3章10話 白血病
「ファルマ君。あいつ並んでるけど」
ファルマの兄パッレは、新年の営業を待つ最後尾に並んでいた。
平民の間に交じって行儀よく順番を待っているあたりが憎めない。
ファルマが宮廷薬師になっていること。異世界薬局の創業者であること。彼がこの一年あまりで行ってきた数々のこと。それらはパッレにはまだ話していないことだ。
「そのバッヂは隠しておいたほうがいいんじゃない?」
エレンはファルマの宮廷薬師のバッヂを指す。
「隠したり言い訳をしようと思えば何とでもなるけど……ファルマ君が2階に上がってればバレないんだし」
どうする? とエレンはファルマをうかがう。パッレと一時的に顔を合わせなかったとしても、ずっとそれで通るわけではない。
「あれがあるしモロばれだよなぁ……」
ファルマが視線を向けた方向には、薬師と従業員の名が刻まれたボードがある。でかでかと名前が載っているのだ、店主として。あれはすぐには外せない。
そうね……と考え込んでいたエレンは、彼女の杖を握りしめた。
「任せといて。私が話をつけてくるわね」
「やめてくれエレン、絶対こじれるって」
エレンとパッレはライバルなのだ。薬局内か、帝都の街路で神術戦闘が始まってもおかしくなかった。
「薬局の中にゴタゴタを持ち込みたくないでしょ。客も来てるし、兄弟げんかで店が吹っ飛んでも困るじゃない。私がうまいこと言うから、ファルマ君は何も気にせず接客をしていて」
エレンの言葉は物騒きわまりない。エレンは薬局のドアを開け雪を踏みしめ、格子門の前に出て行った。そして営業用の笑顔で客の前に立つ。
「皆さま新年おめでとうございます。ようこそいらっしゃいました。今年も異世界薬局をよろしくお願いいたします」
エレンは深々と頭を下げ、警備の騎士たちに正門を開けさせる。エレンは愛想よく客を迎え入れながら、パッレの前に立ちふさがった。
「あーら、久しぶりじゃないパッレ君!」
腕組みをしているので、自然と胸を強調するポーズになり挑発的だ。
「エレオノールか!」
パッレは気まずそうな顔をした。
「何でお前がここにいる!?」
「何で、ですって? 雇われているからに決まっているわ」
エレンは令嬢らしく演技がかった高笑いを披露する。
「貴族のくせに下賤の者のやる商売の真似事か、そんなに貧しいのかお前の家は。下級貴族は大変だな?」
そしてパッレは口が達者だった。
「誰の家が貧しいですって?」
エレオノールは裕福な伯爵令嬢であった。尊爵家嫡男のパッレからすれば下級なのかもしれないが、わざわざ下級と呼ばれる筋合いはない。
「じゃあその皇帝陛下の保護を受けているこの帝国勅許の賎しい店に? 何を買いに来たのかしら?」
脳筋につける薬かしらね、などと売り言葉に買い言葉で、お互いに棘のある言葉の応酬となった。
「わかった。ゆっくり話をしようじゃないか、エレオノール!」
この場合の話とは、肉体言語でということである。
「あらあら。前のように私に負けてほえ面かかないようにね!」
上位神術使いであるエレンも、全くひかない。
「おい、負けた覚えはないぞ!」
売り言葉に買い言葉でどっちも引かず、二人は馬に乗り、連れ立って郊外の方角へと出かけてゆく。
「あーあーあーあー! ……ちょ、どこ行くんだ二人とも!」
勝手にヒートアップする二人の水属性神術使いを接客しながら覗っていたファルマが、急な展開に唖然としていた。
「パッレ様がエレオノール様の足元にハンカチを叩きつけていましたから、これは決闘ですね」
ロッテが人差し指を立てて解説する。ブランシュはガタガタ震えながら両手を組んで神に祈りを捧げている。
「勘弁してくれよ!」
ファルマは勢いよく席を立つ。患者がびくっとして怯えた。
「楽しみですね、決闘! どっちを応援します?」
ロッテは決闘の意味がよくわかってないらしい。
「決闘って死人が出るやつだから! 楽しみにするやつじゃないから!」
診察をしながら窓の外から彼らを見ていたファルマは、やっぱりエレンが出て行ったほうがこじれてるじゃないか、と頭が痛くなった。
「あーもう!」
(沸点低すぎだろう、二人とも!)
