いよいよ当日です(その1)
料理対決の朝、午前5時すぎ。
『はるぶすと』の裏玄関がカチャリと開くと、由利香が姿を現した。
こんな日だが、やはり日課をこなさないと落ち着かないのか、ジョギングウェアを身にまとっている。
ストレッチをはじめる由利香にかかる声。
「抜け駆けはずるいっすよ」
「夏樹! 」
振り向くとそこには、夏樹が用意万端で立っていた。
「あんたってば、こんな日まで? 」
「こんな日だからこそ、普段通りにってね。由利香さんだってそうじゃないっすか。あ、けどちょっとだけ普段通りじゃないかなー」
「? 」
やけに嬉しそうに言いながら、こちらも念入りにストレッチしたあと、2人は『はるぶすと』の表玄関に回る。
そこには椿がいた。
どうやら2人を待っていたようだ。
「あれ、秋渡くん? 」
「ああ、今日は俺が大事なお姉様のエスコートを頼まれたんでね」
「へえ、そうなんだ。でも、どうして? 」
「今日は、シュウさんと冬里は会場設営に忙しいそうです。だから椿に白羽の矢が立てられたってこと」
「そうなの。あ、じゃあ秋渡くんもあとで料理対決見に来るのね? 」
由利香がそう言うと、椿は首を横に振った。
「残念ながら、俺、今日は休日出勤なんだよ。夏樹の勇姿を見たかったんだけどな」
「そうなんすよー。俺もちょっと前に聞いてがっかり。けど仕事じゃ仕方ないってね。それより、そろそろ行きますよ、2人とも。じゃ、出発進行ー! 」
かけ声をかけた当人は、由利香のペースに合わせることなく、ずんずん先へと行ってしまう。そんな夏樹の背を見ながら、由利香が可笑しそうに言った。
「なによ、夏樹ってば、一緒に走るようなこと言っておきながら、先に行っちゃった。 変なヤツねー」
椿もクスクスと笑っていたが、気を取り直すと由利香を促す。
「いつもとおんなじだってこと。じゃ、俺たちも行こうか」
「はーい」
こちらの2人もいつもと同じように、ゆっくりしたペースで、たわいもない話をしながら道路へと出て行ったのだった。
ジョギングを終えた由利香がシャワーを浴びて2階のキッチンへ行くと、そこにはシュウがスタンバイして待っていた。
「あら、鞍馬くん。もう会場設営は終わったの? 」
「いえ、まだ残っていますが、由利香さんがそろそろお帰りだと思いまして」
「あら、ありがとう。手伝ってくれるのね~」
嬉しそうに言う由利香に、こちらもニッコリと微笑みながら答えるシュウ。
「いえ、手は出せませんので、言葉で厳しく指導をします」
「ええっ? ひどっ! 今、ちょっと感激しそうだったのに。鞍馬くんの鬼! 」
「恐縮です」
ぷん、とふくれながらエプロンをつけはじめた由利香だったが、そのあと吹き出して本格的に笑い出してしまい、上手く蝶結びが出来なくなった。
シュウは、400年ほど前にも、どこかで同じような事をしたと懐かしく思いながら、由利香の手を取って一緒にひもを結ぶ。
ただし、それで真っ赤になったりするような由利香ではなかった。
「ありがとう。恐縮でございますわ」
胸に手を当てて、冬里が由利香をからかうときによくするお辞儀を返す。
「どういたしまして」
シュウはなぜだか楽しくなりながら、「では、はじめましょうか」と、先を促したのだった。
由利香は、包丁の使い方こそまだぎこちなかったが、かなりレシピを読み込んだらしく、手際よく料理を進めていく。少し前に、シュウが見本として同じものを作るところを見せていたので、そのせいもあったのだろう。それにしても、キッチンの隅に立てかけてあるレシピを見るのは、調味料の分量を確認するときだけだ。
シュウは微笑みながら、感心したようにその様子を眺めている。この分だと、どうやら厳しい指導はいらないようだ。
「あとは寿司飯ねー。あ、先生! 申し訳ございませんが、どうかこれだけ、これだけ、お手伝いして下さいませ」
