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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Rideaux1 世界薬局 PHARMACIES MUNDI INFINITUS(EP4.1)
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5話 潜入 Infiltration

「お兄ちゃん、見てあれ」

「何か落ちてるな。何だ?」


 早朝、ヴァスティーユ監獄前の堀に沿った歩道にて。

 そこを、夜勤明けの貧しい煙突掃除の兄弟が疲労困憊で歩いていた。

 彼らは眠い目をこすりながら歩いていると、道端で何かを見つけた。

 街路樹の下にあったのは、船の形をした折り紙だ。弟が駆け出そうとするのを、兄が止める。


「汚いぞ、落ちているものを拾うな」

「でも、新しいよ。見て、何か書いてある」


 兄の言うことを聞かず、弟が折り紙を拾った。

 紙の船の内底に、何か小さな字で書いてある。

 字の読めない弟に代わり、兄がメッセージを読み上げる。


「これを拾ったら、この住所のこの人のところに持っていくとお礼のお金がもらえるって。本当かなあ……誰かのいたずらじゃないかな」

「でも、本当だったらおやつが買える?」

「おやつはほしいなあ。でも、夜勤明けだから帰って寝てからにしよう」

「だめだよ、もし早いもの順だったら貰えなくなっちゃう」


 彼らは好奇心も手伝って、仕事帰りに書いてある住所を訪ねていった。

 大きな新聞社にたどり着いた。

 新聞社は早朝にも関わらず開いていて、大勢の社員がせわしなく出入りをしていた。

 兄弟は社員の一人を呼び止めた。


「すみません」

「うちは煙突掃除は間に合っているよ。全館電気式なんだ。ほかにいってくれ」


 煤まみれの姿を疎ましく思ったのだろうか、忙しそうな社員が兄弟を厄介払いをしようとした。


「アンドレ・ミッテランという方に、手紙を持ってきたと伝えて下さい」

「それはうちの社長だ。手紙なら届けておく。よこせ」


 渡したら捨てられるかもしれない、と兄はとっさに思った。


「だめです。直接届けます。その人にここに来てもらってください」

「……何がなんだか。社長をここに呼びつけろというのか?」

「もし会ってくれないなら出直します」


 社員は何か事情があると思ったのだろうか、億劫そうに社長に連絡をした。

 それを聞くなり、アンドレ・ミッテランという、緑髪の男が大慌てで社屋から出てきた。


「アンドレ・ミッテランさんですか?」

「そうだが」


 煙突掃除の兄弟は折り紙の船を社長に見せる。


「これを持ってきたらお金をもらえるって聞いたんですけど」

「何だこれは」

「ほら、ここにあなたの名前が書いてあるんです。新聞社の住所もありました」


 社長は折り紙の船を開いて、現れた手紙に目を通した。

 手紙は二枚綴りで、一枚目に拾った者へのメッセージ、二枚目に暗号文が書いてある。


「そういうことか。よく持ってきてくれた」


 アンドレは興奮した様子で秘書を呼びつけると、その場で謝礼を支払うようにと指示する。

 秘書は首をかしげながら、金庫から報酬を持ってきて兄弟に一封ずつ手渡す。

 分厚い封筒を受け取って、兄弟は目を丸くする。


「こんなにもらえるんですか!?」


 二人は彼らの年収分の報酬にありついた。

 アンドレは声を潜めて二人に尋ねる。


「これをどこで見つけた?」

「場所は内緒です」


 兄は機転をきかせて見つけた場所を伏せた。

 場所を教えたら、もう用済みになってしまうかもしれない。


