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【完結済】異世界薬局(EP4)/【連載中】世界薬局(EP4.1)  作者: 高山 理図
Chapitre 7 新大陸の伝承  Légende du nouveau continent(1148年)
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7章9話 ファースト・コンタクト

「開戦じゃ!」


 ジャン提督の号令が洋上に響いた。


「調査基地は海岸堡を構築し、艦隊の前面に物理防壁を展開しろ! 沖合の島を撤退時の陣地とする。ボヤボヤするな!」

「はっ!」


 船員らは戦闘モードにスイッチしたジャン提督に圧倒されるが、迅速に行動を始める。

 大型帆船は海上で視認されているため、すでに標的になっている。こちら側は内陸部に逃げ込むことのできる相手を殲滅することはできないが、相手に船を沈められれば終わりだ。

 ジャン提督の言うよう、一刻も早く陸上、特に海上の安全域の確保が必要だった。

 神術使いらが各属性ごとに隊を編成する。


「”地殻よ、隆起・堅守せよ”」


 正の土属性神術使いらが共鳴神術を使って連携し杖を地上に突き立て、息を合わせて発動詠唱を発すると、基地の周囲を硬く高い岩壁で囲われた。

 これを前進基地とし、防衛のための拠点とする。


「”陥入せよ”」


 続いて控えていた負の土属性神術使いがその周囲に一瞬で二重の壕を張り巡らせ、


「”湛えよ”」


 水属性神術使いが一斉に杖を振れば水堀ができ、


「”火炎焼灼!”」


 炎属性神術使いが海岸堡の周囲百メートルを炎で焼き払い視界を確保する。


「”大地の牙!”」


 そのさらに前面に土属性神術使いらが頑強な柵を構築した。

 ここまで、わずか数分。この機動力は、神術使いがいかに戦地で欠かせない存在か実証する。相手が神術使いであれば構築した要塞を神術で切り崩されてしまう心配もあるが、平民相手ならば物理攻撃は防げ、視界を広くとったことで敵が突撃にも早期に警戒し迎撃できる態勢が整った。大砲などの飛び道具も届かない距離だ。


「今日の神力はもう使い切ってしまったぞ」

「かなわんな」

「ポーションの配給をたのむ」


 神力計を握りながら、神術使いらは汗をぬぐう。神術使い全員が消耗したわけではなく、予備戦力はもちろん残してある。神力を消耗した者は、杖を銃器に持ち替える。貴族が手にする武器は杖のみ、銃火器を扱うは末代までの恥という誇りと矜持は、新大陸においては命取りとなるため犬の餌にくれてやれという考え方だ。

 彼らはマジョレーヌら随行薬師が調合した神力回復促進ポーションを喉に流し込む。マジョレーヌは甲斐甲斐しく神術薬の瓶を一人一人に手渡してゆく。


「どうぞ! はいっ! 神力充填薬を準備しておいた甲斐がありました!」


 これによって、通常一日程度神力の回復に時間を要するところが、半日で済むようになる。

 このポーションは翌日の神力を前借することができるが、そのぶん後日にツケを払うことになる。

 ハラハラしつつ様子を見守っていたクララが、ジャン提督に改めて進言する。


「防衛は必要ですが、交戦は避けるべきだと思いますん」

「正当防衛と安全の確保は国際法でも認められとる、一方的に侵略されとんぞ! 寝言を言っとるばあいじゃなかろう!」


 ジャン提督は憤慨している。


「でも、相手は国際法なんて理解してないと思います。地形まで変えて、森を焼いちゃったら過剰防衛だと思いますぅ……。私たちは無人だと思って彼らの縄張りを荒らしてしまったのかもしれません。あちらからしても、侵略者を追い払うための正当防衛なのかもです。地図や最低限の測量は終わっています。差し出がましくてすみません、ここは安全を優先し帰還すべきかなって」


 クララは涙目で言いにくそうに理由を述べる。


「では、拠点を変えてはどうでしょう。彼らの縄張りを出れば、攻撃してはこないはずです。北上か南下しましょう。別にここを拠点にする必要はありません、仕切り直しませんか」

 

