3章2話 腱鞘炎と謄写版
「歴史は繰り返す」
一年先まで埋まりつつあるスケジュール帳を見つめながら、異世界薬局の店主は神妙な面持ちで格言じみたことを呟いた。
「何の歴史を? 薬学史のこと?」
エレンが尋ねる。エレンは、ブリュノの手前薬学校講師を引き受けたものの、学生を教える自信がないと言ってどんより沈んでいたところだった。それで、薬学の書物を大学図書館から引っ張り出してきて復習をしているのだった。
(俺の過労死の歴史、もとい過労史だ……)
ファルマの、雪だるま式に仕事を引き寄せる体質は、今回の人生でも変わらないらしい。それどころか、前世と違って他に投げられない分悪化しているといってよかった。
(いや、他人のせいじゃないぞ、自分で仕事を増やしてるし。まずいなこれ。今でさえスケジュールパンパンなのに、教授なんて引き受けたら絶対死ぬ)
頑張り過ぎない人生、そして人助けというのをモットーにしようと思った彼の今回の人生。なのに転生後一年あまりで早速オーバーワーク気味となり、危機感を覚えていた。失敗は二度と繰り返したくない。
(次、死んだらもう転生なんてしないだろうしな)
幸い、サン・フルーヴ帝国薬学校で教授として教鞭を取るのは、来年からでよいということになった。準備期間中に、大学では新学部開設の段取りや研究室、実験室の設備を整えたり、学生募集などをするという。特に優秀な学生を帝国全土、そして世界中から集めるため、学費無料の特別枠での入試を行うそうだ。大変な気合の入れようである。
その間に、ファルマは抱えている仕事のめどをつけなければいけない。
(ペースダウンをしよう。仕事を減らそう、とりあえず今は黒死病の危機は去ったことだし)
皆の健康もだが自分の健康も大事だ、とファルマは大きく深呼吸をする。
ペストのアウトブレイクの前には何よりも感染拡大を防ぐことが最優先であったが、目下の大規模な危機はないのだ。前世であれば、やらなければならない仕事は全て同時進行、というデスマーチもものともしなかったが、今回は過労死を警戒している。
「過労死って知ってる?」
「どういう意味?」
エレンがメガネを拭きながらくるんと首を捻る。
無理しすぎない、労働時間は日没までという国民性なので、過労死そのものの言葉がなかったようだ。疲れたら休む、それが当たり前。明かりが貴重なので、夜を徹して仕事はしない、それも当たり前だ。
「エレンは疲れてない?」
「そういえば私も頭が痛くなってきた」
「働きすぎで?」
「私はメガネ酔いよ、仕方ないわ」
度のきついメガネを長くかけていると、エレンは頭が痛くなるようだ。彼女にコンタクトがあれば楽になるだろうな、とファルマは思うが、現実には加工が難しいだろう。
(いや待てよ、コンタクトの素材は作れるわけだし……加工だってそんな無理な話じゃ……)
また仕事を増やそうとしてるファルマだった。
「で、過労死って何?」
「働きすぎて死ぬやつだよ」
「確かに、ファルマ君は働きすぎだわね……でも、ファルマ君って死ぬの?」
エレンはファルマを神格化しているので、その発想はなかったようだ。
「私が知る限り、君、落雷を受けてからものすごく丈夫になってるわよ。中身も体も入れ替わったんじゃないかと思うぐらい」
もともとのファルマ少年は、水系統の神術の訓練でずぶ濡れになるからか、年に何度も風邪をひいたり、不意の怪我も多かったという。体調を崩しベッドから起きられなくて授業に来ないこともあったし、だからあまり無理をさせられなかったらしい。それが今はどうだ、あらゆる病気にもならなければ、怪我もしない。訓練でも多少かすり傷がつくぐらいで、流血もないときている。
(過労死したらどうなるんだろ。もし、死んで俺の意識がこのファルマから離れたら、この子の意識が戻ったりするんだろうか)
