ひみつのおはなしとレシピのおはなし
「なによ、結局話してくれるんなら、ひみつのおはなしも、あのときに言えば良かったじゃない」
由利香は怒ったように言うが、それが本気でないことは誰もがわかっていた。
あやねからの注文を快く引き受けたシュウだが、料理を作るためには、レシピが必要だ。けれど、もしレシピがなくても、少なくともその名前くらいわからなければ、作りようがない。
そこで史帆が母親に聞いてみたところ、なんと滝之上のおばあちゃん、名前は志水と言うのだが、がレシピを持っているとのことだった。
なので、それは取り寄せてもらうことになり。
ここはいつもの2階リビング。
坂の下一家との会談? を終えた4人が作戦会議中だ。
「で? あやね姫が言ってたひみつのおはなしって、なに?」
冬里が聞くと、シュウは何事もなかったようにスラスラと話し出す。
「ああ、それはね。滝之上のおばあちゃんがくだんの料理を、ご主人、あやねちゃんにとってはおじいちゃんだね、と、一緒に食べたいと伝えてくれと。くらまくんならきっとかなえてくれるから、だそうです」
「へえー」
まるで天気の話をするような気軽さで、とんでもないやりとりをする2人に、由利香は驚きながら話に割って入る。
「でも、でも。たしかあやねちゃんのおじいさまって、もう亡くなってるって!」
けれど2人は少しも慌てずに話を続ける。
「そうですね…。それで冬里。そのおばあちゃん、滝之上 志水さん…。冬里は名前を聞いたこと、ある?」
「いーや、ないね。ハルか、悔しいけど依子あたりなら知ってるかも」
「そう…。どちらにしても、一度お会いする必要があるかもしれないね」
「なによ、なによ。ふたりして私をのけ者にして! 」
由利香がぷうーっとふくれるのに気がついた2人が、可笑しそうに顔を見合わせたあと、説明する。
「ああ、すみません。これはたぶんですが」
「いや、確実に、だよ」
「滝之上 志水さんは、私が千年人だと言うことをご存じですね」
「ええー!? 」
先ほどよりも数倍驚いてしまった由利香が、素っ頓狂な声をあげる。
すると、それまではおとなしくしていた夏樹が話に加わった。
「そうっすねー。でも、さすがの俺たちも、そこまで器用じゃないっすから、誰かと勘違いしてるんじゃないすか? その志水さんて人」
「それとも、何か確信があるのかなあ?」
これまた、のんびりした言い方の夏樹と冬里。
よくわからないという顔で、由利香が心細げな声で聞く。
「鞍馬くん、自分のこと、ばれてもおどろかないの? 夏樹も、器用って…。亡くなった人を呼び寄せるのが器用のうちに入るの? 」
シュウたちはそれぞれ、おや、とかしまった、とか言う顔をしながら由利香に言う。
「ええーっと、器用っていうのは、えーっと英語で、なんていうんですかね、ハハ、日本語は難しいっすね! 」
「由利香さん。長い年月の間には、百年人の中にも色々な方がいらっしゃることに、私たちも勉強させられています」
はっとした様子で、由利香はシュウを見る。
そこへポンポンと頭を軽くたたく冬里がいて。
「そして、千年人の中にも色々な方がいらっしゃるんだよ」
ニッコリ笑っている冬里に、「またからかうー」などと言いながら、なぜかホッとした顔をして、ほほえんだ由利香だった。
けれど、ハタと思い立ったように、冒頭の言葉に帰る。
「なによ、結局話してくれるんなら、ひみつのおはなしも、あのときに言えば良かったじゃない」
怒ったように、すねたように言う由利香に、またしれっとして言い返すシュウ。
「あのときに言ってしまうと、坂の下ご夫婦に私の正体がばれてしまいます。由利香さんがそんな薄情な方だとは思ってもみませんでした」
「! もう」
今度は立ち上がってシュウの背中をポカポカとたたこうとする。シュウは器用にそれをよけながらキッチンへと向かうのだった。
そんなことがあった後、レシピは取り寄せてもらったものの、滝之上さん側と、『はるぶすと』側の日程の調整がなかなか上手くいかず、変則ディナーの実現はのびのびになっている。
ただ、そのおかげで、くだんのレストランのことをあれこれ調べる時間ができた。
幸いなことに、当時の料理人のひとりがまだ現役で、隣の×市で小さな洋食屋を続けているとのことだ。
シュウは休みの日を利用して、その店へ行ってみることにした。
当然のように、料理のこととなると目の色が変わる夏樹も一緒だ。
庶民的な商店街の一画にあるその店は、常連さんで持っているような本当に小さな店だ。扉を押して中に入ると、上品だが、ぱっとまわりを明るくしてくれるような雰囲気の女将さんが迎えてくれる。忙しい時間を外したからだろう、他に客の姿は見えなかった。
