2章1話 瀉血とファンデーション
創業から一か月。
華々しくオープンした薬局は、閑古鳥が鳴いていた。
懸念されていた薬師ギルドからの嫌がらせは、まだ受けていない。
エレン曰く、貴族の店の経営がどんなものか様子をうかがっているから、営業不振なら邪魔はしてこないでしょうね、とのこと。なんとも情けない話だった。
万民のための異世界薬局とは謳えど、客層はというと裕福な商人、下級貴族などがまばらに来るぐらいだ。おあつらえむきに、三級薬師の店での買い物は家格にふさわしくないと考えた貴族もいて、ほどよく需要を満たす店となった。
彼らが買い求めにくるのは、化粧品やハンドクリームなどが多い。本格的な病気の場合は、貴族相手に一級薬師、二級薬師や医師が往診に来るので、貴族は敢えて薬を買う必要がない。
しかも彼らは精いっぱい着飾ってやってきた。どこの舞踏会に呼ばれたのか、という服装でだ。勲章をつけた貴族もいた。子供とはいえ尊爵の次男の経営する帝国勅許印のついた店に踏み入るのは、かなり身構えてしまうようだ。
『どなたさまもどうぞ着飾らず普段着で来てください』と看板に書かなければいけないのか、とファルマは悩む。
いや、その前に平民に来てほしいというのが悩みだ。
そんな日々の中、お昼の休憩時間。3階の職員休憩室で、職員たちは昼食を食べながら休んでいる。ちなみに、膝の悪いセドリックが3階の休憩室で休めるように、セドリックを雇うと決めた日から突貫工事で急遽カウンターウェイト(つり合い錘)式の手動エレベーターを設置したので、セドリックも3階に楽にあがれる。
昼食を頬張りながら、彼らの話題はほかでもない、どうやって平民に来てもらうかということだった。ランチョンミーティング中である。
「いきなり客が押し寄せてくるわけないわ」
エレンはパンを片手にロッテの絞ったフレッシュジュースを飲んでいた。
「まあ、時間があるから患者さん一人一人をゆっくり診れていいんだけどね。どうも本当に施療を必要としてる人に、薬が届いてないっていうか」
ファルマの期待していた、本当に困窮していそうな患者が来ない。
「そういうこともあるかと思いまして、私、考えてきました!」
ロッテが、数日かけて異世界薬局について街頭アンケートを取ってきたらしい。職員の中でロッテだけは平民なので、市井の人間と気さくに話しやすいのだ。
「発表します! サン・フルーヴ帝都市民100人に聞きました! 複数回答可」
「頑張ったなロッテ、助かるよ。結果が怖いけど」
ファルマが拍手する。と同時に心構えも必要だ。
「ずばっと発表しちゃって。ロッテちゃん有能!」
エレンが手を振って促す。
「勅許印がこわい 48人」
ずこっ、と三人がコケたふりをした。
「敬語ができないから貴族の薬師と話せない、不敬罪にされそうで近づけない、こわい 46人」
あーそれかー、と3人は納得する。
「貴族のお店に着ていくエスプリの効いた服がない 25人」
エスプリ必要ないよね、とエレンがつっこむ。
「門番の騎士がこわい 19人」
にこやかにしてたら門番としてどうかと思う、とファルマは門番を弁護したい。
「子どもの薬師に薬出されるのは信用できない 18人」
俺か! とファルマが机の上につっぷす。
「看板に出ている薬の値段が、応相談になってて高そうでこわい 12人」
「字が読めないので看板が読めず、入りづらい 10人」
「あとはー……店長が子どもだ 8人、です」
俺かー! とファルマは再度呻いた。
強メンタルのファルマも、多少こたえたようだ。
「ありがとう、わかったわ。予想通りね」
エレンは手を振って眼鏡をなおす。
「なんか根本的なところで躓いてるわね」
「店長が子どもだ、って言われたらもう言い返す言葉もないな」
ファルマはあいたた、と額をおさえている。
「平民は平民のやっている店に行きたがるものなのよ、貴族になんて関わりたくないものだわ。私が言うのもなんだけど」
「具体的な薬の値段や診察料を出して、店の外に掲げておいたほうがよかったのでしょうかね」
セドリックが提案する。ファルマは応相談と書いたことを反省した。患者の社会的地位、財産、困窮度に応じて薬の価格を変えようと考えていた彼だが、応相談という一文に警戒されたらしい。