そう思うと、ファルマは後ろめたくなってしまう。
(いやでも、俺が寝てる間にファルマ少年が覚醒したりしなかったしな。やっぱ死んだんだよな、この子の意識は)
とにかく、ファルマ少年の体は酷使しないよう大事に使わせてもらおう、と彼は思いながらストレッチをしていると。
「そうなのよね、私たちもファルマ君の力に守られているみたい。感謝してるわ、ありがとう。守ってくれて」
エレンはファルマの手を取り、しっとりとした視線で、少しだけ照れくさそうに頬を赤らめファルマを見つめる。彼はどきっとした。いつもは同僚として見ているので何も感じないが、エレンを改めて見ると色っぽさを感じた。
(エレン、前はこんな顔見せてくれなかったのにな……)
どちらかというと、転生後のファルマは人外としてエレンから恐れられていた。時間を重ねるうちに、だんだんと心を許し信頼をしてくれているということなのだろうか、とファルマは嬉しくなる。
「ファルマ様のおかげです! いつもお世話になっています!」
エレンの言葉の意味がよく分からないながら、ロッテもエレンに同調した。
「来年からは大学教授も引き受けちゃったしね、私が君をサポートできるかしら?」
エレンは不憫そうにファルマを気遣う。
「大学教授だなんてファルマ様はどこまで偉くなるんでしょうか。まだお若いのに凄いですよねー、天才でしょうか、天才じゃないでしょうか!」
両手に拳を作りながら興奮するロッテの絶賛が追いつかない。お世辞ではなく本気だ。学校などというと、平民であるロッテはまったく知らない世界、その全く知らない世界のエライ人、エライ先生たちから注目され認められるファルマに、ロッテは尊敬のまなざしを向ける。もちろんロッテは、カミュとの一戦があっても、ファルマをただの人間だと思っている。
「異例尽くめですな、ファルマ様はますますお忙しくなるでしょうが」
セドリックも懸念していた。
「皆に心配かけられないな、自分のスケジュール、見直してみるよ」
ときに人の命にかかわる内容であるために、仕事量はなかなか減らせない。となると、必要なのは効率化である。大学の講義が始まる前に、効率化して短時間で仕事をこなせるようにならないと死ぬ。と、ファルマが思っていたところ、午後の診療になって……、仮面をかぶり帽子を目深に被った怪しすぎる兄妹がやってきた。声の感じからして、十代後半だ。
「どうして仮面をしているんですか? 取ってください」
極度の恥ずかしがり屋なのか、もしくは叩けば埃の出る身なのか。ファルマだから診眼を使えば診られるが、普通は顔を隠して診療はできない。
「聞いちゃだめよ。顔を知られちゃいけない、そういう仕事なのよ」
と、ファルマに耳打ちするエレン。患者のプライベートには深入りしないのが礼儀よ、と言う。エレンはそういう空気を読むのは上手い薬師だった。ファルマはそれもそうかと納得して、
「で、今日はどうしましたか」
「薬師様、俺たち手首や骨が痛くてたまらないのです、何か薬はありませんか」
「”狭窄性腱鞘炎”」
診眼で診るまでもなかったが、彼は一応確認をする。診眼は画像診断のように補助的に使っている。親指の付け根の部分が炎症を起こしているようだった。
「手を酷使したのですね、お二人ともです。腱鞘炎といいます」
「けんしょうえん?」
兄妹は同じような、間の抜けた声で問い返す。
「はい、親指のけんが炎症を起こしていますね。痛み止めを出しておきましょう。サポーターも使うといいです。それから、手を休めることはできませんか?」
「無理です。食い扶持がなくなってしまいます。俺たち、多額の借金を抱えていて……」
「えーと……お二人は何のお仕事ですか? それは聞いてもいいです?」
すると二人は声をそろえた。
「手書新聞屋です」
「手書新聞!?」
(何だその職業は……?!)
