ディナー談義のその前に
「それで? 冬里はいったい何がしたいんだい?」
「うーん、それがさ。言葉にするには複雑すぎて」
などと言いながら、自分の頭に人差し指を当てる冬里。
「ここに詰まっている壮大な考えをくみ取って、具現化してくれるのがシュウのシュウたるところなんじゃないの?」
「…。言っておくけど、私は人の心が読めるようなタイプでは、ないからね」
「え、それは十分承知してるよ?」
不思議そうに言う冬里に、思わず、ふうー、とため息をつくシュウ。
ここは新しい『はるぶすと』の2階リビング。
ランチ営業が終わって店を閉めたあと、「少し遅くなるけど、晩ご飯はうちで食べるからねー」と由利香から連絡が入ったので、夕食を遅らせることにして、おのおの好きなように時間を過ごしていた。
シュウと冬里はソファに腰掛けて、先ほどからなにやら話し合っている。
夏樹はというと…
毎日の夕食は不公平にならないようにと、一応、順番制にしてあるのだが、新しいレシピを思いつくたびに「今日の夕食任せてもらえますかー?」と夏樹が言うので、その回数は夏樹がダントツだ。
今も、これから帰るコールをしてきた由利香の帰宅に合わせてキッチンに入り、♪♪~、といつになく調子外れな鼻歌など歌いながら、
「ああ~、もうできちまう。由利香さん早く帰ってきてー」
と、セリフとは裏腹にやけに嬉しそうな声で言う。料理が思い通りに出来上がって大満足なのだろうか。
「いちおう保存にしてっと…」
手を拭きつつキッチンから出てきた夏樹が、ため息をついてがっくり肩をおとしたままの姿勢でいるシュウを、不思議そうに見ながら言う。
「? どうしたんすか、シュウさん」
シュウが答えようとしたそばから冬里が口を挟んで言った。
「シュウにさ、『はるぶすと』におけるディナーのあり方を説明してるんだけど、全然理解してもらえなくて、さすがの冬里くんも落ち込んでるんだよ」
「それにしちゃ、肩を落としてるのはシュウさんの方ですけど…」
「夏樹くん。人の心の中っていうのは、その態度を見るだけじゃ、とうていつかみきれないものなんだよー」
「へえーそんなもんなんすか?」
「そんなもんなんすよ」
夏樹の口まねをする冬里を苦笑して眺めつつ、シュウは気を取り直してまた冬里に言う。
「で? そのディナーのあり方を、もう一度説明してくれる?」
「ええー? だからさっきも言ったじゃない。言葉にできないってー」
「というより、ただ、面倒なんだよね。冬里としては」
「おおー、よくわかってるじゃない」
「まったく」
今度はため息ではなく、仕方ないというようにクスクス笑うシュウ。
そのとき、ちょうどタイミング良く裏玄関の開く音がした。
裏玄関とは、言うまでもなく店の裏にある、いわば裏口だ。
オープンしている間はほとんど使われないのだが、今のように店をクローズした後や店が休みの日は、みんな主にこちら側を使っている。
と言うのも、裏玄関には直接2階に通じる階段があるからだ。
「おや、お嬢様のお帰りだよ」
「お嬢様じゃなくて、こわいお姉様ですよ。っていうことは、とっととテーブルに夕飯準備しなくちゃ」
「だね。ただいまの後に、きっと出るよ、由利香の決めぜりふ」
リビングに入ってきた由利香が、ハアッと大きく息をついてから言う。
「ただいま。おなかすいたー」
冬里は、ほらと言う顔で夏樹とシュウに目配せする。
ブッと吹き出した夏樹と、苦笑いするシュウに、由利香が思わず聞いた。
「え? なに? 私何か変なこと言った?」
「ううん~。由利香は由利香だなーって、みんな思っただけ。はいはい、早く手を洗っておいで。じゃなきゃ晩ご飯抜きですよー」
まるで母親が子どもに言うような言い方をする冬里に、「なによそれ」と言いながらも、洗面所へと消える由利香だった。
手を洗うにしては少し時間がかかると思っていたら、由利香は部屋に戻って着替えをすませてきたようだ。
おかげでテーブルにはすっかり4人分の夕食の準備が整っていた。
「さてと、ご飯ご飯。えと、あれ? みんなまだ食べてなかったの? 」
「あたり前だよ。先に食べちゃってたら由利香怒るでしょ?」
「えー?、今日は連絡しといたから、もうみんなとっくにすませたものだと思ってたの。じゃあ着替えなんて後にすれば良かったわね、ごめーん」
珍しくすまなそうに言う由利香だったが、その後はやはり由利香。
「今日は何かなー。わあ何これ、おいしそう。誰が作ったの?」
「俺が作りました」
夏樹が答えると、ちょっとおどけながら、
「なんだー、今日も夏樹のご飯なのー? たまには鞍馬くんの本気の料理食べたーい」
などと、失礼な言い方をする。
その顔はものすごく笑っているから、冗談だとすぐにわかるのだが…。
「なんすかそれ。あー、じゃあもういいっすよ。由利香さんは食べなくて」
「あ、ごめん夏樹。いつものことだから、すぐに許してくれると思ったのよ。わあ! もってかないでー」
どうしたのか、夏樹は今日に限ってご機嫌ななめだ。
「夏樹にとっては、あまりなじみのない中華料理のレシピだったので、少し緊張しているのですよ。だよね? 夏樹」
すかさずシュウがフォローに入る。驚いたように夏樹の顔を見る由利香。
「そうだったの…。ほんとごめん」
由利香は手を合わせてすまなそうに言う。
夏樹はまだすねた顔をしていたが、大人げないと思ったのか「もういいっす」と、俯いて、そのあとふいっと顔を上げた。
「特に今日のこれは、このあいだ挑戦してシュウさんにダメ出し食らってたヤツなんで」
「え?」と、また驚いて、今度はシュウの顔を見る由利香。
シュウは少し困ったように微笑んでうなずく。
「すんごく緊張してるんす。俺なりに。料理中に歌でも歌わなきゃ、やってらんないくらい」
そう言って、硬い表情でテーブルの隅を見たまま視線を動かさない夏樹に、由利香がどう言葉をかけようかと迷っていると、
「みんなおなかすいてないのー。僕、先に食べちゃうよ。いっただきまーす」
冬里がその場の堅い空気を乱すようにあっけらかんと言い放って、料理を自分の皿に取り始めた。
はじかれたように顔を上げる夏樹。
「あ! 冬里ずるい。私だっておなかすいてたんだから。いただきます! 」
由利香は慌てて席に着くと、冬里に負けじと料理に箸を出す。
今日の料理は中華と言うだけあって、大皿に盛りつけられていたからだ。
2人が、さっき由利香が「おいしそう」と言った料理を口に運んで数秒後。
「!」
「!」
驚いた顔を見合わせて、同時に叫ぶ。
「「おいしーい! 」」
そのあと争うように食べ出した2人を見て、可笑しそうに笑いながら席に着いたシュウの前に、夏樹が料理を取り分けてその皿を置いた。
「シュウさん…。どうぞ」
「ありがとう、夏樹。いただくよ」
シュウが料理を口に運ぶ。かなり緊張した面持ちでそれを見ている夏樹。
味わうようにその一口を食べ終えると、シュウは箸を置いて夏樹に向き合った。
「よく頑張ったね、夏樹。合格だよ」
「! はい! 」
満面の笑みで「うっし」とガッツポーズしたあと、夏樹は意気揚々と自分も料理を食べ始める。
冬里と由利香は、また顔を見合わせてこっそりと微笑み合うのだった。




