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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 7 新大陸の伝承  Légende du nouveau continent(1148年)
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7章15話 INSTRUCTION MANUAL 写本

 無人島には、洋上より吹き上げる風が吹きつけている。


 ノアとクララを同時に救出して聖帝らの待つ無人島へ戻ったファルマは、彼女らと合流し、事の次第を報告した。


 まずはクララを救出したこと。

 祖霊を滅ぼされたメレネーは、帝国に怨恨を募らせていること。


 二つあった薬神紋のうち一つを奪われ、メレネーに乗っ取られてしまったという報告は伏せた。

 失望は絶望に繋がり、混乱を呼ぶ。


「ふむ……報告ごくろう。瞬く間に行方不明の二人とも連れて戻るとは、さすがはファルマだ。無事に戻ってきて何より。クララ、ノアも、大事ないか」

「は、勿体なきお言葉にございます」


 ノアはすました顔をしている。

 ノアが目くばせをするので、クララも慌てて倣った。


「はい、聖下。ご心配をおかけいたしました」


 クララは命からがら逃げ延びた後、聖帝が新大陸に現れたことに動揺していたが、彼女の前では明らかに安心した様子だ。

 聖帝は国母として臣民に慕われる世界最強の神術使い。

 その彼女が国をかえりみず直々に救助にやってきた。

 これほど心強いことはこの上なく、忠誠心も最高潮となる。

 聖帝は二人の無事を確認し、大きく安堵の息をつく。

 そしてファルマに向き直る。


「こちらはこちらで収穫があったぞ」

「まさか、聖下じきじきの尋問で?」

 

 どんな厳しい尋問が、とノアが固唾をのむ。


「いや、普通に話した」


 聖帝の答えは気抜けするものだった。

 そんな軽い口調の聖帝が語った情報量は、ファルマが洞窟へ単独潜入しているほんの少しの間に得られたものだったが、耳を疑うほどだった。

 彼らは銃の使用方法を知っていたが、その方法は昔から独自に知っていたもので、帝国の探検隊の模倣などではなかったということが明らかになったというのだ。


「銃と同じような原理の武器を持っていたのでしょうか」


 ファルマがオーパーツの出現に首をひねると、


「その昔、原住民の中に銃を持っていた者がいたのでしょう」


 ジャン提督がそう推察する。

 ファルマもジャン提督と同じく、彼らが独自に開発したものというより、大陸から伝来したという可能性を疑う。


(こっちの大陸の人間が遭難して新大陸に漂着したのかな? 地球でだって、コロンブスがアメリカに着く何百年も前に、ノース人がアメリカ大陸に来てたっていうし……大黒屋 光太夫だってあんな離れたロシアに漂着してたもんな。もしくは、銃火器を積んだ難破船が大陸に漂着し、彼らが先に知っていたか……)


 ファルマの想像はそんなところだ。


「ほれ、これが銃の説明書のようだ」


 図解入りの皮紙がその証拠だといって、聖帝は丸められた羊皮紙をファルマに手渡す。


「……ありがとうございます」


 手に取った皮紙の劣化具合からして、数十年から百年は経過していそうだと感じる。


「これを、こやつらが持っていた。皮紙のほうは複写であろう、原本はボロボロになっている。さっき消えたのだと」


 ファルマはその情報を聞いて、しまったと反省する。


(あっ、もしかして紙が消えたのって俺がセルロースを消してしまったからか!)


「そなたのせいか」

「すみません」


 おそらく、セルロースをベースとする紙に記載された図だったのだろうが、迂闊にもファルマが消してしまっていた。


(うっかりと貴重な文化遺産が喪失!)


 原本が惜しかった、と悔いるファルマだが、言っても仕方がないので皮紙に複写されたものを閲覧する。


「INSTRUCTION MANUAL FOR XX,

Owner manual. 

User safety warning and responsibility.

