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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 2 サン・フルーヴ帝都の異世界薬局 Une pharmacie d'un autre monde de la capitale impériale (1145-1146年)
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2章13話 脚光を浴びた放線菌と、エスターク村の奇蹟

 ファルマとエレンが、海上検疫で最初の黒死病患者を発見した数日前の話になる。

 ブリュノ・ド・メディシスは、サン・フルーヴ帝国薬学校にいた。

 帝国の各都市、世界各地の医薬大学に、黒死病に関する防疫、検疫指南の書簡を、夜を徹して書いていたのだ。各地の実情に応じた内容で、地形、人種、生活文化、風習、宗教などを考慮し、それぞれに内容を変えて簡潔にしたためた。ファルマの言葉を中心に、もし黒死病が発生したらどうするか、隔離地域の設け方、患者との接し方、顕微鏡がある場合とない場合の黒死病の見分け方、患者の安楽死の迎えさせ方、死体の処理方法など。

 これらの黒死病対策案に加え、全属性のすぐれた神術使いが防疫に積極的に参加するようにと強く要請した。指南書を書くのは、日頃から各地の研究機関、病院、有力者たちと信頼関係を築き、各地の医療事情を知っていたブリュノにしかできない仕事だった。

 ファルマは治療薬を持っているが、帝都に供給するのが精いっぱいで、世界中に供給するだけの生産能力はないという。

 だから、帝国以外の国々は薬なしでアウトブレイクを防がねばならなかった。

「ファルマはああ言うが、本当に210年前に終わった黒死病が来るんだろうか」

 そんな疑いもある。しかしファルマの擁いていた危機感は並々ならぬものだった。ブリュノはファルマを信じようとつとめた。

 ファルマとエレン、そして弟子たちがマーセイル領で検疫を続けているということは知っていたし、彼らに手を貸したいのはやまやまだったが、有事の際、国の中枢に疫病の手が及び国が崩壊しないよう、帝都に詰めて対処にあたるのが宮廷薬師本来の仕事だ。ブリュノは帝都を動かない。


「総長、キャスパー教授がおみえです」

 ブリュノの秘書が、総長室の外から声をかける。

「うむ、入りなさい」

 ブリュノは総長室に、ある変わりものの老女教授を呼んだ。

 彼女は全身黒ずくめの魔女のような風貌の風属性の神術使いで、カビや胞子の研究をしていた、キャスパー・ルイーズ教授だ。役に立たない研究をして、ろくに業績を出していないと後ろ指をさされ、大学内でも研究費は殆ど配分されていなかった。彼女の研究は日の目をみないまま、来年、定年での退官を迎えようとしていた。

 彼女の研究は、カビを中心としたもののフィールドワーク採集と分類学だった。だが、ノバルート医大にはもっと高度なカビの研究室があり、先のない分野だと思われていたのだろう、研究室に学生は殆どはいなかった。今、彼女は僅かに2名の学生を抱えるのみである。

 ほかの教授や事務長から、もう潰してよいのではないかと突き上げをくらっていた彼女の研究室に予算をつけて何とか細々と残してきたのは、ブリュノだ。

 役に立たないと思われた研究が、いつか思わぬ成果を出すと、彼は信じていた。

「総長様、もう私はすぐにクビでしょうか。今から研究室を片付けても、ひと月はいただきたく」

 すぐに研究室を出てゆけと言われるのかと、彼女はすっかり怖気づき、うっすら涙ぐんでいた。深く皺の刻まれた両手を重ね、沙汰を待って萎縮してしまっている。

「いや。そういう話ではない。大きな仕事をしてほしいのだ」

「私に……今から仕事を?」

 老女は、鼻に載せた老眼鏡をかけなおした。いったい誰が、窓際教授である彼女に大きな仕事を任せようというのだろう。ブリュノは力強く彼女を励ます。

「この帝国であなたにしかできない、世界を救う仕事だ!」

「おお、おお……そんな」

 老教授は、世界という言葉のスケールにふらついてしまった。ブリュノは常に世界を意識して仕事をしていたが、彼女がいつ、世界を意識して研究をしただろう。帝国内のカビだけに、彼女の視線はそそがれていた。

