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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 7 新大陸の伝承  Légende du nouveau continent(1148年)
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7章16話 大陸間会談のすえ

 話し合いに応じたメレネーらは全員、無人島へと上陸した。

 浜辺で彼らを迎えるのは聖帝、ファルマ、エレン、パッレ、ノア、クララら神術使いだ。

 先住民らに威圧感を与えるのを避けるため、探検隊らの大部分は別の場所で待機している。

落ち着いた話し合いの場が必要だ。


「干し肉と、ドライフルーツを食べるかね」


 聖帝が場を和ませようとしてか、帝都より持ち込んだ非常食をすすめるが、メレネーは首を横にふって応じない。

 あてがはずれた聖帝はそうか、と言いながらフルーツをほおばる。


「白々しいやり取りはやめようか。先に話をしよう」


 エリザベスとメレネーは、互いに向かい合い、砂浜に直に座った。

 ファルマが聖帝の後ろに控えるようにして正座する。

 メレネーの後ろにも呪術師らが控えているが、距離を置いているので二者の会話は聞こえない。

 話し合いの場についたとはいえ、一触即発の空気だ。

 場が整ったところで、一座に近づいてきた原住民がいる。

 聖帝は彼を紹介した。


「ご存じ、呪術師のマガタ君だ。マガタ君に、こちらの通訳についてもらう」


 聖帝が捕虜の中から選んだ呪術師のマガタという青年は、メレネーに黙礼し、その場に霊を呼び出す。

 聖帝の言葉を、マガタの使役する霊が同時翻訳してメレネーに伝える。

 メレネーはマガタに値踏みをするような眼差しをむけたが、マガタはメレネーと視線を合わせなかった。

 メレネーと聖帝は言葉を交わし始めた。


『改めて挨拶をしたい。私はここから遥か遠方のサン・フルーヴ帝国という国の長で、エリザベスという者だ。このたびは、私が派遣した船団が上陸し、そなたらの生活圏に無断で踏み込んだこと、心よりお詫びする』


 メレネーは聖帝から謝罪の言葉が出たことに驚いているようだった。

 メレネーの瞳に宿る猜疑の光は、聖帝の意図をはかりかねていた。

 彼女はつんとした態度で言葉を返す。


『心にもない謝罪などしてもらわなくてもよい。どうせピチカカ湖に入ったものは全員死ぬのだ。それが贖罪ということだ、お前たちには死をもって贖ってもらう』


 メレネーは、エリザベスを含め探検隊が全滅すると信じているようだった。

 しかしエリザベスは動揺もしない。


『私はピチカカ湖には入っていないぞ』

『だが、お前たちの大半が入ってしまったことを見届けた』

『確かに無防備に湖に踏み入りほぼ全員が死病を患ったが、我々はこの病に対する薬を持っているので、全員死亡という結果にはならんよ、心配ありがとう』

『病ではなく呪いだが?』

『いいや病だ。私の配下の有能な薬師どもがそう申している』


 メレネーは耳を疑っているようだった。


『病だとしたら、効く術があるというのか。仮に病だったとしても、侵略をはじめて日が浅いお前たちには未知の病のはずだ』

『いや、薬だ。それは物質で、霊的なものではないよ。この大陸を含め、世界には様々な人、家畜、風土の病があり、それを地道に集めて治療法を探り、時を超えて一歩ずつ知見を積み重ね、全疾患克服のための統御を目指している者たちがいる。医師や薬師、技師や研究者というものだ。彼らの集学的な見解が、これを病だと看破している』