Do not attempt to load any firearm until you read」


 ファルマは興奮して声が大きくなってくる。

 耳慣れない言語が聞こえてきたからだろうか、エレンが眼鏡を上げ下げしている。


「ん? んん? 今なんていった?」


 ファルマはしばらく夢中で読み進めて、自分の発した言語の場違いさに唖然としてしまう。


(え……英語⁉)


 懐かしい言語が目に飛び込んできたので、思わず悲鳴を上げそうになった。

 複写の記述内容は一目瞭然。英語で記載されたハンドガンの取説、その複写だ。

 複写ではあるが、まぎれもなく地球由来のものだ。

 型番や、リリースした日まで書いてあるのだから。

 ここにある年号はサン・フルーヴ暦ではなくて地球の西暦だ。


(これはなんだ? どういうこと? 英語を話していた人物がいた⁉ しかも年代が新しいぞ) 


 今すぐにでもこの資料の出所が知りたい。

 その周辺にある資料などもすべて調べ尽くしたい思いにかられる。

 地球世界の痕跡にふれ、動悸と興奮がおさまらない。

 彼が薬谷完治として過ごしていた地球世界の言語に触れると、まるで実家にかえったような安心感に包まれる。


「我等には読めんが、そなたには読めるのか? ……見たことがない言語だな。そなたの発音。流暢だったが、この言語が読めるのか。そして、日常的に使ったことがある、そんな雰囲気だな」


 エリザベスが横から顔をだして、興味深そうに眺めている。


「いったい何が書いてあるか何かわかるか、ファルマ」


 パッレもつられて興奮気味だ。


「……おそらくですが……これは、この世界のものではなく別世界で使われていた銃の取扱説明書です。銃は帝国海軍が使っているものより、技術的に数十年から百年以上未来に作られるはずのもので、技術的にも高度なものです」


 エレンとパッレが身を乗り出してきている。


「未来⁉」

「なぜ別世界からきたものとわかる。神殿の所蔵している秘宝のようなものか?」

「なぜ別世界由来のものかわかるかというと……これと似たものを、写真や映像で見たことがあります。あ、映像というのは動く写真のようなものです。見たことありませんね。今度お見せしましょう」


 ファルマは言葉に詰まる。


「別世界からもたらされた銃の構造が高度であるがゆえに、あるいは材料の不足によって現地住民は模造品が造れず諦めて、それでも取り扱いの知識だけがこの大陸に残ったのではないでしょうか」


 銃(遺物)は朽ち失われても、取説(知識)が残っていた。

そのおかげで、その基本的な取扱い知識は失われていなかったということだろう。

 ファルマは念のため、周囲の誰にも見えていないスマホのカメラで写真を撮り集める。


「でもどうして、こんなものが」


 これまで己の身に起こったこと。

 鎹の歯車の中で出会った農神の少女の、「地球ではないが、ほかの世界から墓守に見いだされてこの世界に放り込まれた」というもの。

 それらの事実を突合してゆくと、一つの推測にたどり着く。


(この場所に、英語圏からきた地球人が生きていた!)


 おそらく彼または彼女は墓守によって見いだされ、現地住民に受け入れられ、部族間対立などに対抗するため、あるいは野生動物と戦うため、銃器の使い方を教えたに違いない。

 守護神の伝承のないこの地で、彼または彼女がどのように生きたのか。

 海を越えはるばる神聖国にわたり、鎹の歯車にすり潰されたか。

 それともこの地で永眠したか……。

 ファルマの脳裏には怒涛のように疑問や推測が生まれてくる。


(彼女は守護神だったのか⁉)


 しかし、おや、と首をかしげる。

 いま、新大陸の先住民と敵対関係にあるのに、聖帝エリザベスがこの資料をすんなり手に入れられるわけがない。

 まず、ファルマはコミュニケーションの初手で失敗していたのだから。


「聖下、どうやって彼らの言葉を理解してこの情報を得たのです?」

「ん? 尋問のために一人だけ解放してやったら、その者が悪霊を介し、帝国の言語で話しかけてきたぞ」


 さきほどメレネーがやっていたように、霊を通じて話せるものがいるのだ。


「まあそれで、お互いに争う必要もなし。こちらも逃げも隠れもせぬ、落ち着こうということで、一時休戦となった」


 ファルマは肩透かしをくった気分だ。

 聖帝は持ち前のカリスマ性とコミュニケーション能力を発揮し、ファルマよりやり取りもスムーズだったようだ。


「悪霊を出した時点で攻撃とみなさなかったのは恐れ入ります」


 そういえば、と思い出すに。

 執拗に悪霊を出そうとするメレネーの初動を、丁寧に丁寧に潰してしまったファルマである。

 やり方が一方的かつ過剰防御だったかと反省する。

 このあたり、ファルマの対人実戦経験は聖帝の足元にも及ばない。


「なに、相手をよく観察しておれば、言葉は通じずとも意図はわかるものだ。敵意や殺意の有無を看破するのは、読心術の基本中の基本だぞ。様子を見る、ということを覚えよ」


 せっかちだと常々思っていた彼女だが、必ずしもそうではないらしい。


(すげー。それに、読心術なんて心得ているのか。ん、でもそれって)


