2章4話 マーセイル領視察と、医薬の未来
「うむ、着いたな」
潮騒の音が聞こえていた。
父ブリュノ、母ベアトリス、妹ブランシュらは、待ちかねたといった様子で馬車から降りる。最後に、ファルマも。からりとした空気を吸って深呼吸をし、石灰質の土を踏みしめる。そこへ飛び込んできたのは、西中海。
帝都よりおよそ一日の馬車の旅で、マーセイル尊爵領に到着したのだ。
真紀元 1146年、異世界薬局創業から半年がたち、ファルマは11歳になっていた。
ド・メディシス家の家族と従者ら一行の前に広がるのは、360度の大パノラマ。
真っ白な山肌とビーチ、海の青が目に映え、それらは鮮やかなコントラストをつくっている。海岸沿いには山肌に沿って外壁を真っ白に塗った赤い屋根の、石造りの家々の漁村も点在していた。エメラルドグリーンの海はせわしく貿易船が行きかっている。大きな貿易港に船が停泊しているのが見える。まさに南仏を彷彿とさせる景観だった。
「お待ちしておりました、新マーセイル尊爵様」
「うむ、しっかりやっておるか、アダムよ。また日に焼けたな」
「は、日夜領地巡回を怠っておりませんので」
ブリュノは、出迎えに来たブリュノの執事(代行領主)アダム、領地差配人、農民監督官、騎士たちの仰々しい挨拶を受け、高台の領主館に招き入れられ歓待を受けていた。ファルマたちも領主館で軽い食事などを振舞われもてなされる。
ブリュノは在地領主ではないので、マーセイル領は、有能なド・メディシス家の執事(家令より格下)の一人、若い行儀見習いのアダムを代行領主として着任させて支配させていた。
ほりの深い顔立ちをした浅黒い肌のこげ茶色の髪の男だ。ヒスパニック系だろうか、などとファルマはアダムにそんな印象を受ける。
「領地には、21の村、47人の騎士と、635名の農民、938名の薬草生産者がおりまして……」
「領地の俯瞰地図でございます。ここからここが、薬草生産地になりまして、農地と牧草地はこちらで。各地区の生産高はこちらに」
「賦役、兵役の際は村ごとに持ち回りで……」
などなど、アダムはてきぱきと資料を見せながらブリュノに報告をする。プレゼン練習を念入りにしてきたようだった。緊張しているようだ。
「港はどうなっている」
ブリュノが髭をいじりながら、マーセイル港をさす。
そこは14の航路、31カ国の国と3の植民地の港と連絡する、帝都へと抜ける玄関港の一つだ。
「はっ、マーセイル港はご存知のとおり帝国で二番目の貿易高を誇る貿易港でございます、貿易高は前年とその前年のもの、貿易相手先国上位10カ国の年別推移、輸出入の推移をこちらに」
「ふむ。悪くない。貿易高も税収も増益している」
「なのですが、ここ最近、ネデール国東イドン会社が幅をきかせております。以前は候爵領だったのですが尊爵領になったので、少しは分を弁えてくれるとよいのですが。ネデール国の勅許会社であるがゆえに、条約締結権、交戦権を盾に、税の徴収などに応じない例もありまして」
「貿易は、自由にやらせるのが好ましい。関税率は引き下げろ。それでもあまり好き勝手やるようだったら追い払え」
「よろしいので?」
「関税率を下げれば、人も物も流れてくる。物流は……ってファルマ、まだいたのか。外で遊んできなさい、砂浜は素晴らしいぞ」
ブリュノは壁と一体化して気配を消しじっと立ち聞きをしていたファルマに気づいた。警戒したのか、外へと追い払う。
「わー、海、見てきます!」
そう言われては、子供らしくはしゃぎながら外へ出ていくしかなかった。
「海には入るなよ!」
「はいー!」
(ネデール国東イドン会社……オランダ東インド会社(V.O.C)をもじりまくってないか……?)