 航海士が拠点の移動を提案した。彼らも全員が全員戦闘要員ではないので、交戦は避けたいと考えている者も多いようだ。しかしジャン提督は首を縦に振らない。


「遁走じゃろうがそれは! 場所を移しての再調査、拠点建設は時間と物資の無駄じゃ!」

「しかし、一晩で神術陣が破られました。相手はこちらの手の内を熟知しているものと思われます。ご存じの通り、神術というのは主に悪霊や野獣に対しての対抗術でありまして、対人は基本的には想定されておりません。設置型トラップ神術陣は、人為的に陣形の一部を破綻させることで、いくらでも破ることができるのです」


 随行神官らは戦闘技能に長けている精鋭揃いで、戦闘を厭わないが、神術陣を破られたことは懸念材料となるらしい。


「このように危険な地では、作物を育てることもままなりません。基地を建設しても、そのまま無人で残して帰還できる場でなければ意味がありません」

「ぐぬぬ」


 最終的にはジャン提督は副官に矛を収めさせられたが、譲らない部分もあった。


「では明日拠点を移す。だが、敵はまだ近くにあるはずだ。相手の正体も見極めずに逃げ帰るようなことだけはできんぞ!」

「それは同感です」


 何も情報を得られないまま退避したとしても、次も同じ目に遭う。引き揚げる準備はしたうえで、彼らの正体を見極めて帰還する。捕虜をとって帰国すべきだ、とジャン提督は意気込む。


「というか、相手はどこに潜んでいるのでしょうか。全く気配がないのですが」


 マジョレーヌが疑問を投げかける。


「不寝番によれば、夜間、陸側に明かりは灯っていなかったとのことです。彼らは明かりをつけずに行動し、神術陣を破壊するなど、的確な機動をしていたということですよね」

「月明りや星明りじゃろう」

「昨夜は新月です。夜目の神術でも使っているのでしょうか」

「もしくは、晶石じゃな」


 ジャン提督は眼光を鋭くする。晶石の中には、神力を受けてほのかに発光するものもある。

 それを明かり代わりにすれば、足元の明かりぐらいにはなるだろうというのだ。随行神官の一人が、険しい顔になった。


「たしかに彼らが晶石を使うのでしたら、暗闇に乗じて未知の神術を使い、我々に奇襲をかけることができます」

「前線に火を絶やすな!」


 ギャバン大陸探検隊は、最大限の警戒のもとで夜を迎えた。


「さあこい。正体を見せてみろ……!」


 ジャン提督は陸地に向かって吠える。

 夜の帳がおり、辺りは闇に包まれてゆく。待ち構えていると、通信士らが青い顔をして報告にやってきた。

 電源の節約のため電波の届きやすい夜になって帝都との通信を開始した直後、異変に気付いたのだという。


「報告します。電波は送信しているものの、帝国と通信が確立できません。帝国を含む各国の基地局も応答しません。これ以上は電源の確保が難しく」

「はあっ⁉ そんなわけがあるか! 装置の故障ならばなんとしてでも復旧しろ!」

「いえ……通信機器は正常に作動しており送信には成功しているのですが……送信側の電波がどこかで遮断されていると結論付けました」

「なんじゃと!」


 通信士はなすすべなしといった面持ちで怯えていた。


「つまりその……我々は、孤立したということです‼」


 マーセイルから8000㎞、通信は途絶。

 未知の敵地で孤立したのだ。

 その意味を誰もが理解しはじめた時、内陸から吹き降ろした一陣の疾風が、前線を煌々と照らしていた神術火炎を一斉に吹き消した。


「来るぞ! 再灯火しろ!」

「”照炎珠”」


 炎の神術使いらが、すかさず焼夷弾となる火球を上空へ放つ。

 照明が確保されたときには、黒く朧げな人影が忽然と五体出現し、基地の数十メートルほど手前まですでに侵攻してきていた。


「なんだあれは!」

「”捕縛せよ!(Arrestation)”」


 随行神官らが、陣地に埋設していた拘束神術陣を起動した。

 これは人獣問わず相手を完全に無力化し、その場に縫い付け捕虜とするための術で、基本的に捕縛できないものはない。

 しかし、術は黒い影を五体とも認識することができず、影たちの侵入は止まらない。

 影の集団は横一列に並び、壕に張られた水上をものともせず、一歩ずつ歩いて越えた。神術使いらは影の正体を見極めようとした。


”憤怒の暴風!”

”炎の嵐!”