ファルマは怒涛の勢いで列に並んでいた全員分の処方箋を書いて、薬局にバイトに来ていた一級薬師に「よろしく」と投げ、「昼までには戻るから!」といって白衣を脱ぎ、コートを羽織って薬局を飛び出していった。
処方を書いてすぐに薬局を飛び出してみたものの、二人とも馬に乗って果し合い会場に出かけていったため見失ってしまった。
途方に暮れかけていたファルマに、ロッテが背後から呼びかける。
「大丈夫ですよ、お二人とも薬師ですから。怪我をしたとしても見捨てておけません。お互いに手当をしてしまうと思います。そしたらほら、めでたく仲直り! なんて」
ロッテがファルマを励ますように、暢気なことを言った。そんなわけないだろうとファルマは思うのだが、ロッテは素でそう言っているようだ。
「それで仲直りはないよ」
最初から自分が出ていけばよかったと後悔したファルマである。
…━━…━━…━━…
パッレとエレンは、ボヌフォア家の所有する更地にやってきた。馬を降り、互いに距離をとる。
二人とも水属性神術の使い手で実力は伯仲し、二人とも上位神術使いなので、水属性(水、雪、氷、霧、熱水)の全ての神技が使える。
「さて、勝負だ」
パッレはばさっとコートを脱いで放り投げた。
真冬にもかかわらず、鎧のような筋肉に覆われた腕をさらけ出した暑苦しい男だ。
「どちらかが倒れるまで、でいいのかしら?」
エレンも白衣を汚さないように脱いでおく。白衣の下からきゅっと細くくびれた腰と、上品な大きさの胸、一切の妥協もなく整ったボディラインが現れた。彼女は戦闘のためにロングスカートの前ボタンを開けハイスリットをつくる。適度に筋肉のついた女性らしい脚は、気持ちいいほどの脚線美を描いていた。
「泣いても知らんぞ」
パッレは手に持っていた小石を高く放り投げた。
小石が地面に触れた瞬間が、戦闘開始の合図だ。
エレンとパッレは石が地面に落ちると同時に駆けだした。一所にとどまって標的となるのを避けるためだ。
「”濃霧の壁”(Mur de brouillard)」
エレンはパッレとの間に濃霧を生成し、目くらましをする。
座標を攪乱するのは、水属性神術戦闘の基本だ。そこへ、エレンは横一閃に杖を振る。
「”逆さ雨”(Pluie inversée)!」
地面に分厚い水の幕を張り、地からの逆豪雨を浴びせようとしたエレンに対して、パッレも発動詠唱をうち迎え撃つ。
「”氷捕縛”(Capture de glace)」
パッレはエレンの水を利用して、地面凍結からの捕縛を使ってくる。
氷の塊がエレンの足をとらえ、エレンの体を凍てつかせてゆく。しかしエレンは神杖を突き立て、エレンの杖の晶石が鋭い輝きを放った。
「”迅速融解”(Fonte rapide)」
氷塊は水に変わり蒸発する。
「”水の精”(Naïade)」
足を地面に踏ん張り、パッレは大水流放出の反動に備える。得意の上位水属性神技だ。
パッレの杖から生み出された大水流は水の巨人となり、エレンに襲い掛かる。神力によって硬化した氷の拳を地面に撃ち込めば、地面が激しく抉れクレーターができるほどの威力だ。
そんな代物をエレンに対して容赦なく差し向けるパッレは、一切手加減をしていなかった。
全力疾走で縦一直線に逃げていたエレンは急に振り返り、まっすぐ巨人に杖を向けた。
杖の先から生じた氷柱によって、エレンの身長より巨大な、透明な氷の蕾が出来上がってゆく。
それが大きく膨れ上がった頃合いに、エレンのアクア色の瞳は氷のように冷ややかに眇められる。
「”咲け”(floraison)」
二段階の発動詠唱。
「”氷の華”(Fleurs de glace)」
対物理防御シールド、大輪の氷の花は眩い閃光とともに積層状に咲き乱れた。
大きく振りかぶって拳を撃ちおろしてきた巨人の攻撃を受け止め、その拳を花弁が飲み込み、凍結の波動をもって巨人を内部から破壊する。
ダイヤモンドダストのように砕かれた巨人の氷の屑がふわりと風に流され、大気中に優しく乱反射している。
濃霧は晴れ上がって二人は再び対峙する。
「やるじゃないか、エレオノール。俺は強い女は嫌いじゃないぞ、お前は嫌いだがな! はーっはっはっ!」
パッレは、手ごたえのある同属性のケンカ相手に会えて嬉しそうだった。
ファルマとの兄弟対決は、勝敗はともかくパッレにとっては物足りなかった。ファルマはどうも受け流しすぎで、真っ向からぶつかってこない。おまけに早く終わりたそうな顔をしているのも不満だった。
パッレからするとエレオノールとのケンカはとことん、という意味で好感が持てた。
