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やってきた旦那さん


 心地よい風が舞ったかとおもうと、仕立ての良さそうなスーツに身を包んだ紳士が、『はるぶすと』の入り口に立っていた。

 口元にはえもいわれぬ微笑みをたたえて。


「恐れ入りますが…」


 カチャ…

 声をかけようとしたそのとき、裏玄関へ続くドアが開いた。

「あれ? お客様だったんだね」

 冬里だった。

 シュウが、「いや」と、否定しようとしたその声にかぶるように、紳士が話し出す。


「遅い時間に申し訳ない。この子が、夜でなければ案内出来ないらしいのと、新しいお店の場所を探すのに手間取ってね」

「にゃーおーん」

 まるで紳士の言うことがわかっているように、ネコ子が長く鳴く。

「わかったよ。どうもありがとう」

 しゃがんでネコ子のあごを優しくなでたあと、その人が顔を上げ、二人の顔を交互に見やったあと、自己紹介をする。

「もうおわかりかもしれませんが、はじめまして。私は、滝之上たきのうえ 弦二郎げんじろうと申します」


 顔を見合わせるシュウと冬里。

 2人とも、彼が誰だかほとんどわかっていたのだが、やはり本人の口から聞くまでは半信半疑だった。

「滝之上さんといいますと、」

「もしかしなくても、志水さんのご主人、ですよね? 」

 流れるように言う2人を、ほほうと言う顔で見た後、弦二郎はうやうやしく頭を下げた。

「その、もしかしなくても、の、志水さんの旦那だった男です」



 そのあと自分たちの自己紹介を終わらせると、とりあえず立ち話もなんですから、と、シュウは暖炉の前にあるソファに弦二郎を誘う。嬉しそうにその提案を受け入れた彼は、音もなくソファに腰掛けた。


 彼の隣に行こうとしたネコ子だったが、なぜか冬里の方を哀願するように見る。

「おいで。だいじょうぶだから」

 冬里はすべてわかってるよーと言うように微笑んで、自分の隣に空けたスペースをトントンとたたいた。ネコ子はすぐにそこへと移動する。

 冬里がネコ子をなでると、なんとその手はネコ子をすり抜けて空を切った!

 けれど冬里は少しも驚いたり慌てたりすることなく、次には当然のように、ソロソロとネコ子の形通りに手をはわせる。

「やーっぱり、実体は奈良にあるんだね」

「にゃおん」


 感心したようにそのやりとりを眺めていた弦二郎が、また話しを続ける。

「こんなに突然訪ねてきたにもかかわらず、こんなに良くして下さる。やはりお二方とも噂通りよく出来た方だ」

「いえ、そんなことは」

「そうですよー、ながく生きてますからねー」

 まったく反対の返しをするシュウと冬里。

 ははは、と笑った弦二郎は、ここへ来るいきさつをぽつぽつと語っていく。


「実は、私にここへ伺うよう勧めてくれたのは、依子さんという千年人です」

「そうでしたか。依子さんとは以前からのお知り合いですか?」

「いいえ。彼女も相談されたとのことです。ここのかわいらしいお嬢さんに」

「由利香が?」

「ああ、そんな名前でしたな。最初は、依子さんなら私の妻のことを知っているかもしれないと思ったらしくて」

「あ、僕が、ハルか依子なら知ってるかもって、あのとき言ったから? かな」

 ネコ子をからかいながら冬里が言う。


「しかし、残念ながらその依子さんも、一緒におられる響子さんも、妻のことはご存じなかったようですね。…ただ、」

「ただ?」

「響子さんが、器用に私を探し出してくれました。彼女はそういうことに敏感らしいですな。姿を見てもらいたいと願い、姿を見たいと願い、その強い心が互いに引き合っていたそうです」

 祈るように手を組んだ弦二郎が、とても優しい笑顔で言うのを見て、シュウが聞く。

「つかぬことをお聞きしますが、奥様、志水さんは、百年人ですよね?」

「ええ、けれどなぜそんなことを? ああ、そうか。いや、志水さんはかなり変わった人でね。あなたがたのことも、ふいっとわかってしまうようですし、そのほかにもいろんな知り合いがいてね。それから、その…、亡くなった者を見ようと思えば見られるのだそうです。けれど、不思議なことに、なぜか私のことだけは、どうしても見えないようなのです」