 メレネーは反論せず押し黙った。

 彼女らは、ピチカカ湖の呪いは致死性のものだと信じている。

 はったりだとでも思っているのだろうな、とファルマは横で聞いていて察する。


『そうか。ではのちほど存分に薬の効果を見せてもらうとしよう。さて、お前たちは一体何が目的ではるばるここにやってきたのだ』

『単なる興味と調査だ』

『資源の略奪ではなくて、か?』


 メレネーは聖帝を挑発する。


『それは本当だ。わが帝国には広大な国土と潤沢な資源があり、貴金属の埋蔵量も申し分ない。わざわざ海を渡ってこの大陸に領土を拡大せずとも、国家は潤っておる』


 メレネーは猜疑のまなざしで聖帝を睨み据える。


『口では何とでもいえよう。ならば何のためにこの大陸へ毒手を伸ばしたのだ? 資源を求めてきたのであろう』


 メレネーは聖帝に容赦ない質問を繰り出す。


『探検隊をこの大陸へ派遣したのは、純粋な世界の在り方への興味であった。何しろ、この大陸は無人の大陸だと考えていたのだ。そこに大陸があるのならば地図を作らせ、その反対側はどうなっているのか知りたかった。そうして、世界の闇を掃うべきだと考えた』

『そんなことのために、我らは祖霊を滅ぼされたのか! 我らにとって霊とは! 家族も同然だったのだぞ』


 メレネーの言葉には熱がこもり、それが真実である様子が伝わってくる。

 彼らの怒りを宥めることは容易ではなく、その怒りはもっともだと思ったので、ファルマはメレネーに提案を持ちかける。


『浅薄な行動をとってしまい申し訳ありません。罪滅ぼしといってはなんですが、あなたがたが崇敬している祖霊を戻す方法を提供できます』


 ファルマはにじって進み出て、疫神樹の種をメレネーに披露する。


『これは、周囲の霊を無限に呼び寄せる道具です。あなた方の祖霊が戻ってきてくれるかはわかりませんが、やってみる価値はあると思います』


 ファルマたちのいた大陸では悪しき霊を呼ぶという先入観があったが、この土地には悪霊はいないということなので、疫神樹の使い方も変わってくる。

 思った効果が得られなければ、ファルマが『疫神樹』を滅ぼせばいい。

 そんな計画を用意していたのだが、メレネーはファルマを信じる様子はない。


『そう、お前だ。お前は何者なのだ。皆目正体がつかめぬ。この世のものではない。信用などできるものか。私はお前がこわい』

『この者は私に仕える薬師だ』


 聖帝がファルマの身上をそう説明する。


『そんなわけがあるか!』


 ファルマは聖帝が話をつけているので、余計なことを言わず控えておいた。


『残念ながら事実だ。では罵り合いをしていても仕方がないので、互いの要望を出し合わないか。まずはそちらから』


 聖帝がメレネーに水を向ける。


『同胞の奪還と、お前ら全員の抹殺だ。お前らの故郷が遠い地にあるのならば、生きて返すわけにはいかん。呪いの効果がなければ、縊り殺すまで』

『もちろん同胞は無事で、さきほどから丁重にもてなしている』

『どこに匿った』

『それは話がつけば教えるし、解放もする。なぜ、我々の全滅を望む? 元いた場所に戻るといっているのだぞ』


 エリザベスはつられて激高せず、落ち着いた口調で尋ねる。

 メレネーはまだ感情をあらわにする青臭さがあるが、聖帝は手練れている。


『生かして返せば、より多くの侵略者がここに押し寄せることになるからだ』

『大陸の皇たる私がそうさせぬ、と言っても?』

『信用できるか! 今は分が悪いから本性を隠しているが、我らを根絶やしにしようと企んでいるに違いない』


 メレネーの言葉を訳していたマガダは、口をつぐんだ。

 そして勇気を出して、メレネーに意見をする。


『長。横から失礼いたします。ひとつ話しておかなければなりません。彼らの本心は知れませんが、先ほど、害意はなかったという言葉を裏付ける出来事がありました』

『どういうことだ』


 メレネーは同胞からの手痛い返しに、ショックを受けたような顔をしていた。


『私たちはあなたに一度殺されました。あなたはルタレカを得たのかもしれませんが、その扱いに慣れず、誤爆したのです。私たちは全員一度死に、そして甦りました。私たちを守ってくれたのはあなたではなく、誰あろうそこにいる少年です』


