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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 2 サン・フルーヴ帝都の異世界薬局 Une pharmacie d'un autre monde de la capitale impériale (1145-1146年)
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2章8話 インフルエンザと、ある薬店の顛末

 日の高くのぼった正午のこと。女児を背負った父親が、サン・フルーヴ帝国帝都のある町医者の門をたたいている。

「診てください! ドナルド先生! 診てください!」

 しかし町医者の門は硬く閉ざされ、病院の中は静まり返っていた。

「お願いします! うちの子が高熱なんです! おかしいんです、ぐったりしているんです!」

 半狂乱で叫ぶ父親の声が、大路にこだましていた。気の毒そうな顔をするものの、係わり合いになりたくない、と見て見ぬふりする通行人たちが往来を流れてゆく。


「ドナルド先生の診療所は、来週までお休みです」

 穏やかな少年の声が、父親の背後から聞こえてきた。パン屋の袋を抱えた買い物帰りの少年が、背後から彼、ピエールに呼びかけた。

 その姿を見たピエールはあっ、とおののいた。ただの少年ではなかったのだ。

 少年は黒いコートを羽織っているが、中には詰襟の白衣を着て、襟元には王冠型の金バッヂをつけている。それは宮廷薬師の証にほかならなかった。異世界薬局の子供店主が、買い物を終えて店に戻るところなのだろう。流行りのパン屋の袋だった。

 やれ、よりによって面倒な人物と居合わせてしまった。と、ピエールは一歩引く。

「お子さん、大丈夫ですか?」

 心配そうに子供店主は近づいて話しかけてくる。

 病人をみれば揉み手で近づいてきて、高い薬をすすめるのがこの世界の三級薬師というものだ、だが少年は、心から心配そうな顔をしていた。こういう営業なのか、とピエールは警戒する。

「い、いや……何でも……」

 この父親ピエールは、サン・フルーヴ帝国の薬師ギルドに所属する薬師だった。高熱を出した娘のために、店にある高価な薬草や軟膏を使ったが効かず、状態は悪化し意識が朦朧としてきて、呼びかけにも応じなくなったので、医者をたよることにしたのだった。

 この少年は自分を薬師ギルドの薬師だと知っているのだろうか、と父親は疑う。薬師ギルドはあからさまに異世界薬局を敵対視していたし、ギルド長からは異世界薬局には近づくなという通達が出ていた。また、薬師ギルド長ベロンの仕業だと思われるが、薬局には所有者不明の荷馬車が二台突っ込んで、2日間営業できなくなったと聞く。気の毒なことだ、とそれを聞いたときにはピエールも同情した。

 薬師の同業組合であるギルドの方針にそむくことはできない。籍を外されれば即日、店に掲げられた営業許可証が没収されてしまうのだから。

 だから、異世界薬局の子供店主に話しかけられて、親しげにしているのを周囲に見られるのは困るのである。


「私がお子さんを診ましょう。異世界薬局の薬師をしております、ファルマです」

 彼はコートを開いて、名札を見せた。日本の調剤薬局では薬剤師の名札をつけるのは当たり前なのだが、この世界では一般的ではない。仕事に誇りを持っているのだろうな、とピエールは察した。

 子供店主は、薬局に戻るからついてこいと言うが、ピエールは二の足を踏んでしまう。

「どうしました? お子さん、本当に具合が悪そうですよ」

 顔が真っ赤になって、ぐったりとしているのは誰の目にも明らかだ。

「いや、でも」

 異世界薬局にだけは借りを作るわけにはいかない、ほかの医者をあたりたいところだ。断ろうとしたが、ファルマに急いだほうがいいと強く諭されたので、彼は帽子を目深にかぶり、往来の人々に見られないようにこそこそと子供店長ファルマのあとをついていった。


 昼休みということでいったん門を閉ざしている異世界薬局は、石造りの立派な店構えをしていた。新しく据え付けられた帝国勅許の黄金のエンブレムが眩しい。襲撃に遭ったからだろうか、騎士の門番は、平服ではあるが3名いた。父親の薄汚い木造の、すすけた薬店とは雲泥の差だ。

