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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 3 異世界薬学と現代薬学 Pharmacie d'un autre monde et pharmacie moderne (1146-1147年)
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3章11話 診断と手順

「何をやっているんだエレオノール、見習い薬師として修行中のファルマを薬局の店主なんかにして」

 パッレは取り落した杖を拾い、腰に佩きながらエレンを叱った。

 エレンはパッレが勘違いをしているので、何を言っているのかと聞き返す。

「はい?」

 パッレは、ファルマはまだ無資格の見習い薬師だと信じている。だから、彼の師であるエレンがファルマに薬局をやらせたり非常識なことをさせているものと決めつけていた。パッレは嘆かわしい、と言わんばかりに大きなため息をつく。

「まだ資格もなく未熟なのに、お飾りだけ店主に据えて邪道なことをさせると後々苦労するだけだぞ」

 ファルマとエレンは顔を見合わせた。

 (どうしよう?)(ファルマ君がうまいこと答えてよ)という視線のやり取りがあった後、ファルマは無難な返事をする。

「俺が店主をやらせてもらってるってのはエレンに言われて、とかじゃないよ」

「ちょっとファルマ君……またそんなお茶を濁しちゃって。パッレ君には本当のことを言った方がいいと思うわ」

 エレンがファルマをたしなめる。

 真相は早めに打ち明けないと余計に話がこじれてゆくだけだと、エレンは心配していた。そんなエレンの気遣いもお構いなしに、パッレはというと、

「ぶらぶらしていないで、お前も早く学校に入った方がいいぞファルマ。一度体系立てて薬学を学ばないと、独学だと修学までの期間が遠のく。ノバルートでなくても帝国薬学校でもいいから、家庭教師だけでなく学校に行け」

 パッレはファルマの行く末を本気で心配しているようだった。

「え? ああ、帝国薬学校には行こうと思うよ」

 ファルマはどうしたものかと悩みながら相槌を打った。

 ファルマがサン・フルーヴ帝国薬学校に入るとしたら、それは学生としてではなく教授としてなのだが、兄は知る由もない。エレンはやれやれ、と肩で息をした。


「それはそれとして、兄上、俺に治療を任せてくれないか? 薬局に行ってから兄上の病気について説明するから」

「では一応事前に聞いてみるが、お前は何の病気だと思っているんだ……?」

 パッレはファルマに尋ねる。ファルマは迷わずに即答した。

「白血病(leucémie)だ」

 病名の由来は、19世紀のドイツの病理学者の、ある脾腫を患った患者の血が白っぽくなって死亡したという最初の発見に基づいている。

「何だそれは、お前の所見か? ろくすっぽ俺を診てもいないのに?」

 パッレからすると聞いたこともない病気だった。

 遂に自分で病名まで創作するようになったかと、パッレは愕然としてしまった。

「見当はつくんだよ」

「お前メチャクチャなことやってんだな。病名は何となくで勝手に創作してはいけない、きちんとした手順の診断に基づかないと。そんな調子で薬局を運営してるのか?」

 パッレはファルマを諭す。

「いいか、診断ができないことは恥じゃない。世の中には未知の奇病だってたくさんある。適当な病名をつけるほうが薬師として恥ずかしいことなんだぞ」

「俺もそう思うよ」

 ファルマはパッレに全面的に同意した。

 エレンは、ファルマ君の茶番劇にはつきあってられないわ、と額に手を載せてあきれ顔だ。だが、ファルマは決してパッレを馬鹿にしているのではなかった。むしろ、病気と真摯に向かい合い、客観的に病気を診て、それをこの世界の薬学では手に負えないものとして死を受け入れようとする彼の姿勢を、素直に尊敬していた。闇雲にではなく彼の持てる限りの知識と経験に基づいて余命を覚ったパッレは、すぐれた薬師だとファルマは思う。

 それに対してファルマは、診眼であたりをつけただけだ。

「薬局に戻ってからにしよう、話が長くなるし、手順に基づいて診断をするよ。エレン、俺は薬局で色々準備をしてるから、兄上と一緒に馬車で帰ってきてくれ。ここに馬車を寄こすから」