「ちっ、抜かりないな。また同じような手紙を見つけたら持ってきてくれ。今日以降も同じ場所に落ちているかもしれない」

「はい! よく探しておきます!」

「ただし、このことを誰にも言ってはいけないぞ。手紙を発見した場所についてもだ」

「はい! ありがとうございました」


 嬉しそうに飛び跳ねながら帰る子どもたちを見送ったアンドレは秘書に命じる。


「馬車を回せ」


 手紙を手に、その足で世界薬局総本店に向かうのだ。

 この形式の暗号文を受け取ったら、発見者に報酬を渡して世界薬局に届けるよう、薬局側と取り決めがされている。

 アンドレがそれを受け取ったのは初めてだった。

 スクープも朝一番の社内会議も、もはや二の次だった。

 これを極秘裏に、世界薬局に届けなければ。誰に任せることもできない。

 本店に手ずから届けたい。

 借金まみれだったアンドレがここまで大きな新聞社の社長に、妹が副社長に就任できたのも、腱鞘炎が治ったのも、異世界薬局の謄写板あってこそだ。

 少年店主が腱鞘炎を患っていた彼らの手首の負担を軽減させる新たな技術をもたらし、そこからアンドレと妹のエマは成功の階段を駆け上った。

 何の情報が書かれているのかはわからない、しかしこの情報を必要としている者がいる。

 アンドレはあのときの恩を思い返している。

 ファルマ・ド・メディシスの失踪を報じたのはアンドレだったが、その後何か動きがあるのだろうか。

 彼は世界薬局を目指す馬車の中でファルマの幸運を祈る。

 何か奇跡が起こっていて、彼の消息が判明してほしいと一縷の望みを懐きながら。


 ◆


 5月15日の早朝、ファビオラの研究室ではエレンとパッレは指紋の主について喧々諤々の議論を繰り広げていた。

 ロッテはパッレに促され、大統領府に出勤しているはずだ。

 早朝だというのに、研究室には当たり前のようにファビオラ・ディ・メディチの姿がある。

 彼女は帰宅するより研究室に宿泊している日数のほうが多かった。

 部屋に簡易シャワールームも作らせていたので、問題なく泊まれてしまうのだ。

 研究室でずっと仕事をしているわけでもないが、自宅にいるより落ち着くという。

 どうにもファルマの親族らしい習性である。


「あのー。お二人共お疲れでしょうし、朝食にタルティーヌでも食べませんこと? 血糖値を上げましょう」


 ファビオラはエレンとパッレに朝食をすすめる。


「すみませんファビオラ先生、朝からうるさくして」

「いいんですのよ。私も何かお役に立てれば。何をつけます? バターとジャムと蜂蜜がありますわ。シナモンも」


 応接室でパッレ、エレン、ファビオラの三人でタルティーヌを食べながら議論は続く。

 出勤したゾエが特に何も訊かず紅茶をサービスしてくれた。


「もし、これが大統領絡みの話だったら……ファルマ君を逃したところで、逃げ場なんてないわよ。ファルマ君は死んだことになっているんだし」


 エレンはタルティーヌに蜂蜜を塗り、紅茶をちびちびやりながら唸っている。

 真相が分かったところで、エレンはお手上げに近い。

 むしろ下手に真相を突き止めてしまえば、自分や家族の身辺も危なくなってくる。


「そうなる前に大統領の関与が立証できたなら、話は違ってこないか?」


 パッレは証拠を集めて現職大統領のジュールを吊るし上げる気満々だ。

 パッレのペンを介して監獄内で不審な動きをしていた男の指紋も採取していたが、こちらは身元がまだ判明していない。


「あなたは世情を分かってない。貴族は今や民衆の支持を受けていないのよ。旧貴族は圧倒的に少数なの。悪霊もいなくなったから、民衆は旧貴族階級の必要性を感じていないの。何なら特権をむしり取ってやろうと手ぐすねを引いているわ」