 マガダはファルマに指を向ける。 


『そんなはずはない……私がお前たちに手をかけるものか!』


 メレネーは目に涙を溢れさせながら、到底受け入れられないと耳をふさぐ。


『ええそうでしょう。ですから、きっと誤爆なのです。この少年はあなたの失敗を見越して、あらかじめ私たちに甦りの薬を授けていたばかりか、防壁で守ってくれたのです。私たちを滅ぼすつもりなら、どうしてそんなことをする必要があるでしょう。何もせず私たちを見殺しにして、ただあなたの失態をなじればよかったのに』


 マガタはメレネーにありのままを伝えた。

 メレネーは信じがたいといったようにうなだれ、ファルマに視線を向ける。

 ファルマは彼女に何と言葉をかけてよいかわからない。

 彼女の能力が、仲間を殺しかけた。

 そのショックに耐えられるほど、彼女は成熟していないのだ。

 ファルマは迷いながらも、マガタの言葉を受けてフォローの言葉を紡ぐ。


『メレネーさん。そのルタレカという能力。私はその能力を三年あまり使い込んできました。私は使用歴が長いので、水だけではなく知りえる全ての物質を消すことができます』


 メレネーはぐっと唇をかんで、口を挟まなかった。


『そのうえでわかったことがあります。その力は人を救いますが、いとも簡単に殺すのです。それも、敵味方の区別なく殺します』


 ファルマの神術が、その神力が暴走しないように、平時からどれほど神経をすり減らしているか。

 いつも、ファルマはふと思うことがある。


 物質創造の対象を間違えたら。

 分子構造のイメージを掛け違えたら。

 物質量を間違えたら? 

 標的座標を間違えたら?

 自らのおかしたたった一つのミスで、ありとあらゆることで人が死ぬ。

 物質創造と物質消去は、厳密な制御でなくてはならない。


『ですから、私は攻撃目的で、敵にも味方にも、とにかく人の体液という水を奪うその能力を、人に向けたことはありませんでした。それは即死を付与する能力でもあるんです』


 ファルマは物質消去という能力の殺傷性を、何より恐れていたことをメレネーに伝えた。


『ルタレカを手にしたあなたが私たちにその手を向けたとき。誤射によりあなたの仲間である彼らを殺してしまうことは確定しました。その能力は、絶対的な制御を必要とするものです。ですから、人死にが出ないように備えていた。それだけです』

『どうしてそんなことを』

『もしあなたが仲間を殺していたら、その絶望がいかほどかと思ったからです』


 メレネーはファルマの言葉に何かを感じ取ったようだった。


『そうだったのか……同胞を救ってくれて感謝する』


 素直に口から出てきたその言葉を、ファルマは複雑な思いで受け止めた。


『では、そちらの希望は何だ』


 メレネーは渦巻く感情の処理に困っているようだった。

 彼女の精神が一種の麻痺をおこし、気力が萎えたところに、聖帝が声をかける。


『何もない。わが帝国はこの大陸から単に手を引く』

『そこになんの得がある。手ぶらで帰るつもりなのか。とうてい理解できない』


 メレネーはぎょっとしたように尋ね返す。


『何も得はない。手ぶらで帰ることに失望はないよ。この大陸に人間がいて文明を築いているという情報を得た。その情報を得たからには、大いなる収穫はあった』


 聖帝はさっぱりと、あっけらかんとそう言った。

 エリザベスは事を荒立てるつもりはないようで、落ち着いていた。


『ただ、そなたが何か無条件撤退に納得のできる理由を探しているなら、我らはそなたらと友好関係を築き、貿易を行いたいと思ってはいる』

『断る。こちらに何も利益がない』


 メレネーは訝しそうな顔をしてエリザベスの申し出を一蹴した。

 もう少し考えてくれても、とファルマはやきもきするが、


(あ、これは貿易の意味がわかっていないな)