 さすがは聖帝、外交の達人である。

 同時に、読心術の信憑性はさておき、その読心術をファルマに対して使っているのではないかという不安も拭えない。


「彼らとはもう、少なくとも表面上では敵対関係にない」


 用心のためにファルマが拵えた格子からは解放していないが、水や果実などの差し入れは行なっていた。

 そこまで話がついていれば、ファルマとしても本当に助かる。


「調整をありがとうございます。私としたことが、洞穴にいる一団とは話が決裂してしまったので」


 ひとまず、無人島に軟禁されている先住民の勢力を警戒する必要性が減ったのは助かった。


「そなたは交渉事がへたくそだのう」


 聖帝はがっくりと、ややからかうように額をおさえた。


「返す言葉もございません」

「では、余がメレネーなる者と交渉をすればよいな。なに、八方丸くおさめてみせよう」


 彼女の手腕であの殺気立ったメレネーが丸め込まれるのか、ファルマにとっては未知だ。


「確かに最善手は、メレネーと和解をしてから帝国に戻ることです。ですが、成功率は極めて低い。話を聞いてもらえる保証がありません。ともかく、帝都に帰りませんか」


 ファルマは時計を気にした。


「確か聖下、今日中にお戻りにならなければ大変なことに」


 ファルマが青ざめる。

 彼女には定例公務があったはずだ。

 一番重要なのは探検隊を無事に帝都に戻すことで、薬神紋についてはファルマが一人、ないし少人数で話をつけにくればいい。


「まあ、念のため、大規模演習の疲れを癒すためといって、公務は別日にずらしておいたのだ。だからあと一日は滞在可能だ」

「そんなに長い間ぶっ通しで寝るといって、不審に思われないものですか」


 一度ぐらいは安否を確認されるのでは、とファルマは懸念する。


「ないぞ!」

「それはどういう」

「以前は神力を使い果たすほどの戦闘になった翌日二日ぐらいは寝ていたのだ、それを知る者たちは、下手に起こしにはこぬだろう。何しろ、余の周りの者は神力消耗後の寝起きが悪いのは知っておろうからのう」


 以前無理に起こしに来た者を、寝ぼけて燃やしたことがある、という。


(そんな痛ましい事故が……聖下の側近も大変だ。こないだ添い寝したときも無事でよかった)


 ともあれ、なんの準備もなく帝都を抜け出したわけではないと知りファルマは首が繋がった思いだ。

 ついてくるといったのは聖帝本人だが、新大陸にまで連れ出したのはファルマである。

 聖帝を無事に公務に戻すまでがファルマの仕事である。


「ではもうここに用はありませんし、彼らを解放してあと半日以内にこの島を発ちます。そうでないと帝都に着きません。そして私は、帰る準備をしますね」


 ファルマは予告しておいた。

 メレネーのことは次回にして、帝都に向けて帰り支度をしなければならない。

 ファルマは聖帝らを乗せてきたキャリッジの改装にとりかかる。

 キャリッジの中から、バッグ状の大型資材を取り出す。


「これは今使うもの? 広げるなら手伝いましょうか」


 エレンが興味深そうに尋ねる。


「そう、球皮というもので、これを風船のようにして、下から暖めた空気で浮力を得て空を飛ぶ。熱気球というものだ。ありがとう。そっち持っててくれる?」

「待って……飛ぶの? 帝国まで? この風船で?」


 エレンが一語ずつ、これから起こることを確認する。


「帝国から飛んできただろ? なら、帝国に飛んで帰る」

「交通手段!」


 それとこれとは安心度合いが違う、と言いたそうなエレンをなだめて、ファルマはエレンやパッレに手伝ってもらってこつこつと気球を組み立てる作業を行う。

 組み立て方法は、スマホに情報を集めている。

 間違えて球皮を破ったりでもすれば、ファルマが人力でこの無人島と帝都を何十往復もタクシーをしなければなくなる。


「安全性? テスト飛行はしたことがあるよ。この三分の一スケールで」


 ファルマは心もとない情報を出した。


「実際のサイズでやってねーのかよ! 荷重も強度も全然違うだろうがよ! 飛ぶかよそんなもん!」


 パッレのツッコミもむなしく。


「まあ、補正する計算はしているから。基本的には飛んでいる風船状態の気球を俺が押すか風で吹き流す。前に言った通り、俺自身が運べるのは四人が限界だ。全員を運ぶための力は、この気球と浮力で補う」


