朝の情景(by 由利香)
ジョギングから帰ると、おのおのシャワーを浴びて、さっぱりしたところでキッチンに入り、授業開始だ。
身体を動かしたことで充分目覚めているから、夜に教えてもらうよりも、よく頭に入る気がするわね。
でね、可笑しいのは、夏樹もちゃっかり一緒に授業を受けていること。
すっごく初歩的な事なのよ。なにせ私のための授業なんだから。
でも、真剣さではきっと私、負けているわね。夏樹ってば、本当に鞍馬くんのことを信頼して、尊敬してるのが、これだけでもよくわかる。
そこに、たまに冬里まで加わるんだけど、あいつが入ると、茶々ばっかり入れるから、なかなか授業がはかどらなかったりする。
だけど。
なにかな。
こんなひとときが、とても嬉しくて、楽しくて、そして幸せなんだなーと。
しみじみ思ってしまうのだ。
しかも、早起きも、慣れるといいものだと実感。
朝ご飯をちゃんと食べて、ゆっくり珈琲なんか飲んで。
ついでに新聞なんかも読む時間が出来て、おまけに洋服のコーディネイトもバッチリ! 余裕で出社するから、午前中の仕事効率がすごく上がった気がする。
鞍馬くんに感謝、だわ。
で、肝心の授業の方は、2週間ほどで基礎的な事柄がひととおり終わり、いよいよ実際に料理を作る段階に入っている。
だいたいは朝食用の簡単なメニューから。
その上どういうわけか、今度の料理対決に私もかかわることになってしまったの。
それというのも、和食につきもののご飯として、季節のちらし寿司を私が作ることになり、それに合うように、総一郎さんと夏樹が、前菜や主菜を考えて料理を組み立てるという、一風変わった趣向になったからだ。
ちらし寿司のレシピは、難しすぎず、でもそんなに簡単でもない、というのを鞍馬くんが考えてくれ、総一郎さんと夏樹には、鞍馬くんが書いた出来上がりのイメージ図をレシピに添えて先に渡すことにした。
そうこうしているうちに、状況も少しずつ変わってきたの。
「それでは、今日の授業はこれで終わります。少し時間が延びてしまいましたね。由利香さん、すみませんが急いで支度して下さい」
「ええー? ひどーい。なーんてね。大丈夫よ、今日は秋渡くんがお迎えに来てくれるって、さっき言ってたから」
「由利香さん、ひでー。最近しょっちゅう椿を足代わりにしてるじゃないっすか」
「私が無理に頼んでるんじゃないもーん」
そうなのだ、ジョギング第1日目にして、幸運にも? うちと家が近いことが判明した秋渡くん。(あ、この呼び方もね、向こうの方から指定してきたのよ。さすがに会社では秋渡さんと呼んでいるけど)
あれから朝のジョギングで顔を合わせるようになった秋渡くんは、たわいもない話をしながら、20分だけ私のペースで走って(歩いて? )くれるようになった。おかげでその間は鞍馬くんが自分のペースで走れるから、私としてはとってもありがたかったんだけどね。
その秋渡くんは、たまに車通勤をしているらしい。
で、うちの店がちょうど通り道になるから、そのときは乗せていってあげる、と、とっても魅力的なお誘いをしてくれたのだ。
当然、私が断るわけもなく。
ダイニングテーブルに朝食の準備をしていると、裏玄関のチャイムが鳴る。
「ほいほーい」と、夏樹が足取り軽く階下へ降りていった。
「よっ、ひさしぶり! 」
「なんだよ、さっき会ったばっかりだろ? 」
なんだか楽しげなやりとりをして、一緒に階段を上がってきたのは、秋渡くんだった。
「由利香さーん、お迎えっすよ。あ、椿、朝飯は? 」
「すませた、って言いたいところなんだけど、実はまだ」
「おう! ちょうど良かった。新レシピ試してみたかったんだ」
「俺は夏樹の試食係じゃないぜ」
まあまあ、などと言いながらキッチンへ向かう夏樹。
なぜかこの2人は、とっても波長が合うみたいなの。
最初は秋渡くんが人見知りしてたようだけど、打ち解けるとお互い本当の兄弟みたいに振る舞うようになった。(ただし、人見知りというのは私の思い違いで、実は私が3人とルームシェアしてることに最初ジェラシー感じてただけだと、かなり後になってから、秋渡くんが打ち明けてくれた)