 メレネーの表情から察したファルマは、いちから貿易について説明をはじめる。


『と、貿易というのはこういうものです』


 メレネーはファルマの説明で貿易の趣旨を知ったようだ。

 彼女らにとっても悪い話ではないはずだが、貿易の利点を理解してもらえていない。

 メレネーはふて腐れたような態度だ。


『こちらが欲するものが、何かあるのか? そちらの言葉をそのまま返すなら、この大陸にだって宝石も金も、豊かな食糧もふんだんにある』

『では、医薬品はどうですか』


 ファルマの質問に、メレネーはうっと唸る。

 貿易に利益があることがファルマの一言でわかって、悩んでいるのだろう。

 もうひと押し、とファルマはプッシュを続ける。


『ピチカカ湖の呪いに効く薬は? 病気を予防するための情報は?』


 その後も、彼らにとって喉から手が出るほど欲しいものをいくつか提示したおかげで、ほどなく貿易条約を締結した。

 聖帝が直談判をしたおかげでの、即断即決の流れだった。



 誰も予想だにしない急展開で、ファルマらはメレネーたちを懐柔し和解に至った。

 完全にわだかまりが解けたとはいかないが、少なくとも敵対する理由はなくなった。


 ファルマは有言実行とばかりメレネーらと大陸に戻り、疫神樹をすぐさま解放した。

 疫神樹は青々とした葉をつけ、神樹のように美しく生まれ変わった。


『あれ、大陸で植えたときと違うな。普通に樹になった。大陸で植えたときは次々に悪霊を呼び込んで凄く凶悪だったんだけど』

『祖霊の守るこの地には、悪霊はいないといっただろう』


 メレネーの表情から険が消えて、ほっとしたような顔になった。


『本当だね、よくわかるよ。名前変えた方がいいかな、これはここに置いておこう』

『では、偉大なるプリテカと名付ける』

 

 ファルマも今となっては素直にその言葉を受け入れる。

 ファルマとメレネーが疫神樹を見上げながら寝そべっていると、消えたと思われていた祖霊たちはひとつ、またひとつと疫神樹を目印に集まり始めた。

 木陰からも、次々にその姿を現し始めた。ファルマに消された霊たちは最初ファルマの周りに集まり抗議をしているようにも見えたが、メレネーに宥められて去って行った。


『あ、おばあさま』

『おばあ様だって? ご先祖様の霊か』

『よかった……無事だったみたい』


 もとの数には戻らないが、メレネーは祖父母の霊にも会えたようで、急に毒気が抜けた。

 ご先祖様を大切にする彼らの文化に、ファルマはもと日本人として共通するものを感じなくもない。


(日本だって、お盆にはご先祖様を呼ぶもんな……)