「馬鹿じゃないの!? パッレ君に褒められても嬉しくないわよ」
エレンは神杖を握りなおす。
「ガサツで、意地っぱりで、何か気に入らないことがあればすぐ暴力。ちっとも変わらないわね、あなたは。いつも穏やかなファルマ君とは正反対」
どうしてこうも兄弟で違うのかしらと、エレンは嘆かわしい。
エレンは神術を「自衛のため」と割り切って学んできた。だが、パッレは相手に対して優越感を得るため、自己顕示欲のために神術を使っている。エレンはそう思っていた。
「お前も似たようなもんじゃないか?」
ファルマに言わせると、煽り耐性が低い部分では二人は似たもの同士なのだが。
何故バトルに発展しているのかは当事者たちも理解に苦しむところだったが、決着をつけなければという雰囲気になってしまっていた。
「パッレ君と一緒にしないでくれる!?」
「お前なんかを雇ってる薬局の店主も大変だろうな」
「余計なお世話よ、だいたい、薬局に何しにきたよのよ?」
「薬局には薬を買いにくるもんだろうが。俺は客だぞ? 何しにきたと思ったんだ」
杖を脇にはさんだまま、どうだとふんぞりかえるパッレ。
「確かに、そうだったわね」
エレンはぐっと返答に詰まる。最初に絡んだのはエレンだ。
「おあいにく様だけど、よく効く薬ほどあの薬局には”売って”ないわよ。薬がほしいなら、患者を連れてこないと」
エレンはもってまわった言い方をした。
異世界薬局の販売コーナーにはサポーターや絆創膏、飴などはあるが、薬らしきものは売っていない。
「まず患者を診てから薬を出すというのが店主の方針でね。だから元気な人に”売る”薬はこの店にはないわ」
なるほど、とパッレは納得する。
「患者は俺だ」
パッレはあっさりと白状した。
「えっ、ちょ、何の病気なのよ」
薬局に冷やかしに来たのではないとわかり、とたんに決闘ムードではなくなってしまった。
エレンとパッレはひとまず杖をおさめた。
「俺にはまだ、診断がつかない。多分、誰にも分らんだろう」
この世界で最高といわれるノバルート医薬大を首席で卒業した彼が、それでも分からない病気。
「だがわかることもある。俺の命は多分、もう長くない」
パッレは力なく笑った。その歯茎から出血しているのが見えた。
「どうしたのその血。私、まだ殴ってないわよ」
エレンはまだダメージを与える攻撃はしていないはずだ。
「これもその症状の一つだ」
パッレは口に溜まった血を忌々しそうに吐き捨てる。すぐ出血して、すぐ血が出て、なかなか止まらないんだ、そう言った。それが異常であることを、パッレは知っている。
「家庭教師をやっているお前はファルマと会うこともあるだろうが、この件は内緒にしてくれ。特にファルマやブランシュはまだ小さいからな」
「父上は? 母上はご存知なの?」
「誰も知らない、お前が初めてだ。薬局に来たのを見られては、白状するよりないだろう」
「ちょ、何なのよ」
「この数日で、弟妹には思い残すこともないほど遊んでやった」
ファルマたちは、確かにこの連休中パッレに連れまわされてへとへとだったと言っていた、とエレンは思い出す。
弟妹への思い出づくりのつもりだったのだろうか、彼女にはそう思えた。
ファルマは少し離れた場所から物陰に隠れ、二人の様子をうかがっていた。
エレンとパッレの派手な神術戦闘が始まったので、その神力の流れを辿って果し合い会場を見つけたのだ。どちらかが怪我をしそうになれば、ファルマが消去の能力を使って割って入るつもりだった。
それが、意外な展開になっている。
「弱気なこと言ってないでしっかりしなさいよ」
エレンがパッレを励ます。
「万一のことがあれば家はファルマが継ぐだろう。あいつも大した奴じゃないが、俺がいなくなればしゃきっとするかもしれないさ」
「自分で診断がつけられて、治療方針が立てられるの? どうするのよ、その診断のつかない病気」
エレンはパッレを問いつめる。エレンはパッレと長年のライバル関係ではあるが、パッレがつっかかってくるのと気が合わないからであって、特に憎んでいるわけではない。
ファルマは離れた場所からそっと診眼を使ってパッレを診た。
パッレの全身が、青白く輝いていた。骨の一部、そして血管という血管に沿って、その蛍光は脈打ちながら流れてゆく。ファルマは光が動くことから、骨や血液系の疾患にあたりをつけ、かたっぱしから病名を唱えてゆく。
そして、ファルマが恐れていた一つの疾患に反応した。
「”白血病”」
ファルマは背筋が凍えた。
それは、血液のがんと呼ばれるものだ。