そして、冬里は遊び相手が増えて、こちらもとても嬉しそうだし。
「おはようございます」
「なーに? いつまでたっても僕には丁寧だねえ、椿くーん」
カウンターキッチンの向こうにいる鞍馬くんから朝食のプレートを受け取り、不適に微笑みながらそれを秋渡くんに渡す冬里。
「あ、ありがとうございます」
秋渡くんはなぜか詰まりながらお礼を言って、ハハハ、と乾いた笑いを繰り出す。
夏樹に何を吹き込まれたのか、彼も冬里を必要以上に恐れてるのよね。
「おはよう、って2回目ね。今日もよろしくお願いしますねー」
私は自分のプレートをテーブルに置きながら、秋渡くんに言う。
「ああ、安全運転で行くよ」
「あったりまえ。大事なお姉様に何かあったら、俺たちがただじゃおかないっすよー」
夏樹が自分の分と、冬里の分かな、ふたつのプレートを持ってくる。
あれ、でも冬里は自分で運んでる。じゃああれは鞍馬くんの分か。
その鞍馬くんはというと、ちょっと大きめで変わった形の鍋を持ってきた。何かと思って聞いてみると、ガスコンロでお米が炊けるお鍋なんだって。
ふたを開けると、ほわっと湯気があがり、炊きたてのご飯が顔を出す。
「うわあ」
「うまそー! 」
「すごい」
私たちは思わず叫んで顔を見合わせると、思いっきり笑顔になる。
今日の朝食は、珍しく和食。
冬里が来てから、ほとんど朝ご飯は洋食だったんだけどね。
そのあと鞍馬くんがよそってくれたご飯には、公平に少しずつおこげも入っていた。
しかもね!
「久しぶりにご飯を炊いたので…」
と言って、なんと! お弁当まで用意してくれてたの。
「椿くんは今日、外回りのようだから、昼食は向こうで誰かと食べますか? とりあえず用意しておきましたが。いらなければ私がいただくから、遠慮しないで」
なんとなんと、秋渡くんの分まである。
これにはさすがの秋渡くんも最初ポカンとしていたんだけど、はっと我に返ると、勢い込んで言う。
「お、俺の分まで作ってくれたんですか?! いらないなんてけっして言いませんよ。ありがたく頂きます! 」
パンっと手を合わせて、うやうやしくお弁当を受け取る秋渡くんを、ちょっとだけうらやましげに見つめる夏樹。
そんな夏樹を微笑んで見ていた鞍馬くんが、手品のようにもう一つ包みを取り出して、夏樹の前に置いた。
「へ? 」
「夏樹の分もちゃんとあるよ」
「シュウさ~ん」
感激して涙目になる夏樹の背中を、ドンッ、と叩いてニヤリとしながら親指を立てる秋渡くん。ちょっと照れながらも、同じように親指を立てて答える夏樹だった。
「じゃあ、行ってきま~す」
『はるぶすと』の玄関前から秋渡くんと私を乗せた車は、静かに走り出した。
「いってらっしゃーい」
手を振って見送ってくれた夏樹がお店へと戻る。そこでは冬里が、暖炉前のソファでゆったりとくつろいでいた。
「ふふ。新婚の姉を見送る弟の心境、だね、夏樹」
「へ? ああ…。でも俺、椿なら大賛成っすよ」
「うん、シュウも僕もそう思ってる。けど、椿はここからが正念場」
「? 」
「本人は無意識だけど、過去の失恋を境に、恋愛に関してはとっても臆病になってて自制してる由利香が、椿を受け入れるまでにはさ、かなりの時を要しそうだからね」
「ああ、それは言えてるかも」
「百年人の生涯って、すごく短いから、本当は2人には、もっと早く幸せになってもらいたいんだけど。でもそれは、僕たちが口出しすべき事ではないから」
「…そうっすね」
くしゅん!
「大丈夫? 由利香さん。そこにティッシュあるよ」
「うん、ありがと」
「風邪? なわけないか、この季節に。アレルギー? 」
「ううん! きっとあいつらが、やーっとうるさいお姉様が出社したー、って大喜びしてるのよ」
「あいつら? 」
「うん、冬里と夏樹」
すると、秋渡くんはブッと吹き出して言った。
「まさか」
「ううん、ぜえーったい、そうよ! 」
私は、こちらもまさか秋渡くんと私の将来を、あの2人があんな風に心配してくれてるとは思わず、そんなことを話してしまっていたのだった。