 有言実行のファルマに少しずつ心を許し始めたメレネーは、内心を吐露する。口調も少しずつ打ち解けてきた。


『ファルマ、という名前だったよな』

『うん、あってる』

『名前の意味は? 私たちの名前には必ず意味がある。お前たちにもあるのだろう』

『意味か……医薬品とか、薬って意味じゃないかな』

『……お前的にはそれでいいのか』

『あんまりよくないな』


 名前についての苦情は、ブリュノに言ってほしい。


『私の名はメレネー、朝の海という意味だ』

『いい名前だと思う』


 ファルマはしみじみと感想を述べた。

 ファルマとメレネーは霊を介して自己紹介などを続けている。


『私はルタレカを使うのが怖くなった。きっと、少し気を抜くたびに勝手に暴走して、あらゆる水を消してしまう。いとも簡単に人が殺せる』

『……そうだね』


 いくら訓練を積んで、術を使うことに慣れても、こればかりは覆せない。

 物質消去も物質創造も、必ずしも人体に益のある能力ではないのだということ。

 たった一つのミスで、全てを失うこと。


『私にはこの力を使う資格がないのかもしれない。お前はこのようなものを二つも持っていて、怖くないのか』

『怖いよ。でも、最初は手加減できなかったけど、最初に師となる人からきちんと訓練を受けたから』


 最初にエレンとの特訓がなければ、物質創造と物質消去、二つの能力を手にしてどうなっていたかわからない。

 ファルマの力に畏怖し、決死の覚悟をしながらも特訓に付き合ってくれたエレンの勇気と献身に、ファルマは感謝している。

 それから先は、とにかく慎重に、集中力を研ぎ澄まして、能力を運用している。

 ミスを避けようと思えば、極力、使わないに限る。


『師か……私にはそのようなものはいない』


 自信喪失といったところだろうか。

 ファルマは彼女の思いを受け止めながら傾聴する。


『私にも師がいれば、もっとうまくやれただろうか』

『ルタレカの性能を引き出すには、君がまだ知らない知識が必要だと思うよ。それにいくら訓練しても、術を使うときの、人を殺めるかもしれないと感じる危惧は同じだよ』

『……そうなのだろうな。お前も、人を殺すのが怖いのか』

『それが一番怖いよ。ところで、そんな思いまでして、そのルタレカの能力は一体何に使うつもりだったの?』


 ファルマは彼女の願いを聞き出すことにする。

 そこを聞き出せば、和解の道もあるかもしれない。


『ピチカカ湖の水を消せば、ピチカカ湖の呪いを解くことができるという伝承がある。でもあれだけの水、私は呪力不足で消せそうにない。ピチカカ湖の呪いのせいで、吾らは地下洞穴で暮らす定めとなったのだ。呪いが解ければ、地上で暮らせる日が来る』

『ええと、つまり』


 ファルマは彼女の話を整理する。

 ピチカカ湖は住血吸虫の感染地となっている。

 その湖の周辺もまた沼地であるがために、広範囲に中間宿主となる淡水貝が生息しているのだろう。それで、彼女らは地下で生きる道を選んだ。

 それを呪いと信じて、何世代にもわたって……。


(地下の暮らしは過酷だ。衛生面でも問題がある。病気になった人たちも多くいるだろう)


『ファルマ、お前ならルタレカを使ってピチカカ湖の水を消せたか?』

『できたと思うよ』


 ファルマは平時の体調も加味して控え目に答える。


『あの量の水を⁉』


 メレネーは驚きのあまりか、硬直した。


『上流の水源ごとと言われても問題なく。たとえば』


 ファルマは神力量を示すために、空中を覆いつくすほどの水の塊を空に浮かべた。

 その挙動はファルマの神力で制御されており、分厚い雲のように空を覆いつくす水は、空中を漂うばかりで地上に降ってこない。


『この量と同じか、それ以上の水を消せる』

『信じられない……上限はないのか』

『海を消せと言われたら困るけど、湖ぐらいできるよ』


 メレネーはたった一言でその発言が偽りではないことを悟ったようだ。


『ルタレカをお前に戻してやるから、ピチカカ湖を干上がらせるという取引をしないか』

『不平等取引に見えるけど、いいの?』

 

 もっとも悪意をもって予想すれば、薬神紋を奪還したあと、ファルマが逃げてしまうことだってできる。その可能性を見越しての提案なのだろうか、とファルマはメレネーの態度の急変に戸惑う。