 だが、ファルマは正門から入らず、裏口の通路を目指して歩く。

「こちらから入ってください」

 ああ、ご立派な貴族の店にはみすぼらしい身なりの者は正門から入るなというのだな、とピエールは恥じ入る。裏口から店内に入ると、そのまま2階への螺旋階段があった。ベッドの並べられた診察室に入り、ベッドの上に寝かせるように指示された。

「診察をはじめましょう。お父さんは、まずこれをつけて」

 ピエールはマスクを手渡される。当然ながら、何のために口を覆うのか彼はわかっていない。しかし診察を行う者には従うのが流儀である。

「裏口から入ったのは、病気をほかの人にうつさないようにするためです」

 彼は説明する。身分がどうこう、身なりがどうこうという話ではなかったらしい。

 ファルマは黒コートを脱ぎ白衣になると、ノートを持ってきた。カルテだ。子供の名前、年齢、病歴、食事はいつしたか、いつから熱があるのか、など詳しく聞いてくる。そんな些細な情報がなぜ必要なのか、といったことに至るまで。きちんと情報を集めているんだな、とピエールは感心した。

 ファルマは、診察室の隅の荷台の上に女児を置いてくださいとピエールに言いつける。ボックス型の荷台に女児を載せると、なにやら箱の側面についていた目盛りが動く。店主はそれを読んでいた。

「何をしているんです?」

「体重を量っています」

 重さは天秤で量るのではないのか、と驚くピエール。

「これはばねばかりといいます。ばねの伸び方は、吊り荷の重さに正比例します(フックの法則)。ばねの伸びをテコの長さに変換して、その長さを読んで重さを量ります。体重を量るのは薬の量を決めるためです」

 ファルマはさらさらと記録をつけながら、流暢に説明する。子供の説明とは思えなかった。子供薬師から薬を処方されることに一抹の不安があったが、貴族の英才教育を受けて薬師になったのだろうし、そのあたりの薬師よりよほど頼もしいかもしれない、とピエールは見直す。

「こ、この器械はあなたが発明されたのですか?」

 そして三級薬師であるピエールは無学を恥じた。宮廷薬師と平民の三級薬師、教育水準の差を思い知らされたようだ。子供の薬は大人の半分と大雑把に計算するのが三級薬師の間では慣例だった。しかし、

「この器械を作ったのは私ですが、発明者は私ではないですし、帝国技術局に設計図が出ていて誰でも閲覧できますよ」

 とファルマは笑う。帝国技術局の設計図を書いたのはファルマだが、体重計を設計したのはファルマではない。地球上の発明者に敬意を払う。

「では、診ますね」

 ファルマは打診・視診・触診などを手早く行うと、最後に左目に指先を当てて、娘を見つめながらぶつぶつと何かを唱え始めた。その間、ピエールからみた彼の瞳は青白く輝いて、僅かに色が変わっているようにも見えた。貴族の薬師は神術を使うというのは知っていた。しかし少年が神術を使うのを初めて見て、これが神術か、とピエールは感動すら覚えたのだった。

 ものの数十秒で診断がついたらしい。

「重い風邪です」

「へっ!?」

 ファルマは断言した。しかし、ピエールは異論がある。ピエールの見立てでは、ただの風邪ではない。

「こんなに熱があって、全然下がらないんですよ?! 風邪なんですか!? 口から泡を吹いたり、痙攣したりするんですよ!? 悪霊が憑いているのでは!?」

 まくしたてるように尋ねると、ファルマは「名前があるのかな?」と首をかしげていた。

「あ、そうだ、あれにしよう」

 そんな適当な感じで、病気の名前が決まったらしい。

「特別な名前にしましょうか、Grippe(グリップ:インフルエンザのこと)と」

 ピエールの聞いたことのない名前だった。この世界では、風邪とインフルエンザは同じように「風邪」と呼ばれていて、区別がついていなかった。新しい病気なのだろうか、とピエールは疑問を飲み込む。

 

