2章15話 ある邪悪な男の話
調剤薬局ギルド長、ピエールがペスト菌感染者の存在を確信しながら駆けつけたとき、第六城門前に設営されていた第六検疫場のテントは神技で吹っ飛んでいた。
「敵襲だー! 外門を閉ざせ!!」
門番が叫び、門扉を閉め跳ね橋を跳ね上げようとしたが、跳ね橋に飛び移られ失敗。落とし格子を落とすも、水属性聖騎士は岩ほどの氷塊を格子間に挟み込み、身を滑り込ませスライディングしながら城門をかいくぐった。5人の聖騎士らは黒死病に感染しながらもかなりの力量があるようで、並み居る武装した騎士たちを風術で吹き飛ばし、内壁に叩きつけ潰死させる。その神力量と、部隊としての練度は王国親衛隊クラスとみえる。
「こいつら、強いぞ!」
帝都の衛兵は銃を構え、サン・フルーヴ聖騎士団は杖を抜き、統率のもとに各属性の神技を仕掛ける。
「射撃用意! 第一隊、撃て!」
マスケット銃部隊が門の上から発砲するも、氷の防壁を張られては仕留められない。
「第二隊、撃て!」
実際に普通の氷でも銃弾、砲弾を貫通させないのだが、上位の神術使いの氷は薄くとも十分な防御力を持っていた。
「くそっ、高位水属性か!」
ネデール国の聖騎士のうち3人はとうとう城門の内部に覆いのついた檻を運び込み、被いを取り檻を開くと、帝都の内部に白い小動物の群れが放たれた。半数が黒死病に耐えられず死滅していたが、生き残ったそれらは一目散に大市のある市街地へと散ってゆく。
「リスが、飛んだ!?」
人々はリスの予想外の行動に、悲鳴を上げる。
それらのいくつかは樋を伝って登ると、飛んで屋根から屋根へ飛び移ったものもいた。
白いリスとネデール国の商人たちは言っていたが、モモンガだったのだ。モモンガもまた、げっ歯類である。サン・フルーヴ大市で最初に取り扱われる商品は織物だ。
ペスト感染モモンガのノミが入り込むと、あっという間に感染媒体となる。
「これはいかん、非常事態だ! 第二門を閉ざせ!」
帝都は広大な城塞都市であり、城下町とははっきり区切られていないものの、皇帝、貴族、軍人たちの住まう枢要部区画と平民の住まう一般区画に分けられている。郊外に居を構える貴族もいたが、軍人は帝都の枢要に暮らしていた。防衛上の観点から、路地はわざと全体が見渡せないよう雁行状に組まれている。外郭の第一門が突破されても、二重の門が敵の行く手を阻む。
宮廷、枢要部へと至る第二門はただちに閉ざされた。
「家の中に入ってドアを閉めろ! 疫病を持ち込むリスに、中に入られるな!」
第六門の塔から敵襲を示す通信用の花火が空に打ち上げられ、サン・フルーヴ国宮廷や帝都陸軍に一斉に通達される。帝都各所の鐘塔の番人たちが、けたたましく警鐘を鳴らし始めた。
警鐘が鳴ると帝都中の店は門扉を閉めて、人々は店の中に籠ることになっている。通行人も物乞いも店内に入れてもらえる取り決めになっている。人々は迅速に退避行動をはじめた。
「くっそ!!」
潰された検疫所のテントの下から這いだしたギルド長ピエールは、傷だらけになりながらも、後生大事に守っていた薬箱を開ける。
「今か!」
分包された特効薬、スパルフロキサシンを開封するときがきた。
ファルマが言っていた。
身分の貴賤を問わず、たとえ罪人であっても必ず、生きている患者には全員に薬を与えて隔離すること。一人でも治療せずに残したり、感染者を自由に行動させれば、感染源となり黒死病をまき散らすのだ。
「お前ら! 全員! まず! 薬を飲め!」
ピエールはその場にいた者たちを怒鳴りつける。