聞いただけで腱鞘炎になりそうなイメージの職業だった。
「詳しく聞いてもいいですか?」
「集めた情報を紙に書いて、必要とする人たちに売る仕事です。内容は言えませんが……」
妹が言葉を濁す。
(ははあ……なるほどね)
きわどい取材活動をして、一介の街の薬師にでも顔を知られるわけにはいかないのだろう、もしくは商用情報や軍事情報を扱っているのか……とファルマは推察する。借金を抱えているというのも、その筋の稼業で危険な橋を渡っているのかもしれない。すべて憶測だが。
腱鞘炎の痛みが酷くなると、ステロイド注射や手術をする場合もあるのだが、基本的には安静が一番だ。
「新聞屋さんたちは、何部筆写するんですか?」
「一人50部は書きます、調子のいいときはもう少し……でも書き損じもできるので、それは売れませんし、もっと書いています」
「新聞を50部! ですか」
(あーそれはなるわ、腱鞘炎)
「書けば書くほど利益が上がるんですよね? 写しているのは同じ情報ですか?」
「そうです」「はい」 手首を涙目でさすりながら、兄妹は頷く。
「その新聞は、必ずしも手書きでなくてもいいんです?」
ふと、ファルマはあることを思いついて確認する。手書き以外で何があるのか、と顔を見合わせる兄妹。
「もちろん、情報が相手に読めれば、新聞は売れます。誤報があれば賠償しなければなりませんが……」
妹が肩を落とす。
「おい、よさないか。はは、今のは忘れてください」
誤報をやらかしたことがあるようだ。
(飛ばし記事を書いたことがあるのか? 大変なんだな、情報屋)
それで借金を負って、新聞屋を抜けられないのかもしれない。ファルマはひとつの案が浮かんでいた。
「一週間後、もう一度ここに来てください。仕事が楽になるようにしますよ」
「は、はい……ではまたきます」
兄妹は半信半疑で、それでも必ず来ますと言って薬局の手首のサポーターを買い、鎮痛剤を持って帰っていった。
(これもいい機会だな)
「エレン。ひとつ聞いてみるんだけど、この世界で書物や文章を複写するには筆写するしかない?」
版画もないのだろうか。活版印刷はどうだ? と、ファルマは確認する。
「うーん。ないわけではないわ、木版、石版印刷はあったしね。でも今は廃れてしまったのよ」
エレンが人差し指を立ててこめかみに当てて思い出すしぐさをする。
「確かに……版を作るのが大変そうだよね。大掛かりだし」
「版を作るのにはかなり時間がかかるわ。情報屋は速さが命。それにそんなに大量に刷る必要もないから、版を作っている間に筆写できてしまうわ、さっきの新聞屋はそういうことでしょう」
そんな事情を聞いて、ファルマはやはりあれがいいと思った。
「謄写版(とうしゃばん:ronéotyper)を作ってみるよ」
日本でも1960年代まで教育現場などでよく使われていた、電気のいらない印刷法だ。さすがにファルマも現役で知っているわけではない。いわゆるガリ版というやつである。
「また、新発明のアイデアがあるの? ファルマ君、自分で仕事を増やして……あなた人がいいからってそんな無限に仕事を増やしたらだめよ。新聞屋は手首が痛いなら、仕事を変えればいいのだわ。もしくは、痛み止めを飲みながらでも続けられるし」
エレンがファルマを気遣う。「仕事ができないなら別の仕事をすればいいじゃない」という発想のエレンはやはり伯爵令嬢であった。職業選択の自由は、ないわけではないが、家業などもあり変えづらいのが平民の事情だ。
「いや、これは俺の仕事を減らすためでもあるんだ」
ファルマのスケジュールの中で何が時間を圧迫しているかというと、診療業務、そしてほかのテキストの執筆、薬学講義資料の準備だ。前世のファルマは講義スライドを作って、それを何年も薬学部の授業で使い回していた。そこで思いついたのが、テキストと、講義のハンドアウトを同時に作るという方法だ。
筆写の問題点は、そのスピードもさることながら人為的なミスと、意図しない解釈の挿入がある。ファルマのテキストは図やグラフ、化学式を多用するために、図がいい加減だと些細なニュアンスも伝わらない。ファルマが書いたとおりにコピーすることは、これからを考えれば必要な技術だ。
「薬局の薬の説明のハンドアウトにもできるな」
