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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre final 愚者の実験 Expérience d'ignorance(1152年)
140/151

9章7話 別解

 1152年8月12日。

 エメリッヒとジョセフィーヌ夫妻が新婚旅行を終え帝都に戻ってきた。

 教授室のテーブルにずらりと並べられたお土産を囲みながら研究室メンバーが土産話を聞く。

 ファルマの研究室には現在、

 教授 ファルマ・ド・メディシス(17)

 准教授 ファビオラ・デ・メディチ(24)

 大学院生 エメリッヒ・バウアー(30)

 大学院生 ジョセフィーヌ・バリエ(27)

 学部生 パトリシア・ニコ(18)

 学部生 モルガン・ニコ(18)

 秘書 ゾエ・ド・デュノワ(26)

 が在籍している。

 相変わらず、それなりの大所帯だが教授のファルマが最も若いという風変わりな研究室である。


 エレンは異世界薬局のDCに専念するため、講師を辞した。

 ファルマは先々のことも見越して、二年前からノバルート医薬大薬学講師であった24歳のファビオラ・デ・メディチを准教授として受け入れていた。

 ファルマがファビオラの採用を決めた時には彼女との面識などはなかったものの、ド・メディシスとデ・メディチという姓が同じなので血縁なのではと調査した結果、はとこだということがわかった。

 ファビオラは学生の指導にも長けたバランス型の研究者で、水属性の負の神術使いで薬神を守護神に持つ。オーロラカラーの珍しい髪と瞳の色で小柄な女性だ。だが顔立ちはド・メディシス家の誰とも似ておらず、年齢のわりに童顔に見える。

 研究特化のエメリッヒとともに、研究室の運営を続けてくれそうだ。


 パトリシアとモルガンは今年研究室に入ってきた男女の双子で、異世界薬局関連会社であるメディークの女薬師の子女にあたる。

 二人とも若葉色の髪と瞳のよく似た顔立ちで、先端の医療を学び、研究者として世に成果を還元したいという意欲にあふれた才気煥発な学生だ。

 彼らは新規抗体製剤の開発をテーマに研究に取り組んでいる。


「長々と休暇をいただいてしまい、申し訳ありませんでした。留守中に変わりありませんでしたか?」


 エメリッヒとジョセフィーヌはさりげなく互いに寄り添ってソファにかけている。

 なにげに縮まった距離に、新婚旅行で仲が深まったらしいなとファルマはほほえましく思う。

 ゾエはお茶を飲みながら面白そうに終始ニヤニヤしていた。


「こっちはいつも通りだったよ。二人とも楽しんできた?」

「ええ、思い切り羽根をのばしてきました」


 この世界での新婚旅行は挙式後一か月間が通例だが、早めに戻ってきたのは研究のことが気になったからだという。


「そんなときに、研究のことは考えなくていいよ……なんで思い出すの。メリハリをつけなきゃ」

「それを教授には言われたくないですね」


 エメリッヒが体裁わるそうに反論する。

 研究室には独身メンバーばかりなので結婚生活がどういったものか誰もわからないのだが、少しは仕事のことを忘れてほしいとファルマは思う。新婚旅行中、エメリッヒはポストカードを出しすぎだ。「あの実験ちゃんとやってくれましたか!」という内容ばかりで、ファルマに手紙を取り次ぐゾエが若干引いていた。


「わたくしなんて休日の予定も何もないから研究室に来るしかないんですの。新婚夫婦がいそいそ舞い戻って来る場所じゃありませんことよ」


 ファビオラは聞かれてもいないのに悲しい告白をしていた。彼氏いない歴=年齢らしい。

 この容姿と知性でなぜモテないのかとファルマは疑問に思っていたが、キャラが濃いのと急に自虐を始めるのが理由だろうなと最近ではわかってきた。とはいってもうちの家系も大概だったなと振り返る。父は子にキラキラネームをつけるし、兄は有能だがナルシストだし、妹はあの調子で、どうしてこの家系はこんなクセが強いんだろう、とファルマは残念に思う。

 ファビオラはデートを申し込まれること自体は多いが、二回以上続かないと悩んでいた。


「こんなわたくしを哀れに思ったら、素敵な殿方を紹介してくださいまし」

「う、うん……いい人がいたら」

 