 ファルマは1階の調剤室に行き、調剤を済ませて薬を取ってきた。

「治療方針と薬の説明をします」

 真剣な面持ちで説明をはじめた。

 思わずピエールの背筋が伸びる。娘は、重い風邪を引き起こす微生物に全身を冒されて、熱を出すことによって微生物を殺そうと懸命に戦っている。グリップのラニナミビルがあり、まだ発症後1日で薬が効くので、まずそれを服用して、その薬が効くと熱が出る期間を短縮できると思います、とのこと。

「口から吸い込む粉薬? どうして口から飲む薬じゃないんですか?」

 これもまた、聞いたことのない服用方法だった。この世界の薬というと、患部に何かを塗るか飲むか、のほぼ二択だった。

「この薬は口から飲むと体の中に吸収されません。なので吸入して気道粘膜にはりつくようにします、すると吸収されます」

 薬は娘さんの体内で起こっている微生物との戦いを助けてくれるでしょう、とファルマは言う。それは小児にも使える抗ウイルス薬で、インフルエンザウイルスが、感染した細胞から外に出られなくする作用を持つ。

「吸入の練習をしましょう。十歳以下の子供さんには、できなくはありませんが少し難しいので」

 ファルマは娘にやり方を言って聞かせ、何度か練習をさせたあと、粉薬を吸引させた。

「うまくいったと思います。次です。熱が出ているのは悪いことではないのですが、ずっと熱が上がったままだと体力を消耗してしまいます。これは、少しだけ熱を下げる薬です。あまり下がらないかもしれませんが、高熱が長い時間続いているようですので少し体を休ませましょう。それでですね」

 子供店主は何の躊躇もなく父に指示をした。

「娘さんのお尻を出して私のほうに突き出させてください。横向きでいいですよ」

「はひ? って、はい!?」

 父親の顎が外れそうになった。

 この世界では、病気に対する民間療法として祈祷を行うのは一般的だった。その際に、妙なポーズをとらせるということも往々にしてある、しかし、しかしである。父にとっては幼いとはいえ、7歳のかわいいわが娘である。仮にも薬師とはいえ異性の前で尻を出せだの、侮辱以外の何ものでもない。

「な、何を言い出すんですか! そ、そんな治療法が本当に!?」

 苦しそうに熱にあえぐ、意識の朦朧とした娘。その娘を見下ろす少年の視線は、ただ彼女をいたわるようにしか見えなかった。よこしまな意図は見えてこなかった。

「熱を下げるお薬を肛門から入れるんですよ。意識がぼんやりしているようなので、飲み薬もあるのですが坐薬を用意しました。お父さんにやっていただいてもいいですが、コツがありますので」

 アセトアミノフェンの坐薬だ。7歳なので、小児用のものより少し用量を大きく造り効くようにした。少しでも楽になれば、と彼は思う。

「何のためにそんなことを! そんなの聞いたことがない! 口からじゃだめなんですか」

 これは娘の純潔を汚すトンデモ療法だ。

 ピエールがファルマに娘を診せたことを後悔しはじめたとき、

「粘膜から吸収された薬はすぐに静脈に入りますので。口からでも構いませんが、意識が朦朧としておられますしね」

 子供店主の説明は理論的で、ふざけてなどいないようだった。

「うむう……そうですか」

 ピエールが仕方なく娘の尻を出すと、子供店主はすばやく小さな薬を肛門から挿入した。

「はうっ!?」

 異物感に娘が驚いて、声が漏れる。

「ああっ……なんと言うこと。もう嫁の貰い手がなくなるかもしれん……」

 しばらく娘をベッドに寝かせたまま、安静にさせる。すると、娘はすうすうと寝息を立て始めた。

 その間に、ファルマは吸い飲みに液体をそそいでやってきた。

「熱が出ると、汗が大量に出ます。乾いた体に優しい飲み物です、あとで飲ませてあげてください」

 それはきれいにろ過された水で造った経口補水液であった。ファルマは、まだ神術で生成した水を投薬の限られた場面でしか使わない。ろ過して蒸留した普通の水を使う。神術の生成水は薬効が高まるので、予想外の副作用も生じる危険性があるからだ。