「ええっ、何で私がパッレ君と一緒に馬車で帰らないといけないの? 馬で帰るわよ」

 エレンは露骨に嫌そうな顔をする。

 馬車を待つのも嫌だし、パッレと帰るのはもっと嫌なのだ。

「いや、何を勝手に言っているんだ。俺はノバルートに戻らねばならんと言っただろう」

 これからの予定を弟に勝手に決められてしまって、パッレもうんざりだ。そして言われた通りに従うつもりもさらさらなかった。

「だめだ。今、兄上は脳出血をしやすくなっているから馬には乗るな」

 兄にそう言いつけたファルマは、ドタバタと馬に乗り、薬局に戻っていった。

「だってさ、弟くんがそう言ってるわよ」

 エレンは馬の手綱をとり、パッレに呼びかける。エレンの馬もパッレの馬も、放せば勝手に自宅に戻る。

「しかも自分は馬で帰りやがったな」

「パッレ君のためを思ってのことなのよ、きっと。多分」

「なんなんだあいつは。バカか?」

 付き合っていられないとパッレは馬に乗ろうとする。

 それをエレンが制止した。

「駄目よ、馬車を待つわ」

 ここから薬局まで、徒歩で帰ったとしても30分といったところだ。しかし地面は雪で濡れてグズグズになっている。徒歩よりはまだ馬車を待ったほうがいいだろう。

「そうね……馬に曳かせるソリでも持ってくればよかったかしら」

 エレンの冗談に、パッレは説教で返す。

「お前なあ、何でファルマの我儘に付き合う。お前も仮にも一級薬師なんだろう? そんな中途半端な態度のお前が師だとファルマがいつまでも一人前になれないんじゃないか? あいつは次男とはいえ、薬師として独り立ちをしないといけないんだぞ」

「お小言なら聞くわ、馬車を待つ間にね」

「くそっ」

 エレンとパッレは結局馬車を待つ羽目になった。ファルマが手配した馬車はすぐにやってきた。


 帰りの道で、パッレは彼の弟のことをしきりに嘆いていた。

「弟がバカで俺は悲しい。俺が病死したらド・メディシス家はどうなってしまうんだ、バカな弟に家が潰されてしまう。なんて不運だ、こんなじゃ死ぬに死にきれないぞ」

 パッレはファルマとド・メディシス家の将来について、もうお先真っ暗と言わんばかりだった。ブランシュも勉強嫌いだし、ファルマは思い込みの激しいバカだし、とパッレは呻る。

「そうかしら? あなたはとーーーーっても運がいいと思うけど」

 エレンはいたずらっぽい笑顔でパッレにそう言った。

「死病をわずらった俺のことがそんなに愉快か? ん?」

 パッレは反射的に挑発するが、エレンは受け流す。

「ねえ。パッレ君って、昔から何に対しても脳筋だけど守護神に対して暑苦しいほど信心深いじゃない」

 彼が物心ついた頃から、帝都にいる間、神殿に毎日のように通って礼拝を欠かさなかった。

 家族が行かなくても、毎朝一人で礼拝に通っていた。

 雨が降っても雪が降っても、大風邪をひいてもふらふらになりながら通ったもので、それをエレンが「そうまでして何で行くの? 休めばいいじゃない」と言って大喧嘩になったことがある。


「当然だ。俺たちが神術を使えるのも、神力を与えてくださった守護神の加護があってこそなんだぞ。お前は水神への信心が足りなさすぎだ! 神罰が下って神術が使えなくなってしまえばいい!」

「ほら、そんなところとか」

 エレンの守護神は水神だが、月に一度も神殿を訪れて礼拝をすればまだいいほうだ。信心がないわけではないが、熱心に信仰したからといって、生まれつき定まっている神力量が増えるわけでもない。守護神への祈りは朝に晩に欠してはならないというのが常識ではあっても、なかなか守れている貴族は少ない。