 ファルマは流すしかない。

 ジョセフィーヌが空気を読んでお土産の紹介にうつる。


「こちら、お土産です。まずは古都ドレドの名産の象嵌細工の小物入れで、木彫りに貝殻を埋め込んでいるんです」


 一人一人にお土産を手渡しながら、ジョセフィーヌが説明する。


「かわいいデザイン! 持ち運び用のアクセサリーケースにします!」

「まあ、まだ見ぬ殿方とのジュエリーを入れることにしますわ」

「私は記念切手を入れる箱にします」


 ゾエは素直に絶賛し、ファビオラは重めの言葉を発し、パトリシアは素朴な用途を述べた。

 ファルマとモルガンのは男性用小物ケースで、女性用とは少しデザインが違う。

 それぞれの趣味に合わせて選んでくれたのがわかった。


「ありがとう。ネクタイピンを入れようかな」


 ファルマもコメントを述べておく。


「それから、名産の薬草酒を。アプサンです」

「これ臭いけど好きなの! スプーンの上の角砂糖にたらして飲むのよね。今日のアペロにいただくわ」


 アペロというのは、夕食の前の軽食の時間だ。

 ゾエが臭いけど好きと言っているので味の想像がつかないが、ファルマはいつもの癖でレシピを確認する。


「アプサンにはアブシンティム(ニガヨモギ)が入っているよね?」


 帝国ではファルマの上奏によって、ニガヨモギを含むレシピには食料品、薬品、嗜好品すべてに禁令が出ている。禁令をもちかけておきながら、裏では禁制品を楽しんでいたなどという醜態をさらすわけにはいかない。


「さすが教授、つっこんでくださると思ってました」


 ジョセフィーヌがくすりと笑う。

 パトリシアとモルガンは要領を得ないらしく、顔を見合わせている。


「アブシンティムのツジョンが入っているのでしょう? サン・フルーヴでは禁制品にあたらないかしら」


 ファビオラもこんなときは薬師の顔つきになる。

 とはいえ、サン・フルーヴ帝都で義務付けられた原材料表示は他国では徹底しておらず、原材料が書いてあるのは稀だ。


「アプサンの中にはアブシンティムに含まれるツジョンが中毒を引き起こすことがあると、教授の講義でも取り上げておられましたね。これは地元の薬師が苦心して生み出した、アブシンティムは入っていないアブサン、名前こそ同じですが代用品です。味もさほど変わらずなかなか美味しくいただけたので」

「へえ、それではいただくね。ありがとう」


 ファルマは礼を述べて受け取った。

 一から十まで確認しなくても、打てば響く、教え子二人の見識は頼もしい。


「そっちの二人はきょとんとしているけど」


 ファビオラは見逃さない。


「復習しておきます! まずアプサンに毒があるってことすら知らなかったです。そういえば最近売ってないなと思ってました」


 パトリシアとモルガンは背筋を伸ばして元気に降参した。

 パトリシアは小さく舌を出していた。

 そのほかにもお菓子などをいただきながら、ファルマが礼を述べる。


「たくさんお土産ありがとうね。お土産話もききたいかな」


 故郷スパイン王国での滞在中、異世界薬局系列店の認証章を至る所でみかけたそうだ。

 他国でも医療体制が整いはじめた様子を目の当たりにしたとのこと。

 ファルマはその話を聞いて報われたように思う。


「異世界薬局の薬で、小規模な病原性大腸菌の流行を抑え込んだそうですよ」

「都市全体の衛生向上に伴い、感染症の流行が劇的に抑えられているようです。スパインの旧友もそう言っていました」


 世界中を俯瞰してみることはできないが、ファルマの見えないところで誰かが助かっていたならそれは本望だ。

 少しずつ、手の届く範囲から民間の力で改善していってほしい。


「ですが……」

「どうしたの?」


 異世界薬局系列店の大盛況の裏で、幼少期を過ごした町で伝統薬を取り扱う薬店がひっそりと廃業寸前に陥っており、店舗もみすぼらしくなっていた。

 それを見たエメリッヒは、これはまずいとスパインの薬師ギルドに新しいレシピを書き残して延命を図ってきたようだ。


(やはり以前の俺と同じことをしているな)