「常連が来てくれるような店にしないとね」
エレンはそう言う。
そんな敬遠されている状況の中で、毎日薬局にやってくるメンタルの強い平民の老人、ジャンがいた。ジャンはカウンターに、我が物顔でやってくる。
「船乗りの飴(Bonbon)をもらおうかのう。今日は3つじゃ」
ジャン老人は毎日飴を買いに来て、そしてウォーターサーバーの水を飲んで、散歩コースに戻る。
「はい、3つですね。ありがとうございます」
ファルマは快く応じる。毎日買いに来るぐらいなら、手間になるのでまとめ買いしたらどうだろう、とファルマは思うのだが、毎日、律儀に買いにくる。1つだったり、2つだったりするが、とにかく彼は買ってゆく。固定客といえば固定客だ。
ファルマは3つ、キャンディ壷から飴を取って渡した。薬局では、各種の飴を用意している。咳止めの飴、風邪予防の飴、船乗りのための飴(壊血症予防の飴)、塩飴(熱中症予防)、など。これらは、菓子屋のキャンディと同程度の価格だったので、裕福な商人の子供も銅貨を握り締めて買いにきたりした。
「じゃあ、わしは商品を買ったし客じゃから、水をいただくぞい!」
彼は得意げだ。いつも”船乗りの飴”を注文するが、目的は飴よりも水なんだろうな、と職員の誰もが気づいている。
「おほほ、これこれ! これがうまいんじゃぁ」
ジャン老人は大手を振ってウォーターサーバーに紙コップを近づける。コップも衛生的に、ロッテが客用に紙コップを折っていた。ファルマに教わった、折り紙で折るコップである。
「たくさん飲んでくださいね。外は乾燥していますから、水分補給を」
ファルマは嫌な顔ひとつせずに、水をすすめる。商品を買ったら、水は無料。商品を買わなければ、小銭程度に有償。ジャン老人はごくごく喉を鳴らしながら、紙コップに5杯は必ず飲む。
「船乗りの飴ということは、海に出るんですか?」
そういえばジャン老人は黒々と日焼けをしている。昔は海の男だったのだろうか、とファルマが尋ねる。
「いや、もう海には出んのじゃ。昔は出たもんじゃが。じゃあのう」
ジャン老人は乱暴に手をふると、よぼよぼと散歩コースに戻っていった。
(船乗り、関係ないな。まあビタミンCの摂取はいいことだと思うけど)
ジャン老人は、いつも路地で複数の男たちと待ち合わせをしている。男の一人がS.I.Oというロゴのついた鞄を持っていた。
(散歩仲間かな?)
見送りに出たファルマだが、そのぐらいにしか思わなかった。
ジャン老人のすぐ後に、上流貴族の夫婦が店を訪れた。婦人はロココ調ヘアスタイルで髪を真っ白に粉をはたき、高さも盛り盛りにして、髪の上にはちょこんと羽帽子をのせている。二人とも仮面をつけていた。
(怪しすぎだろう! この二人!)
明らかに怪しいのに、家つきの騎士の門番もスルーを決め込む。店に入ってきた二人に、
「母上、棚の上の商品を御髪でひっかけないようお気をつけて」
ファルマが思わず注意をすると、
「えっ、あらやだ。どうしてわかったの?」
「いらっしゃるなら、今朝一言声をかけてくだされば」
両親を真新しい薬局の応接コーナーのソファに座らせ、セドリックは両親にお茶を出す。両親は気まずそうに仮面を各々の顔から外した。ベネチアンマスクを彷彿とさせる仮面だ。ブリュノとベアトリス、どちらがそれをかぶろうと言ったものか、バレないとでも思っていたのか、とファルマは問いただしたい。
「ど、どうしているかと思ったのよ。ほら、あなたまだ子供だし」
心配でたまらないといった様子のベアトリスとは対照的に、ブリュノは落ち着き払って席を立つ。
「店主、店の中を見てもよいだろうか」
「どうぞご自由に。父上」
薬局の隅の隅まで眼を光らせ、調剤室も確認した後、無言でテーブルに戻ってきた。エレンはというとブリュノがいきなり押しかけてきたので、挨拶をしたきり背筋をぴんと伸ばしその場で直立不動である。普段、ファルマにはため口をきくエレンも、ブリュノの前では緊張しているらしい。ロッテも一言も無駄口を叩かず控えている。