 風属性、火属性の連携技で、影を火炎風で吹き飛ばそうと試みる。しかし影は攻撃で少し煽られたものの、なおも一定の速度でこちらへ近づいてくる。射撃部隊の掃射が始まったが、被弾しても態勢を崩しもしない。


「”死霊殲滅!”」


 神官らが除霊神術を使うが、効果はない。その何者かは、悪霊ではなく実体でもない、相反する性質を持っていた。


「こいつらは一体何なんだ!」


 神術使いらがパニックに陥ったとき、 船を囲むように、海中に無数の黒い影が現れた。それは人の頭のようなシルエットを映じ、ふわりと海上に浮かび上がりその全貌を現す。

 森の奥から迫ってくる人影と同じものだ。


「囲まれたぞ!」


 近くで見れば、それは黒布を頭からすっぽりと被った異形というべきものだった。そして、四肢の各部は人間として不自然な、不規則的な細動を繰り返している。


「”不破の聖界”」


 それらが船底を伝って上がってこないよう、神官が素早く船底に防御用の神術陣を張り巡らせる。誰もが船の周囲に目を向けていた時、


「”火焔の矢”」


 ノアが鋭い発動詠唱とともに繰り出した火炎が、陸地の最奥にいた影の頭部に直撃した。

 狙いすませた一撃により、その一体は吹き飛ばされ転倒した。

 一体の動きが止まると、全ての人形の動きが一瞬止まった。ノアはその挙動を見逃さなかった。


「見つけたぜ」


 全ての人影の足止めに成功し、標的は定まった。


「お前、”人間の動き”をしていたぞ」


 女帝の小姓であったノアのめざとさと、洞察力が冴えわたっていた。


”火焔牢獄”


 ノアの放った神術炎の火柱が、主犯一体の周囲に立ち上り、彼を援護するように、土属性神術使いが岩石牢で補強した。術者をとらえた。

 しかし、囚われの術者は一切の動揺を見せることもなく指先を前に向けた。


「何だ?」


 ノアに報復をするかのように、彼のいる船めがけて縦に一本線を引く。

 すると岩石牢は果実を破ったように縦一線に割れ、同時に術者の延長線上に位置する船のマストの頂点から縦二つに船が裂け、船員たちは海上に投げ出された。


”氷晶盤!”