彼は門番も野次馬も商人も片っ端から薬を処方し、道具箱のインク壺に筆を浸し、その場にいた衛兵も商人も、全員の頬にインクを塗りつけてマークする。ファルマから支給された消えないインクで、感染者を識別しておくのだ。そして彼らを、隔離区画へと連れてゆかなければならない。
「神術でここに氷の防壁を作ってくれ! これ以上拡大しないように、防壁だ!」
ピエールは神術使いに指示をし、マニュアル通りに隔離策を講じてゆく。
破られた防衛線を再度立て直す。
敵襲よりも、黒死病の侵入をこそ防がなければならない。この敵は人類よりよほど恐ろしい敵なのだ。ファルマの予想によると、もし帝都の人間が一人でも感染すれば、帝都の6割超の人間が死ぬとのこと。
「黒死病なんかに、やられてたまるか! 生きるんだ!」
それはピエールの魂の叫びだった。
帝都内部ではペストを媒介するといわれるネズミ、そしてノミの殆どは駆除している。人々も清潔に心掛けてきた。だから、帝都の中は各都市と比較すると世界一清潔なのだ。
住民たちは手洗い、うがいを励行し、マスクも配っている。そう簡単に、黒死病は広がらない。感染拡大を許さない。それでもなお、恐ろしい悪疫である。
「今が瀬戸際だ! 急いで対策を打て!」
ピエールは惜しげもなく薬を使い、第六検疫所で91人分の薬を消費した。
「薬が足りなくなる、最小限に食い止めろ!」
ピエール自身も忘れずに薬を飲み、ガスマスクのような装備をする。
城門の外に放置されたネデール国の運搬人たちはこの混乱に乗じ、荷物をその場に放り出し、元来た街道へと逃げ出そうとした。
「そこまでだ!」
だが、すでにエスタークから出発した神殿の第一追討隊が追いついて背後に回り込んでいた。
騎馬に退路をふさがれた商人たちは、怯えた表情を浮かべる。
「ひいっ、お助けえっ!」
「密入国者どもは降伏しろ! 降伏すれば命はやる、だが降伏しなければ容赦せず討つ!」
神官の声は断固としたものだった。怖気づいた商人は膝を折り、彼らは捕縛されたが、黒死病で発狂し正常な判断能力を欠いた何人かの商人は正面突破しようと大声を上げナイフを振り回したので、その場で神官らに殺害された。神殿の教義では、罪人は断罪するが、悔い改めた者は助けることになっている。
全員が発熱をしていたので、降伏した商人たちは神官たちに投薬されてただちに隔離され、彼らが持ってきた荷と、反抗した商人の遺体は焼却された。
「どけーっ! 道をあけろーっ!」
城門の中へ侵入したネデール国聖騎士団を討ち取ろうと、帝国陸軍の聖騎士団と、皇帝直属の近衛師団が駆けつけてきた。
ネデール国聖騎士団に向けて、馬上から先制攻撃を放つ。
「”灼熱の燃焼(Enfer de brûlure)”」
紅蓮の炎がネデール国の精鋭たちに襲い掛かり、辺りは火柱に包まれる。神術の炎は攻撃対象に絡みつく。
「”風の防壁(Barrière van wind)”」
それを風の神技で打ち消し、侵入者は反撃を繰り出す。
両者一歩もひかず鬩ぎあう死闘が繰り広げられてゆく。帝国騎士団も、街の被害など考えず怒涛の大神技ラッシュをかける。
帝国の沽券にかけて、ネデール国聖騎士たちを仕留めねばならない。
だが、四方八方に帝国軍に囲まれ、追い詰められ死を覚悟したネデール国の聖騎士らは最後の抵抗を試みる。そして、
「” 忿怒の暴風(Storm van woede)”」
ネデール国聖騎士たちはモモンガの檻を完全に開封し、死骸へ向け、風属性聖騎士全員で風の大神術を放つ。空高く打ち上げられるモモンガの腐りかけた死骸。
帝都市民の間を、ペスト菌を孕んだ爆風が駆け抜ける。爆風は家々の門扉や窓を破り、家屋の中へ風を舞い込ませた。倒壊した商家が、瓦礫をまき散らす。