 地に足をつけた案とはいかないが、現状でも、大陸間を渡る方法は船か飛行機しかないのだ。



 マイラカ族の長、メレネーは拠点としている洞穴の床に倒れ伏していた。


「逃がした……あの三人!」


 意識を取り戻した彼女は、悔しそうに拳を地面を叩きつける。

 彼女の周囲を、同じく起き上がってきた彼女の家族が取り囲む。


「メレネー、大丈夫か? うわっ、すごい血だぞ」


 メレネーの兄アイパが、額から血を流している彼女を気遣う。


「傷は浅いから問題ない。ルタレカも手に入ったことだし、よしとする」


 メレネーは「無の根」と呼ばれる腕の赤い輝きを愛おしそうに撫でる。

 それは赤く毒々しい輝きを宿し、彼女の腕で生きた蛇のような禍々しい存在感を放っていた。


「私にもよく見せてくれ。これが、古き者の宿していた秘蹟か」

「ああ。やっと戻ってきた、あの少年が奪っていたのだ」


 メレネーは額の傷をおさえながら、その場にへたりこんで立ち上がろうとしない。


「動けないのか?」

「どうやら呪力切れだ、すまないが運んでくれ」

「わかった。では、おまえの部屋へ運ぼう」


 メレネーはアイパの背に担がれて、自室へと戻される。

 次々と部屋を訪れる集落の者たちにねぎらわれながら、掛布を頭まですっぽりとかぶり、メレネーは震えていた。

 命のやりとりを終えて緊張が抜け、どっと脱力して、彼女は今更のように怖くなったのだ。


(あの金髪の子供は、何者……? もう一回やってきたら、かなわないかもしれない)

(人間ではなかった。体が光っていた。あれはなんだ)

(直視できなかった。眩しすぎる。闇夜を照らす太陽のような存在だった)

(それに……私を殺すこともできたのに。手加減されていた?)

(あれを殺せるのか? 無理だ)

(あれはきっとこの世のものではない。別の世界からきた、私の知らない光の存在だ)

(光は怖いものだ。霊たちを脅かす)

 

 感情を殺していたメレネーの中に、怒涛のように恐怖の感情が押し寄せる。

 

「メレネー。よくぞ長のつとめを果たした。私は誇りに思うぞ」


 先代の長にしてメレネーの母、レーネラが娘の奮闘をたたえにやってきた。


「母上……きちんと皆殺しにするはずでしたのに、取り逃がしてしまいました。どうしましょう。あの、隷属させていた女も取り逃がして」

「深追いをしなくていい」


 レーネラはメレネーの手を握って慰める。


「……しかし、仲間を連れてまたやってくるかもしれません」

「相手は逃げたのだ。もう、追っていかなくていい。その、透明な金髪の子供は危険だ」

「はい、私も命の危機を覚えました。あれは何者だったのでしょう」


 メレネーは金髪の少年を思い出す。

 その身は光に満ち、霊体に近いその身にルタレカを二つも宿していた。

 知らないエネルギーの塊だった。


「辛くもルタレカを取り戻すことができましたが、油断をつかなければ、到底かなわなかったでしょう」


 離れてみてわかる、彼の怖さを。

 レーネラは祖霊を呼び出し、同じ質問をする。


「祖霊パラル。あの子供について何か知っているか」


 祖霊パラルと呼ばれた霊は、煙がかった老人のような姿をしていた。


『ここより遥か遠き場所に、似たような超常の存在が次々と現れては消えた時期があったという話を聞いたことがある。我々祖霊の殆どを消し去るほどの凄まじい力……その類の者なのかもしれぬ。霊の王だろう』