 ファルマも悩んで、対応に苦慮していた。

 よりすぐれた技術が打ち立てられたとき、そうでないものを途絶させるか保全するか。

 自分のもたらした薬は人を救うかもしれないが、古いものを駆逐することは誰かを飢えさせたり不幸にしているのではないか。


「伝統薬はこのまま役に立たないものとして淘汰されて、すたれてしまうのでしょうか」


 ジョセフィーヌは迷いながら尋ねる。

 ファルマもこのことに関しては明確な答えを持っていない。


「それはないと思います。私たち医療者は、よりよい薬、より正確な情報、よりよいアウトカムを求めて患者さんに医療を提案しようとしています。しかしそれを懐疑的なものとして見ている人もいます。個人の特性として、どれだけ有効性を説いても新しいものを受け付けない人もいます」

「私の親がそうです。娘のいうことを聞かず、老舗のポーションを毎日のように飲んでいるんです。ああいう人たちですから、諦めています」

 

 ジョセフィーヌは力なく笑う。


「私の父は、ファルマ教授の新しい医療を受けたかったと思いますね。教授と出会ったから、私と、妹弟全員の命が今あると思っています」


 難病で尊敬する薬師の父を亡くし、壮絶な最期を見届けたエメリッヒは悔しそうに拳を固める。


「仮に、致命的な感染症の重症化を99.99%防ぐが、ごくわずかに副反応や副作用、有害事象を伴うとされる薬があったとしましょう。その薬を人々は全員飲みたがるでしょうか」