「なんでだろ? 愛が強すぎるのかな」

 愛などと言う言葉を発する冬里を、少し驚いたように見やるシュウ。

「なに?」

「いや。冬里がそんな素直に、愛なんて言葉を使うと思わなかったものだから」

「あれ、ひどいな? シュウってば夏樹や由利香に洗脳されつつあるんじゃない? 」

 すると、フッと吹き出しながら「まさか」と、言葉を返すシュウ。そのまま弦二郎に顔を向けて話を続けた。


「冬里の言うように、愛が強すぎるのかもしれませんが、私はそれに加えて、奥様の思いの強さがプレッシャーになって、見えるものも見えなくなっているのでは、と」

「ははあ、そうかもしれませんな」

「だったらさ、気持ちを緩めてリラックスできるような料理を出せば? シュウが」

 冬里が当然のようにシュウに言う。けれどシュウは「いや」とかぶりを振る。

「それよりも、今回は…」


 と、言ったところで、またガチャっと、裏玄関へ続くドアが開く。

「シュウさん、クローズ手間取ってるんすか? なんか遅いから…。あれ、冬里? それとー、えっと、お客さん? 」

 夏樹だった。

「ちょうど良いところへ来てくれたね、夏樹」

「へっ? 」


 ちょうど良いと言われて、訳がわからない顔の夏樹を可笑しそうに見て、シュウが答える。

「こちらは、滝之上 弦二郎さん。志水さんのご主人だよ」

「え!? あ、ど、どうも、はじめまして」

「彼は朝倉 夏樹といいます。今回、奥様がリクエストされた例の料理を、当時のシェフに伝授してもらったのが彼です」

 すると弦二郎は、嬉しそうに立ち上がり、うやうやしく頭を下げる。

「それはそれは…。いや、志水さんが最後まで、もう一度あの料理を私に食べさせたかったと言っていたんですよ。こちらが気の毒になるほどにね。ですので、どうかよろしくお願いします」