「我らが偉大なる呪術王、ハリースとは違う存在なのか?」


 パラルが「霊の王」とまで言って強く警告をするので、レーネラが驚いたように尋ねる。

 ハリースとは、マイラカ族の中では伝説の、最強の呪術師だ。

 ハリースが「無の根」を手なずけ、その扱い方を一族に伝えた。

 無限の呪力をもってマイラカ族を率いていたといわれている。


『おそらく、ハリースに匹敵するか上回る。霊体の性質としてはハリースと正反対のものであろう。メレネーはわかっているだろうが、あれに攻撃をしかけても消滅しない。物質界を超越している。手を出さぬが身のためだ、彼はその存在だけで霊を壊滅させる』


 レーネラとメレネーは悔しそうに沈黙した。


「そういえば……彼は話し合いをしたいと言っていたのだが……」


 表情だけを思い出すに、少年からはそれほどの敵意は見えなかった。

 口調も穏やかで、一見悪い人間には見えなかった。

 メレネーを傷つけなかったし、攻撃ひとつの選択にしても、「気を使われていた」のを実感する。


『霊を滅ぼしながらのこのこと、話し合いましょう、か。そういうのは普通、冷酷無比というのだよ』


 祖霊パラルがメレネーに疑いをぶつける。

 メレネーはやはりと唇を引き結び、溢れんばかりの憎しみの感情を取り戻す。

 メレネーの祖父や、大好きだった祖母。先月までは呪術で呼び出せばいつでも会えたのに、メレネーにとって身近だった霊たちも、あの少年の出現を境にいなくなってしまったのだ。いわば、家族を滅ぼされたに等しい。


「そうだったな。やはり怨敵だ。もし次まみえたら、私の命に替えても一矢報いる」


 レーネラは「あとをつけてはだめだ」と首を横に振っていた。

 レーネラは祖霊パラルを地に還し、改めてメレネーに忠告した。


「あの者のことは考えず、しっかり休むこと。呪力の回復にもとりかかること」

「わかりました。すぐ就寝します」


 メレネーは力なく答える。


「メレネー」


 メレネーの部屋のドアを、外から激しく叩く音がする。

 メレネーは扉越しに声だけで返事をする。


「どうした」

「異人の捕虜を無人島へ移送した者らが、日が暮れてもまだ戻っていない」

「なんだと」


 メレネーの瞳がかっと見開かれる。

 そこには先ほどまでの弱気な少女の姿はない。

 マイラカ族の長の顔に切り替わった。


「夕刻までには戻っている予定だった」


 メレネーは静かに寝床から起き上がる。


「絵鳥を偵察に送ったが、すべて撃墜された」

「そうか」

「どうやら、ピチカカ湖の呪いを受けても、奴らは動ける状態にあるようだ」

「侵略者とマイラカ族、優勢が逆転した可能性はあるか?」

「おそらくそうだろう。あの金髪の少年が一人で突っ込んでくる前に、無人島で捕虜となっていた仲間の救出を試みたはずだ。そのめどがついたので、仲間の奪還に来たのだろう」