「ある新種の微生物を探し出してほしい。そしてそれを、大量に増やし、そこから薬効成分を抽出してほしい」

 ファルマが探していた、しかし見つけられなかった、抗菌薬を生産するとある微生物。

 放線菌(アクチノマイセス:Actinomycetes)。

 菌糸を放射状に伸ばしてカビのように成長することから、その名がつけられた細菌である。

 ブリュノは彼女の功名心と知的好奇心を呼び起こそうと呼びかける。

「その生物種の一部のものが、不治の病、黒死病や恐ろしい不治の疫病を殺す薬になる」

「ええ?」

「これをよく読んでくれ」

 ファルマの残した、放線菌そのものの特徴、そしてスケッチを見せる。顕微鏡でどう見えるのかというスケッチも示す。ファルマの残した情報は、ブリュノを啓蒙し続けていた。

「これはどこの大先生が……? そ、そんな大変な薬の原料になるものが……」

 キャスパー教授は、ファルマのスケッチやメモをよく読んだ。眼鏡を上げ下げして、そして何度もぶつぶつと呟いて。彼女の長年蓄積してきた知識と、ひとつひとつ照らし合わせるかのように。

 そして、彼女は唾をのみ、震え声で応えた。

「こ、こ、このカビでしたら、なな何年も前から私の研究室で、フ、フラスコの中で飼っていま……す」

 定年間際の冴えない老教授が、ずっと以前から救世主を手に入れていた。


「でかしたぞ、キャスパー教授!」

 大学の総力をあげ、その微生物から新薬を造りだすことが決まった。

 ただちにキャスパー教授の研究室には学内で最高額の研究予算がつき、有機合成系の設備を備えた3つの研究室がキャスパー教授のために確保され、大勢の学者、錬金術師、技術者が動員された。

 この日から、抗菌薬のテスト製造が行われ、キャスパー教授はそのプロジェクトの指揮をとることになった。


「キャスパー教授の退官講演は、にぎやかになるかもしれんぞ」

 ブリュノは激励の言葉をかける。

「そう、なるようにしたいです」

 黒死病の克服が現実となれば、夢にまで見た、学会からの喝采を浴びる日も遠くないかもしれない。

 千載一遇の機会だ。キャスパー教授はブリュノの期待にこたえようと、力を振り絞ることを決めた。


 今すぐにとりかかったとしても、すぐには生産できないだろう。

 だが、今すぐに研究を始めなければ、助かる命も助からなくなる。


 ブリュノが、マーセイル領から「黒死病を発見した」という一報を託された伝書鳩を受け取ったのは、そんな頃のことだった。


 …━━…━━…━━…


 ファルマは診療道具や薬、マスクその他の入った大きな袋を肩にかけ、マーセイル港から西に位置するエスターク村へと、中高度を飛翔していた。

 薬神杖に神力を通じて推進力を与え、浮力をコントロールし意のままに御し姿勢制御をさせるのには、相当な集中力を要し、ファルマは何度も高木や鳥にぶつかりそうになった。

 地上の人々が、かなりのスピードで飛び去る未確認飛行物体に驚き、悲鳴をあげていた。ファルマの薬神杖は透明で、可視光を透過するので、地上から杖は見えず、ただ人が空を飛んでいるように見えているのだろう。薬神杖の前の所有者って誰だったんだろう、とファルマは疑問だ。

 人が空を飛んでいたら異端として神殿に密告されるかも知れないが、検疫用の白いローブのような防護服のフードをしっかりとかぶれば、誰が飛んでいるかわかるまい。目立つだの目立たないだの、小さいことは後だ。


 マーセイル領の漁村、エスターク村の上空。

 そこに到着したファルマは、かなり高度をとったままで空中に浮遊する。海を見ると、桟橋にはヨットや小さな漁船ばかり。密入国をした大型船舶は、沖合いにはなかった。どこか岩場の地形に隠しているか、ネデール国に戻ったのだろう。

 ネデール国に戻ったら戻ったでまずい。

 ほぼ確実に、乗組員が全滅して難破船になる。


(くそっ、船はどこだ。船ごと滅菌して、中の乗組員も助けないと)

「こういうときの聖域か……」

 ファルマは、サロモン神官長に薬神杖の取り扱い説明書を古代文字から翻訳してもらって、全てではないが簡単にできるいくつかの神術を覚えていた。その一つに、聖域の発生がある。