患者への薬の説明にかなりの時間を割いていたのだが、薬の説明のプリントがあればそれを読んでもらえばいいので、情報も患者に正確に伝わるし時間の節約になる。そのぶん多くの患者を診療できて、そしてほかの薬師に説明を任せることができ、診療時間を短縮できる。
「善は急げだ」
ファルマは蝋やワセリンを塗った薄紙、原紙を紙屋に特別発注し、3日で取り寄せた。
「それで何をするの?」
エレンとロッテが興味津々で近づいてくる。面白そうなことが始まるのを期待して……。
「みんなでお絵かきをしよう」
「わあ! やりたいですー!」
ロッテが手を挙げた。予め作っておいた鉄筆を、やすりの台の上に載せて原紙を引っかくように絵を描く。すると、原紙に傷ができる。その原紙を、絹を張った木枠に固定し、ローラーにインクをつけ印刷紙に印刷する。原紙で削られた部分からインクがにじみ出て、紙に転写できるのだ。
「すごい! こんなに簡単に印刷ができるだなんて!」
エレンは刷りあがった印刷物のできばえに感動した。
「エレン、それは何を描いたの?」
エレンは何やら前衛的なアートを刷っている。失礼ながら、とファルマは思うのだが、人なのか動物なのかすらもよく分からなかった。
「ファルマくんよ! どう?」
「これが、俺? そうなんだ……はは、ありがとう」
「何、その反応!?」
エレンには絵心がなかった一方で、ロッテはかなり絵の才能があるようだった。薬局に飾られたブーケを模写したそれはアールデコ調の装飾画になっており、まさにアート作品のようだった。
「ロッテちゃん、すごいきれいな花のイラスト! 画家になったらどう? 売れるわよこれ!」
「ええっ!? そうですか! 売ります! とっても面白いですこれ! 楽しいっ!」
鼻歌交じりに無邪気にローラーを転がしせっせとプリントを続けるロッテを見て、ファルマは可愛すぎだろと癒される。
「ロッテちゃん、刷りすぎよ? 売りさばく気?」
あっという間に、作品の山ができてしまった。
「ちなみに、インクの色を変えれば多色刷りもできるから」
もし版画がやりたければ工夫してみればいいかもね、とファルマはロッテにすすめた。ロッテは大層気に入り、本格的な趣味となりそうだった。
一週間後、約束通り新聞屋の兄妹がやってきた。今度はベネチアンマスクのような仮面をつけてだ。
「手首の痛みはどうですか?」
「お薬のおかげで、痛みはないです」
それでもこの一週間、痛み止めを飲みながら新聞を書き続ける作業量は変わらなかったようだ。
「お待たせしました。謄写版を作りましたので、今日からこれを使ってください」
「とうしゃばん?」
ファルマは要領を得ないといった様子の彼らに使い方を教える。教えの通りに謄写版を実際に使ってみた兄妹たちは、その使い勝手のよさと、刷り上がる印刷のクオリティに驚愕していた。
「面白いように印刷できていきます! 画期的だ! この謄写版の発明だけで明日の新聞の記事になる!」
兄が絶賛する。きちんと文字も判読できるし、細かな描写も絵もそのままプリントしてくれる。
「これはあなたが発明したんですか!?」
「いえ、私じゃないです」
偉大なる発明家、トーマス・エジソンさんの発明です。とファルマは言いたかったが彼はこの世界では架空の人物ということになっている。
「こ、こ、ここれからは一部だけ書けばいいってことです!?」
妹がおそるおそるファルマに尋ねる。
「そうですね、二人で一部書けばいいんですよ。ですから、腱鞘炎も少しは良くなるでしょうし、借金も片付けばと思いまして」
「うおおおっ!?」
兄は奇声を発した。
「ああ、なんてことでしょう、信じられないわ! 兄さん」
「やったな、妹……あ、ありがとうございます薬師様、いえただの薬師様じゃありませんね!」
兄妹は手を取り合った。喜びようが大げさだが、彼らにとっては大発明の文明の利器なのだ。
「助けになりそうでよかったです。その後の作業は利き手でなくてもできますからね、ほかの人に任せてもいいですし」
ファルマは、インクと原紙を格安で彼らに売ることにした。彼らは大喜びで大量に買い込んだ。
「これだったら、一部作れば百部でも二百部でも刷れますね!」
信じられないです、と兄妹は感動して咽び泣いていた。