 メレネーの体に呪力はまだ戻っていない。

 しかし……一刻も休んでいる暇はなくなった。


「呪術隊を召集。すぐに家族の奪還を行う。無人島までの方角へ距離を特定しろ。絵鳥に乗って、夜闇に紛れ、私が空から奇襲をかける」

「わかった。すぐに用意させる」


 兄アイパが、メレネーの杖と槍を持ってきた。


「私は仲間を見捨てない。私たちはみんなで一つだから」


 死するときは、全員で果てるまで。


「たとえ今日が私の命日となっても」



「ええと、準備完了」


 ファルマは組み立てた気球を別の無人島に移し、いつでも飛びたてる状態にして、その島の裏に隠しておいた。

 気球を傍に置いていて、急な襲撃に巻き込まれでもしたら、球皮が破れて飛べなくなってしまう。


「夜明けには、ここを発つ」


 熱気球という性質上、気球内部の温度と気温の差が大きい時間帯が望ましく、飛行は夜明けか日暮れに行われるものだ。

 日中は上昇気流サーマルが発生しており、強風も吹き付けていて、とくにコンディションがよくない。


「上昇気流があるとなんで望ましくない? 気球を上昇させてくれるんじゃないのか」


 パッレが直感に反するのか、飲食しながら質問をしてくる。


「上昇気流の中の風の流れは複雑で、上昇するばかりではなく、下降する流れもある。気球には操舵性がないから、かえって危険なんだ」


 地球上でも、強いサーマルが発生しているときの飛行は厳禁だ。

 強いサーマルがあるときは、競技も中止されるぐらいだ。


「なるほど……」


 ファルマは帰還の準備を整えつつ、原住民らがいる無人島の対岸に面した海岸線に大きな砦を構え、メレネーの襲来を待つことにした。

 時刻を待ってメレネーが来なければ、現地民を解放して平和に帝都に戻る。

 彼らが乗ってきた小舟は無傷だったので、それに乗って大陸に戻ってもらえばよいだろう。

 そんな段取りだ。

 メレネーと遭遇して、ほぼ一日が経つ。


「ファルマ、メレネーってクソ女はどんな技を使ってくるんだ?」


 パッレが干し肉をかじりながら、直接戦闘をしたファルマに情報提供を求める。


「そういう言い方はやめてよ。あの子、メレネーの攻撃はほとんどの攻撃は神術使いなら落ち着けばさばける。動きも遅い。でも、一番厄介なのは……ルタレカというものだ。負属性の最悪の神技を予想していてちょうどいい、と思う」


 パッレの反応をみるに、ファルマの意図は伝わっていない。


「想像がつかねーんだけど。神技つかってくんの?」

「似たようなものだね。具体的に言うと、メレネーの視界に入った任意の対象に対し、その中の水を消すことができる」

「それ、水の負属性の能力じゃねえぞ!」


 先ほどメレネーのそれを見たノアは驚いている。


「俺たち水の正属性と、真っ反対の能力だな」


 パッレはエレンに目配せをする。


「そうね……例えば私たちが、メレネーが消した分と同じだけ水を出したら、その効果は相殺できるものかしら。もしそうなら、ここには水の神術使いが何人もいるから……」

「……あれは、そういうもんじゃないよ」


 ファルマだけが、メレネーの攻撃の性質を理解していた。


「それでメレネーとやらが、ここに来ると思うのか?」

「メレネーは必ずきます。となると、こちらの方向からに決まっています」


 クララが確信をもった口ぶりだ。ファルマらがメレネーのもとに再突撃しないのは、こちらが旅をしている状態ではなく、メレネーが旅をしている状態を強制的に作り出すためだ。

 それは、クララの案だ。


「なんでわかる」

「あっ! 今出発しました」


 クララは目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませている。旅神と交信をしているのだろう。


「なんだと」


 全員の動きが止まった。パッレが空を見上げながら警戒する。

 ファルマは大陸の方角から目を離さない。


「旅をはじめたのは、二十五人です……」

「そんなこともわかるの! すごいわね!」


 エレンは感心しきりだ。


「いつもと違って情報量が多いです」


 味方の旅についてはそれなりにしか読めないが、敵の移動に関しては敏感になっているのかもしれない、とクララは言う。

 エレンが水の神術陣を立ち上げる。

 ノアが向かい風を放つ。


「待ってください、速度が速すぎます」


 クララが一点を凝視して叫ぶ。

 彼女の第六感を研ぎ澄まし、ファルマたちには見えない情報を読み取っている。


「移動手段は船ではないのか」

「“防襲神術陣を展開”」


 聖帝は警戒態勢に入り、神術陣を立ち上げると、すらりと帝杖を抜いた。


「……船ではありません! あの時と同じ……夜闇に紛れて、襲ってきます!」


 海上にはさらに強い風が吹き付け始めた。


「来ました!」


 夜空から現れたのは、十を超える絵を具現化した怪鳥だ。

 怪鳥に二人ずつ乗って、こちらへ急降下してくる。

 絵の鳥から、無数の絵の怪異を具現化した礫の攻撃が繰り出される。

 それらは流星のように局所的に降り注ぎ、ファルマめがけて落ちてくる。

 聖帝が展開していた強い上昇気流を伴う炎の神術陣がそれをはじき返す。


「撃墜していいな。やるぞ」


 パッレが指先を向け、絵鳥めがけて攻撃をしかけようとしたそのとき。

 神術陣の爆炎に紛れるように、メレネーは単身、飛び降りながら初手でルタレカを放ってきた。

 海に孔があいたように海水が干上がり、海底の砂は乾いている。


(……物質消去か!)