爆風で煽り、帝都中にペスト菌を蔓延させるつもりのようだ。
「”清めの風(Vent de la purge)”」
「”大地の祓え(Purification de la terre)”」
遅れて駆けつけたサン・フルーヴ帝都教区の騎士団が、サロモン神官長の号令で風属性、土属性浄化神術で迎え撃つ。神力を孕んだ風は唸り、旋風を巻く。帝都の路地は周囲数十メートルにわたり、悪疫を寄せつけない浄域と化す。
「汝らもはや神の術を使うにあたわず。神脈を剥奪する!」
サロモン神官長が毅然として一声、断罪した。
神殿の持つ特権。それは、神術使いの神脈の開閉をつかさどる権限だ。これは、教区神官長にだけ伝えられている秘儀で、相手の名前が分からなければ神脈を閉じることはできないが、簡易的な方法で一時的に神術を使えなくすることはできる。神脈を閉じられた神術使いはただの平民に成り下がる。
「おおっ!」
武装神官たちは陣形を組み、聖騎士らを囲い込む。
神官長が神脈の切断のための長詠唱を始めた。それを皮切りに、ネデール国聖騎士らは神官長への一斉攻撃を浴びせる。これに対し、神殿の精鋭部隊や帝国騎士団らが神官長の詠唱を援護する。
「”火炎の牢獄(Prison de la flamme)”」
帝国近衛師団の上位火炎神術使いらが大神技を発動、ネデール国聖騎士らを火焔の壁で囲い込んだ。
「”聖泉の水涸(Fermez le Puits sacré)”」
サロモン神官長の秘儀が完成した。
杖から放たれた光輪が侵入者に襲い掛かり、彼らの体内に吸収されてゆく。そこに追い打ちをかけるように浴びせかけられる、無数の氷矢。
神術を失った侵入者は防ぐこともできず、彼らに突き刺さる。
黒死病のもっとも進行した聖騎士の一人が、敢え無く地に倒れ伏しそのまま事切れた。
火焔壁を作っていた炎が死体を飲み込み、骨も残らず焼き尽くした。
…━━…━━…━━…
「陛下! 第六検疫所が突破され、ネデール国の聖騎士が攻め込んできたとのことです」
「兵力は!?」
女帝は興奮して問う。敵襲と聞いて、彼女は愉しんでいるようだった。
「5名です」
聖騎士は一人で百人程度の平民兵士に相当する。だが、女帝は落胆した。
「警鐘を鳴らして大騒ぎするほどのことでもあるまい」
しかし、随分と長い間警鐘は鳴り続けていた。それに業を煮やした皇帝は、
「どれ、余が直々に捻り潰しに行くかのう」
彼女は愉快そうに微笑むと、玉座から腰をあげようとした。
「へ、陛下、それは……」
「なに、殺しはせん。半殺しにはするがのう」
大陸最強の炎術使いであるエリザベートが出ていけば、あっという間に片付くだろう。それを側近や廷臣らも疑わなかった。女帝は敵襲と聞けば恐れるどころか、どのように華麗に掃討してやろうかと血わき肉躍る性格だった。だが……、
「お待ちください、陛下」
ブリュノが女帝を諌める。
「皇帝陛下が前線にお出ましになるのは危険でございます」
「そんな心配をされるとは、余も見くびられたものよのう」
女帝はブリュノの言葉で、逆に闘志がわいてきたようだ。彼女の周囲を神気が迸り、神力の層によって蜃気楼が見える。
「マーセイルの黒死病が、帝都に入ってきたのでしょう」
「なんだと」
黒死病は死亡率がとりわけ高く、疫病の王としての地位を築いている。どれほどの被害を出すのか、と女帝の顔が青ざめる。最強の女帝も、病原体には抗うすべを持たない。彼女は結核で死にかけたのだ。
「ネデール国の思惑が見えません、宮廷でお過ごしくださいませ」
国務卿フィリッポもブリュノに口をそろえた。
「陛下には黒死病の特効薬の予防服薬を始めていただきます」