「では、私は薬局の営業がありますので。何かあればこれで呼んでください」

 店主は、呼び鈴を示して部屋から出て行った。

 ほどなくして、娘の熱は下がり始めた。そして、いくぶん楽になり、父親の呼びかけにも答えるようになった。

「こんなにすぐ効くのか……」

 尻から入れた薬が熱を下げているらしかった。

 

 営業中も、子供店主は何度か様子を見に来た。

 そしてピエールと娘の食べ物や飲み物などを運んできては、優しく娘を励まして店舗に戻っていく。夕方になって、店主が薬袋を持ってやってきた。


「もう家で看病しても大丈夫だと思います。もし、どうしても心配だったり急変したら、夜勤の門番に伝えておきますから、ここに来たら私の屋敷に連れてくると思うので、夜間でも夜中でも対応します。解熱剤を入れていますので、必要に応じて使ってください」

 夕方になって店が閉まるのでここで投げ出されるのかとピエールが思えば、夜間も対応してくれる、という。病院も薬店も、夜間診療には対応していないのが普通だった。

 そういう理由もあって、夜間に亡くなる平民は多かった。信じられないサービスのよさだ。

「ありがとうございました、御代はおいくらでしょうか。も、もしお支払いできなければ、親戚から借りてきますので」

 きちんとした治療をしてもらったのだから、言い値を払いたい。ピエールはそう思えど、ピエールの薬店は異世界薬局に客をとられたせいで売り上げが激減し、金欠で診察代が工面できないかもしれなかった。

「パン一本分ほどでいいですよ」 

「そんな、あまりにも安すぎる!」

 支払ってから、本当にこれでいいのかと問うと、子供店主は首を振る。

「子供の料金は、安くしているんです」

 以前は子供は無料にしていたのだが、女帝に言われて、わずかばかり診察代と薬代をとることにした。

「お大事に」

 店主は愛想よくそう言って外まで見送る。 

 薬がよく効いて、店主が謙虚で、店も清潔だ。

「ああ……これは客をとられるわけだ」

「はい?」

「いえ、お世話になりました」

 ピエールは敗北の味をかみ締めた。

 それは、いっそ清清しいまでの敗北だった。

 娘を背負ったまま、ピエールは異界の薬局をあとにして雑踏の中に消えていった。


 …━━…━━…━━…


 その一週間後、サン・フルーヴ薬師ギルド本部では、数十人の薬師の代表を会議室に集めた、月定例会が行われていた。

「どの店舗も、軒並み売上げが激減しておるか」

 ギルド加盟店の業績低迷を聞いたギルド長ベロンは面白くなかった。


「聖域の薬局のせいですね」

「忌々しい! 貴族の道楽かもしれないが、こちらは迷惑千万だ」

 DIVERSIS MUNDI PHARMACY、聖域の薬局という一風変わった名前の店が創業した当初は、貴族の店などすぐにつぶれるだろう、ぐらいに構えて薬師ギルドは静観の構えをとっていた。ところが蓋を開けてみればどうだろう、相手はなかなか手ごわく、かつてない脅威へと変貌した。

 帝国勅許店という格式ばった貴族の店であるにもかかわらず、薬局の中にはいつも平民の客がたえない。調剤を待って店の外にまで行列ができている。彼らは文句も言わず、世間話をしながらにこにこと並んでいる。店の外にはひさしがあって、患者用の椅子が並べてあった。待っている間に、水や飴がふるまわれた。

 半年も経たないうちに、化粧品・スキンケアに特化した2号店 MEDIQUEを出し、今度は歯のケアグッズに特化した3号店 を出すのだという。

 屈辱的なことに、ベロンの妻もいつの間にかMEDIQUEの美白化粧品を買って隠し持っていた。お前最近肌が白くなったと褒めた矢先のことだ。それらは全部叩き割って捨ててやった。