『そういうことをしない奴だということがわかってきた。直感なのだが』

『それはどうも』


 メレネーはルタレカを所持することを諦め、赤い雷のような紋様を膚から剥がし、シールを貼るようにファルマの上腕にぺったんとくっつけた。

 ルタレカは赤い蛍光から白みを帯び、やがて青く変じて薬神紋を展開してゆく。


『こんな簡単に!』


 メレネーのこの能力は、ファルマには決して真似のできないものだ。

 こうしてファルマの腕に、物質消去に対応する二つめの薬神紋が戻ってきた。

 それらはあたかも最初から一対の模様であったかのように見える。


『ありがとう。では、これは俺が借りておくね。また、使いたいときは声をかけて』

『しばらくはいらないぞ』


 ルタレカと薬神紋は、どちらかが所有するのではなく、大陸をこえてシェアしようという話になった。

 そのほうがいい、とファルマは思う。


 ファルマも薬神紋を二つも持ってこの世界にやってきた時点で、幾度となく疑問に思っていた。

 歴代の守護神たちが一つずつ宿していた聖紋なのに、自分だけ二つ。

 そのせいで、神力量も莫大なものとなっている。

 でもそれは、誰かが手にすべきものではなかったのか。


 一つはメレネーが手にするべきものを奪っていたかもしれない、そうであれば自分が独占しているのはフェアではない。

 そんな気がしてならなかったのだ。

 ファルマの腕に戻った青い薬神紋はびっしりと根をはり、ファルマの神脈の深くに根をおろした。


(呪力の有無、神力の有無によって聖紋が最適化されているのかなあ……)


 考えても、何故そうなっているのかよくわからない。

 物質消去の能力を取り戻したファルマは、メレネーがファルマに薬神紋を返還したことを後悔しないよう、促される前にすみやかに約束を果たす。

 彼女が見ている前で右手をピチカカ湖にかざすと、湖水を消滅させ、その周囲の沼地を完全に干上がらせてみせた。

 メレネーは壮大な光景に、膝から崩れ落ちた。

 彼我の力の差を見せつけられ、屈服させられたといわんばかりだった。

 彼女の口から出てきたのは、感謝の言葉だった。


『ありがとう』

『こちらこそ。君が返してくれたからこそできたことだ。これで、約束は果たしたかな。このまま、中間宿主が滅びるまで数年干しておこう』


 彼ら一族を悩ませてきた積年の問題、その解決は、ファルマにとって朝飯前のことだった。

 ファルマはピチカカ湖の代わりに、中間宿主の貝がいないことを確認したうえで、彼らに新たな水源を供給した。

 メレネーたちは、ようやく地上に住居を構えることができる、といって安堵した様子だった。

 軟禁状態で収監されていた先住民らも、全員が無傷で解放された。

 貿易については、帝国の船がギャバン大陸に交易品を持ってきて取引をしよう、という取り決めになった。

 融和の空気が醸成され、憎しみはとかされてゆく。


「よし、帰るか。夜も明けたし、帝都に帰還するぞ!」


 聖帝は守護神殿の結界を解除し、あっさりと帰投を指示した。

 エレンやパッレ、探検隊らは当然疲労困憊だ。


「これから全速で帰っても、聖下の公務に間に合うかな?」


 ファルマは大急ぎで気球の珠皮とキャリッジを準備し、可燃物質を燃やしてバーナーとし、空気を入れ、温めて膨張させる。 

 探検隊はおっかなびっくりキャリッジに乗り込み、口をあけながら気球を見上げる。


「よかったのですか、聖下」


 ノアが毛布を頭からかぶって就寝モードに入っていた聖帝に本心をうかがう。


「帝国領土の拡大にはもってこいだったでしょうに。大陸そのものから手をひかずとも、別の土地をおさえれば……」


 帝国貴族たるノアは、手に入れられるとばかり思っていた新天地が惜しくて仕方がないようだ。

 この大陸に入ったという先行アドバンテージを生かし帝国の領土拡大を行えば、必ず国力を強める。

 その画を、彼女は捨ててしまったのだ。


「これでよい。先住民が不安になるようなことはしとうない。余も人の親である。子らが怯える暮らしを強いるのは誤っている」

「ご英断です、聖下」


 ファルマは全高20メートルもの気球を見上げながら、クラウンロープを操りつつ、さりげなく聖帝に賛同する。

 地球では、新大陸の発見のあと、先住民に対して虐殺の歴史が始まった。

 今回の新大陸への探検が、類似の過程をたどらないことを切に願う。

 しかし聖帝が健在のうちは、この世界では幸運にもそうならずに済みそうだ。


「さて、余もそう思うのだが。これより貿易が長らく行われることになれば、それを傍観する他国の思惑はあるやもしれぬ。ただ、彼ら先住民族の領地は余の名誉にかけても、守らねばならぬ」