 杖を神力で満たし、杖の端を持ってハンマー投げの要領で数回ぶん回すのだ。すると、杖全体から浄化神術が発揮され、同心円状に放射される。

 ファルマが聖域を発動させると、青い衝撃波が空気を歪ませ、爆発的に周囲に拡散してゆくのが見えた。


「便利だな、聖域」

 ファルマが放ったのは、薬神杖固有の、「滅疫聖域めつえきせいいき」という、舌を噛みそうな神技らしい。ちなみに、神術の中でも技の名前のついた、発動詠唱を必要とする高度な技を神技という。無詠唱ができるのでファルマは神術も神技も区別なしに使えるのだが、本来は長ったらしい発動詠唱が必要とのことだった。

 滅疫聖域内では、病原体は空中を浮遊することができなくなり、未感染者に対しては病原体の感染がきわめて成立しにくくなるようだ。

 今、ファルマはエスターク村全体を滅疫聖域で庇護した。 

 そのうえでファルマは薬神杖から飛び降り、速度をコントロールしてエスターク村に急降下する。


「な、なんだ……!?」

 空から陽光を背負って舞い降りてきた白衣の少年に、村人たちは眼を奪われた。

 エスターク村では、施療院に重症患者が集められ、村人の大多数は患者を放り出して疫病から逃れようと大慌てで村を脱出しようとしていたところだった。


「待ってください!」

 ファルマは村の出口に立ち、両手を広げて彼らの行く手を阻んだ。

 そして勢いよく杖を地面に突き立てると、神術が発動し、エスターク村は分厚い氷壁でぐるりと完全に包囲された。

 これだけ大規模な神術を、田舎の村民が目にする機会は殆どといってなかった。

「うわああーーっ! 氷の壁だ! 何だお前はっ!」

「そ、空から飛んできたぞ! バケモノかっ!」

「氷の壁に閉じ込められた!! 出られないぞ!」

 怪物が殺戮にやってきたと勘違いした村人たちは、パニック状態に陥った。

(飛ぶところ見られたけど、仕方ない、顔出しするか)

 飛翔を見られたのでできれば顔を隠しておきたかったが、さすがにこのままでは怪しすぎる。ファルマはマスクをつけると防護服のフードを取り、彼らに呼びかけた。

「私は帝都の宮廷薬師です。あなたがたを助けにきました」

「化け物じゃなくて人間か?」

「こ、子供じゃないか」

「あ、あんた教えてくれ、この病気は何なんだ!?」

「黒死病です」

 ファルマは即断定した。まずは、最大限の危機感を持ってもらわなければならない。

「やっぱりそうだ! 死ぬんだ! 村人全員!」

 210年前の悪夢を知る村民たちが恐慌状態に陥りそうになったとき、ファルマは大声で彼らを叱咤激励した。


「助かりたければ、今から言うことを聞いてください!」

 ファルマは村人たちを見渡しながら、よくとおる声で言葉をつなぐ。

「黒死病は、目に見えない小さな生物が体の中に入り込むことによって起こる病です。ほうっておけば、死者は増えます。黒死病をわずらったままここから逃げたとしても死にます。村の外に出たとしても、黒死病を持ったノミに刺されれば黒死病になります」

「どうすればいいんだ! 何をしても死ぬじゃないか! そして何でお前は俺たちを閉じ込めている!?」

 半狂乱になった猟師の男が、ファルマにナイフを向け怒号を浴びせる。

「ですから、黒死病と戦う薬を持ってきました」

「黒死病の薬が、あるというのか……」

 村から真っ先に逃げようとしてた村の三級薬師が、信じられないといったようにふらふらと歩み出てきた。

「全員を助けられるとは約束できません。ですが、死者を最小限に抑えるために、ともに戦いましょう。この村を氷璧で包囲したのは、あなたがたを助けるためでもあります。死病は誰だって怖い、でも逃げずに、治療を受けてください」


 ファルマは村役人の助けを借り、村全体の人数を把握する。

 エスターク村の人口は524人。

 村の二箇所の施療院に運ばれた者が、93人。

 死者は15人。

 すでに村を出て逃げてしまったものが、8人。

 村の外にたまたま外出しているものが、18人。

 この場にいる村人は、390人。


 氷で囲んだ村の中にさらに氷壁で仕切り、ファルマは3区画に分けた。氷壁の一部を消去し、小さな出入り口を作る。

「感染者と非感染者に分け、重症区画、感染区画、非感染区画に分けます」

 トリアージを行う。診眼でその場にいる390人の村人を診て、重症度別に各区画に分ける。その際に、マスクを配り、生成水で手洗いを促した。

 非感染区画に入れた者は喜び、感染区画に入れられた者は肩を落とし一喜一憂する。

「区画わけは、感染の拡大を防ぐための措置です。全員に治療薬は配ります」

 ファルマは予め分包して準備していたスパルフロキサシンを、区画ごとに村役人や村の薬師の力を借りて一人ずつ与え、ファルマの手渡したマニュアルにしたがって服薬を指導した。