「いらっしゃいませ」
「お邪魔します。お電話を入れさせていただいた、鞍馬と申します」
すると、明るい表情をもっと明るくして彼女が言う。
「まあ! あなたが? お電話の声が落ち着いてらっしゃったから、こんなお若い男前だとは思わなかったわ。? あらー」
と、後ろに控えていた夏樹を見て、また声のトーンが上がる。
「あなたもいい男ねえー。今日は目の保養がいっぱいできて嬉しいわー」
「へ? いやいやーとんでもないっすよー」
夏樹はいつものごとくへらっと愛想を振りまく。またそれが良いと喜ぶ女将さん。
「何を余計なこと言ってやがる。その人たちは俺に用があってきたんだよ。さっさとご案内しな」
厨房の奥から声がかかる。女将さんは肩をすくめるようにして、シュウたちに椅子をすすめた。
小さな店とはいえ、年季の入った店内は掃除が行き届き、ピンと張ってかけられているテーブルクロスが店主の姿勢を表しているようだ。シュウはそれに満足しながら、やってきた店主に頭を下げる。
「このたびはお忙しいところ、申し訳ありません」
「いやいや。いいってもんよ。それより、あんたが言ってたレシピってのは?」
店主は気が早いのか、余計なことには触れず、すぐ核心に入る。
「はい、これです」
シュウが渡した紙を受け取った店主は、しばらくそれを熱心に眺めていたが、「ああ」と言って納得したような顔をする。
「このレシピはな、当時まだ本格的な洋食なんてものに慣れてないお客がさ、普通に作ったこいつを出すとまずいって言うんだよ。で、料理長がそれならと、日本人に合うように改良に改良を重ねてようやく出来上がったもんだ」
「そうだったのですか」
「でもこりゃあ、かなり手抜きに書いてあるなー。これじゃあダメなはずだ」
何度も首をふっていた店主が、女将さんを呼んだ。
「おい、今日はもう店じまいだ」
「ええ? だってまだこんな時間よ」
「いいから。もうピークは過ぎたし、クローズの札がかかってても、中をのぞいて平気で入ってくる常連ばっかりだからさ」
「はいはい」
すると女将さんは、なぜか嬉しそうに店を閉店にしてしまう。
訳がわからないのは、シュウと夏樹の2人。夫婦の見事な連携に口を挟む間もない。しかも、次に出てきた店主の言葉は、思いもよらないものだった。
「せっかく遠いところを訪ねてきてくれたんだ。こいつのちゃんとした作り方を教えてやるよ」
店主の言葉に、シュウはただただ驚くだけだったが、さすがは夏樹。
「え! 教えてくれるんすか? やったー! 俺、作ってみようかと思ったんすけど、これって何度読んでも、なーんか途中が抜けてる気がして、おっかしいなーって思ってたんすよ」
と、言う。そんな夏樹を驚いた目で見ていた店主は、嬉しそうな声で言う。
「おまえさん、よくわかったな。そうさ、こいつは途中経過をはしょってるんだ。へえー、出来るね、若いの」
夏樹は「出来るなんてそんな」と、照れたように頭をかいている。
「よろしいのですか? 店をクローズしてまで」
生真面目にシュウが聞くが、店主は「心配性だな、あんた。こいつを見習いな」と、夏樹の肩をたたく始末。そんな店主に小さくため息をついたシュウは、ようやく心を決めたように頭を下げた。
「それではお言葉に甘えて、よろしくお願いします」
「ああ、まかしときな」
「では、私も伝授は彼に任せます」
と、夏樹の方を見やる。
夏樹はいきなりの指名に、けれど嬉しそうに「はいっ!」と、頬を紅潮させるのだった。
「いやあ、俺もまさか、またこの料理を作るなんて、思ってもみなかったぜ」
「あ、でも材料」
「おまえさんレシピ見ただろ。たいていの洋食屋なら、普通に揃ってるもんでまかなえるんだ」
「はい」
そのあと2人は、意気揚々と? 厨房へ消えていったのだった。
それからまた日が過ぎて。
今日も『はるぶすと』は一日の営業を終える。
ディナーを楽しんでいた最後の客を見送ったあと、片付けを終えてシュウはひとり、カウンターをぐるりとひとまわりしながら確認をしていた。
すると。
――カラン
ドアベルが遠慮がちに小さく鳴る。
おや? たしか入り口に鍵はかけたはず。
見るとドアは開いておらず、そして当然ながらそこに人の姿はなく。
けれど。
「にやーおん」
聞き覚えのある鳴き声がした。
「ネコ子? 」
どうしたのだろう、奈良にいるはずのネコ子がちょこんと入り口の前に座っていた。
もしや依子が連絡を入れずに帰ってきたのかと思った、そのとき、
――カラン
もう一度ドアベルが鳴った。
ひゅうと小さく風が舞って。
そこには、きちんと三つ揃いのスーツを着た、温厚そうな紳士が立っていた。