 水属性神術使いが海上に杖を突き立てて海面を固め、流氷を作り急場の足場とする。

 ジャン提督は躊躇せず術者を銃撃したが、銃弾は不可視の防壁によって弾き飛ばされた。

 大型帆船は大きな渦に飲み込まれながら、あえなく沈没していった。

 命からがら海中から氷上に上がりながら、一部は上陸しながら、神術使いらは戦闘陣形を立て直す。


「あれは、神術ではありませんよ」


 ずぶぬれの神官が肩で息をする。

 敵術者は、その姿を見せつけるように、かぶっていたフードを脱ぎ捨てた。

 黒い覆布の下から現れたのは、長い黒髪の少女だった。


「女だぞ!」


 彼女は神術使いらを軽くあしらうかのような艶美な動作で大地に胡坐をかき、両手を地について俯きながら地に扇を描くようにした。

 すると、大地に赤く発光する鳥と植物をかたどった幾何紋様が現れ、彼女を中心に、地上に敷設された神術陣を崩壊させ、赤い発光で上書きしてゆく。

 神官が叫んだ時には、燃え上がるような炎色の羽毛に覆われた怪鳥と巨木が地面の図柄の中から湧き上がり、夜闇の中で禍々しく実体化しはじめていた。


「なっ……」


 神官の杖を握る手が、わなわなと震えていた。

 彼我の力の差を知ったのである。その直後、クララが絶叫した。


「今すぐ杖を捨てて!」


 クララは率先して杖を捨てて必死に警告したが、誰も杖を捨てなかった。

 その時、閃光とともに怪鳥が彷徨し、それを合図に杖を持っていた者全員を射抜くように光の矢が直撃した。

 少女は実体化した蔦を操り、硬直した神術使いら全員を捕縛した。

 地より実体化した怪鳥は少女を背に乗せると悠然と上空に舞い上がり、ただ一人意識を保ったクララめがけて大嘴を開きながら急降下した。


「きゃーっっ‼」


 惨劇の夜。

 壮麗な巨躯を誇った五隻の戦艦の姿は無残にも波間に消え、沖から寄せる波は大量の漂流物を岸へと運んでは、静かに沖へ返していた。



 時刻は夜十一時、夜空には三日月。

 千人をこえる神術使いたちが、大きな輪を作って演習の始まる瞬間を待っている。

 闇夜の中、聖帝の放った火炎神術の火球が草原を昼間のように照らしていた。

 神聖国武装神官とサン・フルーヴ帝国近衛師団、その他上級神術使いらによる、合同神術演習の日を迎えていた。

 サン・フルーヴ帝都郊外の荒野に、指揮をとる聖帝エリザベスの声が厳かに響く。

 彼女は戦闘用のドレスを着用し、大神官となってあつらえた戦闘帝杖を携え臨戦態勢をとっている。


「これより、大規模な悪霊の発生を想定した大演習を行う」


 この演習には、ファルマを含む神術使い、総勢千人以上が参加していた。

 宮廷や大神殿に所属する神術使いのうち、上位戦闘神技、上位防御神技が使えると担保された者であれば、誰でも参加してよいという聖帝の意向を受けて、われもわれもと腕に覚えのある神術使いたちが詰めかけた。

 審査に合格した神官ら、廷臣はもちろん、腕試しとばかりに武術系名門貴族らも多数参加している。


 この背景には、昨今の帝都の神技技能、防御神術陣の技能向上の機運の高まりがあった。

 防災意識の高まりもあって、悪霊発生を想定した模擬演習なども各地で行われていた。

 というのも皇帝不在の間、帝都での大規模な悪霊発生と、神術使いらがなすすべなく、隣市に避難するしかなかったという醜態をさらした神術使いらは、神術使いとしてのプライドをへし折られた。

 悪霊発生時、我先にと逃げた貴族は白い目で見られるだけでなく領民から追放されたり、神術の腕の悪い領主の解任を求められた。これらの事例を耳にしたか、有力貴族らは保身と恐怖心もあって、上位神術使いを召し抱えたり、慌てて自ら杖を振り始める者も多数現れた。

 神術を扱えるだけではもはや不適格で、家族と財産、そして領民を悪霊から守り抜く能力が求められ始めたため、貴族らは必死だ。

 悪霊が出れば杖屋が儲かる、そんな言葉もあるが、帝都では神力増幅効果のある戦闘杖が飛ぶように売れている。また、平民も悪霊除けのお守りを買い求め、帝都の空気は物々しく一変した。


 聖帝が主催するこの演習は、神術結界で広域に囲ったうえで、呪器を解放し実際に悪霊を大規模に発生させ、悪霊の殲滅をはかるという、実戦形式の模擬戦闘訓練である。

 訓練の最終段階ではファルマが後片付けと地鎮をし、最後は結界を解いて呪器を鎮めるという段取りだった。

 聖帝から演習のブリーフィングを聞いていたエレンが、ファルマに耳打ちで尋ねる。


「ファルマ君って神聖国では正統な守護神として擁立されてるのに、なんで帝国では伏せてるんだっけ? 宮廷薬師のファルマ君が何で世界最強の聖帝を差し置いて現場責任者を任されているのか、知らない人は疑問に思うわ」

「……なんでだと思う?」

 

 ファルマは困ったようにエレンを見やる。


「わっかんない」

「薬局を平穏無事に続けたいからだよ」

「そっか……そうよね。薬局と大学が神殿になっちゃうと困るわけね」

「患者さんが薬局に来て安心できない状況は、どうしても避けたいから」


 エレンもファルマの説明を聞いて遠い目になった。

 ファルマは今はどっちつかずの立場だが、帝国で素性をバラされると居心地がすこぶる悪くなる。

 一般市民にまでばれてしまっては、患者や客を巻き込んでのトラブルに見舞われないわけがない。信者が押しかけてファルマは店頭に立てなくなるし、患者も殺到して受診が一極集中化する。せっかく各地の施設にも患者が分散して医療拠点ができつつあったし、大学で後進も育ってきたのに、一期生が卒業しないうちから帝国の医療を崩壊させるのはたまったものではない。

 ファルマが守護神として神聖国に担ぎ出されることを了承したのは、エリザベスを救い、そして世界の安寧秩序を守るためでもあった。現にエリザベスが大神官として即位、呪いから解き放たれ、しかるべき職務を果たしているからこそ、この世界は仮初の平和を保たれている。しかし、その代償もそれなりにはあった。