「営業再開が異様に早かったな」

「尊爵家の財力で何とかしたんだろう。あの高名な宮廷薬師がバックについているからな」

「皇帝もだ。あの一件以来、近衛師団が毎日巡回に来るようになった」

 ほぼ壊滅状態からわずか2日後に営業再開されたという。馬車が突っ込んだので店内の汚染も激しく、一か月は営業ができなくなると踏んでいたのに、見通しが甘かったようだ。もちろん、馬車を突っ込ませたのはベロンの雇った裏稼業の者たちだった。

 それを知ってか知らずか、皇帝の勅令で、ベロンの薬店にピンポイントで3週間の営業停止処分がくだった。取り扱い禁止の鉛入り薬を売っていたのを摘発されたからだ。そればかりか、なぜか神殿がちょくちょく抜き打ち検査にやってくるし、異世界薬局には帝都教区の神官長が頻繁に出入りするようになった。これではもう、手が出せない。


 とにかく異世界薬局が創業されてより、薬師ギルド加盟店の売上は急落。

 客の実に4割を取られていた。常連だった客も、異世界薬局に流れた。

 おまけに、水銀製品、鉛製品など、数々の材料が帝国勅令によって禁止され、いくつかの薬は取り扱いができなくなってしまった。

「陛下はあの薬局に洗脳されているに違いない」

 ベロンは忌々しそうにそう言った。幹部たちも同意する。

「木漏れ日薬店のピエール師はどう思うか」

 異世界薬局について罵詈雑言を繰り広げていた薬師たちの中、黙して席に座っていた貧乏薬師ピエールも、意見を求められた。ピエールの店は、異世界薬局からもっとも近く、そのせいか一番売り上げが落ちていた店舗だった。

 ピエールはしばしの間沈黙を守ったので、自然と注目が集まる。

「何か意見はないのか。一番被害を受けているのはあなたの店だろう」


 ピエールはおもむろに切り出した。

「この中の薬師の誰か、異世界薬局の中に入ったことがありますか?」

「行くわけないだろう、商売敵だぞ」

 失笑する薬師たち。

「一度、行ってみるといいです。まるで聖域のように見えました」

 ピエールは勢いよく席を立ち上がった。

「一度あそこに入ったら、客がもう二度とわれわれの店に来たくないという気持ちは、よくわかったんです」

「まさかピエール……あの薬局に行ったのか」

 近づくな、という通達が出ていたのだ。それを破って、ギルドの方針にそむいた……議場内はざわついた。

「そう、白状しましょう。私はあの店に行きました。そして私がどんな薬草でも手のほどこしようのなかった高熱を下げてくれて、痙攣をして意識の朦朧としていた娘をたちどころに癒してくれた」

 ピエールは熱く語った。

 異世界薬局の子供店主がどんなによい治療をしてくれたかを。娘が快復したのち、ピエールは思い切って薬局を再訪してみた。販売コーナーの品揃えを見て、数々の飴を買った。薬局を訪れた患者から直接話を聞いた。子供店主が「もう娘さんはよくなりましたか」と挨拶をしてきたので、話し込んだ。

 そうしてあの店のことを知れば知るほど、あの薬局を排除すべきではないと、すべての薬局はああなるべきだ、とピエールは感じたのだ。薬が安いので儲からないだろうと思いきや、客が大勢来るから結果的に儲かっているのだ。薬師たちは頭を下げて、あそこで売っている薬の作り方や、治療の方法を教えてもらうべきだと力説した。


「それにひきかえ、私たちはどうだ。診断もできない、治療法もわからないまま、慰めにもならない言葉をかけて、患者を癒せるかもわからない薬草を、詐欺まがいの言葉で言いくるめて高い値段で売りつけている」

「なんだと?」

 ベロンが眉をひそめた。

「中には治ったという者もいるが、ほとんどまぐれ当たりに近い。死人も多く出る。私たちは神術も使えないから、売りつけているものはただの薬草や、下手をしたら症状を悪化させる毒でしかない」