出された茶に一口、口をつけてから、ブリュノは頷いた。さて、評価はどうだろう。とファルマも自然と前のめりになる。
「よい店だな。非常に斬新だが、ひとつひとつ考えてみれば理にかなっている」
ファルマはひとまずブリュノの眼鏡に適ってほっとする。
「分からないことや難しいことがあったら、セドリックさんに聞いていますので、こちらの事は大丈夫です」
「客足は? 平民は寄り付いて来るのか?」
ブリュノはファルマの泣きどころを、ぐっさり刺してきた。
「来てくれる人もいますが、まだ芳しくありません。商人や貴族はきます」
「そ、そうか」
独立した息子の経営がうまくいっていないとなると、心配なのが親心だ。
かといって、ブリュノのほうはファルマよりもっと金銭感覚や経営感覚が崩壊している。
「平民、平民、平民~と思うからいけないのよ」
ベアトリスが重い空気を払拭し、明るく言った。
「とりあえず、今は貴族向けに化粧品を売ればいいじゃないの? 貴族の間で流行っていれば、平民も使うでしょう。化粧品に力を入れるの」
一理あった。貴族の間で流行りものを、商人などが使いたがる。
「どんな化粧品が需要があると思いますか?」
エレンは美肌なので化粧をしないし、ロッテはましてや化粧などしないし、ファルマとセドリックは男だしで、化粧品の流行にはてんで詳しくなかった。
「肌のきめを整えるものと、色を白く見せるものであればあるほど、よいでしょうね」
ベアトリスは貴婦人だけあって事情通だ。おしろいに飽き足らず、雪のように白い肌を求めて、瀉血(しゃけつ:血抜き)を繰り返す婦人もいるとのこと。
「白く見えて、肌が赤ちゃんみたいに見えて、つけていて臭くなくて長持ちのするおしろいなら、飛ぶように売れると思うわぁ」
ベアトリスの言うことは、どこぞの女性雑誌に書いてありそうなコメントだった。姦しい、と言わんばかりの顔をして聞いていたブリュノだが、
「ファルマ。おしろいを造るなら、白粉だけは売るな」
ブリュノは真剣な顔をして忠告をした。この世界のおしろいには、異世界人の肌にも有毒な鉛白や水銀などが入っているというのは、ファルマはレシピを見て知っていた。だが、ブリュノはそれが有害であると知らない。
「なぜですか?」
「私の知見によると、白粉を熱心にはたく婦人ほど早死にする。そんなものは医薬の道にもとる、売るな。白いものほど悪い」
(なるほど、ブリュノさんは分かってるんだな)
ブリュノの、この世界の薬に対する経験則は、的を射ていることが多かった。それはファルマがうすうす感じていたことだ。ブリュノは書物を完全には鵜呑みにせず、彼の出合った症例をつぶさに観察している。そして時には、書物を疑うことも厭わなかった。
「もう、あなたがそうおっしゃるから。気のせいよ! 私だって白いおしろいが欲しいのに」
なので、ベアトリスは白すぎるおしろいを使うことをブリュノに禁じられていた。それがベアトリスの健康を守っていた一面を、ベアトリスは知らないだろう。
「はい、まだおしろいは売っていません」
ファルマが売っているのは、保湿液、ローション、ハンドクリームの基礎化粧品だけだ。
「うむ、それがよかろう」
そのとき、大路で悲鳴が上がり市民が騒ぎ立てはじめた。
「医師か薬師を呼べ、早く!!」
「で、ですがこのあたりには平民の薬師しか……あ! ここは!」
誰かが看板を見て、貴族の薬局ができたのだと思い出したようだ。従者と思しき服装をした男が、店に飛び込んできた。
「お騒がせいたします薬師様、お嬢様の診察をお願いできますか!」
「診察? わかりました」
よしきた、とファルマは腰を上げる。ブリュノは動かない。
「父上、母上、行ってきます。エレンはここに残って。店をよろしく!」
そう言い残すと、エレンと両親を置いて店を飛び出し、人垣の出来ている場所に走っていった。
「あの子、まだいくらも話していないのに」
嘆くベアトリスに、セドリックが声をかける。
「奥様、お待ちの間にファルマ様が開発されたこちらの新しい美容液をご覧にいれましょう」
「あら、いい香り」
ベアトリスの興味のツボを知るセドリックが、ご機嫌をとるのだった。
「外の空気を吸ってくる」