皇帝が黒死病に感染しては、国家が立ち行かなくなる。
ブリュノは主要な廷臣らに、ファルマから預かっていた薬を処方した。ブリュノとファルマを信頼をしていた彼らは、迷わずそれを飲んだ。
「にしても、何故ネデールが帝都に攻め込んでくるのだ」
女帝は薬を飲み干すと、苛立たしげにパチンと扇を開閉する。陸続きで繋がっている帝国の隣国、ネデール国はサン・フルーヴ帝国の従属国となって久しい。そして帝国とは保護国として同盟関係を結んでおり、敵対国家ではない。
先王は崩御したばかりで、ネデール国は4歳の幼君をいただいている。幼王のもとで摂政ら補佐役の反乱、陰謀、権力争いが巻き起こり、その結果の帝国への謀反だとしても、なにも5名の兵で奇襲をかけてはこないだろう。
となると、
「首謀者は誰だ?」
「黒死病の性質をよく理解していますね……教養のない者にはまず立案できません。錬金術師か、医師か、薬師か、学者です」
「心当たりがあるのか」
「ええ……」
ブリュノは過去の記憶を引っ張り出していた。
ネデール国は3年前、優秀な平民の薬師を迎えたという話を聞いていた。薬師の名は分からなかったが、聞き及んだ薬師の特徴、施した治療法が、さる忌まわしい人物とそっくりだったのだ。
それは、ノバルート医大で天才の名をほしいままにし、ブリュノと同様に数々の治療法を確立し名声を博したとある薬師。だが人間性と道徳観念に著しく欠如し、数々の残虐な人体実験を繰り返した。
彼が追放される前、彼はネデール国のある大貴族から資金を受けて、効率的に多くの人間を殺す毒物を研究していた。そして、彼の開発した毒物は数々の国家元首の暗殺に使われたという。
研究のためになら、彼は何でもした。大量の捕虜を実験に使いもした。
それは邪悪すぎて神殿に神脈を閉鎖され平民へと落とされた一人の学者の昔話だ。
ブリュノはかつて彼の罪を暴き、彼を追放した一人だった。
「先王が崩御されたのも、何か関連があったのかもしれません」
だから、強力な毒物の研究をしていた彼が、人々に感染して拡大してゆく毒、つまり疫病を広めて国を亡ぼすことも、視野に入れていてまったく不思議ではない。
感染症が細菌によって引き起こされること。動物から動物、人から人へと感染すること、それが病原となること、それらの病原をどう扱えばよいのか。それらを彼は、部分的にもファルマより先に知っていたのかもしれない。
そして、顕微鏡が彼の仮説に確証を与えたことだろう。彼は見ただろうか、瀕死の患者や死者の体液の中でうごめく細菌というものを。それを薄気味悪い笑みを浮かべ、冷酷に観察しただろうか。
『メディシス、まだわからんのか。美しいこの世の真理が』
神脈を閉ざされ、二度と神術を振るえないように烙印を押され、平民として追放されたその日に聞いた彼の言葉が、ブリュノには忘れられない。
『治しても治しても人間は死ぬ、だがな、死んでも死んでも人間は再生するんだよ』
邪悪な薬師の名は、カミュといった。
善意で広めたファルマの知識、ブリュノが飛ばした書簡が国境を越え、
悪意の色に染められて戻ってきたのだとしたら……
『そう簡単に、世界は滅びはしないのさ』
カミュには悪霊が憑いていた、ブリュノはそう考えている。
「あの男だけは、殺しておくべきでした」
ブリュノは彼を叩き潰しておかなかったことを悔いた。
「ネデール国とその国民は今、どうなっている?」
女帝はごく単純な疑問をブリュノに投げかけた。
「壊滅的な状況下にあるのではないでしょうか」
ブリュノは応えた。ネデール国もまた、奇襲、そしてクーデターのさなかにあるのではないだろうか。