感染症と違って、治せるかどうかわからなかった。確信をもって治療ができる、というものではないのだ。
(嘘だろ。すまない……兄。見落としていた、俺がちゃんと診眼を使っていれば……)
半年前の帰省でファルマが診たときには、パッレには全く異常はなかった。
だが、今回の帰省では兄にこれでもかと遊びに連れまわされ、いつもより何割増しかで間断ないマシンガントークが続いていたので、ファルマもくたびれて診眼を使うのを忘れていた。
白血病細胞は一個の造血細胞の変異からの白血病細胞の誕生によって始まる。
前回、その一個、ないし数個、数十個を見逃していたのだろうか……などと考えても、ファルマは反省しどおしだ。
(兄が帰省してから狂ったように俺たちを連れまわして遊んだのは、もしかして……)
自らに忍び寄る死の影を覚ったからかもしれないと、ファルマはエレンと同じように思った。
振り返ってみれば、兄弟対決のあと兄の怪我を治療したときに、手足に青あざがいくつもあった。
だが脳筋な兄のことなので、自己鍛錬やケンカ、女性にひっぱたかれたりで青あざを作ったのだろう、ぐらいにファルマは軽く考えていた。
この世界では、先進国日本のようにがんを患う人は少ない。
そもそもこの世界の平民は寿命が短いことと、ほかの感染症などで死んでしまう確率が高いので、薬局に来た帝都市民の中でもがん患者はあまり目立たなかった。
貴族は神力によって免疫力が高められているからか、遺伝子系の疾患に強く余計に症例が少ない。
なので、強い神力を持つ貴族であるパッレが白血病を患う状況は非常に珍しいといえた。
(あるいは、兄は俺と一緒に暮らしていたらもしかして発症しなかったのかも)
そう思うと、ファルマは悔しくてならない。
神官長いわく、ファルマの周囲にいると聖域が発生しているために病気になりにくくなるとのこと。
不運にも兄は遠隔地ノバルートで寄宿生活を行っていたので、ファルマの聖域も効果がなかったのかもしれない。
白血病には、4つのタイプがあり、慢性と急性に分かれる。
「”急性”」
急性のほうで反応があった。今すぐに治療に入らなければ、数カ月でパッレは死亡してしまうということを意味していた。
「”急性骨髄性白血病”」
白血病では、鼻血や歯肉からの出血、痣ができやすくなる、感染症にかかりやすくなったり、貧血になるなどの症状が次々とあらわれ、それはやがて多くの臓器に影響が及ぶ厄介な病気だった。急性骨髄性白血病と唱えても、反応はあるものの、光が消えない。ファルマは病名を変えた。
「”急性前骨髄球性白血病”」
この病名が明らかになった時点で、彼をノバルートに戻してはいけなかった。
このタイプは、脳の血管内で出血を起こしやすいのだ。今にでも出血を起こせば、ファルマには手術もできないし、脳内のことはほぼ手が出せなくなる。パッレの死を見届けるしかなくなる。
パッレが薬局に立ち寄ろうとしなければ、彼はそのままノバルートで倒れてしまったかもしれない。
(もはや、迷っている時間はないぞ)
パッレの命にかかわる状況になっている。
ファルマも正体バレなど気にしている場合ではなくなった。
「兄上」
ファルマは一声かけ、エレンとパッレのいる前に歩んでいった。
深刻な話をしていた場面での突然の弟の登場に、パッレはどこまで話を聞かれたかと動揺を見せたものの、
「なんだ、お前どうしてこんなところに? エレンを探してきたのか? 今日は家庭教師の日なのか」
パッレは明るい表情でファルマに手をあげて呼びかける。
彼の態度からするとあくまで、ファルマには病状を知らせないつもりのようだ。
だが、ファルマはそんな場合ではないだろう、と首を左右に振った。
「話は聞かせてもらった」
「ファルマ……その、なんだ。お前は、お前のすべきことをしていればいい。父上と母上、それから……」
「やめろよ」
パッレはファルマに何か言葉をかけようとしたが、ファルマはそれを遮った。
兄の遺言など、聞きたくもなかったからだ。
「戦おう、兄上」
それが現実になってしまわないように、ファルマはパッレを直視する。
「効くかもしれない薬ならある」
その一語一語に気迫のようなものを読み取って、弟の気休めの言葉ではない、とパッレは悟った。
「お前の薬って……なぁ」
気持ちだけはうれしいぞ、とげんなりするパッレに、ファルマは彼を突き刺すに十分な一言を一気に言い放った。
「異世界薬局の店主は、俺だ」
「なんだ……と……」
兄は力が抜けて、脇に挟んでいた杖を取り落とした。