「あまり大量には刷れないと思います。原紙が破れてくるので、百部はいけると思いますが……」
と言うと、それでも収入が大幅アップになるといって喜んでいた。
借金も返していけそうだと、明るい見通しが立ったという。
「でも、飛ばし記事には気をつけて」
刷った分だけ借金をかぶることになるから、とファルマは釘を刺した。
「はい、取材に時間をかけることができそうです。元版も今までは殴り書きでしたが、綺麗な記事にできます」
「このセットはいくらで買ったらいいですか?」
「材料費だけいただきます。それと、ですね……その新聞、異世界薬局にも一部売ってくれます?」
「もちろん、情報を外に漏らさないと約束していただけるなら、無料でお届けします」
兄妹は覆面と帽子を取り、改めて名乗った。アンドレ・ミッテランとエメ・ミッテラン兄妹だ。彼らはげっそりと痩せていたものの、緑の髪に緑の瞳で、美男美女の兄妹で非常によく目立った。
異世界薬局は手書新聞「帝都秘報(Le secret de la Cité impériale)」を無料で購読することになった。
購読してわかったが、この新聞は貴族社会の裏情報、軍事情報、決して表には出てこない秘密の商業情報を満載している有益な新聞だった。その筋の人間がほしがるわけである。二人は高く売れる情報を小部数手書きで書いて富豪に売りつけるという営業方針だったので、どう考えても取ってくるのに骨の折れそうなきわどい情報も扱っていた。
彼らの腱鞘炎の軽減にと開発された謄写版は、異世界薬局にも導入された。そして業務の流れは、目覚しく効率化された。まず、ファルマが患者の診察を行い処方箋を書く。エレンとバイトの一級薬師が薬を調合する。
「はい、そのお薬はですね……」
エレンらの用意した薬の説明を、これまた説明係の薬師らが引き受ける。彼らはファルマの書いた服薬指導の薬の説明書のコピーをもとに、患者に丁寧に説明を行う。いわば日本での薬剤情報提供文書の添付だ。これを謄写版で刷りに刷った。
患者の状態の細やかなカウンセリングも説明係の薬師が行い、疑問があればまとめてファルマに戻し、指導を受ける。説明書は患者にそのまま渡す。
この案は業務の効率化だけでなく、患者とファルマ、そして薬師たち全員にとって大きなメリットがあった。
何しろこれまでは、高齢者は物忘れもしやすかったし、高齢者でなくとも服薬指導をいい加減に聞いている者もいた。何度も聞きなおしたり、忘れたりする。だから説明書に薬の飲み方やその効果、どうやってその薬が効くのかということが予め紙に書いてあると、患者にも親切だ。
「あら、わかりやすいわ。いいじゃないこれ、すぐ忘れちゃうのよね」
薬の説明書を初めてもらった患者たちは、満足して帰ってゆく。
「おやおや、こういう副作用があるのかい。知らなかったねえ」
「え、この薬は一日二回だったのかい!? 一回しか飲んでいなかったよ!」
今までのミスに気づかされたりする者も。謄写版の発明は例によって、帝国技術局に登録した。
「おかげで、こんなに早く借金を返せたんです」
暫くして、ミッテラン兄妹が薬局を訪れた。今度は素顔でやってきた。より大衆向けの情報も売れるとわかって帝都民向けの「週刊帝都」を創刊したところ、これも軌道に乗り始めたのだそうだ。それで、際どい情報の取材からは徐々に手を引いてゆこうと思う、とのこと。
「それはよかったです。腱鞘炎はどうですか?」
借金返済が終わったと聞いて、ファルマも一安心だ。何しろ彼らは、以前は痩せていたものの、多少肉付きも健康的に戻ってきている。食うや食わずの生活は脱したのだろう。
「もう痛みはありません、よくなりました。今度は、ローラーをかけるので肩こりが」
「はは、湿布を買って刷り部数を落としてください」
とファルマが言うと、
「おっしゃるとおりで」
と、彼らもばつが悪そうに笑った。
以後、ミッテラン兄妹は仮面を外し表通りを歩くようになったという。
その後ロッテは、謄写版で刷ったアーティスティックな薬局のチラシを街頭で配るようになった。
その効果もあって異世界薬局にはどっと客が押し寄せ、有難いやら、有難くないやらでファルマは頭を抱えたという。
 




