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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 8 崩壊し、つながる世界  Réduire et connexion(1148年)
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8章11話 筆頭宮廷薬師の新人研修

 1148年7月20日。

 パッレがとうとう宮廷薬師の試験に合格した。

 この抜擢は、宮廷薬師としては勿論異例の速さだ。

 診療件数、論文、教科書の執筆、新たな神術の開発などの十分な功績、薬神を守護神に持つこと、そして侍医と宮廷薬師からの試問により、その知識と技能が宮廷薬師に相応しいと認められ、聖帝エリザベスより宮廷薬師のバッジと、認可証、辞令を拝受した。


「宮廷薬師の試験合格おめでとう。これからは仕事仲間だね」


 ファルマはいち早く、宮殿内の彼に割り当てられた控室に駆け付けお祝いを述べる。

 パッレは荷物をほどいていたが、ファルマの顔を見て大きなため息をつく。 


「なんでお祝いに来た弟にそんな露骨に嫌そうな顔を?」

「そういえばお前が上官なのか」

「何か言いたいことが?」

「ちっ、なーんか納得いかねーな……ま、連絡は楽でよさそうだが」


 パッレは形ばかりふてくされたような顔をするが、ファルマを認めてくれてはいるようだった。同じバッジをつけた兄弟だが、ファルマが宮廷薬師たちを取り仕切る立場にあり、バッジもファルマのほうがサイズが大きい。

 ファルマとしては、ブリュノがまだ宮廷薬師として現役だとはいえ、引継ぎが早くできそうでよかったという歓迎の思いだ。


「筆頭宮廷薬師 ファルマ・ド・メディシス閣下にはご指導とご鞭撻をお願いいたします」


 宮廷薬師の真新しい制服に袖を通し、パッレは仰々しく一礼をする。


「こちらこそ。そうだ、関係各所の挨拶回りについていくよ」

「それは助かる。先ほど聖下にはご挨拶申し上げたところだ」

「名刺もらった?」

「支給品一式に名刺もあったが」


 名刺はすでに、この世界の社交界において広く普及していた。

 ファルマが最初に名刺を支給された時には「名刺あるんかい」と驚いたものだが、地球史においても、フランスではルイ14世の時代からすでに宮廷に浸透していたという。ファルマが写真を発明したことによって、宮廷薬師の名刺は写真付きの名刺になっている。

 ファルマはパッレと名刺交換をすると、なかなかさまになっている。


「つっても、聖下ってご健勝だよな。お前、定期拝診以外に仕事あんのか?」

「宮廷薬師の仕事は聖下の診療だけじゃないよ。貴族の宮廷人は全員診療しないといけない。俺が筆頭宮廷薬師になってからは平民の使用人も診療することにしてるから、結構やることはあるよ」

「全員って?」


 パッレは全員がどこまでなのかをイメージができないようだ。


「五千百五十人を、侍医団と薬師団で診てる」

「まじか! そんなに多いってことは軍隊も入ってるのか?」

「入ってない、宮廷人だけでそれだけいる」

「一人何人もつんだ?」


 パッレは予想外の人数に引いていた。皇帝の診療ができる皇帝付き宮廷薬師がパッレも含めて四名、その部下の、宮廷人たちを受け持つ一級薬師が十名程度常駐している。


「年に二回定期健診があって、それ以外は随時診てもらいたい人が詰所に来る。次は今年の十月だね。修羅場になっていたから、宮廷薬師が増えて助かるよ」

「お前だったら神術を使って一気に診れそうだが」

「まさか。ちゃんと一人ずつ対応するよ。医師や薬師に診てもらう機会がそこしかない人もいるんだ。健康相談だって受けてる」

「へえーそれはカルテや薬歴の作成も死にそうだな……」

 