と、どこからか取り出したうちわを、うやうやしくシュウの方に差し出す。
クスクスと笑ってシュウは、「先生はやめて下さい」と、こちらもうやうやしくうちわを受け取る。
寿司桶に入れたご飯に、調合した寿司酢を少しずつ振りかけながら、手早く混ぜていく由利香。その向かい側で、由利香に風がかからないよう、シュウが上手くうちわであおぐ。
次第に寿司飯につやと照りが出てきたところで、材料別に煮込んだ具を入れて、また手際よく混ぜ込んでいく。
「はあー、何とか完成…」
具と寿司飯が綺麗にまざりあったところで、由利香はほうっと息をつく。
「師匠、念のため味見をお願いします。たぶん、大丈夫だと思うけど…」
「そうですね。本当ならもう少し味をなじませてからの方が良いのですが、」
シュウはそう言いながらも、由利香の差し出す皿を受け取るとそれを口に運ぶ。
すがるような表情でシュウを見ていた由利香に、
「良い仕上がりです。レシピどおりにきちんとされていて。これなら彼らも納得するでしょう」
と、頷きながら微笑んで言う。
それを聞いた由利香は、「良かったー」と言ってため息をつきながら、思わずその場にへたり込んでしまった。
「やり直し! なんて言われたらギブアップしてたわ。もう色んな意味でへとへと。本当にお料理って体力いるのねー。ジョギングを勧めた鞍馬くん、正解よ」
「やっとわかって頂けましたか? 由利香さんは頑固ですから認めて頂けないかと思っていましたが」
口ではそんな風に言いながらも、そこはシュウ。
キッチンの床に座り込む由利香に手をさしのべて、優しく立たせてやる。
「ありがとう」
「いえ、どういたしまして。では、2人を呼んできましょう」
言いながら、シュウがキッチンを出たところで、タイミング良く総一郎と夏樹がリビングに入ってくるのが見えた。
「どうっすかー、由利香さんの料理。はかどってますか」
「僕も気になって見に来ました~」
2人が言うのに、由利香は疲れた顔ながら、えっへんと偉そうに胸をそらせる。
「はかどってるどころか、もう出来上がったわよ! どう? 」
「へ? 由利香さんすごいじゃないっすかー。いつものグータラとは大違いっすね」
ふいをつかれたのか、夏樹が思わず口を滑らせると、由利香は「なんですってえ? 」とコブシを突き出す。
「ひえっ、今のは、なし! 」
夏樹はズズズッと後ずさりながら、手をブンブン振って苦笑いをしている。
由利香はこちらも笑いながらコブシをほどくと、おもむろにしゃもじを取り、出来上がった寿司を小皿に取り分けて、2人の前に差し出した。
「えーと、一応、お二人には試食して頂かないと、他のお料理が進められないものね」
珍しく、少し照れたように顔を赤くして言う由利香をまじまじと眺めていた2人は、
「はい…」
「そ、そうすか…」
と、なぜか神妙にそれを受け取った。
「? 」
不思議そうに2人を見やる由利香に、総一郎と夏樹は出来上がったちらし寿司の味見を許されたので、おのおの試食をさせてもらう。
ひとくち口に含んで真剣にテイスティングする2人。
うんうんとうなずく総一郎とは対照的に、食べたとたん驚いた顔をして固まっている夏樹。
そのあと夏樹は、慌てて自分の部屋に戻り、なにやらゴソゴソと捜し物をしていたが、しばらくしてから店の厨房へと現れた。
今回は、総一郎が店の厨房で、夏樹は2階のキッチンで料理することになっている。
夏樹にとってはどちらも慣れたキッチンだが、総一郎はそうではない。それなら、器具や火力が優れている店の厨房を、総一郎が使うのがフェアだろう。
「それじゃあ、はじめようか。時間は2時間。きっかりじゃなくてもいいけど、このあと京都に帰らなければならない総一郎くんの事も考えて、あまり長引かないようにね」
「はい」
「うっす」
シュウがそう宣言すると、2人はがっちりと握手したあと、料理を始めるため1階と2階へと分かれていった。




