さんの具合はどう?」
「はい、いくらかよくなりました」
あの後、女錬金術師の奇襲によって硫酸の湖に転落してしまったピエールがどうなったかというと……それなりに深刻な化学熱傷を負っていた。ファルマはピエールの店に毎日往診をし、注意深く火傷の処置を施している。
「ファルマです、お邪魔します」
「おお、これはファルマ様。いつも申し訳ない」
創傷被覆材を貼られ痛々しい姿をさらしつつも、ベッドの上で調剤薬局ギルドの帳簿をつけていたピエールは、ファルマの声に顔をあげる。彼の髪の毛も眉毛も、ボロボロに朽ちていた。
化学熱傷はその深さに応じてI度~III度まで分類され、I度が表皮、II度が真皮に達しており、III度は真皮全体に損傷が及んでいる。ピエールはI度~II度の間だ。
実際にピエールが硫酸に浸っていた時間は数十秒あまり。ファルマの迅速な硫酸“消去”で大事には至らなかったものの、皮のブーツやズボンなど下半身、薄着だった部分に広範囲に化学熱傷を受けたために全身の毛という毛、部分的に真皮にまで硫酸が浸透していた。
さらには失明には至らなかったが、眼球や粘膜にも炎症は広がっていた。
受傷後一日は全身炎症反応が起こることが懸念されたため、ファルマは彼をメディシス家に運び、すぐに輸液を開始してパッレと協力し二十四時間の処置にあたった。
幸い、念のためにと“始原の救援”をかけた直後から、ピエールの傷は治癒をはじめた。
傷口の洗浄のあとワセリンや創傷被覆材を用いて創傷面を保護し、抗菌薬や副腎皮質ステロイドも適宜使用した。疼痛の軽減のため、痛み止めも投薬して様子をみている。
そうして数日が経って、疼痛もいくらか軽減してきたようだった。
「どうですか、今日は」
ファルマはノートを出して問診をする。ファルマを連れて病室まで案内したピエールの娘も心配そうに部屋の隅でファルマとピエールの顔を交互に眺めていた。父の容体が気になるのだ。
「今日は昨日よりだいぶいいです。思ったよりひどくなくて驚いています。ファルマ様の神術で何かしていただいたからでしょうか」
「多少はそれもあります。硫酸は皮膚に浸透して表皮、真皮組織を壊していきますが、それほど濃度が高くなく、硫酸ごと消し去ったので、最小限で済んだのだろうと思います。ピエールさんの身の安全のため、傷が治りきるまではこの火傷を人に見せないでください」
「たしかに、エルメスに気付かれてはいけませんからな。くっそ、あいつ、ぶっ殺してやりたいぐらいだ……ファルマ様はエルメスの正体は分かったのでしょうか」
「だいたいわかっていますが、もう一つ確証が欲しい。明日にはわかるでしょう。木漏れ日薬局はいつも通り営業を続けてください、変わったことをしてはいけない。店番代わりのアルバイトの薬師を派遣しますので」
全身を硫酸で火傷をした錬金術師がいたとすれば、エルメスは探し出して始末しようとするはずだ。負傷したという情報が外にでることは、ピエールにとっても危険だった。
「何から何まで、ありがとうございます」
ファルマは翌日、宮殿へと出向いた。
その日は宮廷薬師としての仕事は非番だったのだが、宮殿にいる筈の人物に用があった。
目的の人物は薬師控室の前を歩いていて、いともたやすく見つかった。
ファルマはその男を遠目から確認すると、声をかけずに物陰に隠れ、診眼を通して透視する。虫歯のある場所、骨格や特徴、そして何より声を確認し、個人を識別した。
ファルマはこの頃には実際に目標とする人物に会わなくても、遠隔から診眼による透視を使って相手を見分けることができるようになっていた。診断をかねて、便利に使っている。
その人物とは、サン・フルーヴ帝国の宮廷薬師の一人だ。
ファルマが目星をつけていたのは宮廷薬師、ユーゴー・ド・ラ・トレモイユ(Hugo de La Trémoïlle)。ブリュノと同じ、尊爵の称号を持つ宮廷薬師だった。ブリュノより年上だが、年の割に若く見える薬師だった。
もう一人の女宮廷薬師フランソワーズと合わせ、ユーゴー、ブリュノ、ファルマの四人の宮廷薬師は基本的に毎日交代で宮殿に詰めるため、ファルマが当番の時はユーゴーは来ない。顔を合わせるとすれば、女帝主催のパーティーや、数か月に一度の宮廷薬師の皇族や廷臣の治療方針を決める会議で会う程度だ。
そして、ユーゴーは帝国医薬大学校に所属してもおらず、プライドのためか王侯貴族しか診ないので、宮廷に出入りしていないエレンとも面識がない。あの錬金術勉強会で、ファルマだけは声に聞き覚えがあったが、エレンもピエールも錬金術師たちも気づかなかったわけである。
ユーゴーは、ファルマが宮殿で頭角を現し女帝に筆頭薬師として重用されるようになった時期から、女帝への診察の当番を減らしていた。ファルマとも、積極的にかかわろうともしなかった。要するに、ファルマの存在を煙たく思っていたとされる薬師の一人だ。
(でも、ユーゴーが犯人だったとして、薬学や錬金術の知識を悪用して何であんな小金稼ぎなんか……)
ユーゴーは大貴族なので、少々の金策に走らなければならないという経済状況にはない。
ちなみに、ファルマがユーゴーの仕事を奪ったかというと、帝国から宮廷薬師に支払われる給金は固定給だったし、ユーゴーは女帝のほかの王侯貴族の顧客も抱えていて、ファルマが女帝に重用されているからといって、ユーゴーの給料が減っているわけでもない。
金に困っているわけではないのだ。
(なら、何でだ?)