 診眼を使って集団検診をしたとしても見逃すことがあるし、紋切り型の対応はすべきでない。  

 ファルマの返答に、パッレは上ずった声を出した。パッレがお祝いに持ってきた花束を受け取らないので、ファルマは勝手に花瓶に生ける。


「引いてるとこ悪いんだけど、兄上が仕事に慣れたら、宮廷薬師の仕事をかなり割り振ってもいいかな。兄上は診療がしたいんだよね?」

「ああ。宮廷薬師になるのは俺の目標だったからな。筆頭宮廷薬師のお前は仕事をおろそかにして何がしたいんだ?」


 疎かにするつもりはないが、ファルマとしては優先順位をつけてこれからの時間を使いたい。

 ファルマはこの場を任せるのにパッレを適任者だと思っていた。


「今は臨床ではなくて、大学教育や研究に専念したい。ここだけの話、時期がきたら筆頭宮廷薬師も兄上に譲りたいと思ってる」

「……お前はつくづく名誉職に興味がないな。何ならそれも厄介ごとだと思っていそうだ」


 パッレの口がすぎるので、誰かに聞かれていないかひやひやする。


「昔から、承認欲求だとか自己肯定感があまりないんだ。褒められてもあまりうれしくない。目立っていいこともあまりなかったしね」

「いい性格してんな。本心で褒めててもそう思うのか」

「単純に居心地が悪い」

「まあ、こじらせていそうではある。俺はお前をすごいやつだと思ってるぞ!」

「いいよそういうのは」

「ほら、そういうとこだぞ」


 心理学を専攻していた友人に、インポスター症候群なのではないかと言われたこともある。

 ファルマは自身のゴールを、誰もが健康で限られた生を謳歌できる社会の到来、と置いているので、自身の今の立場を成功と受け止めていない。


「功績を語り継がれるより、長期間現役で使える薬を残すほうがいい」


 神官の襲撃を受けていると、そんな思いも強くなる。

 前世で薬谷ちゆを失った彼が薬学者を志したのも、そんな理由だった。

 よい医療者ではなく、よい薬があればよかったと考えた。

 少年の単純な心にはそう思えた。

 今では、医師、薬師、医学者、薬学者、技術者、その誰もが欠けてはならないと思う。

 臨床への思いはもう、この世界で叶えることができた。

 あとは未来へ手を伸ばして、人々の助けになりたい。


「じゃあ引継ぎをしてくれ。俺は研究や教育には向いていない。新しい治療法を開発するより、目の前の患者が俺の手にかかってよくなって、俺に感謝してくれることに喜びを覚える。その薬を使うのは任せてくれ」


 パッレはファルマの意図を汲み取り、承諾をした。

 

「引継ぎは新人研修期間が終わったらね」

「まさかお前から新人研修を受けるのか?」

「それはそうだよ。半年ぐらいかな」

「なげーよ」

「俺も父上にずっとついていてもらったんだよ。早く終わるようにするから」


 ファルマ同伴で皇帝つき奉公人団メゾンにパッレの挨拶まわりをする。

 パッレ専属の召使も新たに雇い入れられた。

 パッレはすでにド・メディシス家の嫡男であること、教科書の執筆者として名が通っており、さして紹介をしなくても誰もが知っていた。

 宮廷薬師詰所は、大きな診療部屋があてがわれている。 

 隣接する調合室に向かうと、宮廷薬師フランソワーズが神術薬を創っていた。

 ファルマと目が合ったので、早口で伝える。


「作業が終わったら、少しご挨拶のお時間よろしいですか、フランソワーズ様」

「ちょうど今キリがいいわ」

 

 ファルマはパッレをフランソワーズに紹介する。パッレは完璧な作法で礼をする。

 

「まあ。ご一緒に奉職できて光栄ですわ」

「至らない点も多いかと存じますが、何卒ご指導をお願いいたします」

 

 そのままの流れでフランソワーズの作業を見学させてもらう。


「何の薬を創っておられるのですか? 見たことのない神術です」

「これは宮廷に古くから伝わる、神力の回復を促す神術薬よ。これを飲めば、日内上限をわずかに超えて神術を使うことができるわ。聖騎士の方々がよくお求めになるのよ。ほらできた。味見してみるかしら?」