 ファルマがマーセイルの海で海に穴をあけてしまった、まさにあの状況を再現している。

 何発かルタレカを放ってきたメレネーは、手元を狂わせた。

 ルタレカの衝撃は、無人島で軟禁されていた原住民らにまで到達した。

 瞬時に原住民らは体液を奪われ、干物のようになる。

 しかし、彼らは死ななかった。

 干物となった彼らは再生をはじめ、瞬時に水分を取り戻し、やがて人体へと再生し、復活を遂げる。

 ファルマは探検隊のみならず原住民らが戦闘の巻き添えにならないよう、「爾今の神薬」を与えていた。

 この神薬を得たものは、何が起こっても一日の間は死なないのだ。


 クララは駆け出して最前線の波打際に躍り出て、杖を構えた。


『目的地への到着(Vous êtes arrivé à destination.)』


 クララの杖から、水平線の向こうまで続く光の壁が生み出される。 

 メレネーたちの乗ってきた怪鳥が、弾かれるようにクララの光の壁に押し返される。

 絵鳥から飛び降りて急襲をかけようとしていたメレネーは、光の繭によって空中に張り付けられ、彼女の意思に反してゆっくりと降下をはじめる。

 クララは大神技を繰り出しなお集中を維持しているのか、肩で息をしている。


「何が起こった⁉」


 聖帝が叫ぶ。

 怪鳥とともに洋上に舞い降りたきり、その背で微動だにしなくなったメレネーと原住民らに、クララが静かに語りかける。


「あなたがたはそこから一歩も動けません。旅は終わりました」


 クララはしっかりと杖を掲げながら神力を込める。

 神技の光は煌々と、彼女の神杖に宿っている。


(そうか……移動座標の固定。これが彼女の神術か)


 ファルマはそんな理解をする。


「私の守護神たる旅神は、あらゆる旅を終わらせることができます」

「こんなことができるのか」


 聖帝は驚いて、クララとメレネーの顔を交互に見る。


「隠しておきたかったというのが正直なところです……、神力量の消費がやばいですし」


 その言葉を裏付けるように、クララは脂汗をかいている。


「神官の話では、旅神を守護神に持つ古の神術使いは、敵の行軍を止め、数十万の敵軍を死に至らしめ人生という旅を終わらせることもできたそうですが……すみません私にはこれが精いっぱいです」


 誰かを傷つけるつもりもありませんし、とクララは顔を曇らせる。


「……旅神の加護ってすごくない?」


 思わずエレンからも賛辞が漏れる。

 ファルマには、クララの言いたいこともわかった。

 敵軍に侵攻させない能力など、時の権力者がほうっておくわけがない。

 具体的には聖帝にみられるのがまずい。

 しかし、そうも言っていられないほど事態は切迫していた。


「いつまで相手を無力化させていられる?」

「私の神力が尽きるまでです!」


 クララの声は震えている。限界が近いのだろう。


「よし」


 聖帝はざぶざぶと海へ、腰まで浸かりながら入っていった。

 メレネーはクララの神術に捕らえられ強制着水し、クララが展開している光の壁の先で脱力しながらも、こちらをにらみつけてくる。

 そんなメレネーに、聖帝は微笑みを向ける。

 メレネーにしっかりと視線を合わせると、メレネーの読める距離で、一枚の紙を掲げて見せた。

 そこにはメレネーらの使う言語で、「そなたらの仲間は全員無事で、安全な場所にいる。われらの目的は侵略ではない。

 争いをやめ、平和的な話しあいをしたい。わかったら両手をあげてくれ」と書かれている。


 彼らに読める言語を提示することは、おおよそ三つの意味を持つ、とファルマは考えている。

 一つ目は、彼らと通じ合い、和解した。

 二つ目は、脅迫して書かされた。

 三つ目は、洗脳されて書かされた。


 だが、二つ目の可能性は実際には低い。

というのも、暗号を仕込むことは可能だからだ。

 実際には、原住民の一人に話をつけて現地語で書いてもらい、それを別の住民に読んでもらって内容に齟齬がないことを確認した。


 現地語による手紙をみたメレネーがどうとらえるか、ファルマには予測がつかなかった。

 何しろ彼女は、霊を操り、こちらの思考を盗み見ることができる。

 そして、無力化されながらも霊に伺いをたてていた。


 五分ほどの沈黙があった。

 長い長い、対峙の瞬間。

 聖帝はじっと、せかすことなく、慈母のように彼女の決断を見守った。

 メレネーはついに、話し合いの場につくことを承諾した。


 メレネーが両手を挙げ、頷いたとき、クララの神力が限界を超えて尽きた。


次回更新は7月25日です。

今後の更新スケジュールは活動報告をご覧ください。

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