「まあ、今後はもう広まらないと思うよ」

「何で?」

「違反者は聖下に粛清されるから」

「こわっ!」


 神聖国側ではファルマの正体について厳しく口止めし、帝国側でも聖帝がファルマの秘密を知るもの全員に誓約書を書かせ血の署名を求めた。

 誓約を破ったものは、聖帝直々に厳罰に処されるという文言を付してだ。

 それを恐れたのか、噂の拡散は失速した。


「ファルマ、続きの説明を」

「あっ、はい」


 エレンと私語をしていると、聖帝に水を向けられた。

 ファルマは咳払いをすると、神術使いたちの円陣の中央に腰を低くして進み出た。


「改めまして、今日の演習の責任者をつとめます、宮廷薬師のファルマ・ド・メディシスと申します」


 簡素な自己紹介だが、場の全員が事情を知っているわけではないのでこれでいい。

 ファルマの言葉が始まると、神官らはただの宮廷薬師に対してとは不釣り合いなほどの恭順な礼をする。

 おのずと注目が集まるなか、ファルマはコートの内ポケットから呪器をとりだす。


「えーと……今回の演習に用いる呪器は、疫神樹です。発芽と同時に地中から悪霊を無限に呼び込み、一定の領域に入った生きとし生けるものを無差別に襲撃して樹幹へと取り込み悪霊化しようとします。神術攻撃を続けても、完全には破壊できません。命の危険があれば私が救出しますが、防御に自信のない方は、遠隔から攻撃をした方がいいでしょう」


 疫神樹は、ファルマがド・メディシス家から引きはがし、肌身離さず持っていた呪器だ。

 狭い範囲で無限に悪霊を呼び込むという性質が、演習にはうってつけだった。

 呪器は必ず、ファルマが制圧できるものでなければならない。

 ファルマも試しにと何度か試してみたが、問題なく制御できそうだった。

 性質のわからない呪器を解放することは危険極まりないが、疫神樹ならば研究済みだった。


「疫神樹の増殖が勝るようでしたら、私がすみやかに種子に戻します。全員、ハバリトゥールは飲みましたよね?」


 この場の全員、霊薬ハバリトゥールを飲んで、悪霊の憑依を予防している。

 ハバリトゥールはファルマ自身で作ることにより、神術使い一人が一生分の神力をすり潰されるという代償はなくなった。ファルマは神力切れを気にしなくてよかったし、半実体である彼は呪いにもかからなかったからだ。

 ファルマは種子を地中に埋め、軽く両手をかざした。


「では、はじめます。準備はいいですか」


 指揮をしていたサロモンが 、ファルマの呼びかけに応じる。

 サロモンは今回の演習の神聖国側の総責任者となっていた。


「神聖国神官、全隊準備完了です」

「うむ、こちらもよいぞ」


 エリザベスも腕組みをしたまま首肯する。


「では」


 ファルマは頷くと目を瞑り、疫神樹を覆っていた神力を断った。


「解除しました。どなたも、油断なく」


 彼はゆっくりと後退し、防護壁の役割を果たしている神術陣の外に出る。

 広範囲をすっぽりと覆うドーム状の神術陣はコームらが維持しており、悪霊を拡散させないための防御壁だ。これが崩れれば、悪霊をまき散らしてしまうことになる。

 結界の中央に位置する疫神樹が発芽し、周囲に黒い霧が湧き上がる。

 意図的に呪器の封印を解き、神術を絶った状態にすると、制御を失った呪器はたちまち悪霊に汚染され、黒い不定形の塊を生じ、樹木の生長を早回しするように禍々しく脈打ちながら成長をはじめた。エレンが杖を握りしめ、制御装置を外す。エメリッヒは二杖を両手に取り、神力を込め始めた。

 数分もたたないうちに、疫神樹は無限に悪霊を生み出す大樹となる。

 ファルマはそれが広がるに任せて、ただ眺めていた。

 神術使いたちは、この世界が悪霊を踏みつけながら危うく成り立っていること、神術の存在意義を再確認するのだった。


 戦闘は神術使いらに任せ、ファルマはこの時点では手を出さない。

 今回ファルマはあくまでも、この呪器を持て余し、どうしようもなくなった時の後始末要員だ。そうでなければ、対悪霊の訓練にならない。悪霊を呼び出してまで彼らに神技の特訓を促しているのは、いつ消滅するともしれないファルマが世界中をたった一人でカバーできるわけではないからだ。一人でも多く強力な悪霊と戦える人材を育てておき、各地に悪霊駆除のノウハウを伝承することもまた、必要事項だった。