 スプーン一杯いただくと、ファルマは甘いばかりで何も感じなかったが、パッレには効果があったようだ。神力計を確認して驚いていた。

 フランソワーズは青いポーションをアンプルに分注して、彼女の紋章の入ったシールで封をする。

 神技を駆使する宮殿内の神術使いにとっては、こういった伝統薬に基づいたポーションも必要なのだろう。

 神術薬の創出についてはブリュノとフランソワーズが一手に引き受けていたのだが、ブリュノは霊薬の呪いによって神術薬を創れなくなったので、彼女に負担がかかっている。 

 そんな背景もあって、彼女は期待を込めて尋ねる。


「パッレ師は神術薬調合の心得はおありかしら?」

「は、ノバルート仕込みの神術薬でしたら何なりとお手伝いします」

「それは助かるわ! 私もノバルート出身なのよ。ぶしつけながら、神力量もかなりおありかしら」

「必ずやご満足いただけるかと」

「まあ頼もしい!ではさっそくこの薬草に神力を加えていただけるかしら。今日はもう、私の分の神力は使い果たしてしまって」

「喜んで」


 いつになく嬉しそうにパッレと作業をするフランソワーズを見て、ファルマは申し訳なくなる。


(なんかすみません、俺が役に立たないばかりに)


 手伝わないというわけではないのだが、ファルマが神術薬を通常のレシピで作ると、何か予想外の作用を付加してしまうので、フランソワーズには「手を出さないで」と迷惑がられている。

 フランソワーズから神術薬の作製方法を学ぶこともできるだろうが、神力が強すぎて必要以上の濃度になってしまい、レシピが使えなくなってしまう。

 結局教えてもらうことができない。

 調合室のガラス窓から、着飾ったメロディ尊爵がお付きの者を従え、ファルマらに気付かず通り過ぎて行くのが見えた。そっと診眼を使うと、彼女の体調も安定しているようだ。

 作業が終わるまで脇に控えていたファルマが思い出して、ナタリー・ブロンデルの経過を母親のフランソワーズに伝える。


「それからナタリーさん、月一で診ていますが脳腫瘍の再発はしていないようです」

「ありがとうございました。娘からもそのように伺っております。今期の成績もよかったようで、ほっとしておりました」

「そうですね、よく頑張っておられると思います。この分ですと、進級にも問題ないかと」

「まさか生還できるとは思いませんでしたわ」


 脳腫瘍を摘出したナタリー・ブロンデルは、手術後も学業に差支えなく取り組んでいる。

 運動機能に少し影響があるが、リハビリでだいぶよくなっている。

 ファルマがいつまで診れるものかと彼女の経過も気になるが、五年間再発を防ぐことができていれば、希望は持てるだろう。


 ファルマは時計を見て、行先を決める。


「ロッテの仕事場に行ってみよう。今日は勤務日のはずだ」

「シャルロットまでいるのか」

「そりゃそうだよ」


 ファルマはパッレを連れてアトリエへと向かう。

 ロッテは制服を兼ねた作業用の白いエプロンに、宮廷画家のバッジをつけて働いている。

 ちょうど、弟子たちの油彩の制作指導をしているところだった。


「シャルロットは弟子を持っているんだな」


 先生、先生と呼ばれて慕われているロッテを見たパッレは、感慨深そうにしていた。


「ロッテのアートは国内外で人気だからね。弟子の申し込みが後を絶たないって」

「立派なマエストロじゃないか!」

「そうだってば。若き巨匠だよ」

「口のきき方に気をつけんといかんか?」


 パッレは悩ましそうに片目をつぶった。

 ロッテはまだ十二歳ではあるが、聖帝の覚えもめでたく、宮廷画家としての名声も高まっていた。まだ筆頭の座を得てはいないが、それなりに実績を積んだら声がかかるのでは、という呼び声も高い。

 作業の邪魔をしないようにアトリエの隅に立っていると、ロッテが気付いた。

 

「まあ、パッレ様、ファルマ様。いらしていたのですね!」

「兄上が宮廷薬師に就任したんで、挨拶にね。よろしくね」

「まあなんだ、宮廷のことを色々と教えてくれ」

「もちろんでございます。喜んで!せっかく来て下さったのでショコラ召し上がりますか? さきほどメロディ様にいただいたのです」

「いや、今はいい」


 唐突にショコラの話になるあたり、いつものロッテだった。


 宮殿の官職保有者には様々な職がある。

 筆頭侍従、侍従、聖騎士、小姓、神杖番、侍医、宮廷薬師、宮廷画家、宮廷音楽家、宮廷庭師、宮廷料理人、食膳係、毒見係、宮廷獣医、大厩舎の馬丁、猟犬係、時計番、炭火担当係、扉番、靴磨き職人、ワイン調達係、神術訓練場職員……ファルマも把握していない。