ファルマはいよいよ、元の世界との地理的な共通性を疑わざるをえなかった。
中世欧州風の世界なのだから気にしたら負けのような気もするが、どうしても引っかかりを覚えるのだ。
「ああっ、きれい過ぎて目が眩みそうですっ! ブランシュお嬢様もそう思われますか!?」
「さらさらー! さらさらー!」
ブリュノに追い出されたファルマが高台の領主館から外へ出てみると、ロッテと、ブランシュが、眼下の白いビーチを見て大はしゃぎしていた。丘を駆け下りていって、砂浜の上で二人でくるくるとダンスステップを踏んでいる。
(子供だな、二人とも)
ファルマは微笑ましく思った。
(俺も子供か)
案の定というか、ブランシュはどてっとこけて、顔中砂だらけになっている。
「お嬢様! 砂でお城作りましょう!!」
潮の香りのする乾いた海風が、気持ちよく吹き抜けていた。ロッテのピンク色の髪を、風がふわりとさらってたなびかせる。ファルマもビーチへと降りていった。ロッテは上手に2階だての城をつくる。途中で壊してしまったブランシュは、指をくわえてロッテを見ていたが、
「兄上ー! あそこでばしゃばしゃしたい!」
ブランシュは砂遊びには飽きたようで、ファルマの服の裾をひっぱる。
「ファルマ様、波を見てきていいですか!?」
ロッテはその場でぴょんぴょん跳ねてそわそわしていた。海に飛び込む前の準備運動でもしているんだろうか、とファルマは思う。
「海に入らないほうがいいと思うよ。二人とも泳げないから。あと、着替えある?」
しかし、二人とも靴を脱ぎ砂浜へと猛ダッシュをしていった。
「ロッテちゃんたら、あんなにはしゃいで。海を見た事がないんだから……」
同行してやってきたエレンは微笑んで、上着を脱ぎ、木陰で飲み物を飲みながら休んでいる。
「あっつい。汗かいちゃう。水浴びでもしようかしら」
ロッテとブランシュは無我夢中で波を追いかけたり、ビーチに足跡をつけて喜んでいる。
エレンは水着代わりにストンとした、透けたチュニック一枚になる。生足が目の前に惜しげもなく出てきて、ファルマは戸惑った。エレンは透けていることに気づかないのだろう、体のラインがはっきりと見えて目のやり場に困る。
「ファルマ君もおいで!」
彼女たちは汀で波と戯れていた。近くで見物していたファルマも、ブランシュに「えーい!」と水をかけられて乱入し、水かけ合戦になる。
「はあっ、あはは、おかしいっ!」
「えーい!」
「やりましたね、ブランシュお嬢様!」
その時だった、不意にひときわ大きな波が打ち寄せ、一番体重の軽く踏ん張りのきかなかったブランシュが波にさらわれて海中に消えていった。
「大変っ!」
ファルマはエレンとロッテに砂浜に上がるよう指示をし、海へと飛び込んだ。しかし波は高く、小さなブランシュの姿は見当たらない。
「ファルマ君っ!」
エレンも、ロッテの無事を確認すると、いてもたってもいられずファルマを追う。水の神術使いであるエレンは、貴族としては珍しく水泳ができるが、同じ水の神術使いである幼いブランシュは訓練していないのでできない。
ファルマは、意識を失ったまま潮の流れに流されてゆくブランシュの姿を見つけた。泳いで近づこうとするも、風が吹いて潮流は速い。どんどんと彼女は遠ざかってゆく。泳いでは追いつかない。
(どうすればいい!)
ファルマは、水をかく右腕の痣が疼くのを感じた。
興奮したからだろうか、薄く青く発光している。
(やってみるか……!?)
彼は決意した。そしてできるだけ海底へともぐる。
底が深ければ断念するが、幸いビーチは遠浅だ、だから……!
”消去”
水と海水の状態を脳裏に詳細にイメージし、その肌に水の質感を感じ、水溶液を握りこむ。
手加減をしながら、ファルマは右手の能力を発動させる。
全力でやると海ごと消してしまうかもしれない、と馬鹿な考えがよぎった。
すると、ファルマのイメージは具現化され、彼を中心に半径10メートル程度の範囲の海水が消え、ファルマは穴の開いた海底の砂浜に叩きつけられた。最初はクレーター状に穴があき、そして円柱状に水のない領域が海中に穿たれた。
むき出しになった海底の砂浜の上には、魚たちがぴちぴちとのたうって、海藻はしんなりと横たわっている。
(できた……! 何だこりゃ!?)
