2章2話 コスメブランド・MEDIQUE
一週間後、また来てください。
そのときには、美白になれるおしろいを用意しておきます。
ですので、それまでは絶対に瀉血をしないでくださいね。
などと、どこぞで聞いたような約束を、ファルマが若き候爵令嬢クロエとしてから数日後。暗くなってきた帝都では、商店の店じまいが行われていた。
「そろそろ私、帰るけど。ファルマ君はまだ頑張ってるの?」
「様子を見てきますね」
ロッテは4階への階段を上っていった。
「ファルマ様。私たちもお屋敷に戻りましょう、研究は明日にしてはどうですか? 迎えの馬車が来ています」
ロッテが心配をして、研究室のドアをノックして、ファルマの様子を見にやってきた。ドア越しに、ファルマは「ありがとう、先に帰ってて。今日は泊まるから」と伝える。ロッテはドアの前で暫く待っているようだった。ファルマは研究室には鍵をかけて研究をする。物質創造を見られるわけにはいかないし、うかつに薬品をこぼしたりすると危険だからだ。実験器具の扱い方を心得た人間しか招きいれていない。エレンがたまに来るぐらいだ。
「ファルマ様。あまり頑張りすぎないでくださいって、ファルマ様はおっしゃいました。昼食も食べておられません、私は心配です」
しーん、とした後、すぐに研究室のドアが開いた。
「ありがとう、ロッテ。今日の作業は終わりにする。帰ろうか」
「はいっ!」
また、あやうく没頭しそうになっていたな、とファルマは思い返す。没頭しやすい性分なのだから、気をつけなければいけない。子供の体には、負担も大きい。
今度は、過労死はごめんだ。ゆったりやらなくては、長続きしない。とファルマは自省する。
「今日の夕食は何だろうな」
「はいっ! おなかがすきましたね」
二人は迎えの馬車に乗って、ド・メディシス家の屋敷へと帰ってゆく。
そして無理なく健康的に、営業時間内で研究を続けて更に数日。
4階の研究室から職員休憩室に現れたファルマに、職員は飲んでいた飲み物を噴き出した。
「ぶーっ! どうしたのよ!」
エレンは盛大に噴き出してから、白衣が汚れたので着替えに行く。
「ファルマ様、お顔が美白です!」
ロッテが目を丸くしている。
「どう? 白い?」
恥ずかしそうに聞くファルマに、白衣を着替えて戻ってきたエレンが、もう一度笑いをこらえている。白いと言うか、面白かった。
「何だって自分の肌に塗ったのよ……! 私か、女性に塗ってもらえばいいのに」
鏡を見ていないが、スケキヨ状態だろうな、とファルマは思う。
「今まで見た中で一番白いわ。しかも透明感があって立体的!」
触れてみたい肌だわ、とエレンが指をぷるぷるさせている。
「驚きの白さでございますな」
ファルマはもともと、真っ白という肌ではない。神術の訓練があるので外にいる時間も長く、標準的な子供ほどは日焼けをしている。それが、雪のように真っ白なのだ。顔面だけ。
この世界の女性の肌の白さを引き立たせる、本当に白い薬用ファンデーション、彼が目標としていたものができたようだった。
あ、でも……と、エレンは困ったような顔をする。
「お師匠様が、白すぎるものはだめだとおっしゃっていたわ。こんなに白くて大丈夫?」
「心配いらない、これには鉛白も水銀も入っていない。安全なものだ」
(使用前に、彼女にアレルギーテストもすればいいし)
白いおしろいを欲しがっていた母にもあげたほうがいいな、とファルマは真面目な顔をしながら思い出す。
「ちょっと待って、鉛と水銀がどうして悪いものなの?」
ブリュノは感覚的に分かっていたようだが、エレンにはそれらが毒物だという認識があまりなかった。
「実は毒なんだ、それ」
「皆、おしろいに使ってるわよ!? 鉛と水銀がいけなかったのあれ!? 怖いわ~」
エレンは理由が分かってぞっとしたようだった。
「二人も、肌につけてみる? 女性の意見も聞きたい」
生まれて初めてファンデーションを塗ったロッテは、鏡を見て歓声を上げた。