 ファルマは声を抑えて尋ねてみる。


「そんなの、飲むに決まっています!」


 エメリッヒは食いつかんばかりに勢いよく答える。

 ジョセフィーヌは何か思うところがあるのか、微妙な顔をして首を傾けている。


「思いませんね。そう単純ではないのですよ」


 ファビオラの瞳に暗い影が宿る。

 ファルマはファビオラに同調するように、残念そうに頷く。


「実際には、全員は飲まないんです」


 ファルマはなぜかと言うと、と一つ一つ指を折って説明する。


「感染症のリスクを低く見積もる人」

「薬のデメリットを過大に見積もる人」

「薬を飲んだ直後に起こった因果関係のない事象と、飲んだ薬との関連を疑う人」

「任意の誤情報を得て、薬を飲むのを躊躇う人」

「有効率が操作されているのではと疑う人」

「病気の存在を信じない人」

「薬師の儲けのために、ありもしない病気をでっちあげているという人」

「不安が強すぎて飲めない人」

「急速な変化を受け入れられない人」

「飲むと子孫に悪影響が出るのではないかと恐れる人」

「感染症の流行地から遠い場所に住んでいる人」

「今は無事でも数年後に死ぬと思い込んでいる人」

「個人の信条や宗教に反すために飲みたくない人……」


 指折り数えていたファルマの指が足りなくなりそうだ。

 ファビオラも横で同意するように頷いている。


「そういった人たちの拒否感は相当なものですわ。わたくしも会ったことがありましてよ」


 これまでの患者に思い当たる節があるのか、何とも言えない顔をしている。

 エメリッヒは臨床経験に乏しいが、臨床現場に長くいるファビオラは特に経験があるのだろう。


「そんな、効くのにですか? 飲めば効くとわかるのに? 生還した人がどれだけいても?」


 エメリッヒの声が教授室内にむなしく響く。

 エメリッヒの無力感を肌で感じ、ファルマもやるせなさがつのる。


「そうです。割合に差はあれ、全員は飲まないんです。その人たちの心には、大多数の人々の“効いた”という声は届きません」


 ……ファルマは常々思っていることがある。


「薬師を信頼してくれる人を大切にするのは当然ながら、目の前からいなくなった人をこそ、気に掛ける必要があると思います」


 社会からの疎外感、孤独感、苦痛、不安を抱え、ファルマがもたらした医療に憎しみを抱えている彼らのことをいつも思う。

 医療を受けるか否かの決定は任意で、強い言葉で単純化できるものではないために、とりわけコミュニケーションが難しい。

 医療者が彼らの無知や間違いを責めたり、信頼できるデータを提示しても、彼らは救われることはない。


「ひるがえってみると人類は分業によって、助け合って社会生活を成り立たせています。だから私たちは衣食住全ての工面を自力で行わなくとも生きてゆくことができます」

「ずいぶん基本的なところに立ち返りましたわね」


 ファビオラは脱線したように感じたのか失笑している。


「薬学の専門家たる薬師には技能の蓄積や合理的な知見がありますが、しばしばそれは人に正確に伝え、理解してもらうのは難しいのです。理解を得ることができなかった人々を相手にしない、それは可能かもしれません。ですが、その後彼らが薬師にかかることはなくなるでしょう。彼らは薬師は信用ならないのだと子孫に伝えます」

「そうやって、孤立して先鋭化して、助かるはずの人々が助からなくなってしまうのですね」


 エメリッヒはコミュニケーションの難しさに悩んでいるようだ。


「顔が見えない人たちのことを忘れないで、敵視しないで、彼らの気持ちに寄り添うことを諦めてはいけません。そういった人々がもし、私たちの取り扱う新薬ではなく、住み慣れた町の何代も続く薬店で、顔なじみの薬師が出してくれる、よく知れた味の伝統薬ならば飲んでもいいと思ってそこに買いに来てくれるのなら、その繋がりを断ち切るべきではないと思います。その間は、人々の生活を支えてきた伝統薬は一定の役目を果たし続けるのだろうと思います」

「でも、もっと効く薬があるのに古いものに固執しても患者さんの利益につながりません。何とか説得できないものでしょうか。みなが高等教育を受けることができれば……」


 ジョセフィーヌはもどかしそうにしている。

 だが、解決策はそうではないとわかっているのだろう。尻すぼみになった。そこでファルマが言葉をつなぐ。


「私たちにできる支援は、伝統薬のレシピの改善や、文化としての保全、有害なものとそうでないものの振り分け、平時は伝統薬で、緊急かつ重篤な場合は現代薬へ切り替える、などの柔軟な対応なのではないかと思います。世代が変われば、薬も知識も最適化されてゆくでしょう」


 ファルマが薬師として彼らにできることはそう多くはない。

 誰かの人生に対して、責任を持って正解を出すことができない。

 ファルマにできることはただ、この世界を少しだけ快適にして去ってゆく。

 そんな、ちっぽけな存在でしかいられないのだと思う。


「私たちは互いに敵ではない、人類という群れです。みな社会の一端を担う仲間です。それを忘れないように、どうか見えない人たちのことを気にかけていてください」

「教授とお話ししていると、自分がいかに狭量かと思い知らされます」


 エメリッヒが肩をすぼめて恥いるように俯いたので、彼らからのお土産と引き換えに、ファルマは留守中にまとめておいたデータを渡した。

 彼らが一番欲しがっていたものだ。

 エメリッヒの仮説を補強するデータを提示しながら結果を説明する。


「こ、こんなにデータが! 教授にお任せするとやはり進捗が段違いですね」

「二人の下準備がうまくいっているからこそだよ。ファビオラ先生にも手伝っていただきました」

「手があいた時間にやったのよ。新しい実験手法を学ぶのにうってつけでしたわ」

 