 疫神樹が生み出した悪霊は、結界を打ち壊そうと群がり始めた。


「攻撃開始!」

「水・風・土属性。攻撃開始!」


 土属性のサロモンの号令が響く。

 この度の演習では、相性の合う属性ごとに一斉攻撃を行う。例えば水と火など、組み合わせによっては、攻撃の威力が削がれるからだ。

 少人数ではできなかったことも、大人数では可能な戦術となる。

 神官らは共鳴神術を使い、連携のとれた連続攻撃を近接、遠隔からたたみかける。


「日頃の鍛錬の成果を見せてやる」


 パッレは嬉々とした表情を浮かべると、氷の柱を次々に生成し、それに乗って跳躍し、空中から疫神樹を急襲する。

 無詠唱の革新神術で、氷の柱を幾重にも穿ちこみながら疫神樹の樹幹に降り立ち、指先で疫神樹に触れた。すると疫神樹全体が氷塊に覆われ、動きが止まる。

 パッレは目覚ましい神術技能の成長を遂げていた。


「何が起こったんだ⁉」

「疫神樹に含有している水分を利用して、内部から凍らせたのでしょう」


 ファルマが分析した。

 凍てついた疫神樹の表面に、聖句紋が走る。神殿神術の真骨頂だ。それに反応したのは神官らだ。


「あの陣形……! 杖の聖別詠唱ではないか!」

「しかし詠唱をしていない。無詠唱で疫神樹を聖別して杖化しようとしているのか!」


 パッレは持っている杖を手放し腰に差しなおすと、晶石を両手で握りこみ、両腕を前に突き出した。

 彼の両腕に聖句紋が走った次の瞬間、光砲にも似た大神技を生身で放出し、周囲に光をまき散らし、疫神樹の半身を粉砕した。


「両腕を杖化詠唱で聖別、破邪系革新神術を晶石で増幅し、無詠唱で繰り出しましたかね。……からの、破戒神技です」


 ファルマが、何が起こったか理解できない観衆のために冷静に解説をする。平静を装うが、ファルマも初めて見たのだ。

 エレンは神官たちと同様に、神術の常識を超えたパッレの神技に唖然としていた。疑いのまなざしがファルマに注がれたので、ファルマは全力で首を振って先に釈明した。


「いや、俺は教えてないよ」

「独学でああなっちゃった?」


 エレンの口がぽかんと開く。


「しいていえば、似ているものを探すといいって言ったかな」


 ファルマがパッレに教えたのは、「他属性の神術を扱うには、今使える神術との共通項を作って汎化させるといい」、その一言だけだ。

 その一言に触発されたパッレは、部屋にこもって神術を分析し、凄まじい解釈を試みた。


 杖は植物あるいは金属を聖別することで得られる。

 植物と動物の細胞は、細胞壁の有無のみで本質的には同じ。

 ゆえに、肉体はそもそも杖化できる。

 そんな発想に至ったというのだ。


 ファルマが杖を用いず素手で物質創造、物質消去ができるのは、別にチートだったわけではない。

 無意識のうちに、自身を杖化していたのだ。

 それが、神術発動と同時にファルマの両腕に薬神紋が浮かび上がる理由だ。

 パッレは、神術の本質を追い求めている間に、この世界の無法則と無秩序に気付き始めたのかもしれなかった。

 気づいてしまえばなんということはないが、術を編むときに僅かでも世界に対する疑念が残っていれば失敗する。

 失敗するかもしれないと思えば、そのようになる。 

 この世界は念じたままに、心のありようを現実に映す。

 それでも、失敗を恐れず自身に杖化詠唱をかけることのできる神術使いが、この世に何人いるだろうか。パッレにはそれができた。

 それはひとえに彼の信心のたまもの、薬神の加護を信じていたからだ。


「そんなヒントだけで……段違いだわ。今のパッレ君にはかなわないわね」


 勝気なエレンにしては珍しい発言で、ファルマには、彼女のパッレに対する敗北宣言のようにも聞こえた。

 パッレの会心の一撃も、容赦のない再生能力を持つ疫神樹を滅ぼすことはできなかった。


「くそっ!」

「あっ、はじかれたよ。エレンは攻撃しないの? せっかくの演習だ」

「そうね!」


 エレンは疫神樹に診眼をかけ、急所と思しき部位を探し当てた。

 これだけは誰にも真似のできない、ファルマより授かったエレンの固有神術だ。また、悪霊に対して診眼をかけ急所を探るという方法は、ファルマも気づかなかったがエレンが見出した。


”氷の華(Fleurs de glace)”


 エレンは呼吸を整え、堅実で正確な神技を疫神樹の根本へ放つ。

 ブランシュに神技を教えてきただけあって、彼女の神技のすべては美しく完成していた。

 彼女はパッレやファルマのように捻ったことをせず、手順通りの神術を繰り出し、その術はきわめて安定している。


”無尽の旋風!”