「わあ……肌にさっとなじみます!」
「ロッテちゃんは塗らなくてもいいわよー、まだ若いんだからぷるんぷるんだものー」
「ええっ、そんなエレオノール様だって!」
「やだぁ、そう?」
と、エレンと二人は歯の浮くような女子トークをしていた。
「ええと、肌、ちくちくする?」
「全然しません」
セドリックまでが手の甲につけてへえ、これは、と感心している。だが独身男性の彼には、まったくといってその用途がなかった。エレンも肌につけて絶賛する。気になっていたそばかす、にきびあとが消えているのだ。
「ファルマ君、これ、私もほしいわ」
手放せなくなりそうだわ。と言ってがばっとクリームを抱きしめる。
「ファルマ君って、こんなことまで知ってるのね」
「まあねぇ……」
前世で薬学者、薬学大学院の准教授であったファルマのもとには、医薬品会社から共同研究の申し込みが頻繁にあった。コスメの新商品のアレルギーテスト、外部評価などにも協力してきた。そういう経緯で、彼は化粧品にも多少は詳しい。
「だから、前世は薬神だったんでしょ?」
エレンの中では、やはりそうなっている。
「ちがうって」
「で、このクリームはどういうものなの?」
「これは、日焼けを防ぐおしろいだ。それで、日焼けを防ぐから素肌も白くなる」
「日焼けを防ぐなんてことができるの?」
あの、満遍なく降り注いでいる太陽の光を? と言ったきりエレンは腰を抜かしてしまいそうだった。
「できるんだよ」
光は波でできていて、多くの種類があること。この特別な原料には、紫外線を吸収する素材が含まれていると言うこと。ファルマは話して聞かせた。
「途中からよく分からなくなったわ」
エレンは休憩、といってあくびをした。ロッテはへー、と頷いている。
「平たく言うと、日光を遮る。だから、日光に当たってもいいんだよ。貴族の子女も、日焼けを気にせずに外出できるんだよ」
「でも凄い商品だわ! 日傘を手放すときがきたのね!」
「いや、日傘は手放さなくてもいいけど」
依頼主の女性の肌が地黒だというよりは、日に焼けやすい体質だった。彼女が買い物好きで外出をする機会が多く、馬車に乗っているとはいえ、地面からの照り返し、窓から差し込む陽で毎日少しずつ焼けていた。それを防ぐだけでも、白くなれるはずだ。
ファルマがそんな彼女に提案しようとしているのは、簡単にメイクのできる、肌に(比較的)やさしいコスメだった。
1、CCクリーム
それは、もともと美容整形外科で使われていた、手術後の炎症を起こした肌を優しくカバーする医療用クリーム(BBクリーム)をベースに、更に改良したものであり、日本や各国ではCCクリームと呼ばれて、各ブランドから発売されていた。このクリームには、以下の効能を持つ成分が配合されている。
UVカット、肌のトーンアップ、肌の下地を整える、保湿、肌をいたわる各種ビタミン類など。
化粧水のあとすぐにこれを塗るだけ、30秒でメイクは終わる。このCCクリームを塗っても、肌はのっぺりした印象にはならない。"白を塗る"のではなく光の屈折を利用する事により、"光を纏う"と形容できる。肌は立体感と抜けるような透明感を実現する。
2、絹雲母を配合した、キラキラ感の出る仕上げ用のルースパウダー
彼女の求めている「雪のような白さ」を出すために、フィニッシュパウダーを用意した。
3 そして、忘れてはならないのが、肌の補修成分を配合したメイク落とし。
肌についた化粧を毛穴の角栓までしっかり落とす。スキンケアこそが美の基本である。
これを、もともと薬局に置いていた保湿系化粧水、薬用石鹸とセット販売する。
世界でひとつだけの、彼女のためのコスメセットの出来上がりだ。
そして迎えた約束の日。
侯爵令嬢クロエの馬車が、異世界薬局の近くに朝いちでとまっていた。
「来るの、早っ!」
ファルマもこれには突っ込まずにはいられない。ファルマが出勤するのを、待ち構えていたのだ。
「ごきげんよう薬師様、先週はありがとうございました……おしろいはできましたか?」