「妊婦、子供、乳幼児は私のもとへ」

 ファルマは、服薬に注意の必要な村人を集め、直接相手を診て量を調整し薬を与える。


 こうして薬の処方が始まると、特効薬を我先に手に入れようと小競り合いになり、刃物が出る一幕もあった。

「てめえら、薬師様が薬をくださっているのにいい加減にしろよ! 今死にてえやつは誰だ!」

 気のたった村役人たちが剣を抜いたので、小競り合いはなくなった。

「落ち着いてください、全員分準備してあります。まだ発病していない人も飲んでもらいますから」

 ファルマは彼らを元気付け、落ち着けさせる。

 彼はその場にいる全員に薬を配り終え、薬を飲ませ、村人の人数を把握させた。ひとまず、薬をもらった彼らは人心地ついたようだ。ファルマは、神術で生成水を創り水がめに水をため、その水で体を拭かせた。そして、ペスト菌のついた衣服を脱がせ焼却し、以前にタンスにしまっていた古いもの、ペスト菌がこの村にいなかった頃の服に着替えさせた。


 次に、ファルマは重症者の集められた施療院に向かい、重症者の処置にあたった。大きなスペースにベッドが並べられ、そこに患者たちが寝かされている。床のうえも患者らが埋め尽くしていた。慈善奉仕をしていた神殿の医療神官や神官が施療院にはわずかに残っていたが、高熱に魘された感染者や、出血斑の表れはじめた患者を前に、なすすべもない。

 彼らは不気味な鳥の形のマスクを顔につけて、分厚いフードの白い保護衣を着て、手袋をしていた。鳥のくちばしには、香気の強いハーブを悪霊よけのフィルター代わりに詰め、目の部分はガラスで覆っている。杖を持って、患者に直接触れずに診察にあたっていた。地球上にかつていた、中世のペスト医師に似た異様な姿である。

 この装束は、ファルマが見るに、決して充分ではなかったがペスト菌対策として多少合理的な衣装だった。ただし、すべて使い捨てでなければ意味がないが。

 ファルマは施療院に入ると、薬神杖に力を注いでその場を聖域で満たし、それ以上の空気感染を阻止する。突如として聖域が出現したことに気づいて、反応した神官もいた。

「空気が浄化された気配が……」 

「あっ! 薬神様ではないですか!!」

 以前、帝都のはずれの丘で一戦交えた異端審問官の一人が、たまたまその場に居合わせていた。マーセイル教区から、疫病が発生したと聞いて派遣されてきたらしい。

「子供は来るな、外に出なさい!」

「無礼者、この方はただの子供ではない!」

 彼がいたおかげで、話はスムーズに通った。

 彼らはファルマの指示で手分けをして患者全員に薬を飲ませてゆく。ファルマは、そのままでは助かる見込みのなさそうな患者には、神術によって生成した水を使って薬の効果を高め服薬させた。重症者の処置から急ぐ。敗血症になった患者には、抗生物質の投与とともに数々の処置を行わなければならない。大量の輸液や、壊死組織の外科的な切除なども行わなければならない。諸々の全身状態の管理などもしなければならないだろう。

 錯乱する患者、暴れる気力もなく、ぐったりと意識を失ったままの患者。うめき声、すすり泣く声がそこかしこから聞こえてきた。

 施療院の中は、さながら地獄絵図だ。聖域でありながら、死の気配に満ちていた。

 診眼で彼らを見ると、全身を覆いつくす真っ青な発光が人魂のように見える。

 ファルマは生成水を使い輸液を創り、敗血症患者に大量輸液をはじめた。生成水は無菌であり、輸液の溶質は物質創造によって作り出す。ファルマは注射をはじめ患者に針を刺すことを自ら禁じていたが、この場においてはあらゆる手を尽くす。それでも、たとえ設備の整い近代化された近代日本の病院でも、重症敗血症患者の30%は死ぬのだ。


(だめだ……俺の力では助けられない!)