 彼女の隣で風属性のエメリッヒは二杖を操り、神技の高速、連続射出を行っていた。しかしそれでもなお、疫神樹の再生能力が勝っている。


「エメリッヒ君!」

「何ですかエレオノール先生……あっ、わかりました!」


 エメリッヒは二本の杖を一本にまとめた。

 エメリッヒとエレンは呼吸を合わせると、杖の先端をそろえる。


”颶風氷刃!”


 共鳴神術の発動だ。エレンの射出した研ぎ澄まされた無数の氷の刃が、エメリッヒの風圧で弾丸のように加速され、疫神樹の枝を切り刻み再生を阻む。


”破邪狂風の大神陣”


 そして、エレンとエメリッヒはさらなる大技を組み上げ、畳みかける。そこへ周囲の神術使いらが援護を行う。


”真空内爆!”


 風属性のクロードも加勢に回った。

 彼の神技は生体内に真空を作り出し、爆縮により発生した衝撃波により生体組織を破壊するというえげつないものだ。


「まだいくぞ」

”旋風斬撃!”


 続いて放った攻撃では、風を刃物のように使い、再生しつつある枝葉をことごとく裁ち落とした。クロードの杖は、切れ味鋭い剣、あるいはメスのような形状をしている。


「水属性攻撃中止! 火・風・土属性攻撃開始!」


 今度は火属性と、他属性の連携だ。


「下がっていろ」

「聖下のお出ましだ。退避ーっ!」


 聖帝が杖を掲げ、周囲に退避の指示が飛んだと同時、不死鳥の降臨とともに爆炎が天まで立ち上り、疫神樹は青い火柱に包まれた。

 閃光と煙幕によってあたりの視界が奪われたため、風属性神術使いらが視界を一掃する。

 しかし、完全に焼け落ちたにも関わらず、根から新たな悪疫が漏れ出して形を成し始める。

 次は土を硬化させて持ち上げ、負の土属性神術使いが土壌を粉砕して砂へと変えるも、根の増殖はとどまることを知らず、大地から吸い上げるように悪霊を呼び込み、実体化させ続けている。


「”神威の真円陣”」


 メロディが杖を振り、炎の神術陣で悪霊の拡散を抑え込む。悪霊らは断末魔の悲鳴をあげ、神炎で灰となって崩れ落ちた。メロディは踊るような杖さばきで幾重にも神術陣を構築して行く。

 そうして戦闘が開始して一時間。

 神術使いらは死力を尽くし攻防を繰り広げていた。


「んー。そろそろキツくなってきたかな」


 手出ししたい気持ちを抑えながら、疫神樹に取り込まれた神術使いらを救援し、負傷者の処置をしつつ遠巻きに見ていたファルマだが、そろそろ神力が尽きる頃合いのため、加勢が必要だろうかと考え始めた。

 疫神樹の攻略は難しく、一気に根元まで消してしまわなければ、いくらでも再生するのだ。

 疫神樹が根を地中に張り巡らせ、種子を撒き散らしたり増えて仕留めきれなくなってしまうのはまずい。


「終了してよいですか? 根が深張りをはじめています」

「……よかろう」


 ファルマはエリザベスに同意をとると、「では」と言ってコームの維持する結界の内側に足を踏み入れた。

 疫神樹からの全ての攻撃はファルマの周囲にパッシブに展開されている結界に阻まれ、彼を傷害することができない。ファルマは疫神樹の襲撃をまったく意に介さずまっすぐ歩いて疫神樹に近づき、ぴたりと指先で樹皮に触れた。

 すると、ファルマが触れた部分から、疫神樹は粒子状に分解されはじめ、枝葉の一部、根の一本も残さず消滅し、もとのように種子の姿をとって彼の手の内に握りこまれた。物質消去を使って即時の決着を図ったのだ。幻のような光景だった。疲弊しきった神術使いらは、目を瞬かせる。