 大厩舎に赴くと、制服を着たジョセフィーヌは真剣な面持ちで馬の診察をしていた。

 気が遠くなるほどの役職があるが、ファルマもまだ彼らの顔を覚えきれていない。入れ替わりも激しく、彼らは殆ど、カルティエという四分の一勤務形態で働いている。

 三か月働き、九か月休む。彼らはみな、宮殿で宮仕えしていることを誇りにしていた。


「お前が担当だからか、みな健康そうだな」

「だいたいはね。治療中の人もいるよ」


 ファルマが宮廷薬師となってより、宮廷人たちは感染症にはかからなくなっていた。

 そのうえどんな疾患であれ、ファルマの前で重症化することは難しい。

 さらに悪霊由来の疾患も発生件数はゼロだ。


「しかしこんなに人員が必要なのか? 財政の無駄だろう、兼任か官職廃止にできないのか」

 

 迂闊なことを言ってしまったパッレの口をファルマがおさえる。

 それだけはシャレにならない提案だ。


「確かに財政のために歴代の皇帝が大ナタをふるおうとしたこともあったようだけど。廷臣たちの猛烈な反対に遭ってうまくいかなかった」

「まあ自分らがクビになるかもしれないからな」

「宮廷薬師、こんなにいらないって言われたら?」


 ファルマは声を潜める。


「それは辛いな」

「ああ、そうそう。廷内にはたまに一般人や泥棒が紛れ込んでいるから気を付けて。明らかに怪しければ通報したほうがいい」


 この前も、廷臣の部屋のタペストリーが何者かに盗まれたという話をする。

 制服なども一部の職種しかないため、身なりにさえ気を付けていれば一般貴族が紛れ込んでしまえる。


「身分証を持つべきなんじゃないか?」

「だから門衛に名刺やバッジの提示が求められてるけど、結局名刺を持っていない客や観光客も来るから、あまり徹底してないね」

「存外適当なんだな、宮廷も」

「ワインの横流しなんかも頻発してるしね」


 ファルマは生々しい事情も話しておく。


「そういえば、一つ不思議なことがある」

「なに?」

「聖下の愛人は宮殿にお住まいではないのか? いい雰囲気のときに鉢合わせしないよう、診療の時間に気を付けたほうがよさそうだ」

 

 聖帝エリザベスは未亡人だ。

 再婚しないにしても、皇帝ともなれば複数の愛人を持つのが普通だった。

 パッレも当然、聖帝には愛人がいると思っている。


「まさか、個室に頻繁に出入りしておられる侍医長閣下か? 侍医長閣下も独身だし」

「いや、朝から晩まで聖下に付き従っているのは、筆頭侍従閣下とともに侍医長閣下のもともとのお役目だよ」


 宮殿内に居を構えるクロード・ド・ショーリアックは毎朝聖帝エリザベスの傍へ侍り、起床の儀から就寝の儀まで、もっとも長く彼女のそばに待機している。

 侍医長は外科医であるため、その日の体調に応じて、宮廷薬師が呼び出される。

 ファルマも筆頭宮廷薬師であるからには、宮殿に住み込みで奉仕するのがスジというものだが、ブリュノの代より「余につき従うより、世のためになることをなせ」との聖帝の意向もあってあまりべったり傍仕えをしていない。


「ちっ、勘違いだったか」

「聖下を狙っている……ではなく、お近づきになろうとしている大貴族はたくさんいる。でも聖下のお相手に釣り合うには見目麗しく、聖下と肩を並べるほどの神術使いでないと、という暗黙の了解があって、皇配陛下が戦死なさってからはお相手がいらっしゃらない」


 それに、ファルマとしては独身女性に異性の相手をあてがおうと周囲が強いること自体、失礼だと思う。ファルマもエリザベスに、貴族の務めとして子孫を残せと言われていたが、のらりくらりしつつ応じるつもりはない。

 