 そんな状況からすれば、パッレは模範的すぎるほど模範的な薬神の信徒だった。


「相変わらずね」

 エレンは楽しそうに微笑む。

「そんなに信仰熱心だから、今までの祈りが通じて守護神がパッレ君の傍にきてくれたんじゃない?」

「どういうことだ?」

 エレンの守護神は水神であるが、パッレの守護神は薬神であり、宮廷薬師となるべく天命を背負って生まれてきたような男だった。パッレは、自身の守護神が薬神であることを誇りに思っている。エレンがどれだけ薬師として努力をしたとしても絶対に埋められない、守護神の差。

 守護神が薬神であればこそ、エレンはなれないがパッレは宮廷薬師にもなれる。

 生まれつき薬神の庇護を持つパッレを、エレンが羨ましいと思ったことがないかというと嘘になる。

「ううん、なんでもない」

 エレンは言葉を濁した。それは羨んでも仕方がないことなのだ。

 当の薬神が白状しないのだから、エレンが打ち明けることでもないかと思ったのだ。


 パッレとエレンが薬局に戻ると、ファルマが客をさばききって薬局を閉め、玄関の前に立って二人を待っていた。

「おかえり、二人とも」

「ご希望通り馬車で帰ってやったぞ、これで満足か?」

 ファルマは兄のコートを受け取り、履物を二人分用意する。

 ちなみに、ブランシュは兄が戻る前に屋敷に帰らせていた。

「異世界薬局へようこそ、兄上。どうぞ中に入ってよ」

「お、おう」

 パッレは薬局の内部に足を踏み入れる。

「これが……薬局なのか」

 薬局は従来の薬局の概念を覆す間取りをしていた。また、パッレの知らない、使い道の分からない商品を置いていることにも彼は驚かされる。薬の保管方法も一風変わっていた。薬草や生薬の入った薬ビンは殆ど見当たらない。パッレは薬局一階の間取りや調剤室を見学すると、それなりに感心していた。

 エレンの指導の結果ではない、ということは明白だった。

「じゃ、二人はこっちへ」

 ファルマは一階の応接机にパッレとエレンを並べて座らせる。

 パッレとエレンの前には、テキストが一部ずつ配られ、飲みものと茶菓子が置かれていた。

「はいはい、気の利くことだな」

「改めて、兄上の病気の説明をするよ」

 ファルマは彼らに向かい合って座る。

「何で俺がお前に講義をされんといかんのだ」

 パッレは不機嫌だ。

「まあ、何か言うのは最後まで話を聞いてからにしてよ。納得したら、俺の治療を受けてくれ」

「ああ。俺を納得させられればな、お前のトンデモ学説をきかせてみろ」

 馬鹿らしい、ノバルート医大首席のこの俺の前で何を言い出すのか、という言葉が喉にまで出てきたが、まあ最後まで聞いてからコテンパンにやっつける方がいいか、と思いなおしたパッレは茶をがぶ飲みすると、おかわりは自分で生成水を造って喉を潤した。


「その前に、二人とも腕を出してくれ」

 ファルマはガラス製の注射器と試験管、駆血帯などの採血セットを取り出した。

「ってファルマ君何するの?」

 針を見たエレンが、テーブルの上に出していた両手をひっこめる。

「採血だよ、針を腕に刺して血管から血液を採る。怖かったら目をつぶってるといいよ」

「ちょっと待って、私もやるの!?」

 私、何の関係ある? とファルマにエレンは尋ねるが、健康な人間のサンプルとして協力してくれとファルマは言う。この世界では、血液の状態を診るときは手に軽く傷をつけて血を出して調べるのが普通だった。それが、ナイフではなく針が登場したものだから、何をされるものかとエレンは身構える。それはパッレも同様だった。