「今……何をしたというのだ」

「後始末です」


 結界の解かれた荒野で、神術使いらは安堵と疲労で、思い思いの場所に大の字になってくたばった。

 ファルマは指先で天をかき混ぜると、柔らかな霧雨を降らせた。

 霧雨には強い神力が含まれ、神術使いが失った神力を補って癒し、全身を潤していった。


「結局、お前が全部持っていくのかよ」


 パッレが悔しそうに一言吐いて目を閉じた。彼の神力は底をついていたが、満足そうな顔をしていた。


「そなたにしてみれば、赤子の手をひねるようなものか」


 エリザベスは苦笑した。ファルマは疫神樹をポケットに入れると、ポケットをポンポンと叩いてみせた。エレンは神力切れで倒れ、寝入ってしまっていた。


「ファルマ・ド・メディシス様!」


 演習が終わってそれぞれ撤収を始めたころ、サン・フルーヴ帝国海軍の伝令役が二名、全力疾走させてきた軍馬を飛び降り、ファルマのもとへ転がるようにして駆け込んできた。


「報告です! 新大陸に現地住民がいるようです。彼らのものと思われる黒髪が伝書海鳥で送られてきました。その黒髪の主に、一晩で基地を破壊されたようです」

「無線ではなく、あの距離から海鳥を飛ばしたのですか? 送信日時は」

「はい……三日前です」


 ファルマは衝撃を受ける。

 鳥が戻れるか定かではない距離から海鳥に手紙を託すなど、子供の使いよりまだ悪い。そんなものより、電信一本いれればどれほど正確な情報をやりとりできるか。


「その後の通信は入っていないのですか?」

「はい、まだ……」


(現地住民なんて、東海岸にはいなかったぞ? どっからやってきた?)


 というのも過保護きわまりないファルマは、探検隊が人にばったり遭遇するといけないと思い、わざわざ上陸して現地の下見をしてきたというのは前述のとおり。


 ファルマの捜索方法だが、山林をかきわけしらみつぶしに探していたわけではない。

 上空から目視しかしていないのに「いない」と断定しているわけでもない。

 彼が住民を見つける方法は至って簡単で、そして正確だった。


 診眼で空から見渡せば、どんな地中深くに隠れていても、必ず人がいるのがわかる。人の集落を俯瞰すれば、そこに体調を崩している人間は必ずいる。診眼は、人と動物を区別できるのか、人のみが検知される。それは人種は関係なく、どの人種も検索網に引っかかる。

 診眼がとりこぼす集団など、いるはずがないからだ。


(黒い毛……? 俺が調べた後、西海岸から精鋭が派遣されて東海岸を警備していた?)


 ファルマは伝書海鳥が運んできた毛髪に、毛根がついているのを見つけた。彼はマジョレーヌの顔を思い浮かべた。

 毛根があれば、そこには数万個の細胞が含まれている。

 DNA抽出と鑑定は、エメリッヒの腕でも成功するだろう。解析はエメリッヒに任せる。今、ファルマとほぼそん色のない遺伝子実験技能を持っているのは彼だけだ。ゲノム情報があれば、相手が神術使いか否かはおろか、病気になりやすさ、相手のルーツまで調べることができる。マジョレーヌらは、相手のゲノム情報を知ることがいかに有利であるかということを、きちんと理解していた。ファルマが取り組んできた、知識の共有が生かされた。


「わかりました、引き続き新大陸に近い全基地局に要請し、電波の送受信を試みてください」

「はい。そしていかがなさいますか」

「聖下に上奏し、早急に対応を決めます」


 そう答えながらも、ファルマは厳しい顔つきになる。

 無線が繋がらないのは、十中八九は電源を喪失したからだろう。

 ただの故障や電力不足ならば問題ないが、基地を破壊され、そのまま大陸の住民に襲撃されたからでは……ファルマの脳裏にそんな不安がよぎり、「新大陸でファルマと再会する未来が見える」そう言ったクララの予言を思いだした。クララは、今回の旅では誰も死なないと言っていたが、負傷や重症がないとは言っていない。

 新大陸までは、ファルマの薬神杖ならば直線距離を使い1時間少しで行ける。


「もう三日たってる。それで通信途絶となるとこれは、100%救援が必要なパターンだぞ……」


 ファルマはそう理解し、ただちに救援に向かおうと即決した。

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