「確かに、釣り合う方が見当たらないな。そんじょそこらの貴族と付き合っていただきたくないしな」

「ひょっとすると廷臣たちが兄上を候補に入れようとしてくるかもしれないけど、耳を貸さなくていい」

「俺が? 畏れ多いことを言うなよ」


 パッレはまったく真に受けていない。

 兄弟で軽口をたたきながら中央の回廊を通り過ぎていたとき、パッレが足を止めた。


「どうした?」

「ファルマ。外からすげー睨まれてるが。誰だ?」


 パッレは視線をよこさずにファルマに尋ねる。ファルマが回廊の外をみると、赤髪の若い美女が二人、大勢の技官たちを従えてこちらにきつい視線をよこしていた。

 ファルマはひえーと思いながら会釈をする。


「噴水担当官、フランシーヌ姉妹だよ」


 彼女らはもともと、サン・フルーヴの街並みのなかに神術陣を用いない小規模な公共の飲用噴水を作ってきた。飲用噴水の水質は素晴らしく、神術水なみの清浄度を誇った。

 さらに彼女らがパトロンに依頼されて庭園に作り出す噴水は独創性にすぐれ、巧みな仕掛けが施されており、まるで生き物のように水を操った。

 その功績がサン・フルーヴの先帝の耳に入り、平民技官ながら宮廷人となり、宮殿の噴水の施工等を一手に引き受けている。

 その作品には、エリザベスだけでなくメレネーも魅了されていた。


「何で睨まれてる? お前何かやったか?」


 基本的にモテる男であるパッレは特に、若い女性から敵意を向けられることに慣れていない。 

 珍しい弱点があったものだな、とファルマは意外に思う。


「何かやったかもしれないけど、そもそも彼女らは水の神術使いが嫌いだ。俺は筆頭宮廷薬師だから多分宮殿一嫌われてる」

「何とかしとけよ……診察もするんだろうが」

「水属性全員嫌われてるからいいんじゃないかな。宮廷薬師なんて全員敵だし、彼女らは侍医にかかってる」

「そこまでか。水属性に何かされたことがあるのか?」

「簡単にきれいな水を出せる水属性神術使いと違って、噴水を作るには川から水をひかないといけない、工事やら仕掛けやらで色々と苦労してるとは思う」


 あまり話したことがないので、何があったのかよくわからないのだ。

 神術使いの属性は、外見や杖の種類でバレることはない。

 ただ、宮廷薬師は必ず水属性であるため、水属性だとバレている。


「なるほどな。挨拶するぞ、紹介しろ」


 ファルマは形ばかり先導して、パッレとフランシーヌ姉妹を引き合わせる。


「ごきげんよう。新しい宮廷薬師が任命されましたので、よろしくお願いいたします」

「パッレ・ド・メディシスと申します」

「あらあ。こちらこそ、ド・メディシス様。宮廷薬師様ということは、水属性の神術使いでいらして?同じ水を手なづける技能者として、以後お見知りおきを」


 言葉は慇懃ながら、完全に挑発されて擦られている。

 パッレは珍しく挑発に乗らない。


「水属性の神術を使いますので、水に関わることであればお手伝いいたします」

「では早速、専門家としてのお知恵を拝借してよろしいですの?」

「もちろんです」

「ではこちらにいらして」


 ファルマとパッレは庭園を案内されて、姉妹の作品を見て歩く。

 宮廷内には千を超える噴水があり、そのうち半数ほどが姉妹の作品だ。

 初代皇帝、水神や海神を模した彫刻の神像を彩るように、ファルマたちが通りかかると壮麗な水のショーが繰り広げられる。


「いつ拝見しても素晴らしい作品群ですね」


 ファルマはお世辞ではなくそう言って褒める。


「それは光栄ですわ。皆さま、地上部分だけをお褒めくださるのですが、噴水は配管にこそ技術の真髄があります。配管敷設工事には二十年を要しましたの、ご存じないでしょ」


 納期が遅れたために造園家が自殺したという話は知っているが、ファルマが知り得ているのはそのくらいの情報だ。フランシーヌ姉妹は古く大きな噴水の前で立ち止まった。噴水自体は大きなものだが、止まっているように見える。


「これ、水が出ないんです。噴水に接続している配管に石灰が沈着しておりまして、困っておりますの。従来のやり方では配管の交換になるのですが、長期の工事になると思われますわ。その間、噴水で聖下のお目を楽しませることができないなんて、心苦しくて。私たち、どうすればよいかしら?」