「大統領は選任されたばかりで支持率は最高。旧体制側がいくらスキャンダルをぶちあげたって、ネガティブキャンペーンか陰謀論だと思われるのが関の山ですわね」


 エレンの分析に同意するように、ファビオラも見解を添えて頷く。

 パッレは苛立ちを隠さない。


「嫌な世の中になったもんだ。掌を返しやがって」

「仕方ないわ。価値観が逆転したのよ。今では平民が偉いの。旧貴族たちは行いを正しくして、できるだけ平民に目を付けられないようにするしかないわ」

「そうだった。誰かさんが目立たないようにリコールの記者会見をするんだっけな?」


 パッレの一言にエレンはぐさっとくる。

 何か言い返そうとするが、それもままならないほどエレンもがっくりと項垂れて気鬱になる。


「思い出したわ。記者会見やらなきゃ」

「お静かに」


 ファビオラの研究室の扉をノックする者がいるので、ファビオラが会話を止めさせ、ゾエが扉を開けて応じる。

 聞かれてはまずいことばかり話している。


「おはようございます。エレオノール師はいらっしゃいませんか」


 彼女を探していたのは医薬大の事務スタッフだった。

 世界薬局と医薬大を移動する、多忙な医療者であるエレンを捕まえるのに事務スタッフは苦労する。

 しかも学外からの問い合わせも圧倒的にエレンに対してのものが多いのだ。


「早朝から何の御用です?」

「世界薬局から使者が来ています。すぐに対応お願いします」

「ありがとう。すぐ行きます」


 エレンが医薬大の玄関に出てみると、世界薬局から来たのは連絡人のトムだ。

 彼はここ最近、馬に乗って各所を移動している。

 エレンは一日一度は世界薬局に出勤しているので、それまで待てないほどの急用なのだろうな、とエレンは胸騒ぎがする。


「エレオノール師。新聞社の社長がこれをあなたにと。至急だそうです」


 トムは世界薬局の封筒に入った手紙を渡す。


「ありがとう。新聞記者? 耳が早いわね。リコールの記事を書くのかしら。会見は後日にしてほしいわ」


 ぶつぶつ言いながら封筒の中身を見て、エレンははっとした。

 アンドレ・ミッテランの名刺が入っている。

 新聞記者は新聞記者でも、新聞社の社長だ。


「何かまずい事が書いてあるのですか?」

「いえ、違うのよ。届けてくれてありがとう」


 監獄の中から、ファルマが手を回して送ってきたのだ。

 新聞社の人間に届ければ秘密の報酬がもらえるという口実で、拾った者が届けたのだろう。その報酬は後ほど世界薬局に請求される手はずになっていた。

 この数日でファルマからのメッセージが二通も届いたので監獄の警備はざるなのかとも思うが、それはおそらくファルマが一枚上手だからだ。

 エレンはファビオラの研究室に戻ってきた。


「何かありましたの?」

「何て書いてある」


 パッレがエレンから奪い取って手紙を読んでいたが、さじを投げた。


「数字暗号だ。解けるか?」

「そう簡単に読まれては困るわ。予め暗号を決めているのよ」


 エレンはファルマの難解な数字暗号をすらすらと読み解き、メモ用紙に解読した文章を書きつける。

 規則性さえわかっていれば簡単なものだ。


「読めた」

「何と言っている」

「ファルマ君、自力で脱獄しようとしてるわ。それもほかに8人も連れて」

「はあー!? あいつ、自分の立場と状況を分かってんのか」

「それはいいんだけど……問題はこれ」


 ファルマからエレンに、これを準備してほしいという要望がきていた。

 その要望の難易度が高すぎたのだ。


「建国記念日の午後8時から9時の間、許可をとって15分間打ち上げ花火を上げ続けてほしいって」

「何で」

「何故ですの?」


 パッレとファビオラがぐいぐいとエレンに詰め寄る。


「さあ……許可が取れなければ最悪無許可でやるしかないわ」