彼はいとも簡単に人間を殺す。そして、また増えることを愉しんでいるのだ。
「ようくわかった」
女帝は今度こそ立ち上がった。短い言葉、その声色すらも帝王の威厳を放つ。
「ネデール国に遠征をしかける。斥候を出せ。その間に……」
帝都を何とかせねばな、女帝はそう言ってノアを呼び、真紅の帝杖を携えた。
…━━…━━…━━…
「セドリックさん、どうしましょう。こんな鐘の音、はじめて」
ロッテはマスクを二重にして、凱旋門のある第一検疫所から、ほかの薬師たちとともに火の手の上がる方角を見ていた。
「この鐘の打ち方は、敵襲だな。人数は、待って……ああ、多くない。十人かそこらだ」
セドリックは、鐘の打ち方で敵の規模、迎撃している兵力、市街の破壊状況なども大体把握ができた。
「だが、神術使いだ。手練れの者だよ」
彼はぎりっと奥歯をかみ締める。老いた身でなければ、駆けつけて援護をすることもできたものを。はっきりいって、セドリックは行っても役に立たない。彼我の力量の差は分かる。
「もしかして皆さん、あそこで薬を必要としてるんじゃないでしょうか。怪我をしている人はいないでしょうか」
市街地で発生した神術での派手な戦闘に、平民たちの区画は大きな被害を受けていた。木造家屋の屋根は吹き飛び、潰され、ほうぼうで火事も起こりはじめた。平民や商人の悲鳴や怒号も、風に乗って聞こえてくるかのようだ。
「第六門の近くには、異世界薬局があります。ファルマ様の危険な薬品がたくさんあります。爆発するものもあります」
ロッテは気が気ではないといった様子だ。
異世界薬局が燃えていないか見に行きたいのだ、とロッテはセドリックに必死に訴える。
「やめなさい。神術使い同士の戦闘が起こっているときには、誰も近づいてはならない。足手まといだ」
平民などは邪魔者でしかなく、せいぜい敵に人質に取られたり肉の壁にされるだけだ。
「でも! ファルマ様が戻ってこられたときに、薬局が燃えていたら悲しまれると思います!」
ロッテは目にいっぱい涙をためている。
「あなたに何かがあったほうが、ファルマ様は悲しむぞ」
ロッテは反論できなかった。そして悔しそうに火の粉をまき散らす空を見上げる。同じ空の下で、ファルマとエレンは今マーセイルで人の命を救うために戦っている。
「あっ? あれ」
ロッテはおもむろに空を指さした。彼方の空から飛行物体が猛スピードで迫ってきて、帝都上空で急停止した。
「鳥? いいぇ、人みたい……誰だろう」
ロッテの言葉を聞き、セドリックはぽかんと口を開けた。
ファルマは帝都上空に戻り、帝都でもひときわ高い守護神殿の尖塔に降りる。
帝都中を耳が割れんばかりの音量で、警鐘が鳴り響いている。頭痛がしそうだった。
(まさか……もう?!)
精神力を極限まですり減らし、全速力で戻ってきた。それでも、
(もう突破されてしまったのか!? ペスト菌が、帝都に入った!?)
帝都の第六門のあたりが騒々しい。エスターク村から帝都に至る主要な街道のある方向であり、異世界薬局のある方角だ。
帝都上空から全体に診眼をかけて見渡す。
すると、青光りする発光体の塊が、第六門のあたりに集中して見えた。
それなりの速度で不規則に移動してゆく、小さな強い発光体がある。
ファルマは尖塔を蹴って薬神杖で飛翔し、第六門へと近づく。近づくと、帝都の屋根から屋根へと飛び移ったそれが、青白く発光していることに気付く。
「リスじゃない。なんか新種っぽいモモンガだ……」
ファルマは衝撃を受けた。やはりげっ歯類だ。そして、モモンガは空を飛ぶ分、さらにタチが悪い。
(ネデール国は、ペスト菌がげっ歯類のノミを介して感染することを知っているのか?)