「ええできておりますよ」
ファルマはカウンセリングコーナーに彼女を座らせ、箱に入れたメイクアップ5点セットを持ってきた。アレルギーテストをして、小瓶に入れた試供品を渡す。肌に合わなければ、代金はいらないといって。
「もっと容量がたくさん欲しいわ、失礼だけど、お金ならあるの」
クロエは金貨の入ったお財布をおしげもなくファルマの前に出す。
「金銭の問題ではありません。肌に合うかのテストをしなければならないのです。これを使いきるまで、肌に異常が出なければ大容量のものをお売りします。さ、つけてみてください」
ファルマはデパートの美容部員のように、まず丁寧な洗顔を促し、次にコットンに含ませた化粧水をすすめる。
「次はおしろいです」
白いクリームを容器からへらをつかって取り分けるファルマを、彼女は珍しいものを見るように見ていた。
「これがおしろいなのね、粉ではないのね?」
「肌に伸びやすいように、クリームタイプをご用意いたしました。美容成分がふんだんに含まれています。日焼けを防ぐ効果も」
「まあ……信じられない、日焼けがおさまるだなんて! 肌によさそうなおしろいね」
クロエは顔に伸ばす。クリームにしてはべたつかず、油っぽくなく伸びがよいことに驚いていた。
「仕上げはこのパウダーです。私が塗りましょう」
「まあ、きらきら輝いて見えるわ」
エレンが刷毛でさっと塗ってゆくと、女性の肌は光のベールをまとったように、光を受けて自然に白く輝く。それは、これまでのおしろいのようにただべたっと塗っただけのものとは違っていた。あたかも素肌のように見えた。
「これが……私?」
神話に出てくる美少女のようだ、とクロエは自画自賛する。鏡を持ってうっとりと見とれていた。
「全然違うわ……何もかも、昨日までとは全然違う!!」
「気に入って、もらえましたか? 女性の美を引き出すメイクですよ」
ファルマは美容部員のようなことを言う。
「まあ……っ! どうしましょうっ!」
彼女は照れに照れて、うつむいてしまった。そして試供品セットを大切そうに握りしめ、毎日医者を呼んで瀉血をするより安いし、以前使っていたおしろいより断然こっちのほうがいいわ、と涙を流して喜んだ。その他、日焼けを防ぐためには帽子や日傘、もしくはベールをつけたほうがいいというアドバイスも送った。
「ありがとう、ライバルにも差がつくわ。また買いに来るわ、必ず!」
クロエは嬉しそうに何度も頭を下げて、そして帰っていった。
翌日、異世界薬局の前で、通行人の女性を捕まえて声を張り上げるロッテの姿があった。
「新発売のおしろいとスキンケアセットですよー! 銅貨3枚でお試し品を買えますよー」
ロッテの発案で、新商品の試供品を銅貨3枚で売った。ロッテが籠をもって路上で配っていると、私も、私も、と女性たちから手が伸びた。
「わしももらえるかのう」
よぼよぼの老婆の手が、銅貨を3枚握り締めている。
「もちろん、全ての女性を美しく、がモットーです」
字の読めない人には、絵で使用手順を描いた使用説明書を店頭に掲示しているので見に来てくださいと伝えた。
誰もかれも、わずかなお金を出せば試供品が入手できるとあって、貴族の店舗で使っている高級な化粧品を一度使ってみたいという欲求を抑えられなかったようだ。
そして異世界薬局では……、
「船乗りの飴を10個」
「はい、いつもありがとうございます」
「じゃあ、わしは水を飲むぞい!」
生成水が目的なのか飴が目的なのかよく分からないジャン老人は、相変わらず手堅い常連だ。しかも、最近は少しずつ飴玉を買う個数が増えていっている。誰かに配っているんだろうな、とファルマは察した。
(散歩仲間に配ってるのかな)
ファルマはそんな程度に思っていたが。
しかしそればかりではない、その後、異世界薬局には少しずつ客がきてくれるようになった。女性客を中心に。