「何か書いてないのか」


 理由らしきものは一切書いてなかった。

 そして建国記念日まであとわずかに迫っている。

 建国記念日に大規模な祭典が行われ、大勢の民衆が大統領府前の広場に集まるというのは知っていた。

 国威発揚のイベントであることから、何かしらテコ入れはするだろうが、そこで花火が上がるかどうかはエレンもパッレもファビオラも知らない。

 ファルマからは、できるだけ監獄に近い場所で上げてほしいとも注文がついている。


「打ち上げ音に隠れて監獄を爆破でもするのか」

「そんな馬鹿なことしないと思うけど……こうしちゃいられないわ」


 エレンは紅茶を飲み干すと、打ち上げ花火の発注のために本店に電報を打った。

 もうてんやわんやだ。

 医薬大の業務はシフトを代わってもらっているとはいえ、花火の発注など薬剤師の仕事ではない。


「いきなり打ち上げ花火はないだろう。色々と根回しがいる」

「大統領府への根回しはお願いね。花火は間に合わせるから、言い出しっぺがやるのよ」

「まったく……」

「無理なんて言わないでよ」

「任せろ」


 パッレも紅茶を飲み干して、大統領府に出勤するために立ち上がった。

 ファビオラはあらあら、と言いながらタルティーヌを食べ終わると、実験に戻っていった。


 ◆


 バスティーユ監獄の衛兵か職員の中に、監獄内から旧聖帝エリザベス1世、現共和国議員セシリア・ド・グランディユを狙撃した者がいる。

 そんな嫌疑のもと、15日は捜査令状のもとにバスティーユ監獄内の捜査が行われた。

 大統領府の捜査官らが踏み込み、一人ずつ全職員の取り調べを行った。

 捜査官らは検分と証拠品押収のために抜き打ちで監獄内の全ての箇所を検める。

 その捜査官の一団の中に、ノア・ル・ノートルが加わっていた。


「議員にはお気の毒ですが、こちらも何もやましいことはありませんよ」


 監獄側の事前の申告通り、監獄にいるのは職員のみで、他に何者かがいた形跡すらなかった。

 捜査団がかつての拷問部屋を検めていたとき、床に不自然な水たまりができているのを見つけた。

 年配の捜査官が看守に詰問する。


「この部屋……やけに湿気ている。使っているのか?」

「いえいえ、まさか。使用しておりません。そこは監獄の老朽化で、漏水しておりまして」


 看守がさほど不自然ではない説明をする。

 しかしそれを不審に感じたノアは、そっと隊列を離れた。

 彼は単独行動を開始する。

 その場にいる誰もノアの行動を咎めないばかりか、彼の存在を気にする者も一人もなかった。

 ノアは堂々と更衣室に入り適当な看守の制服を着て職員に擬態する。

 下手をうたない限り誰かに視認されることはないだろうが、念のためだ。 

 彼は迷わず漏水しているという拷問部屋に戻った。捜査団は既に立ち去っている。

 床をあらためていると、下階につながる鉄格子が床にはめ殺しになっていた。

 ノアは上着を脱いで寝そべり、格子を覗いてみる。

 すぐ階下には、隠された監房があった。


(見つけた)


 ノアは独房のベッドの上に横たわっているファルマを見つけた。

 眠っているのか、こちらに気付いていない。

 無事なのかは分からないが、ノアに見える範囲だけでも、肌に無数の傷がある。

 呼吸はしているので、生きてはいるようだ。

 声をかけようとして思いとどまる。

 声を発したら、その瞬間に周囲の人間に気づかれる。

 ノアは視認されにくいが、それは彼が黙っている場合に限ってだ。

 ノアは一言も発さず、鉄格子を床から外すべく腰からナイフを取り出した。

 作業をしていると、何者かが拷問室の扉に手をかけた。

 ノアは身を翻し、物陰に身を潜める。

 中に入ってきた男は、鉄格子の周りにあるノアの濡れた足跡に気付いた。


「……?」

(バレた!)