 世界最強にして最高位の権力を持つ聖帝の私見はともかく、ならず者はどこにでも現れるものだ。

 ファルマもメレネーらの暮らしを脅かす存在があってはならないと思う。

 ファルマがクラウンロープを処理し、さて上昇しようかというところで、しばしの間姿を消していたメレネーが猛烈な勢いで追いすがってきた。

 今にも乗り込まんとばかり、キャリッジに手をかける。


「どうした? そなたも帝国にくるか?」


 聖帝はメレネーを連れ帰るのも大歓迎のようだ。

 しかしメレネーはそういうつもりはなかったらしい。


『そうではない。ファルマ、お前にはこれが読めるか。銃の説明書が読めたと聞いた』


 メレネーは一冊の冊子をファルマに手渡す。

 ファルマはメレネーから受け取ると、メレネーは一回転して地上に着地した。


『結構、分厚いね。何だろう』


 ファルマはひとまず離陸を保留すると、冊子に視線を落とす。

 まず、その分厚さに驚く。

 冊子といっても紙切れのようなものではなく、ノートのように皮革で製本してあるから、なお驚く。


『偉大なる呪術師ハリースの遺品だ。ラカンガという洞窟より見つかった、古代より伝わる古文書なのだ。だが、我々にはこの文字が読めない』

『さっきと同じ言語なら、読めるよ。分厚いし、来年までに翻訳しておくのでいいかな』


 ファルマはパラパラとめくって、返却を想定してスマホで写真を撮りながら冊子を開く。

 文面は読み飛ばしてゆくが、日付がつけられていて、どうやら日記のようだ。

 思った通り、英語で書かれている。


『……これは日記のようだよ』

『日記とは』

『一日の忘備録のようなもの』

『そうなのか。古の呪術について何か書いてあるのかと思っていたが。この書物の持ち主、ハリースの亡骸のそばに、遺品として置かれていた』

『祖霊を呼び出せるんじゃないのか? 呼び出して詳細を聞いてみたらいい』


 何故、彼女が疑問に思っていることをハリースの霊に尋ねず、日記を解読してほしいという話になっているのか、ファルマは疑問だ。


『彼女の霊は私の呪術でも呼び出せたことがない。もう、この大地にいないのかもしれない』


 メレネーは、過去に亡くなった人物で、霊がその場を動いていなければ誰であっても呼び出せる。

 その彼女が、ハリースという霊を呼び出せず、長きにわたり途方にくれていた。

 彼らにとっては聖典のような扱いであった書物を解読できる人物が、今やファルマひとりである。


(そりゃ、内容も気になるだろうな)


 ファルマはメレネーの気持ちもわかるので、翻訳を引き受けた。


『わかった。でも、量が膨大だから少し時間がかかるな』

『急いでいない。次回の貿易のときに持ってきてくれ』

『わかった。依頼は引き受けたよ。かならず持ってくる』


 しっとりとした皮のブックカバーが、使い込まれた風合いを出しており、年月の重みを物語っていた。

 地上ではメレネーたちが、大きく手を振っている。

 探検隊も手を振り返し、さっぱりとした表情で別れを告げた。


「いろいろとあったが、互いに益のあるいい幕引きだったのではないか」

「聖下のおとりはからいのおかげで」


 ファルマはお世辞ではなく、心からそう思う。

 やはり、帝国のリーダーは彼女でなくては務まらない。

 そんなことも実感した。

 気球を無事にテイクオフさせ安定飛行に入ると、ファルマは冊子に目を通しはじめた。


挿絵(By みてみん)


7章本編終了です。

次回更新は8月1日、7章最後の閑話更新予定です。

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