ファルマが思案していると、
「おや、ファルマ様。何をなさっているのですか? 壁の模様をじっとご覧になって……」
偶然にもサロモンが廊下を通りがかり、壁にへばりつき、真剣な面持ちで壁を凝視しているファルマを見つけた。
「あ、いや、これは違うんです」
「壁の格子模様を数えておられた? お気の毒に、お疲れなのですね……」
かわいそうな人を見る視線で見られたファルマは、誤解を解くため、サロモンには硫酸湖の存在と聖泉の手がかりを見つけたことを話した。
「ひょんなことから聖泉の情報を得られたのは、大きな収穫ですね。喜ばしいことです。捜索隊も奮闘しているようですが。ファルマ様と聖泉は惹かれ合っているのでしょう」
「そうなんでしょうか。手がかりが見つかったことは、陛下にも端折って報告しておきますね」
必要な情報を出さずにいて、捜索隊が空振りをしてはいけない。と、ファルマは気遣う。
「怪魚の守る酸の湖の底に聖泉への道しるべがあったということは、その石板はファルマ様のような人ならざる者の訪れを待っていたのでしょうな」
神殿所属の神官ではなくなったサロモンだが、まだ守護神への信仰心にはあつく、興奮していた。また聖典に新たな1ページを刻まなければならないと、使命感に燃えているようだ。
「そういえば、不思議なことがありまして」
ファルマはふと、サロモンに尋ねてみた。
「どのような」
「その湖底のクリスタルの層か晶石に、死んだばかりの人から光が出て、その光が飲み込まれていったように見えたんです」
あの、魂を吸われたようにしか見えなかった不気味な現象が何だったのか、ファルマはサロモンに聞いてみたかった。
「さて……どういうことでしょうな。秘宝の原材料となる鉱物に、そのような性質が……。それに加えて石板には、彷徨える魂の住処、と書かれていたと……」
サロモンは難しそうな顔をして腕組みをし、髭をいじりながら目を眇めた。
「ところでその、硫酸湖の底に眠るクリスタルと晶石は取ってこられましたかな?」
「はい、翌日取ってきました」
ファルマは硫酸湖の底から削りだしたクリスタルと晶石をつかって、新しい杖を作り出そうと考えていた。薬神杖はいずれ大神殿に返さなければならないのだから。
その晶石を加工しているうちに、更に不可解なことに気付いた。削ったり折ったりするたびに、幻聴のようなものが聞こえるのだ。それは人の声に聞こえなくもなかった。
「秘宝の原材料となるものが、人命を奪ったとしても何ら不思議ではありませんな。その死者は、晶石の中に呼び込まれたのでは」
「ええっ!?」
秘宝はそんなに危険な代物だったのか、とファルマは今更のように薬神杖を持つのが怖くなる。薬神杖は先代の薬神と呼ばれた人物によって、人助けのために作られた杖だとばかり思っていた。それを知れば、ある懸念が頭をよぎった。
「もしかして、俺が薬神杖を使って人を助けただけどこかで人が死ぬってことですか?」
その人魂を、他の秘宝が吸っているのでは……ファルマは動揺のあまり、そうも考えた。
「それは難しい質問です。理屈は知れませんが……歴史を大局的に見ますと、あなたのように人を助けてくださる守護神もいらっしゃれば、また逆に秘宝を用いて多くの人命を奪うだけの守護神もおられました。守護神には人智の及ばぬ宿命があり、人間の味方でも敵でもないのです」
「そんな……俺はどうすれば」
(守護神の存在によって、トータルでこの世界の人々の生死のバランスが取れているってことなのか……)
自分がしてきたことは間違っていて、何もかもが無意味になるのでは。
そう考えると、ファルマは足元から崩れそうになる。それを見たサロモンはファルマを宥める。
「そう、お気を落とされますな。あなたがなさってきたことは決して無意味ではありませんし、薬神杖に人を殺めるような機能はありません」
ファルマはしばし考え込んだ。そして、クリスタルと死者の記憶の関係を考察しているうちに、ある問題の答えが見つかったような気がした。
「まさか……」
背筋がぞくりとした。
「ホムンクルスはもしかして……そうだったのか」
そこにはまさに、錬金術の闇が凝縮されていた。
 