「はい! 教えてくれたおやじさんも太鼓判押してくれたんで、味は大丈夫だと思います。なんで、精一杯料理させてもらいます! 」

「それは頼もしい。楽しみにしていますよ」

 ニッと笑って答える夏樹に、うんうんとうなずき返す弦二郎だった。




 しばらく4人は和やかな時を過ごしていたが、丸まって寝ていたネコ子がふいと顔を上げる。

 すると。


 カチャ

 また裏玄関へ続く扉が開いて…。

 由利香がそーっと顔をのぞかせた。


「なんだ、やっぱりクローズしてたんだ。明かりがついてるから、どうしたのかなって思って。えーと、ただいまー」

「おかえりなさい。今日はたしかお友達と夕食だったんですよね」

「ええ、」

「それにしては帰りが早いじゃない」

「女友達ばっかりだもん。それに皆、明日も仕事だし。でも、どうしたの? 3人でずいぶんくつろいでるみたいだけど? 」

 言いながら夏樹の座っている横まで来て、手でシッシと夏樹を払う仕草で言う。

「ほら、夏樹ちょっとそっちへ寄ってよ。座りたいんだから」

「え?」

「え?って、となり、空いてるじゃない」


 夏樹は隣に座っている弦二郎を指さすが、どうやら由利香には見えていないようだ。確か今も3人と言っていたし。

 そんな様子を見ていたシュウが、すっと立って自分の席を空けた。すかさず冬里が声をかける。

「シュウが空けてくれたからさ、こっちへ来なよ」


「……いやよ」

 けれど、なぜか考え込むようにしていた由利香が眉をひそめながら、提案を拒否する。

「なんだか3人とも微妙な空気をかもし出してるもの。何か隠してる。で、また、記憶を消しちゃうつもりでしょ。もう私だけ知らないって言うのは嫌だからね」

 冬里はちょっと驚いた顔をしたが、すぐにニッコリと、いつものいたずらっぽい笑いではなく、本当に綺麗に微笑んで自分の隣を示す。

「大丈夫だよ。ちょっとここへ座って?」

 それでも由利香はどうしようかと迷っていたが、ふいとシュウの方をみて、彼がうなずくのを確かめてから、そろそろと冬里の横へ腰掛けた。


「でね、手をこのあたりに出してくれる? ああ、手のひらは下」

 と、冬里が自分と由利香の間、ソファの上30センチほどのところへ由利香の手を誘導する。

 冬里が「も少し下、そう…そのあたり」と、手を押さえると、何かが触れたような気がして。

「にゃーおん」

 不意に猫の鳴き声がして、由利香は「キャッ」と声を上げて手をどけてしまう。

「い、いまの、もしかして、ネコ子?」

 言いながら、もう一度恐る恐る手を伸ばして…。何かが触れたかと思うと。

 今度こそ、完全にネコ子の姿が現れた。

「にゃおん」

「ええっ? ネコ子どうしたの?何でこうしないと見えないの? 」


 すると、楽しそうにそれを見ていた冬里が言う。

「ネコ子だけじゃなーいよ、由利香。ほら」

 と、指し示すのは、夏樹の隣。

 そこにはキッチリと三つ揃いのスーツを着た紳士が、微笑みながら座っていたのだった。




「もしかして由利香って、霊的なもの、見えないタイプ?」

 あらためて弦二郎を紹介してもらった後、冬里が今度はいたずらっぽく笑って由利香に聞く。

「そうよ、私って、ホンット、ほんとうーーーーに、霊とか全然見えないの。その上、気配すら、これっぽっちも感じないし。すみません、弦二郎さん。せっかく来ていただいたのに。ネコ子も重いでしょ、ごめんね」

「いいえ、とんでもない。大概の人は見えなくて当たり前なのですから」

「にゃおん」

 ネコ子に触れていないとどちらも見えないので、由利香はずっとネコ子の頭や身体に手を置きながら話をするしかない。

 なるべく重みがかからないように、(と言うか、気を引き締めていないと手がネコ子の身体をすり抜けてしまうので)腕の下にクッションを重ねて置き、ネコ子に手をのせている由利香だ。


「でも、さっきからすごーく気になってた事を聞いても、いい?」

 由利香が話の区切りを待って、そこにいる誰ともなしに聞いた。

「うん、なに?」

「なんでしょう」

「なんすかー?」

 三者三様の答えを返すシュウたち。

「あ、あのね。弦二郎さんは、もう、その…肉体がないわけよね? だったらどうやってお料理を食べるの? 」

「「「ああ…」」」

 今度は3人がピッタリ同じ答えを返すので、由利香はプッと吹き出した。

「フフ、息ピッタリね」


「ゆーりか」

「あ、ごめんなさい。どうか教えて下さい」

 ペコリと頭を下げる由利香。

 それに満足そうにうなずいて、冬里が代表して答えた。

「志水さんがね、弦二郎さんにあーん、って食べさせてあげるんだよ。それでOK」

「えっ? そんなに簡単に食べられるの? 」

 するとシュウが、ため息をついて肩を落としながら言う。

「冬里…。由利香さんをからかうと、あとが大変だよ」

 その言葉で、またまんまとからかわれたことに気づいた由利香が、冬里の腕のあたりを思い切り押した。

「とうりー。…あ、いけない。ネコ子から手が外れちゃった。えっと、この辺かな」

 手探りでネコ子のいるあたりを探して、手を当てる。すると、嬉しそうにゴロゴロのどを鳴らすネコ子が現れた。

「よし!と。で、本当はどうするの? 」

 今度はギィーっと冬里を睨み付けるようにして、由利香が聞く。


 そんな様子を見いていたシュウが、考え込むようにふと漏らしたのだった。

「けれど、冬里の言ったことも、あながち間違いじゃないかもしれませんね」


 小さな声だったが、聞き逃す由利香ではない。

「なにそれ? 鞍馬くんまでそんなふざけたこと言って」

「あ、いえ、決してふざけているわけではありません。聞くところによると、志水さんと言う方は、百年人の中でもかなり特殊な方のようですし。上手くすれば」

「あーん、してあげれば、食べさせてあげられるの?」

「さすがにそれではダメでしょうけど…」


 そう言って考え込むようにしていたシュウが、夏樹と冬里を見ながら言った。

「やはり、志水さんには、ディナーの前に一度お会いする必要があるようだね」



 すると、どこから発せられるのかと言うような、嬉しそうな高い声が、夏樹の隣から聞こえてきたのだった。

「私もその場にいては、いけませんかな?」





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