 ノアは上着をひっつかむと、投げ広げて目眩ましをし、ナイフを振りかぶって男の背後から襲いかかる。

 この位置からファルマを監視しようとしていたことから、ただの職員ではありえない。

 おそらくは黒幕に近い。

 男は丸腰だったのでそのままうつ伏せに押し倒され、ノアは馬乗りになって上着の上から頭部を殴る。しばらくすると、男は動かなくなった。

 ノアは男から鍵の持っている鍵を奪い、猿轡を噛ませ、上着で目隠しをし、後ろ手に縛り上げると、扉に楔を打って外からの侵入を防ぎ、男を拷問室の奥の倉庫に連れ込んだ。

 かつて聖帝エリザベス、現議員セシリアの配下として宮廷を暗躍し諜報活動を行っていたノアがこのような立ち回りをするのは、特に珍しいことでもなかった。

 神術がなくても何ら差し支えはない。


「さあて拷問の時間だ。悲鳴でも上げたら二度と声が出ないようにしてやる」


 ノアは嗜虐的な声色で男を脅しながら、拷問室の壁にかかっている棘付きの鞭を取ってしならせる。


「議員を狙撃したやつと、階下の男を攫ったやつ、どっちがお前?」


 詰め寄るように尋ね、鞭をしならせて腹部に一撃を食らわせる。


「お前じゃなきゃ誰?」


 セシリアはノアにとって上司以上の価値を持つ存在だった。

 そのセシリアに危害が及んだなら、彼も箍が外れてしまう。

 洗いざらい吐かせると決めたら、ノアは一片の憐憫もかけるつもりはなかった。


 ◆


 ファルマは独房の中で天井を見上げていた。

 日中は、何やら監獄全体が慌ただしく、騒々しかった。

 今日に限って殆どの時間看守は来なかったし、監獄内には異常に多くの足音が聞こえていた。

 人員が追加されたのでなければ、監獄で何かあったのだろう、その騒ぎも夕刻には落ち着いて通常の運用に戻っていった。

 誰か亡くなったのでなければいいが……ファルマはそれが気にかかる。

 ファルマは毎日囚人一人ずつを房に呼び、調合の作業を続けてゆくと拷問官に伝えている。

 呼ぶ順番は前日に予め拷問官に伝えていた。

 どの房に誰がいるという情報は、1番の少女も知らなかったので、次に呼ぶ番号を慎重に決めた。

 日中あれほど騒がしかったので今日は誰も来ないかと思っていたが、予定通り8番が来た。


「失礼します。拷問官の言いつけで参りました」


 1番の少女の次に来た8番の囚人は、ガリガリにやせ細った中年の女性だった。

 ファルマは彼女を記憶していなかったが、彼女はファルマを知っていた。


「何故あなたまでこんなところに」


 中年女性の反応はもっともだった。

 ファルマが自分と面識がないふりをするようにと告げると、彼女は涙を流しながら何度も頷いた。

 彼女の体に聖痕と疑われたものはどこにあるのか、ファルマが尋ねてみると、左膝の下にあるという。

 見せてもらえばなるほど、水神の聖紋に酷似していたがこれもただの瘢痕だ。

 旧平民が主導して聖紋を探しているからか、今のところ聖紋の特徴にかすりもしていない。

 彼女も拷問されていたらしく、体の各所に痛々しい傷跡があった。

 それでも、ファルマが来てからはその頻度が減っていた。

 彼女自身から話を聞き取ると、8番の女性はファルマの収監されている二つ塔の、ファルマと同じ階にいた。

 ファルマの計画を完遂させるためには、8番の女性のように体力に乏しい者は、できる限り上階にいてほしいと思う。

 ファルマは推理を巡らせる。

 監獄に入った当初10番だったファルマが9番となったのは、9番が死亡し、番号が空いたからだ。

 8番が2つ隣にいるということは、さては番号の若い囚人が地下にいて、番号を折り返すように配置されているのだなと推測できる。

 したがって、ファルマは8番、7番、6番の順に、囚人たちを部屋に呼んでいた。

 現9番、元10番のファルマが1番と同じ塔に収容されていたことを考えると、8番、7番、6番を呼べば地下房にメモを落とすなどして伝言ができる。

 三日という最短日数で、一気に今後の計画を全囚人に伝達できる。

 ファルマはそんなことを考えながら、てきぱきと8番の女性に作業の指示をする。

 ファルマはここにきた初日に壁面の漆喰から焼石灰にして唾液を加え、粘土状にしたものを拵え、その粘土で拷問官の持っていたこの部屋の鍵から鍵型をとっていた。