 二人はファルマとファビオラに礼を述べる。


「先生方、ありがとうございます。すぐにまとめに取り掛からなくては。わくわくしてきました」


 エメリッヒは喜んでいる。

 ファルマは喜ぶ二人を眺めながら、午後の作業にとりかかるために腰を上げ、大きく伸びをする。


「……果たして人が健康であるとはどんな状態なのか。そう問いかけながら、医薬の道に進んだ私たちは私たちの仕事をしましょう」


 何が最適だったのかは、歴史が示してくれるだろう。

 ファルマはエメリッヒたちが戻ったので、ファビオラを招き入れて丁寧に指導をしてゆく。

 何年先もの展望を見据えて、抜かりのない研究計画を立てる。

 そこに自分がいてもいなくてもいいように。



 聖帝エリザベートは宮殿の一室でブリュノとテーブルに向かい合って二人きりで密談をしていた。

 室内にいるのは二人だけで、侍従も含めて厳重に人払いがされている。


「ファルマの様子はどうだ」


 エリザベスは紅茶を飲みながらおもむろにブリュノに切り出す。

 そのエリザベスの前には資料の山が置かれている。


「表向き、これまでと変わらず過ごしています。少しずつ仕事の引継ぎを行ってフェードアウトを図っているようです」

「何を企んでいるのであろうな」


 エリザベスは瞳を眇め、頬杖をつく。


「身辺整理というものでしょう。墓守と刺し違える気でいるようですから」

「墓守……か」


 エリザベスは「墓守」という言葉の出現とともに、忌々しそうな顔つきになり、口調も重みを増す。


「墓守とはあらゆる世界からの生者と死者の意識の集合体で、それらは緩く情報を共有し、共鳴しあって集合自我を形成している概念のようなもの。そなたはそう申したな」


 エリザベスは手元の報告書をもとにブリュノに確認する。

 ブリュノは数年にもわたる神殿の文献研究のなかで、墓守の自我の操作方法の仮説検証を行っていた。


「御意。墓守とは、晶石の単位格子に閉じ込められた意識の集合体です。集合自我の結合様式を変えれば、巨視的には墓守の意識も変わります」

「ファルマの中に宿る薬神もまた、墓守の一部にすぎないというわけか」

「ひいては我々もその一部を成しているのです」

「我らも墓守の一部……余には難しい話よのう」


 エリザベスはブリュノの言葉を反芻するように呟き、体をソファに沈めながらけだるそうに天井を仰ぐ。


「そなたは薬神の計画の裏をかき、世界の理を変えようとしておる。しかし不思議なものだ……晶石の作り出す単純な構造が、自我を持つということがあるのか」

「はい。類似例として、我々の脳を挙げることができます。晶石記憶の情報網は、俯瞰的には人の脳の構造と精神活動に相似しております」


 ファルマから脳の構造と機能を学んでいなければ得られなかった仮説だ、とブリュノは説明する。

 多くのヒントをファルマから与えられてきた。

 何故かファルマはその仮説に辿り着くことはなかったが。


「守護神にまつわる膨大な禁書群を解析しますと、墓とは晶析情報の番地を示します。墓の間で晶石を介して内部情報の交換が行われることで、情報の指向性ができます。その巨大な情報網の奔流から生じたのが墓守という、観測者の自我なのです」

「つまり、晶石の配列に干渉し意思決定にかかわる領域を変更すれば、墓守の意思を操れると? あたかも脳の一部を破壊するかのように?」


 ブリュノはエリザベスに計画書と設計図を差し出す。

 そこにはびっちりと図表が組み込まれた、何千ページにもわたる綿密な計画が記されている。


「はい。晶石を介してことわりの一部を破壊することでこの世界から異能の力を消滅させますと、神力によって駆動していた鎹の歯車は副次的に崩壊します」

「歯車を止めれば?」

「この世界の破綻を食い止めることができましょう」


 世界の至る所に散在する晶石の性状を取り寄せて一つ一つ分析し、神術と呪術を駆使した晶石のネットワーククラスターの設計には随分と時間がかかった。

 その検証の過程には、数学者や神官、神術学者ら、呪術師、多くの研究者たちがかかわった。

 試行錯誤は日夜繰り返され、ようやく一つの答えへとたどり着いた。


「ファルマはどうなる」

「私どもの計算では、彼は集合自我の中へ緩く組み込まれ、新たな理をつかさどる造物主となるのでしょう」


 ……つまり滅びを許さず、人工の神を造って永遠の生を授け、次の墓守にするのだ。

 世界が終わるその日まで、この先何十、何百、何千、何億年も……。

 生命の営みの輪から外れ、命あるものを俯瞰し、彼の傍らを無数の命が通りすぎてゆく。


(この世界の誰もが彼の消滅を受け入れられない。しかしファルマの存在を保全するこの別解は、果たして死という営みを肯定する生身のファルマの心を救うのだろうか)


 エリザベスは懐疑の念を抱きながら、彼の胸中を案じた。

 ファルマを救おうとして、彼の自由を簒奪し、新たな生贄を作り出そうとしてはいないか。


 薬神と人類の知恵比べは、まだ終わっていない。

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