 これは無理難題を押し付けて試されているのだな、とファルマは合点した。

 しかしパッレは少しも怯んでいない。


「石灰を取り除けばまだ使えるということですよね」


 パッレは淡々と確認する。

 

「配管の径が細いので、中に入っての掃除はできませんよ?」 

「私の神術を使えば取り除けます。ちなみに水道管の材質は何ですか?」

「銅ですわ」

「すみません、少し失礼いたします。兄上、ちょっと」


 ファルマは少し離れた場所にパッレを連れてゆく。


「神術を使ってはだめだ」

「何で。コストゼロでできる、石灰なら消せるだろう」


 この時点で、パッレは日ごろの鍛錬の成果もあり、物質消去に近い神術を意のままに使うことができた。それを使って解決すれば簡単だと主張している。

 それで解決するのはわかっているが、ファルマは首を振る。


「彼女たちは兄上に神術を使ってくれと言ったわけじゃない。彼女たちでできる解決法を訊いている。神術で解決しましょう、では回答になっていない」

「なるほど」

「兄上が答えられないなら俺が答えるけど、どうする?」

「待て、考えさせろ」


 ファルマは先に戻ってフランシーヌ姉妹らに合流する。


「すみません、少しお待たせします」

「次の予定もありますし、お答えは後日でも構わないわ」

「お待たせしました」


 パッレは何か閃いたとわかる顔で戻ってきた。


「クエン酸で石灰を溶かせばよろしいかと」

「クエン酸というものはどうやって作ればいいの? 酸をそんなに大量に作れないわ」


 パッレは工業的なクエン酸の生産方法を伝える。

 廃棄されたデンプンをもとに、コウジカビの発酵によってクエン酸を得る。

 水流を止めて水道管内をクエン酸液で満たし、石灰を溶解させる。

 クエン酸は粉末であるため濃度を上げて強酸にできるので、長年蓄積した石灰も溶かせる。

 最後に、中和が必要だ。

 現代地球ではいわゆるスケール除去剤として販売されていた。


「よろしければ、クエン酸の工業生産方法については引き続き助言しますが」


 姉妹はしばらく難しい顔をしていたが、やがて笑顔になった。


「その方法でうまくいくようでしたら、工事が不要になりますわ。帝国中の水道管を、取り換えなしで暫く維持することができますわね」

「それは費用の節約になりますね」


 フランシーヌ姉妹はパッレのアイデアを受け入れるとした。

 ファルマが介入するまでもなく解決しそうでよかった、とファルマはパッレの鮮やかな解決案の提示にほっとする。


「何とかできてよかったです」

「ド・メディシス兄弟でしたっけ。あなたがたは今までの神術使いとは違いますわ。私たちね、意外かもしれませんが水属性神術使いのおかげでひどい目に遭ったことがありますの」


(全然意外じゃないです)


 ファルマとしては納得の理由だった。

 水属性神術使いの技官が神術を前提とした無茶な噴水の設計を行ったせいで工事が行き詰まり、やり直しにやり直しを重ねて工期が大幅に遅れ、彼女らの父であった例の造園家が責任をとって自殺したというのだ。

 その後も、フランシーヌ姉妹の手がけた噴水を見ては水属性神術使いたちがあれこれと品評したり、神術陣を使えだのなんだのと口出しをしたがった。

 そうしたことが積み重なって、彼女らは水属性神術使いを見ると、何か言われるのではと必要以上に警戒を強めるようになったり、彼らの知識を試すようになってしまったという。


(完全に逆恨みではあるけど……何とかマイナスをゼロぐらいに戻せてよかった)


 言いっぱなしのその場限りの約束にならないよう、パッレはクエン酸の工業生産のための準備の手配をしていた。

 そういった地道な仕事も宮廷薬師の仕事のうちだということを学んだようだった。

 

 それから暫くも経たないうち、「噴水の清掃をします。噴水を順番に二日ほど止めます」という庭園に掲げられた看板をファルマは目にし、同時にパッレの裏方仕事にも思いをはせた。

【参考文献】ジャック・ルヴロン 著「ヴェルサイユ宮殿 影の主役たち」河出書房新社 

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