運ばれてきたモモンガは黒死病に冒され、檻の中で死骸となる。現在進行形で空気感染も起こっているだろう。おそらく今、感染経路は空気感染が中心となっている。
空気感染はペストのもっとも凶悪な感染経路であり、致死率100%の肺ペストを発症させる。
「始まった……」
帝都に放たれたモモンガは帝都の神術使いらの神術、弓兵隊によって一匹ずつ仕留められ駆除されてゆく。死骸はマスクと手袋をつけた処理部隊が一箇所に集め、焼却してゆく。
だが。
ぽつぽつ、ぽつぽつ。
青い光は帝都の人々に降り注ぎ、拡大してゆく。
感染した人間たちにともる光は、さながら海ほたるのようだ。ざっと見ただけでも、感染者は無数、数千人にのぼる。
発症すれば必ず死に至る病。
このまま手をこまねいて見ていれば、やがて黒い死病はたちまちのうちに大陸中を多い尽くす。
数百万人が死ぬだろう、かつての地球の中世史をなぞらえるかのように。
だが……、だが! その光は、
「まだ青い!」
青い光は、ファルマが治癒できる疫病なのだ。
できなければ赤い光が見える。これはファルマの手の届く疫病なのだ。
天がファルマに課した試練のようにも見える。
「治してやる! 俺の力が及ぶかぎり!」
宇宙と世界を超えて生まれ変わり、彼は人外の能力を授かった。
戦うすべを持たない、異世界の人間を助けるための能力だ。
(今、使わなくていつ使う!)
たとえ神力を使い果たして命が潰えたとしても、大勢の人間を救うために死ねるなら、二度目の死を受け入れる価値はある。
彼はそんな思いを胸に、ざわざわと肌が粟立つのを感じながら杖を握り、それを一気に大きく振りぬいて帝都全体に聖域を広げる。過去最大の神力量を振り絞って。
「”滅疫聖域!”」
地平線の先まではカバーできた。空気感染は免れるだろう。じわじわと侵食を続けていた青い光の勢いは衰え、増えなくなった。しかし、一度感染した人間の光は消えない。
「わかってる、わかってるんだ」
除染、次に感染源、感染者の治療だ。街中の除染をしなければならない。
すぐに思いついたのは、消毒薬の空中散布だ。人がいない場合にはそれでいい。だが、下には人がいて、人体への害が懸念される。
「そうか」
なによりも強力な消毒効果を発揮するものがあった。
神術による生成水だ。
神術使いが神術で生成した水はもともと腐りにくいが、ファルマが生成した水は、完全に腐らない。菌が繁殖しないどころか、死滅する。それを、薬局にウォーターサーバーを設置したときに細菌テストをしていて知っていた。
有益な腸内細菌も殺して客が下痢になるかと思いきや、下痢はしないようだ。有益な細菌に対しては殺菌的には働かないのかもしれない。確かめたわけではないが。
「薬神杖で生成した水なら……」
ファルマは薬神杖を振り、天にかざす。別世界から力を呼び込むようにして大量に水を生成し、それを霧状に大気に打ち上げた。高高度で冷却された水蒸気の塊は水滴をつくり、急激に集合して雨粒へ、そして豪雨となって地上に降り注いだ。
神殿に伝わる古文書の翻訳が難解すぎて神官長が訳せなかったのでファルマは知らなかったし発動詠唱すら打たなかったが、”浄化の白雨”という薬神杖固有の秘儀だった。
生けるものも、死せるものも、子供も大人も、人間も動物も植物も、浄化の雨に打たれてゆく。
人々は空を見上げ、目を細めた。
白い人型の発光体が、帝都上空を眩く照らしている。
ファルマの放った神技は屋外にあっては慈雨となり、たちまちのうちに民家を苛む火災を鎮め、屋内にあっては霧となり、その水滴の内部にペスト菌を閉じ込めて殺菌し、帝都の大気を清め尽くした。
ファルマは強い視線で第六門の方向を睨む。
次は感染源の根絶だ。