「俺の血を取ってもいいけど、自分で採血できないから協力してよ」

「ファルマ君、そのサイケツって手技しゅぎの経験あるの?」

「ある。その点は安心してくれ」

 採血の経験というなら前世では経験豊富な熟練者といってよかった。

 先にパッレの上腕に駆血帯を巻き、静脈を浮き上がらせてすみやかに針を刺す。パッレは血管が見えにくかったので、アルコール綿でさっと拭くと、血管が怒張して見えやすくなる。

「ただ、人間の経験はないから動物実験でだけどね」

 ファルマは後出しで白状した。

 倫理的に、薬学者が人間の採血をしてはならないということはファルマにも分かっている。だがもう、パッレの病状が悪化して今にも脳出血が起こるかもしれないという状況にある以上、四の五の言っている場合ではないのだ。できることは、するしかない。

「おいちょっと待てお前! やめろ! 俺を実験台にするな!」

 それを聞いて慌てたパッレが立ち上がろうとするが、ファルマは既に採血を終えてさっさと針を抜いた。

「もう終わったよ、腕がしびれてない?」

 一瞬の出来事だった。ファルマは注射器の中の血液を、抗凝固剤を入れた試験管の中に入れて涼しい顔をして振る。嫌がっていたエレンも、パッレの反応を見て渋々採血に応じた。

 ファルマはスライドグラスに注射器からパッレの血液を一滴たらし、カバーグラス代わりの薄いガラスでそれを引き延ばす。すぐにスライドグラスの両端をもって振るようにして乾かす。それをメタノールというアルコールの一種の入ったガラス容器に浸ける。

「それは何のためにやっている作業だ?」

「固定といって、血球成分を、形が崩れないようにしたままガラスに貼り付けてる」

 エレンの血液もスライドグラスに貼り付け、同じように処理をした。

「この状態で観察してみよう。兄上は、血液を見たことがあるか?」

「ああ、それも顕微鏡でな」

 パッレは得意げに鼻を鳴らす。パッレの自慢が始まろうとしていたが、ファルマは出鼻をくじく。

「それはよかった。色んな形の粒子が見えたはずだ」

 ファルマの作った単式顕微鏡がなかった頃であれば、血液に細胞という粒子が含まれているといっても、パッレは信じはしなかっただろう。だが、今は誰でも信じざるをえない。

「種類が違うものが見えたな。スケッチもしたぞ」

「それは、こんな感じの粒子じゃなかったか? テキスト10ページを開いて」

 配布されたテキストの10Pは、丸い粒子のイラストがたくさん描かれていた。エレンとパッレのテキストは全く同じものだった。手書きの筆写にしては精緻なスケッチで、微細構造まで描き込まれている。パッレは感心した。確かに、顕微鏡でそう見えたとおりに描かれている。

 ファルマが帝国薬学校総合薬学部の創設にむけて、テキストを作って謄写板で複製しておいたものが役立っていた。

「ちょっと待て。こんなに細かい構造が、どうやって見えたんだ?」

「倍率の高い顕微鏡で見れば見えるよ」

 ファルマは箱に入った顕微鏡をパッレとエレンの前にすっと出す。それは、メロディ尊爵に依頼した質の良いレンズによって500倍の倍率を実現した、真鍮製の複式光学顕微鏡だった。

 ステージの下に鏡をセットして、集光機能もついている。

「なっ、何だこれは!」

「これは単式顕微鏡のレンズ部分を更に拡大して見えるようにした複式顕微鏡だ」

「何でお前がそれを持っている! 父上に取り寄せてもらったのか?」

 帝国薬学校の総長であるブリュノのコネで性能のよいものを取り寄せたのだろうと、パッレは信じて疑わない。

「まあ色々あってさ」

 実際はファルマが設計図をひいて職人に作らせたものなのだが、ひとまず話が進まないのでうやむやにしておいた。


「ところで、血液が全身に運んでいるものは何だと思う?」

「栄養だろう」

 パッレは少し考えて答えた。人間の体液は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つからできているという四体液説を、ノバルート医薬大では教わっている。そして、血液を容器に入れて放置しておくと、透明な上澄みと、赤黒い沈殿に分かれることも知られていた。血液は脾臓できれいに浄化されていると考えられていた。この体液のバランスが悪霊によって崩れて、人は病気になるのだと教わってきた。