 ピエールは声を大きくした。

「あの薬局の何もかもが、我々の店とは違うんだ! 合理的で、先進的で、真に患者の身になっている」

「あー、もういい。お前が言いたいことはよくわかった、ギルドを出て行け」

 ベロンは意地悪くそう言い捨てた。ピエールはギルド本部からたたき出された。


 その日、ピエールの薬店は営業許可証を奪われ、薬草や薬をギルドに没収され、即日廃業に追い込まれた。荒れ果てた店を前に、ただ呆然と店先に座り込み、ピエールが男泣きに泣いていると。そこに、パンの袋を抱えた黒いコートの少年と、同い年ぐらいのピンクの髪の少女が通りかかった。

「えへへ、あのレーズンのパン、たくさん買ってしまいましたね、ファルマ様!」

「一人3つずつね、それからあの患者さんにもひとつあげる約束をしてるんだ」

「わかってます! 一人3つずつです」

 通りがかったのは、異世界薬局の店主と従業員だった。二人はお気に入りのパン屋で買い物をして、嬉しそうに帰ってくる道中だった。


「あれ、どうしたんですか?」

 数日前に薬局に来たピエールが地べたにへたり込んでいるのに気づき、ファルマはそっと呼びかける。そして彼はすぐに気づいた。薬師ギルドの営業許可証がないことに。店の中は荒れ、許可証を奪われて営業ができなくなったのだと、ファルマは察した。そしてその原因が、異世界薬局で治療を受けたからかもしれない、ということにも考えが及んだ。

 ピエールは不甲斐なくて、同情されるのも嫌で、ファルマに顔を合わせることもできなかった。

「許可証がなくて、営業ができなくなったんですね。事情を聞いてもいいですか」

 ピエールは、薬師ギルドで起こったことをかいつまんで話した。異世界薬局に置いてあるような新しい薬を、新しい治療法を取り扱わせてもらえたらどんなにいいだろう、と薬師たちに話してしまったと。

「そうですか……」

「他国に引っ越して、もぐりの薬師をやります」

 ほとんど、それしか道は残されていなかった。それでも、取り扱える薬の種類は限られている。

「ほかのギルドに入れば営業ができるのですよね?」

 ファルマは尋ねる。

「ですが、薬を扱うには薬師ギルドしかない。そこに入れなければ、もう入るギルドがありませんので」

 と、ピエールは肩を落とす。その言葉を待っていたかのように、ファルマは明るくこんな提案をした。

「先日、新薬を取り扱う調剤薬局ギルドを立ち上げました」

 皇帝のギルド創設許可も得ています。異世界薬局と提携して処方の研修を受けながら、店舗を営業することができます。新薬を取り扱いたい薬店は薬師ギルドではなくそちらに入ればいいでしょう、と、ファルマはピエールに話を持ちかけた。

「高い加盟料がいりますか?」

「無料ですよ。脱退も自由です」

「何年もの研修期間が必要ですよね」

「研修を2ヶ月やってもらって、その後はマニュアルを渡しますので、それを見て処方をしてもらえばいいです。そのほかは、定期講習会をやるので出てもらったり、私が定期的に指導をしにお店を回ります」

 処方の難しい現代薬を、化学や薬理の知識のない異世界の薬師にすぐに扱わせるのは危険だ。

 だが、薬剤師でなくても販売できる、日本で一般用医薬品(市販薬)にあたる薬は、登録販売者がいればコンビニなどでも売っているし、きちんと使い方をマスターしてもらえたら、異世界の各薬店で取り扱ってもらってかまわない。それでも薬師ギルドで取り扱っている薬よりは効果は断然高いだろう。また、安価に供給できる。

「で、では……」

 ピエールは信じられない、といったように肩を震わせる。

「はい、それらのことを守ってもらえれば、営業はできます」

「よ、よろ、よろしくお願いします……!」


 調剤薬局ギルドに加盟店1号が加わった瞬間だった。


【謝辞】

本頁は薬剤師の伊在 美先生、越智屋ノマ 先生、tamp先生、小児科医のパン粉先生に査読、指導していただきました。

ご指導ありがとうございました。

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