 薬の処方でどうにかなる問題ではない。いち薬学者が手におえる段階を超えていた。

 ファルマは自らの薬師としての能力の限界を知っている。

 だが、彼はあることを忘れていた。


 彼は薬神杖を持った、薬神の力が使える人外の神術使いであるということを。

(あれを、やってみるか)


 彼は薬神杖を両手で掲げ患者にかざし、サロモン神官長に翻訳してもらい教えてもらった”始原の救援”という秘術をかけた。それは患者が本来持っている免疫力を呼び起こし、処方した薬の効果を最大限に高め副作用は打ち消すチート神技だと聞いているが、何がどうなって免疫力を高めるのかについてはまったくわからない。この神技は、先に特効薬を与えていなければ発動しない、投薬なしの状態ではできないと聞いている。

 ファルマはその効果を疑わしく思っていたので一度も試してみたことがなかったし、試す場面もなかったのである。

 それでも、最後の手段として全員に薬神杖で秘技を施してゆく。

 ファルマが患者に神技を放つと、患者の体表面に薬神の聖紋というものが現れ、患者の全身は白いベールに守られるよう薄く発光を始めた。

(この凄そうな神術、効果あるのか?)

 すぐに効果が見えるものではないので、一見してはよくわからない。まじない程度にしかならないかもしれないが。

(効果があればいいな。にしても)

 ファルマは焦っていた。こうして重症患者にかかりきりになっている間にも、密入国者とその積荷は、ペスト菌を撒き散らしながら帝都へと向かっているのだ。父に黒死病発見の一報は伝えた。帝都の検疫所を突破することができなくても、帝都にいたるまでの村や町、そして野山を感染源が通り過ぎる。

 多くの人や動物が感染するだろう。


 神官たちは目の前で行われた奇跡にどう反応してよいか分からず、唖然としていた。

ファルマの起こす人の技とは思えない神技を目の当たりにした神官たちは、彼が元異端審問官の証言どおり薬神であると信じ込んだ。そして、信仰心と忠誠心が最高値に達した彼らは、

「薬神様。何か、私たちにお手伝いできることはありませんか」

 と、ファルマに声をかけてきた。

「ありがとう、お願いしたい。水と炎の神術の使い手はいませんか」

「私です」

「私も、何なりとお申し付けください」

 二名の神官が出てきた。彼らは非感染者だった。

「この病気を侵入させた密入国者とその積荷が帝都へ向かっています。感染者を見つけたら、氷の壁で囲んで捕え、積荷を完全に焼却し、感染者に薬を飲ませてください。私も、ここの患者の処置をしたらあとを追います」

 感染者と感染源に触れることになるが、彼らは予防服薬をしている。

 火炎術師と水術師を中心のユニットとして、4つのユニットの追討隊が組まれることになった。


 それから半日が経過した。

 少年薬師は真夜中を過ぎ、神官たちと共に、疲労しきって施療院から出てきた。村人たちは大量の墓穴を用意していたが、施療院の中から運ばれてきた死体は96人中、わずかに3人だった。彼らはもう心停止をしていて、薬を与えるのが間に合わなかった患者だ。出血斑の消えた患者が何人か出てきて、食べ物と水をねだった。

 現代医薬品とファルマの神術が相乗効果を生み、犠牲者を最小限にとどめ、多くの患者を救ったのだった。


「また戻ってきます」

 氷壁の内部は聖域だから、数日間その中にいるように。氷璧が解けて外に出られるようになってもネズミや小動物とは、できるだけ接しない、触らないように。村に入り込んだネズミをはじめとする害獣、ノミなどの害虫は駆除するように。

 その他の注意事項を伝えると、彼は薬神杖を手に彼の助けを待つ次なる土地に飛び立った。村人たちはファルマの飛び去った方向に手を合わせた。

 施療院でファルマの神技を受けた者は全員に治癒の兆しが見え始め、出血斑も薄くなり、もはや半死半生の重症患者はいなかった。今にも死にそうになっていた患者も、一命をとりとめている。

 氷壁の外から、小さな出入り口を通って村人たちが戻ってきたので、彼らにも予防薬が配られた。

「人の姿をした薬神様があらわれた」

 小さな漁村を襲った悲劇は、一つの神話に変わった。


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