「その通り。栄養と、それから呼吸によって体内に取り込んでいる酸素だ」

 酸素という元素は、パッレも知っている。

「血液は大きくわけて血球成分と、血漿成分と、そのほかの成分から成っているんだ。

 血が赤く見える原因となる赤血球…これは体のすみずみにまで酸素を運ぶ役割を果たす粒子だ。

 無色の白血球…これは細菌を殺したり、免疫に関係する粒子。あ、免疫はまた別の機会に説明するよ。

 そして血小板…血液を凝固させて出血を止める成分だ」

 なるほど、とエレンは頷きながらテキストを読み込む。できたてほやほやのテキストを読んで、エレンはファルマの努力の成果に感動した。

「へー! そうなんですねー、ただ赤い液体に見えて、すごいんですね!」

 ロッテが絶妙なタイミングで相槌を打つ。

 セドリックとロッテも、少し離れた場所からテキストを片手に講義に耳を傾けていた。

「これらの粒子を細胞という。血液成分だけじゃなく、ありとあらゆる生き物は細胞という構造を持っているんだ」

「なるほど」

 パッレは顕微鏡での観察によって、植物であろうが動物であろうが、あらゆる組織片は確かにファルマの言う小さな小部屋のような構造を持っていることを知っていた。それを卒業論文の実験の中で検討したこともある。

 生物は細胞からできていると言われても、納得できることだった。

「でも、多種多様な血液の各成分を作り出しているおおもとの、血液のもととなる細胞は、たった一種類なんだ」

 ファルマは、様々な血液中の成分が描かれている中の、一番上流に描いた粒子を指さした。

「それは血液を造る幹細胞かんさいぼう、造血幹細胞と呼ばれている。その幹細胞が赤血球、白血球、血小板などの血液成分を作っている」

「ふむ」

 作り話にしてはよくできている、とパッレは聞き入る。

「じゃ、今の話を聞いて、兄上の出血が止まりにくくなっている原因は何だと思う?」

 ファルマはパッレに逆に質問をする。

 パッレはファルマに付き合うことにした。歯茎から出血しやすく、そして血がとまりにくく、痣ができやすくなっている原因だ。

「血小板……出血を止めるはずの成分が、できなくなっている?」

「その通りだ」

 ファルマは大きく頷いた。兄の飲み込みがよくて助かった。

「造血幹細胞から各血液成分に成熟してゆくルート、兄上の場合は好中球(白血球の一種)を作り出すルートに、異常が生じているんだ」

「それじゃ説明がつかないぞ」

 パッレはすかさず指摘をする。

「そんなことが原因なら、何故ほかの成分が減るんだ? 異常が起こっているのは一部分のルートなんだろう? 血小板や赤血球とやらを造るルート、ほかの種類の赤血球や白血球を造るルートは無事なんだろう?」

 すぐに知識を吸収して反論してくるあたりは、さすが優秀な兄である。

「異常な白血病細胞は無制限に増えまくる。そいつらに造血の場所……主には骨髄なんだけど、そこが占拠されてしまってスペースが足りず、ほかの成分が作れないからだよ。だから、赤血球が減って貧血になり、酸素が体中に運べずに息切れがする、白血球が減って細菌に感染しやすくなる、血小板が減って出血が止まりにくくなる」

「……!」

 すべての理屈がぴたりとあって、パッレは震えがきた。

「今、言ったことが本当かどうか、兄上の血液成分とエレンの血液成分を比較して調べてみよう。とはいっても、血球成分が透明な状態では見えにくくて観察しづらい。そこで、細胞に色をつける。これを染色というんだけど、時間がかかるから昼食でも食べよう」