美白に敏感な庶民の婦人たちは驚異的なリピート率を叩きだした。ファンデーションセットは飛ぶように売れ、そして基礎化粧品、メイク落としも、同じだけ売れた。
「お客さん、増えましたね」
女性客。その家族、友人。だんだんと客層は広がってゆく。貴族も平民も商人も、同じ店にやってくるようになった。普段着で。
販売カウンターの売り子のロッテは、大忙しだ。
「はい、おしろい、3つですね? え、5つですか? まとめ買いは3つまでです!」
ロッテが嬉しそうに接客をしている。庶民だって貴族だって、女性は美の追求に余念がないのだ。
「本日は売り切れですー!」
庶民たちが異世界薬局に足を運んでみれば、陳列棚に並んでいるどの薬も、他の薬局とは比べ物にならないほど安価であることが分かり、平民の間で話題になった。徐々に平民の客も、コスメ以外のものを求めて薬局に顔を出すようになった。そしてウォーターサーバーの前には案の定長蛇の列ができた。
思い切って、ファルマやエレンに調剤を頼むもの、健康相談をするものも出始めた。敬語ができなくても不敬罪にはならなかった。それどころか、彼らのほうが平民に敬語で話しかけたので、彼らは非常に気分よく帰っていった。
調剤料は驚くほど安く、子供店主の処方した薬はとりわけよく効いた。
「じゃあ、第3回のアンケート結果を発表します!」
ロッテが大発表する。恒例の、異世界薬局に対する市民アンケート発表会だ。
「今回は少し、期待しておりますぞ」
セドリックは両手を組んで祈るようなしぐさをする。
「薬が安くてよく効く 44票」
「かかりつけの薬屋を変えた 39票」
「もっとコスメを生産して欲しい 36票」
「子供店主を見直した 25票」
「色んな飴玉おいしい 15票」
「お水おいしい 10票」
異世界薬局の顧客満足度も、来客数もだんだんと上昇してきている。
コスメ部門に客が集中し、店の前には婦人たちが群がり、ロッテも客を捌ききれなくなって困っていたところ、侯爵令嬢クロエが、コスメ部門で子会社を作って、薬局とは別に売ったらどうかしらと提案した。この頃にはクロエはすっかり美白肌になっていた。
「コスメ部門に100%出資するわ。薬師も専属で雇うし、店主はあなたね」
それは、コスメ部門で手が回らなくなっているファルマと、時々化粧品が売り切れになって悔しい思いをしている彼女のためでもあったようだ。
「それはよい考えです! セドリックさん、手続きをすすめていこう」
「お任せくださいファルマ様、急いで書類を作成します」
ファルマは賛同して、化粧品の販売をコスメ部門に任せることにした。そしてクロエの雇った二級薬師を徹底的に教育し、門外不出でレシピを教え、化粧品の調合、販売とスキンケアができるようにした。化粧品の特殊な原料はファルマが与えた。この、原料だけはファルマにしか生産できなかった。
「二級薬師が、よく雇えたわね」
貴族の薬師は、商売を賤業だと決め付けている。だが、そこは侯爵家の権力で何とかしたのだ、とクロエは胸を張った。財産家のようである。
「でも、すごいじゃない! これで皆が化粧品を買えるわね! 売り切れもないわ!」
エレンが、早くも2号店ができたことに驚いていた。2号店には、エレンはよく顔を出す。監督のためもあるが、自分の化粧品の調達のためだ。得られた利益は、従業員の給料と、本店、2号店の運転資金に使われる。価格は低く設定していたにもかかわらず、それは莫大な利益をうんだ。
「軌道に乗り始めたのかな」
ひとまず、ほっと胸をなでおろすファルマだった。
こうして異世界薬局のコスメ部門に特化した2号店を出し、まるで天上のコスメ! と巷で評判のコスメブランド、メディーク(MEDIQUE)が創設されたのである。
ブランドパッケージにはMの紋章と、勅許店である印の王冠マークが刻んである。
ちなみに、ファルマが皇帝陛下へ進言したことによって、皇帝の名のもとに、鉛白や水銀、その他の指定有害物質を用いた製品が帝国全土の薬店で販売禁止となったのは、これからほどなくのことである。