自分でやっておいてなんだが、これは異常だ、とファルマは驚愕する。
ファルマは倒れているブランシュを担ぎあげると、陸をめざし歩きはじめた。進路に立ち塞がる海水を神力の壁で隔てて流入を防ぐように、消去してゆきながら。彼は一歩ずつ歩いて、海を割りながら砂浜に戻ってきた。
その姿は海を割るモーセのようだ、と地球人なら言ったかもしれない。
砂浜に横たえると、ブランシュは何度か水を吐いた。
「ブランシュちゃん……!」
エレンとファルマ、二人がかりで処置にうつる。人工呼吸をする前にブランシュは息を吹き返し、大泣きをした。ファルマは気を休めず、診眼で異常がないかを診る。肺水腫になる可能性があるからだ、幸い、水は殆ど飲んでいなかった。
(よかった……子供の体じゃ、泳いで救命なんて無理だった)
ファルマは安堵して気が抜け、砂浜に腰を下ろす。ロッテが、一連の出来事を目撃して、恐ろしさのあまりガタガタと震えていた。ブランシュはファルマに飛びついて号泣した。
しかしファルマは、あることに気づいた。
(あれ、水を消去したのに、海底に塩が析出してなかったな。俺、水分子だけ消さなかったっけ)
そういえば、焦りのあまり、「水分子」と指定をしなかったかもしれない。定かではないが、あれだけの海水を消したのだ、大量の塩やミネラルが海底に析出して当然である。それが海底に堆積していなかったということは……。
(まさか、塩分含めて海水まるごと消したのか)
「ファルマ君。もしかしてと思うけど、今のはあなたが”負”属性だと思っている能力?」
エレンが恐る恐る尋ねる。
「だと思うけど。エレンもそう判定しただろう?」
「勘違いだわ。あんなにくっきり、海を消せる能力なんて存在しないの。負属性は量を減らせる、ぐらいの能力なのよ。領域ごと物質を消せる、ではないの」
エレンはファルマとともに神術を訓練してきたが、負の能力の発動を目撃したことがなかった。孤島のいくつかを消し飛ばしたのは、水の正属性で島を水没させてしまったからで、負の属性は初めてである。なので彼女の表情はひきつっていた。
そしてますます、ファルマ人外説への確信を深めたようだった。
「なんか、説明できればいいんだけど、俺も自分のことよくわかってなくてごめん」
「でも、あなたがいたから助かったわ」
ファルマが消した海水の痕跡は今はあとかたもなく、海原には巨大な潮の渦だけが残った。
それを丘から見ていた、小さな黒い影があった。
…━━…━━…━━…
翌日、ファルマは父に連れられ、同行したセドリックや従者の騎士たちと共に、3台の馬車に乗り、領主館から一番近い薬草生産地帯を視察した。区画化された耕地には、数々の薬草が植えられている。農夫たちが薬草畑で働いており、新領主とその公子に恭しく挨拶をしにくる。
「薬草の生産は順調か」
「へ、へえ。例年通りの年貢を納めますんで」
領主が直接視察に来るのはよほど珍しいのか、小作人たちは恐縮しきっていた。
「それはよろしい。しっかり励んでくれ。セドリック」
「はい、旦那様」
杖をついて馬車を下りてきたセドリックが袖をまくり、両手を土の上につけた。ふん、と軽く気合を入れると、彼の手が暖かな橙色の光を発する。
"地母神の祝福(Bénédiction de la terre nourricière)"
同心円を描くように土がぼこぼこと連鎖的に隆起してゆく。
「えっと、もしかして」
ファルマはその波動が地上を通り過ぎ、勘付いた。
「ファルマ、まさかお前は忘れたのか?」
「ははは、ファルマ様の前ではお見せしなかったもので、お忘れにもなりましょう。私は土属性の神術使いでございますのでな。ただいま、大地に地母神の祝福を与えました」
セドリック・リュノーもれっきとした神術使いである。
「わが屋敷の薬草園の発育促進の大事な任務は、彼に一任しておった」
「なるほど」