 ファルマはパッレを3階の職員休憩室に通す。

 ロッテとセドリックによって、昼食が準備されていた。

 五人で食卓を囲み、ファルマも歓談しながら時々実験室に染色の作業に行く。パッレはいつもの饒舌ぶりがどこへやら、口数は少なくむっつりとしていた。新たな知識に触れ、ショックを受けているのだろう。

 そんなパッレの心境を慮ったエレンが場を和ませる。

「このオニオングラタンスープ(soupe à l’oignon gratiné)、体が温まるわー。ロッテちゃん料理も上手になったわよねー、寒い日にぴったり」

「えへへ、セドリックさんにも手伝ってもらいました! おかわり、たくさんありますよ!」

 褒められたロッテが照れていた。彼女は最近、薬局のランチづくりにはまっている。食事を終えたところで、エレンとパッレはファルマを待つ。

 ファルマは四階の実験室から三階へスライドグラスを持って降りてきて、結果を説明しはじめた。

「うまく染まったよ。赤血球が赤、血小板が青、白血球のうち好中球が赤紫、好酸球が赤、好塩基球が青紫に染まっている、こっちがエレンの血液。こっちが兄上の血液だ」

「そんなに都合よく染まるものなのか?」

 などと半信半疑だったパッレは、顕微鏡を覗いて絶句した。

 確かに、染色という工程によって細胞には着色がなされている。適当に色をつけたというのではなく、きちんとむらなく色分けがされているのだ。

「エレンの血液と、兄上の血液。違いが一目瞭然なのがわかるか? 紫色をした血球の内部に、針が集まったような構造が見えるだろう。それは、アウエル小体という構造で、エレンの血液にはない。見えるか?」

「……ああ、確かに。見える」

 パッレの声はかすれていた。

「それが、白血球になりそこなった白血病細胞なんだ」


挿絵(By みてみん)


 パッレはまた、エレンのものと比べて、全体的に赤血球や血小板が減っていることにも気づく。パッレは自身の血液の拡大像をその眼に焼き付けていた。いやというほどの証拠を突き付けられて。

「皆で食事をしている間に、俺は兄上の全血球を計算していたよ。赤血球、白血球、血小板が減少、そして特徴的な白血病細胞がみられた。骨髄を刺して診断するのが本当のところだけど、痛みもあるし、もう末梢血にまで白血病細胞があらわれている。だからこの結果と合わせて」

 淡々と、逃げる隙も与えず理論的に話を詰めてゆくファルマに、パッレの手足はだんだんと冷たくなってゆく。


「俺は急性前骨髄球性白血病と診断する」

「……」

 エレンもまた、言葉を失っていた。ファルマは患者を診るとき、大抵の場合は診眼を使っている。それは診療の簡略化に繋がるからだ。

 だが、診眼を使わなくても病気を立証してみせ、患者に納得させることができる、診断の方法を知っている。何でもかんでも薬神の神力で片付けてしまわなくとも、たとえ神力を失ったとしても彼は診断ができるのだとエレンは見せつけられた思いがした。


「兄上、この病気を治療しなければ、兄上は数か月以内に死ぬ」

 ファルマが無言になったパッレの肩にぽんと手を添えると、パッレは脱力し、椅子から崩れ落ちてしまった。パッレはもう完全に、ファルマの示した結果に反論することはできなかった。

 人智をはるかに超えた神の知識、パッレにはそうとしか思えなかった。

 既に口を差しはさめる段階ではなくなっている。

「これから治療方針を説明する。100%効くとは保証できない。治療は辛いだろう。それでももし、兄上が俺のいう事を信じてくれて、納得ができたら……」

 もはや、ファルマの中には頼りない弟の面影はない。

 パッレにはファルマがすっかり別人になってしまったかのように感じられた。


「今すぐ治療をさせてくれ」

エレオノーラと書いていましたが、以後エレンの本名はエレオノールにします。

本頁は津田彷徨先生に考証をしていただきました。ありがとうございました。

【9/26追記】

エレンとパッレは散歩をして帰ったという記述がありましたが、これも脳出血のリスクから考えると危険なので削除して、馬車で帰ったということになりました。

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