 それは数日の間に、漆喰の鍵型として良い具合に固まっていた。

 ようやく使用できる頃合いだ。

 8番の女性に手伝ってもらって、ファルマが胃に隠していたプラスチックのボタン3つを吐き出し、それを金属皿の上でランプで炙って溶かし、型にそそぐように指示をする。

 8番の彼女は手先が器用で、加熱から注入までスムーズに作業をしてくれた。

 プラスチックを冷やし固め、型から外すとプラスチックの鍵のコピーができた。

 8番の女性はいとも簡単に鍵が手に入り、驚いている。


「これで扉が開くのです?」

「これでは折れますので、もうひと工夫します」


 強度の弱いプラスチックの鍵では、この監獄の分厚い扉の錠の中で折れてしまう。

 それを見越していたファルマはエレンに、小ロットで四角い複数の缶に詰めて梅毒治療薬を持ってくるように伝えていた。

 8番の彼女に説明し、プラスチックの鍵を薬缶の側面に当てて型取りをするようにと指示した。

 これでプラスチックの鍵一本から、数本の金属の鍵がとれる。

 このプラスチックの鍵には、まだほかの用途がある。

 缶の切り出しは力のいる作業なので彼女には難しい。

 一本分だけ切ってもらい、あとは別の人間にやってもらう。

 彼女は疑問が生じたのか、ファルマに耳打ちして尋ねる。


「鍵穴は房の内側にはありませんよね。つまりこの鍵は脱出用には使えません。そして、全ての房がこの鍵で開くのでしょうか」


 そう、彼女は鋭い。

 房の鍵穴は外側にしかない。

 そしてコピーしている鍵は、ファルマの房を外側から開けることしかできない。


「このコピーは全ての監房が開くはずです」


 ファルマはそれを確かめていた。

 予め一番の少女に、彼女の房の鍵穴を油で汚しておいてもらったのだ。

 拷問官は汚れた鍵でファルマの房を開けて入ってきた。

 拷問官の鍵束には五本しか鍵がついておらず、その中には倉庫と詰め所の鍵が二本含まれていることから、計算上、型をとった鍵で全ての房が開く可能性が高い。

 各房を警備する看守の持っている鍵とは違うのかもしれないが、全ての房を回る拷問官が持つ鍵は、マスターキーであると考えるほうがしっくりとくる。

 囚人で唯一、ファルマの世話のために房内を監視付きで歩ける時間のある一番の少女に鍵を渡しておけば、全ての房が開くか事前に確かめることもできる。


 8番の女性に秤量をしてもらい、拷問官の分の調剤をし監査する。

 彼女の作業は以上だ。あとは、1番の少女に書いておいてもらった手紙を渡す。

 脱出の段取りを書いた紙を、8番の真下にいるであろう3番の囚人に投げ渡してもらうのだ。

 手紙は水で濡らすと読めるようにしており、時間がたつと溶けてなくなる。

 証拠隠滅も万全だ。

 ボタンを吐き出したので胃を空腹にしておく必要もなくなり、食事を食べさせてもらった。

 数日ぶりの食事はパンと薄いスープで、さしたるカロリーも取れそうにはなかった。

 体力が尽きる前に計画を急がなくてはならない。

 ファルマは何も持ってきていないので、即席のもので脱出を図る必要がある。

 準備した脱出道具は、一箇所に置いておいてはいけない。

 複数の箇所に分散して置いておく。

 例えばそう、各囚人の監獄などに。


 8番の女性が退出したあと、エレンに送った手紙はそろそろ届いただろうか、とファルマは気を揉む。

 最悪、風向きの計算や落とすタイミングを間違えて、手紙は堀の中に沈んでいるかもしれない。

 そしてそれを運悪く衛兵に拾われていないだろうか。

 子供の興味を引くように、船の折り紙にしていたけれども。


 夜間、窓の外に犬の遠吠えが聞こえてきた。

 ただの野犬だろうか、そう思ったファルマは違和感に気付いてすぐに暗号に変換する。

 人の指示に従って吠えているように聞こえたからだ。

 ワオーン、ワン、ワン、ワオッ。

 などと長音と短音を組み合わせている。

 おそらくは、エレンかパッレの弟子が医薬大の訓練犬に「全て了解した」と吠えさせて立ち去ったのだろう。


 ファルマの房の上階で大きな物音がしたのは、彼がうつらうつらしはじめていた時だった。


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