ブリュノは無言で席を立って、ふらりと店をあとにした。
「あの人、ファルマのところに行ったのかしら」
「で、ございますね」
ベアトリスとセドリックは頷いた。
「あの人、ファルマに言いたい事があるといっていたのだけど……」
…━━…━━…━━…
侍女に支えられて、若い淑女がげっそりと青ざめ、馬車の中で座席にもたれかかっていた。
「ああ、なんということ、お嬢様、しっかりなさいませ」
ファルマは従者に案内されて人ごみをかきわけ、大人たちに埋もれるようにしながら、声のするほうに近づいてゆく。
「薬師様のお通りだ、道をあけろ! こちらです薬師様」
「あ……あなたが薬師様?」
ようやく気分のよくなる薬をもらえると思った彼女は、子供がやってきたので、疑わしげな顔をした。ファルマから彼女を見るに、10代後半の貴族の子女のようだった。侯爵令嬢のようだ。
「道をあけてください、私は宮廷薬師です」
ファルマは襟のバッジを見せる。白衣の襟元の王冠型の宮廷薬師のバッジは、ファルマの仕事には必須だった。身分をひけらかすつもりはないにしろ、これがなければ子供とみくびられて診察すらさせてもらえないのだ。
「失礼、馬車の中に入ります。お顔の色がすぐれませんね」
ひと目見るなり、ファルマは彼女が貧血だと気付いた。他の病気も隠れていてはいけない、ファルマは神力を通わせた左手を眼に当て、診眼を発動し人体を透視し骨格をつぶさに見てゆく。骨折はなし、光っている部分もない。
「骨は折れていませんね。脱臼などもなさそうです」
しかし、長いドレスの袖に隠されていたが、腕には無数の光が見えた。
「おや」
切開創だ。静脈切開創だとみられる。
(自傷癖か。いや、これは自分でやったんじゃないな、となるとやっぱり)
”鉄欠乏性貧血”
光の色が変わった。ベアトリスとの会話に先ほどのぼったトピックが、まさに現実であると分かった。
これはただの貧血ではない。
「瀉血をしましたか。貧血になっておられます」
「えっ、そんな。医者がやったのよ?」
元気なくうつむいていた彼女は驚いて顔を上げた。何が問題なのかと言わんばかりに。この世界では、患者が失神するまで瀉血をするのが標準的だった。度重なる血管の切開で、傷口から感染を起こしてもいる。
「あなたに特に病気はありません。病気でもないのになぜ、瀉血をするのですか?」
彼女はその後、30分ほどファルマと話し込んだ。身の上話から始まり、脇道にそれまくり。ファルマが身の上話を真剣に聞いているのを、ブリュノは遠巻きに見ていた。意中の貴族にこっぴどく振られたのをきっかけに、美の追求のため雪のような白い肌を求めたようだ。よく見れば顔中に、手にもべったりと白いおしろいをはたいている。ブリュノがまさに指摘していた、白すぎるおしろいだ。
それに加え、もともとそれほど肌の白くない彼女は、特に熱心に瀉血を行わせた。
地球でも中世から近代に至るまで流行した瀉血。病気にはなにかと、旧い血を抜く瀉血が効くと思われていた時期があった。現代では瀉血をしなければならない状況は、多血症の場合など、ごく限られている。
瀉血は彼女にやってはいけない。
ファルマは薬局に案内する。両親は家に帰っていた。
彼女を暫くの間休ませると、鉄剤を処方、感染症に備えて抗生物質の服用もすすめる。
彼女は小さな溜息をついて、
「ありがとう、これでよくなるのかしら……。御代はいかほど?」
心ばかりでいいと告げると、従者が驚くほど多額の金貨を手渡した。
貴族は心づけに見栄を張りたがるものらしい。
「もう、瀉血をしないでくださいね。それから、そのおしろいはいけません」
ファルマは心配だった。動機が美の追求である限り、彼女はまた調子が戻れば同じことを繰り返すだろう。
「やめるのは、無理よ。だって、女は皆、少しでも美しくなりたいのだもの」
「わかりました」
ファルマは彼女の希望を汲み取ることにした。
「あなたの肌にあった、化粧品セットをご用意して置きます」
一週間後に、薬局にいらしてください。
ファルマはそう約束をして、その日から異世界薬局の4階の研究室にこもった。
美白になれる、害のないファンデーションを創ろう、そう決意して。