薬草園から肥料のにおいがせず、薬草が驚くべきスピードで生育してゆくのは、そういうことだったのか、とファルマは驚く。何か施肥が行われているのだろうとは思っていたが……。
小作人たちはセドリックに感謝して、やれ、これで仕事が楽になります。今年は豊作間違いないでしょう、などと楽観的なことを言っている。土属性の貴族は少なく、重宝されているとのことだった。
「ほかには何か問題があるか?」
と、ブリュノが彼らに問う。
「今年は、やや雨が少なく乾燥しております」
「そうか」
「ではこれは私からそなたらへの贈り物だ」
父が土の上に杖で簡易的な神術陣形を描き、その上で怪しげな舞踏を舞うと、父の体全体に蜃気楼のようなもやが立ちこめる。
”癒しの慈雨(Douche sympathique de guérison)”
そうして彼が杖をひと振りすれば、彼の神技は雨雲を呼び大地に恵みをもたらした。薬草に活力を与え、薬草が本来持つ効果を強く引き出すのだそうだ。父は舞踏を踊ると神力と神技の効果が強化されるという、類まれな能力の持ち主だった。父が神術をかけた薬草は、高値で取引されるという。
「これで、よかろう」
父が雨を降らせる姿に、ファルマは見入られていた。まさに神技だ。
「ありがとうごぜえます、領主様!」
農民たちは飛び上がって、恵みの雨に感謝し、歌い踊った。
(神術の効果についても、検証していかないとな)
神術がある世界なのだ、それを薬学にどう応用できるかを、そろそろ考えていかなければならない。神術にファルマの未知の効果があるのなら、それを利用しない手はない。
神術で生成した水に医薬品を溶かすと、治療効果が高まるのだ。それを父の知見をもとに気付かされた。父は優れた神術使いであるから、薬草との組み合わせで治癒効果の高いポーションを生み出していた。
神術というのは、対象の物性、性質、結果を高めるのではないか、と漠然とそんな仮説を立てた。
優しい雨が上がったあとには、神力を含んだ鮮やかな虹が大きなアーチを描いていた。
「あれを見なさい」
父がひと踊りし終えて上着を着終わると、父はファルマを呼んで反対側の土地を指さした。父が指したのは農地ではない、かつての牧草地であったと思われる更の土地だ。平地で、広大で、日当たりがよく、ひらけていた。その土地は、街道に面している。
「さて、向うにアダムに見繕わせた一等地がある」
「はい。よい土地ですね」
「薬草生産地のほかに、あそこをお前にやろう。お前ならば何をする?」
薬草園をつくるか? とブリュノは問いかけたが、それはすでに生産農家から買い付けてくるだけ、新種の苗は栽培を依頼するで事足りる。現地の産業を生かしながら、さらなる雇用を創出してゆく。
この一等地で、今後のために何をするか。この異世界の人々のために、何ができるか。そう考えたときに、ファルマの答えはおのずと見えてきた。
それは抜本的なことでなければいけない。
「私なら、製薬研究所、あるいは製薬工場を建設し、医薬品供給のための研究、生産拠点とします」
製薬工場を造り、領民を雇用して医薬品の生産体制を整え、それを帝都へ輸送する。異世界薬局のみならず、各薬局薬店へも販売をしかけてゆく。
「何故そうしようと思うのだ、薬局の利益はすでに充分に出ておるだろう。まだ稼ぐつもりなのか」
「利益のためではありません。私がいなくなった後も、この世界の人々が助かる病気で苦しまないように、適切な治療を受けられるようにしておきたいと思っています」
息子の姿を借りて、薬神の事業が始まろうとしている。
世界の変わりゆく兆しを、ブリュノは強く感じていた。
「まるで、何百年か先の医療を見てきたかのようだな」
ブリュノがファルマへ投げかけた言葉は、突風と草原のさざめきの中へ消えた。
「思うようにやってみなさい。私はあらゆる力を貸す」
息子は燦々と太陽の照り返しを受ける更地を見ながら、ありがとうございます、と力強く頷いた。




